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ロケバス協会は、ロケバス事業の適正な運営、健全な発展と近代化、事業者の地位の向上を目的として設立いたしました。

1987年南の島浮かんでいた頃。

2013年03月18日 | T村
どうもです、G'day です! ナカナカです!ナカナカなT村です!この寒いのに短パン半袖で頑張ってます! 45歳なので校長先生もほめてくれません。

前回のブログでオーストラリアの回想的な、締め的なブログを書かせていただき、下記の文でしめさせていただいたのですが・・・

【その後オーストラリアから帰国をして、沖縄離島2ヶ月キャンプやサンフランシスコからロサンゼルス自転車の旅など、すっかり旅人になり自分探しの旅をしておりました。次回のブログはどんな展開にしようか、次回の締切前にいつものようにパソコンの前にドスンと座って降りてきた直感で行きたいと思います。】

今回は直感が来ませんですよぉ、not yet ですよぉ。

そんな時は一枚の写真を取り出しスキャンですよ!

写真みてると文章がわいてわいてきます<m(__)m>

では下記の写真はオーストラリアの北(南半球なので北に行くほど赤道に近くなり暑いです)にあるフィッツロイアイランドにて。



日付を見ると1987年8月14日。なにか日本で出来事はないかと探しました。事件といえば、8月14日ではないですが、同年8月31日にフジテレビ系列のテレビ番組「夕やけニャンニャン」が放送終了したという重大な事柄があった月にのんびり南の島で浮かんでおりました。

夕やけニャンニャン、昭和42年生まれの世代にはグッっとくるものがあります。同じ広報委員の変身パパのKさん(言い回しがちょっと違いますね)もおそらく終了に涙したと思います・・・

また今度じっくり変身パパさんとこの件に関して飲みながら話したいと思います。

ではでは(えっ!もう終わり?)

ではでは。。。次回は旅の話をするか昭和の話をするか考えておきます。

ではでは G day!

オーストラリア一周の旅で出合った人たち編

2013年01月17日 | T村
どうもです、G'day です!

2013年新たな年、本年も宜しくお願いいたします! ロケバス協会広報委員のT村です。

そんな2013年から戻ること26年前の1987年1月、19歳で渡豪したT村青年は語学学校→バイト→オーストラリア一周の旅に出ました。今回はその旅で出会った人で画像が残っている人たちをご紹介いたします。かなり前のことなので忘れていることもありますが、ご紹介します。



ケアンズから船で45分の所にあるフィッツロイ島でであった失業中のカップル。年もそんなに変わらなく、失業保険をもらってるんだって言ってました。


ケアンズのキャンプ場で1週間くらい一緒だったスウェーデンから来た娘たちとスイス人のカップル。お国柄なのか、スウェーデン娘たちは所構わず着替え始めるので、T村青年は何処を見ていいのかオロオロしてしまいました。スイスの人たちは会った人みんな大人しく、なんとなく日本人に似ている感じで好感がもてました。


この写真の場所を思い出そうとしても思い出せず。おそらくノーザンテリトリーの内陸部のガソリンスタンドで出会ったと思います。彼はメルボルンから自転車でオーストラリア一周をしており、非常に穏やかな人だったと記憶しております。


オーストラリアの西の町のパースで、オートバイから自転車でのオーストラリア横断の旅に出る準備をしている時の泊まっていた安宿のドミトリーで一緒の部屋だったマイクです。喘息持ちで喉を拡張する吸引する薬を使っていたのが印象的な人でした。


自転車の旅の初旬に出会った、少し年配のオジサンツーリストです。何を話したのか全然覚えてませんが、一つだけ覚えていることは、写真を撮った時に「自分(オジサン)はこの(写真)中にいつまでもいるよ、オーストラリア横断楽しめ!」って言ってくれたことです。

バイクや自転車の一人旅は毎日が出会いでした。毎日毎日、何処から来て何処へ行くんだ!って聞かれ、自転車でオーストラリア横断してシドニーまで行くと言うと呆れた顔をよくされました。また、さまざまな人種や文化にも触れました。ある時、安宿に備え付けてある冷蔵庫に焼豚を入れていて、同じ宿に泊まっているイスラム教徒の人たちに怒られたり、等々・・・

あれから26年。現在はロケバスドライバーとして毎日旅をしており、幸せです。

旅のネタは尽きませんが、その後オーストラリアから帰国をして、沖縄離島2ヶ月キャンプやサンフランシスコからロサンゼルス自転車の旅など、すっかり旅人になり自分探しの旅をしておりました(笑)。

次回のブログはどんな展開をしようか、次回の締切前にいつものようにパソコンの前にドスンと座って降りてきた直感で行きたいと思います。

では、また次回! G'day!

オーストラリア自転車の旅その2

2012年11月16日 | T村
キタ━━━(゜∀゜)━━━!!!!!

G'day みなさん! どうもです! またまた私の番が回りまわってきました!

スキャニング、好っきゃにんぐ!

そういえば5年使っていたCanonの複合機MP830がついに故障して、CanonのMX893とういう最新のFAX複合機に変えたばかりでその機種の初のスキャンをいたしました、本日<m(__)m>。

結果はあんまり変わりませんでした、おまかせ補正っていうのにチェックを入れてスキャンしたので若干補正されているかなぁという感じです。ナカナカでした。。。

まあ、スキャンの話はこれくらいにいたしまして。

本題のオーストラリア横断自転車の旅後半です!

