goo blog サービス終了のお知らせ 

LBAblog

ロケバス協会は、ロケバス事業の適正な運営、健全な発展と近代化、事業者の地位の向上を目的として設立いたしました。

ちっちゃなカメラマン

2011年08月22日 | K
広報委員Kです。

私は今、大船渡。お盆で帰省しています。

8月13日午前1:30、私の次女、友人2人を乗せて東京を出発し、実家へ到着したのは、同21:00頃でした。休憩を除いても、18時間程かかっています。震災後、初めてのお盆という事もあってか、高速は大渋滞。サービスエリアへ入るのも一苦労でした。幸い運転を代わってもらえたので、交代で仮眠はとれました。

私の次女が震災後の大船渡へ来るのは初めてです。去年の夏は海水浴へ行きましたが、今年は泳ぎに行ける場所がありません。地盤沈下により砂浜は無くなり、海中には未だ瓦礫が散乱しています。田舎へ帰っても、今年の夏はどこへも行けません。でも、次女には今の大船渡を見てもらいたかった。片付けられて綺麗になってしまう前に….

「夏休みの自由研究にすれば?」そう持ちかけて、一緒に連れてきました。

昨日今日と大船渡、陸前高田を回りました。日に日に片付いてますが、傷跡はまだまだ残っています。次女の目にはどう映ったのでしょうか….

以前遊びに行った場所が、今はありません。「この辺が○○だったんだよ。」そう言うと、「嘘っ…。あそこはどうなったの?」そんなやりとりをしつつ案内。まるでロケハンでもしている様でした。

クライアントはちっちゃなカメラマン。

車を走らせていると、「あっ! ちょっと止まって!」と言い、車のウインドー越しにパチリ!

「次行こ、次!」そう言われて車を走らせる。「ここはどうですか?」の問いに、「一応押さえておきますか…」なんて。小さいながらも、態度は一丁前です。

ふと気をゆるすと寝てたりしますが、彼女なりに一生懸命なところには、ちょっと感心させられました。


今の大船渡。復興には、まだまだ時間がかかります。


2011.8.15  広報委員Kより


ミイラとりがミイラ その3

2011年07月06日 | K
3/15 震災から4日
すこし早起きをして灯油を調達に行きました。タンクローリーは未だ来ておらず、ガソリンも軽油も給油できません。明日のローリーは今日の午後。車を停められず、ポリタンクを持って徒歩でGSへ。私を含め10名程で灯油も販売打ち切り。時刻は7:30。あぶなかった...。販売開始の8:00まで30分程並んでポリタンク2つ分の灯油をGET。しかしその間に、別のGSには給油の車が長蛇の列。10リットルの給油制限?みんなどこから情報を?並ぶ場所を間違えたか....。並ぼうにも、最後尾は遥か彼方。交差点に流入する車も給油目当てで、列をなして停まっている。三陸道まで繋がっている。お陰で辺りは大渋滞。並んでも給油できるのか?この地域には震災以降、タンクローリーが入ってきていないのだから...と諦めて実家に戻る。今日の午後にはタンクローリーがくる事だし....でも来なかった。あさってのローリー?

朝食をすませ今日も再び買い物に、昨日と同じスーパーとホームセンターへ...今の状況で選択肢は無いのです。
友達の為にも食料確保!酒も飲みたいと言ってたなぁ...ガソリン携行缶も買っておこう!トイレットペーパーものこりわずか!
渋滞をさけようと、相棒と川向いの道を通って買い物に向かったが、あれっ?さっきの渋滞がない。チャンス?そう思ってGSに向かってみたが手でバッテン。緊急車両も通れない程の渋滞になり、警察と市から販売中止の命令だとか...。気をとり直してスーパーへ。

そして事件がおこりました.....

今日も青空市。酒は焼酎とビールのみ。スーパーでの買い物をすませ、ホームセンターに並びました。ホームセンターでは2時間程並んでやっと必要なものを店員さんに揃えてもらい、会計までもう少し。そこへサイレンを鳴らして消防車が到着.....

