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ロケバス協会は、ロケバス事業の適正な運営、健全な発展と近代化、事業者の地位の向上を目的として設立いたしました。

「オーストラリア英語学校編」

2012年03月16日 | T村
待ってました!またまた私の番が回ってまいりました! 広報委員のT村です。

ロケの合間、締め切り1日前に書いております。私の場合は締切が気になって気になって、その気になって・・・ちがうか。早く書かせてくれ!的な思いを込めての1日前の執筆になります。まあこの話は長くなるのでこの辺りでオワリ!
# 気になる人がいたら今度の飲みの席で熱弁をふるわせていただきます。
# まあ聞きたい方はいないと思いますが・・・

Anyway、また禁断のアルバムを震える手で持ってきて、一枚をスキャンさせていただきました300dpi(以下同文)

今回はオーストラリアの英語学校編です。

スキャンさせていただいた写真は、オーストラリアのシドニーにある(あった)英語学校、イングリッシュカレッジ、略してインカレでの最後の授業の時に記念で撮った写真だと思います。

19歳のT村青年が1987年01月初旬、オーストラリアのシドニーに初めて到着して、その足でインカレのゲストハウスのあるリンドフィールドというシドニーから電車で20分位の所に行き、次の日からこのインカレに10週間通いました。

生徒はほぼアジア圏の人で、私が通っていた初級クラスも日本人2割であとは香港、台湾、韓国、インドネシアの人でした。英語よりその人たちの母国語の挨拶などを良く覚えてコミュニケーション、たまにはチャイナタウンでノミニケーション(オーストラリアでは18歳から成人)。

そんなこんなで、英語の勉強というより、いろいろな国の人と友達になって、国際人になった錯覚を感じていた時でした。

アジア系の人と話していると戦争の事、人種の事、国の事情、いろいろ今まで自分で考えもしなかった事を思いしらされました。特に韓国の人は辛い物と戦争の話が好きで、香港の人は香港返還(1997年7月1日に香港の主権がイギリスから中華人民共和国へ返還)があるとのことで、移住を前提にオーストラリアに来ている人が多かったです。

日本を外から見たり、あらためて日本人という自分を感じたり、ナカナカ良い経験でした。

その後アルバイトをしてお金をためて、オーストラリア一周の旅にT村青年は出るのですが、その話は・・・次回より順次!

また震える手で秘蔵の写真をスキャンしてお届けいたします。

G'day T村より。


オーストラリア体験記 「ストリート体験」

2012年01月16日 | T村
広報委員会のT村です。

早い!早い!実に早い!ブログの順番が回ってくるのが早いです!

前回、オーストラリアワーキングホリデーに行くきっかけがストリートミュージシャン志望だとホントに恥ずかしいお話を暴露してから、まだまだ順番が回ってくるのは先だと何となく安心してホッコリしておりましたら、メリーなクリスマスも過ぎ、ハッピーなニューイヤーも過ぎ、年始、「あけましておめでとうございます、今年もよろしくです」的な挨拶も終わり、yep! ついに来てしまいました、私の番。

yeeeeeeeee......s!

約束通りにしました、しました、震える手でスキャンしました、300dpiです。キャノンです。

ご覧ください。路上の写真です。お気づきかと思いますが、誰も聴いてくれておりません・・・何の曲を歌ったか忘れてしまいましたが(忘れようとしていたのかも)、ビートルズの何かだったと思います。

場所はサーキュラーキーという港の駅。結局、ほんの少しの間しか路上に出て演奏してないのですが、ある日思い出深い出来事がありました。通常は誰も聴いてくれないのに、一人の東洋人の男性が遠巻きに聴いていてくれて、演奏が終わると近寄ってきて「頑張れよ」って紙のお札で数枚(10ドルから20ドル)頂いた事です。お金目的でやっていたわけではありせんが、異国で日本の方から優しい声をかけていただけてとても感動しました。

あとクリスマスの日に、キングスクロスという、日本でいうと新宿の歌舞伎町みたいな場所で演奏していたら、アッという間に酔っ払いに絡まれて、一瞬で終了という苦い経験もありました。

その後の20歳だったT村青年の思いは、オーストラリア一周の一人旅から、オーストラリア横断自転車の旅に進んでいくのですが、まだまだぁ~秘蔵の写真があります。三脚とセルフタイマーを駆使したこっぱずかしい一人旅の様子など、次回またスキャンしお伝えしたいと思います。

ではでは。Gday!

広報委員T村より。

オーストラリア体験記「実はストリートミュージシャン志望?」

2011年11月16日 | T村
広報委員のT村です。

私がロケバス及び撮影業界に入るきっかけは、1987年の19歳から20歳にかけて1年間過ごしていたオーストラリアでの体験です。今後、何回かにわたって、その体験をブログに書かせていただきたいと思います。
毎回ブログを書くとき、何を書こうかなど事前に考えずにパソコンの前に座り、パソコンのマイピクチャーの画像をいろいろ見つつ今思いついた事を書くようにしており、今回も以前にfacebookで書いたオーストラリアの自転車の旅の写真を見てひらめきました。



今日思い付いたので、いろいろ整理して下記のような感じで書いていければと思っております。ひょっとしたら、書きたい事が増えるかもしれませんし、書くことが変わるかもしれませんが、ご了承ください。