セルフ的なのが好きで下記の画像も三脚でセルフってみた写真です。もっと痛い写真もあったのですが、さすがに痛すぎなのでやめました。なにかの時に痛セルフ特集など組んでお見せいたします。


オーストラリアはハエが多いです。下記の画像クリックして大きくして見ていただくとわかりますが、ハエがハエハエといっぱいくっ付いております。ちらっと見えているのが、痛セルフ用の三脚です。


ナラボー平原という何にもない所をキコキコ自転車をこいで、一か所だけ海の見える所で、セルフ!


日付が1987年12月5日とありますので、シドニーに戻る日の朝のキャンプ場の写真です・・・なんか悲しい写真ですね。


西の町のパースを出発したのが1987年10月2日、シドニーのハーバーブリッジに到着したのが1987年12月05日。ほぼ2カ月5000キロ。オーストラリア横断の旅が終了しました。


自転車の旅はイイですね。
上り坂がつらくてもいつかは下り坂で疲れも癒される。
向かい風が強くて前に進まない時を経験すると追い風の時の風のありがたさを感じる。
人生にも似ている、ウルウル (T_T)/

いろいろな人と出会い、いろいろな人に助けられ、いろいろ勉強になった旅でした。

次回はオーストラリアのアザーカット集をお届します!ちょっと痛いですよ。G'day!

オーストラリア自転車の旅その1

2012年09月19日 | T村
Facebookはバンバン更新できるのに、なぜかブログはジックリ時間を作って頭を切り替えないとできない性格の広報委員T村です。

「なんかもっと思い出に残る旅がしたい」

シドニー~ブリスベン~ケアンズ~ダーウィン~ブルーム~西オーストラリアのパースまで2ヶ月間で距離は約15000キロ。パースに到着して思ってしまいました。大陸横断自転車の旅(妄想ではなく・・・)。

西の端っこの町のパースから東のシドニーまで約5000キロ。何日かかるだろうなど考えてたり考えなかったり、実際は行き当たりばったりな旅の始まりでした。


パースでの出発の日の写真。シドニーへ出発した時の何ともいえない気持ち、今でも忘れません。



三脚を持ってきていたので、セルフタイマーで撮ったかと思いましたが、ひょっとしたら誰かに声をかけて撮ってもらったかもしれません。



スポークの予備を購入した時の記念写真です。旅のための特別な自転車ではないので、積載している荷物の重さと自重にスポークが折れてしまったため、パースを出て1週間くらいで、小さい町の自転車屋さんでスポークを直してもらいました。25年も経っているので、この写真の子たちも30~35歳くらいになっているのですね~

この後、ナラボー平原という2000キロにも及ぶ大平原が待ち受けることに緊張しつつ、マッドマックス1を撮影したものすごく長い直線なども経験しつつ、「どこまで行くんだい?えっシドニー!冗談だろ」って言われ続けつつ、キャラバンパーク(キャンピング場)で夜はロングライスを毎日炊飯して食べてはすぐ寝つつ。

すごい風が吹いた日のこと。朝起きたらモンベルのムーンライト1型が一回転していた野宿のテント(おそらく半径数十キロは私一人であろう)の外から見た夜空の綺麗さに感動した20歳、1987年10月でした。

次回はオーストラリア自転車の旅その2

ではではGday!

オーストラリアのバイト編

2012年05月17日 | T村
来た来た!

私の番がマワッテキタ! 広報委員のT村です!

今回はバイト編。英語学校が終了して旅に出るまでに数種類のバイトをやりました。今回はキャッチ―な写真がないので、友達がバイクを彼らから買ったときの記念写真です。髪型が時代を感じます。Tシャツの色も時代です。



基本は英語がおぼつかないので、だいたい初心者は日本食レストラン、通称ジャパレスからスタートになります。

私のバイトは、覚えているだけでこれだけあります。

・日本人経営のTake away(アメリカ英語だとTake out)の日本食のお弁当屋さん。2か月くらいやっていたと思います。

・イタリア系のオジサンが経営していたSho-gunというTake away寿司屋。この店は私がバイトに入った2日後が閉店のパーティーの日で、2日間しか働けませんでした。

・経営はわかりませんが、ペルシャ絨毯の仕分けとトラックからの降ろしなど。フェイスタオル位の絨毯が3000ドルとか値段がついていて、ビックリした思い出があります。

・日本人経営のロケーションコーディネート会社の簡単なロケハンにバイクで行って写真を撮ってくるという仕事や、コーディネーターのちょっとした手伝い。

・ツアーコンダクターの手伝いで、日本人の新婚さんをシドニーの空港へ送る&迎える。

などなど。

まあ、最大の出会いといえば、この撮影業界にいるきっかけになった人である、一番最初にバイトした日本食のお弁当屋さんで働いていた5歳上のHさん。Hさんとはバイトをやめたあとも連絡を取り合っていて、お互い日本に帰国。Hさんはロケーションコーディネーターとして働いて、私はバイトしては旅に出るみたいなことをしており、ちょくちょく会ってはいました。そんなある日、こう言われました。

「知り合いの会社でロケバスっていう仕事があり、働ける人を探しているのだけど、やってみない?」

その言葉から24年。こうしてロケバス協会の広報委員として、ブログを書いております<m(__)m>

Hさんは1995年くらいに家の都合で実家に帰ってしまい、今はお付き合いがなくなってしまったのですが、またお会いしてみたいです・・・

話がそれてしまいましたが、そんなこんなでシドニーでバイトをして少しお金をためて、次回はオーストラリアバイク旅編です!お楽しみに!って誰も楽しみにしてないと思いますが・・・

G'day ! T村でした!