「自衛隊が海上で津波を発見、3~5m以上と思われる津波がこちらへ向かっています。ただちに避難してください。この前の津波で堤防は破壊されています。ここは大変危険です.....」
                      
『............え~っ!?』

とたんに大パニック。「きゃー!」まるで消防車が怪獣の様。みんなが消防車と反対方向へ走り出す。転倒している人達もいるほど。
集団心理というやつでしょうか?『そっちは行き止まり!』と思いつつ、なぜか自分も行き止まりまで全力疾走。しかも相棒と手をつないで....
スーパーのすぐ近くには、母校の中学。校舎の裏には高台へ繋がる坂道もある。危険だが下流に向かって200m、橋を渡って50m、気をとり直し、さらに全力疾走。周りを気にする余裕は無かった。校門をくぐったところには、自衛隊や消防団の姿。ぜいぜい言いながら、一旦そこで川下と街の様子を。川向かいのスーパーからは車で上流に避難する人たち...上空ではヘリコプターも放送を繰り返す。

「車おいてきちゃったね!」スーパーで買った物は全部車の中。ホームセンターの商品は、買えないまま放り出してきてしまった。
「あっ!やばい!」親父の車で来ちゃってる。しかも実家に置いて来た車の鍵も持ってきてしまった。帰らねば親父たちが.....
相棒も数日前まで通ってた学校。『津波が来たらあの坂をのぼりなさい!』安全の為、大人たちと一緒に相棒をのこし、またまたスーパーの駐車場へ全力疾走。お店の人達も金庫を持って全力疾走。「避難命令ですよ!」そう言われながらも車に乗り込み、再び中学へ。

相棒をのせ、山道をまわって実家をめざす。「バタバタバタ........」ヘリコプターが飛び回っている。要所では、パトカーや消防車が様子を伺っている。『津波はいつ?俺たち大丈夫?』山道を下りきり、覚悟を決めて実家へ。すると親父は悠然と昼飯を食べていた。
周りが騒がしいと思いつつも、避難命令には気が付かなかった様だ。『何してんの!津波来るよ!早くお袋つれて....』相棒を2階へ行かせ、気休めの安全確保&津波の見張りを頼む。「お袋どうやって運ぼうか?」お袋はほぼ寝たきり。親父と二人でシーツごと運ぼうと思ったが、転がりそうでちょっと不安。思い切ってお袋をお姫様抱っこ。抱っこされる方も力がないので、かなり重い!ふらふらしながらも何とか車に乗せられた。お袋が転がり落ちない様、相棒に押さえてもらい、親父も自分の車に乗り込み準備完了。恐怖と戦いながらも何とか出発、かなり高台まで避難した。親父の車には、先程調達した食料もそのまま載ってるし、すぐ横は避難所にもなっている老人ホーム。ここまでくれば大丈夫だろう。「ありがとね~重がったべ!ごめんね~手間掛げで.....」お袋の言葉が今でも忘れられない。

エンジンを止め見晴らしの良い場所へ。久々の全力疾走と安堵でどっと疲れが......。
この日、津波は来ませんでした。誤報だったとか.....「え~っ」という人もいれば、「誤報でよかった。」という人も...
私は後者。生きてるだけで十分です!3.11にはこうして亡くなられた方も沢山いるのだから....

避難命令が解除され、実家へ戻ると親戚が訪ねてきた。陸前高田市に家を構えていたが、すぐ側の息子さんの家も一緒に流されてしまっていた。幸い家族は全員無事で、知人の家にお世話になっているとの事。
その後は、相棒の友人が訪ねてきた。auなら市内のごく一部で繋がるらしいとの事。携帯を借りたが実家の周りでは繋がらない。
相棒とその友人は、別の友人を訪ねるというので、遅い昼食の後一緒に実家を出た。送った先で再度携帯を借りたが繋がらない。
「もし繋がる様な場所にいったら、家内に連絡して!メールでもいいから!」そうお願いして別れ、他の連絡手段を見つける為、私は一人市役所へ。市庁舎を見上げると、窓際で携帯を使っている人が..... 『あれ貸してくれないかな?』