「オーストラリア行きのきっかけ」
「オーストラリアでの生活」
「オーストラリアでのアルバイト」
「オーストラリア1周の旅」

あらすじ
私は1987年1月の19歳の時にオーストラリアのシドニーに一人旅に出ました、その後、20才までの1年間、英語を勉強したりアルバイトをしたりして過ごし、残りの半年はオーストラリア一周の旅に出ました。http://bit.ly/tR4R4l
トータルの距離は約14000キロ。シドニーでヤマハXT250Tの中古車を買って、テント等積んでオーストラリアを反時計回りに出発。西オーストラリアのパースにてバイクを売って、自転車を購入。シドニーまでの約4000キロを自転車で旅をしました。その時のいろいろな人の出会いによって、帰国後1990年より撮影の仕事に携わらせていただいております。

自分の頭を整理するためにいろいろ書いてしまいましたが、次回から本編が始まります!

ここで次回の予告

「オーストラリア行きのきっかけ」
これまで何でオーストラリアに行ったのか誰にも言ってないのですが(恥ずかしくて言えませんでした・・・)、一冊の本からなのです。本屋さんで発見したワーキングホリデー体験記という本の中に、ストリートミュージシャンをしていた方の体験記が載っていたのですが、実はそれに感化されてストリートで演奏するために行きました(書いているだけで恥ずかしーっ)。10代の頃はギターに夢中で、いろいろ夢見る青年でした・・・実際は、つたない演奏で数回しかストリートに立っておりませんが、その体験談も含めて是非次回ご期待ください!秘蔵写真もスキャンを待っております(笑)。

そういえばギタリストになるのが10代の頃の夢だったんだなって最近あらためて思い返しております、T村でした。

てるてるカエルと加盟会社

2011年09月07日 | T村
今回は、てるてるカエルと加盟会社さん同士の横のつながりについてお話させていただきたいと思います。

ロケバス協会のキャラクターである「てるてるカエル」、ロケバス協会「LBA」の顔となっております。よく撮影現場などで他の加盟会社さんの車両とご一緒になることがありますが、「てるてるカエル」のステッカーを見た制作スタッフの方に、同じ会社の方が来てますねって言われたこともありました。同じステッカーなので同じ会社の車両と勘違いされたみたいです。

また、地方ですれ違ったりすると何だかホッとしたりもします。

ところで、ロケバス協会にはLBAレスキューネットワークというシステムがあります。協会加盟会社の車両が故障、不慮の事故等により運転不能になった際の会員相互救援システムのことで、東京23区を城東エリア、城西エリアに分けて、各担当地区の会社間で連絡を取り合い、代車を派遣するようになっています。

そのようなことで、協会加盟会社同士の横のつながりも広がっており、CM、テレビ、雑誌、スチール広告などなど、異なる舞台で活躍されている会社さん同士、繁忙期には仕事を融通し合ったりして、いろいろな業界を見ることが出来て非常に勉強になります。

ここでもう一度、「てるてるカエル」のキャラクターの紹介をさせていただきます。

コマーシャルや映画、写真撮影などのクリエイティブの一翼を担うロケバス協会として、天候に左右されるロケを順調に進められるように願いをこめた「てるてる坊主」と、安全にロケ先から帰れるよう「カエル」を掛け合わせた「てるてるカエル」キャラクターをシンボルマークにしました。
キャラクターの「てるてるカエル」はイラストレーターのブースカ氏によるものです。信頼と安心のおけるブランド力をイメージさせ、知的で公正な協会であること、あわせて自然環境に配慮した協会であることをグリーンカラーで表現しております。

私が所属する広報委員会は、ロケバス協会の広報活動を目的としているため、今回は身近な「てるてるカエル」とネットワークについて御紹介させていただきましたが、今後も協会のいろいろな事を発表していきたいと思います、が!

あまり堅苦しい話はいたしませんし、できませんので、「てるてるカエル」の日常を今後もお届けいたします。


がんばろう日本、応援してます東北、 広報委員 T村。

てるてるかえるとpray for japan part 2

2011年07月21日 | T村
広報委員会のT村です。今回はpray for japanのステッカーについてお話させていただきます。


pray for japan 訳すと「日本のために祈る」


企画したのは私の妻です。妻は以前より日系4世のアメリカ人をパートナーとして衣料関係の仕事をしており、3月11日の東日本大震災発生後、世界中から日本を心配するメールなどが沢山寄せられました。その後海外向けにチャリティーTシャツとステッカーを作成し活動しており、被災地に貼らせていただいたり、知り合いのロケバス会社さんに配って貼っていただいたりしているのがそのpray for japanのステッカーです。


アメリカ本土、イギリス、ハワイ、グアム、といろいろな国の方々が日本を心配してメッセー
for japan 「日本のために祈る」世界の人々が日本のために祈ってくれております。

私もそれに応えるために出来ることからやっていきたいと思っております。


日系アメリカ人のEnson Inoue氏の被災地レポート(英語)。
Yamato Damashii Diaries
http://www.youtube.com/watch?v=y8OurLjcfzo


がんばろう日本  がんばっぺし大船渡 !!

広報委員 T村。