入り口で案内を見つけ『連絡できる所は?』の問いに、「別の庁舎に仮設の電話センターを設けてあります!」実家の近くだった....。
すぐさま向かうと庁舎前には長蛇の列。『どれくらい待ちますか?』と係の人に聞いたら「2時間位でしょうか....?」『..........』
中継車の様なNTTの技術車両が傍らに停まっていた。昨日から、設置されていた様で、どういう仕組みか解らないが、固定回線のみ。
技術車両からケーブルで庁舎の中に引き込まれている様でした。docomoの携帯でも頑張ってみましたが、相変わらずつながりません。
順番が近づき、私も庁舎の中へ。そこには電話機が15台程。ハンカチで涙を押さえながら会話している人、何度もダイヤルするがあきらめて帰る人...相手先も被災されているのだろう.....、手短に数本の電話をして帰る人、まるでドラマを観ている様でした。

並び始めて1時間程だろうか?思ったより早く、私の番となり家内へ電話....「パパ 。。。泣泣」.....俺も泣きそう!!
家内に謝り、こちらの状況を説明。実家も家族も相棒も無事だった事、その時点で確認がとれてる親戚や友人が、とりあえず命だけは無事だった事を話した。留守の間の家の様子を聞き一安心。会社の様子や親戚達から心配して連絡が入ってる事を聞き、それぞれに連絡する様お願いした。まだまだ私の後ろには電話を待っている人達がいる。『あとは家内がやってくれる....』2~3分だったろうか.....私は生涯忘れないであろうその1本で、電話を終えた。

こうして私は『ミイラ』からほぼ生身として復活。ミイラとりがミイラ...一旦結びとさせていただきます。

2011.6.28 広報委員Kより

ミイラとりがミイラ…その2

2011年05月16日 | K
震災から早2ヶ月が過ぎました。被災地で活動されている自衛隊・警察・消防の方々、ボランティアの方々、本当にご苦労様です。またこうして機会がいただけましたので、後日談を話したいとおもいます。

3/12 の夜、実家の無事を確認。家は停電中。暗がりの中、一人でボーッとお疲れ様のビールを飲みつつ、懐中電灯をたよりに布団にくるまり、就寝。

3/13
この日は、昼近くまで起き上がることができませんでした。実家の窓から見える風景は、以前と何ら変わりなく、台所からはNHKラジオの声。親父がご飯を作っていました。テレビもつかないので、状況は判らないまま。私も昨日からテレビを観ていない。親父は津波の映像すら観ていない。ボーッとしながら、こたつに入るが温かくない。停電なので当たり前。

ご飯を食べながら親父に様子を聞く。「地震は相当すごかった!」スーパーで買い物中だった親父は、店内の商品が崩れる中、レジ前で荷物をほっぽり投げ、慌てて家に帰ったという。一人家においてきた母が心配だったから….

実家の近くの土手を、溢れんばかりの黒い水が上流に流れていったそうな。

「親戚は?」の問いに「何せ連絡もつかねぇし、車も通れねぇ。未だ近くの親戚しか判んねぇが、大丈夫でねえが?」と親父。

電話、携帯電話は使えない。PCを持って行ってみたが、ネットもつながらない。公衆電話おろか、災害伝言ダイヤルも利用出来ない。電報?郵便局などやってない。相変わらずの停電。断水だったが、蛇口をひねればチョロチョロ水が!15分で洗面器やっと一杯。ガスはプロパンなので、ここはOK。ちょっと表に出てみたが、捜索と瓦礫撤去(道をつくる)の為であろう、被害のあった方面へは通行止め。辺りの店はどこも営業していない。ガソリンスタンドも、給油は緊急車両のみ。いつ給油できるか判らない状態なので、あまり身動きもできない。わずかばかりの食料をもって、知人の家を訪ねてみる。「あの道を通れば向こう側にいけるんじゃねぇ!」指差す方向には、遥か高台を通る三陸道。おお!目からうろこ。 「明日行ってみっぺ!!」

3/14
持って来た発電機で、電子レンジと炊飯器。朝ご飯の支度です。「ついでにテレビも観られるでしょう?」そんな事にも、ここでやっと気が付いた。全然頭がまわっていない。ただ、テレビが観られる事に感動。

震災後初めて親戚が訪ねて来た。三陸道を通って来たらしい。「やはり通れるんだ…」お互いに無事を確認。「スーパー営業してるよ!」との情報。新潟から実家へ向かう際、かなりの買い物をしながら帰ったつもりでしたが、カップラーメンやお菓子、パンや缶詰等の非常食的なものばかり目につき、生鮮食料品や米は、一切買っていませんでした。朝ご飯を食べて、親父の車を借りていざ買い物に。親父の車もガス欠寸前!

スーパーには長蛇の列、隣接のホームセンターも営業中。双方とも店内の商品が散乱しているらしく、また余震も続く中、危険回避の為、店頭販売のみ。

スーパーは青空市さながら、「カップラーメンは一人2個!野菜は2種類まで!水は2本!」と買い物制限、人数制限。相棒と1時間程並んで買い物にありつけた。一通り買えるものを買ってレジ(会議テーブル5個位ならべて、店員さんが電卓を弾き、傍らには手提げ金庫)に並ぶと、大体お一人様¥4,500。肉・魚等の生鮮食品は無く、手提げ袋も無く、空の段ボールにみんなで箱詰め。

ホームセンターは、店頭でほしい商品を紙に書いて渡し、ヘルメットにヘッドランプ+安全靴の店員さんが店内から発掘して来てくれるシステムでした。これは少々時間がかかりました。並んでいる間に、相棒がスーパーに再チャレンジ。戻ってきても私は未だ並んでいる最中。電池やローソクを買うつもりが、すでに売りきれていました。この日何を買ったかあまり覚えていませんが、ハンドル発電式のLEDライトとヘッドランプはかなり重宝しました。

並んでいる間、ふと考えました。市内で開いているお店は、この他スーパー1軒と薬局1軒のみ。ガソリン同様、流通はストップしたまま。お店の人たちも大変なはずなのに!中には、被災された方もいるんじゃないだろうか?世のため人の為、一生懸命働いている姿を見て感動しました。

帰り際にスタンドへ寄ってみるものの、店員さんが手でバッテン。今日も給油は出来ないらしい。窓を開けて話かけると、「明日何時になるか判りませんが、午後にローリーが来ますから!」明日のローリーを信じ、実家へ戻り遅めの昼食。

一休みした後、三陸道向こう側の友人Aを訪ねる事にしました。彼の家は海に近いものの、かなりの高台、無事なら家にいるだろう。丁度庭先で作業していた彼の両親に聞くと、流された親戚の家の手伝いに行っていて、本人は留守でした。こちらの周りの人たちも無事と聞き、とりあえず一安心だったが、友人Bの家が流され、避難所にいるとの事。毛布が足りないと午前中に友人Aが届けに行ったと聞かされた。一瞬戸惑ったが、訪ねてみる事に…

避難所になっている中学校は、さらに高台。着いてみると自衛隊の方々があちこちで作業している普段見慣れない光景。体育館入口の壁一面に貼り出された避難者名簿から、友人の名前を発見し中へ入るが、かなりの人数。辺りを見回しながら奥へ奥へで友人発見、握手を交わし、しばしの会話。「家族が全員無事だったから…」と彼。避難所での食事は朝夕1個ずつのおにぎりだけらしい。私の車には、少しだけ積んできた食料が残っていたので、すぐ食べられそうな物、飲み物と、数本だけ残っていたビールを彼の車に移し、その場を後に。

帰り道、高台から見下ろす光景に、初めて津波の爪痕を目の当たりにしました。

今日のミイラは、少々やりきれない気持ちになりました。

明日はどうかな.......

機会がありましたら、後日談はその時に。

大船渡でボランティアして下さった皆様。本当に有難うございました!!


広報委員Kより

ミイラとりがミイラ...

2011年04月11日 | K
広報委員のKです。

はじめに
ロケバス協会の皆様へ

この度の災害への義援金、有難うございました。
私の親戚・友人にも亡くなった者、いまだに行方不明の者、家を流され避難所で生活され
ている方達もいます。御好意に感謝致します。

3/15撮影の写真です。それまで通る事ができませんでした。あまりの光景にこみあげるも
のがありました。

(画像をクリックで拡大表示します。)


本題に入ります。私の実家は、岩手県の大船渡にあります。

昨晩も大きな地震がありました。実家はまた停電・断水。電話もつながりません。
震災からもうすぐひと月になろうとしています。

震災のあった3月11日は、都内の某施設で撮影中でした。
大きな揺れの後、施設の迅速な退避命令で、スタッフ共々施設内の広場へ移動。もうこの
時点で、どこへも携帯が繋がりません。撮影は中止。夕方から合流予定のスタッフへも連
絡出来なくなり、主催者側からの指示があるまで車内でテレビを見ていたら、津波の映
像。その中に大船渡が.....

私の実家は、海から3km程離れています。大丈夫だろうと思いながらも、流れてくる映像
はかなり衝撃的。親戚や友達は、海のそばにもいる。実家も高台ではない。買い物に行っ
てる可能性もある。もしかして....
不安がよぎる中、スタッフを送り、会社へ戻れたのは午前1時。15km程の移動に7時間あま
りかかっている区間もありました。それまでの間、何とか家内と連絡がとれました。我が
家は問題ありませんでしたが、実家の方は一向に連絡もつかず、「どうなっているのかわ
からない。」との事。実家にいるのは御年80を越える両親のみ。他にも心配の種が一つ。
「もう行くしかない!」そう思って準備を始めました。

何か持っていかなければ....
現地の状況もわからないので、何が必要なのかピンとこない。停電しているらしいとの情
報があり、とりあえず発電機・ヒーター等を積みこんで、一旦我が家へ。飲料水等の物資
を積んで、明け方に我が家を出発した。

既に都内から給油制限。「タンクローリーが来なくて...」東北道・常磐道は通行止め。
国道4号線もあてにできないので、関越道で新潟をめざした。あわよくば、磐越道経由で
と思ったが、通行止めは解除にならなかった。新潟~山形~秋田~岩手へのルートを選び
ました。新潟からは一般道、雪景色。 はたして、辿り着けるのだろうか?

「ガソリンが買えない。」「食料を求めて、スーパーに殺到しているらしい。」テレビに
かじりついている東京在住の友人や家内から情報をもらいつつ、給油・買い出しをしなが
ら実家へ向う。新潟辺りでは給油・買い物も割と容易にできました。「あれ買っておけ
ば.....」と後悔するも、その時は思いつきませんでした。

取引先、弊社スタッフからも電話やメールで「道中気をつけて!」「落ち着いたら連絡下
さい!」有難かった。「後は宜しく!」心の中でそう思い、メールを返信。みんな仕事を
こなしてくれました。

山形辺りから、ガソリンスタンドが軒並み閉まっているのに気づきました。まれに空いて
いるスタンドには長蛇の列。停電のせいだろうか?信号も動いていたり、いなかったり。
秋田で1軒の小さなスタンドを発見し、給油。ここでは機械を開け、手動で汲み上げてい
ました。スタンドの人も大変です。これが往路最後の給油となりました。

岩手に入り、内陸のとある市街地までは何とか携帯も繋がりました。依然、実家の様子は
つかめず、この先は普段でも圏外の峠道を通ります。恐らくその先も携帯は繋がりませ
ん。ただ、「ここまで戻れば連絡できる。」そう思って家内と最後の電話。「安否確認で
きたら、必ず連絡するから...」 しかし..

実家まであと1時間程の所でパトカーとおまわりさん。その手前でみんな引き返してくる
「もしや....」。私の番となり、何事か聞くと「この先は、緊急車両しか通せない。」と
立ちはだかる。「がけ崩れ?」そうではない。「国家法に基づいて通行止めにしているの
で、例外は許されません!」と。事情を話しても無駄。「みんなそうなんですよ!」と。
しかし、ここまできて引き返すわけにはいかない。迂回して別ルートをたどっても同じだ
ろう。歩いてでも帰らないと...。その場に車を止め、考えこむこと少々。やがておまわ
りさんが「免許証...」おや?なんとか「例外」にしてくれる様だ。「この先でも通行止
めあるから。そちらはわかりませんよ!」おまわりさん有難う!

暗闇の中をひた走り、20:30実家へ到着。家は無事な様だ。親父の車もある。でも、玄関
には鍵がかかっている。辺りも月明かりだけで人の気配が全く無い。避難所へでも行って
るのだろうか?近くの学校や避難所を探し回ったが見つからず、再び実家へ。何とか合鍵
をみつけ、中へ入るとみんな寝ていた。「寝るの早すぎだろう!」

実家の無事は確認できましたが、連絡するすべはありません。電話の繋がる場所まで行け
ば、前述の件問で再び戻れる保証もありません。かといって、このまま帰るわけにもいき
ません。家内やスタッフには申し訳ないと思いつつ、実家でしばらく様子をみる事に。ミ
イラとりがミイラ...やってしまった様です。

機会がありましたら、後日談はその時に。

広報委員Kより
2011.4.8


業務上のモヤモヤ

2011年02月28日 | K
話題の少ない広報委員のKです。

弊社には、コミューター(2ナンバー/大型乗用自動車)という車があります。ハイエースという車種のバリエーションで、ワゴンタイプです。基は15人乗りですが、見た目や外形寸法は、グランドキャビン(3ナンバー/普通乗用自動車)スーパーロングバン(1ナンバー/普通貨物自動車)とさほど変わりません。
使い勝手が良く、とても重宝してますが、今回はこのコミューターに纏わるモヤモヤをお話ししたいと思います。

~~モヤモヤその1 ステップ~~
一般に、コミューターを営業用途(緑ナンバー)で使用する場合、「貸切」旅客運送にカテゴライズされます。車両を登録するには、保安基準をクリアしなければなりません。その1つにステップの寸法があり、有効奥行300mm以上となっていますが、現行、メーカー出荷のままでは200mm程で、この基準に対応していません。営業用として使用する為には、必然的に対応するステップ(写真1,2)を後付けしなければなりません。
このステップをつける事によって、有難く営業させてもらえてますが、向う脛をぶつける・乗車の際につまづく・走行中の振動でカタカタうるさい・余計な費用が......・見た目が......等々の弊害?がでてきます。逆にメリットは、「基準をクリアした」という事だけで、他には何一つ挙げられません。

グランドキャビンは、似たような車ですが、営業用として登録する際、「乗用」旅客運送にカテゴライズされます。「貸切」とは別の保安基準になり、ステップについての基準はありませんので、メーカー出荷のままで対応できます。

「貸切」の保安基準は、観光バス等の大型バスを主としてつくられているようですが、コミューターのような小さい車両まで、同じカテゴリーということで一括りというのは如何なものでしょうか? また、保安基準ありきなら、はじめからメーカー出荷の段階で、ステップ奥行300mmで設計してもらえないのでしょうか?想定外の車を「貸切」にしていると言われれば、それまでですが.......

~~モヤモヤその2 大型乗用自動車通行止め~~

写真3の標識は、大型貨物自動車(積載5t/総重量8t以上)と大型乗用自動車(乗車定員11人以上)を組み合わせて通行止めにしている物です。数年前に道路交通法が改正となり、「中型」という免許・車両規定ができましたが、こちらは標識に関係無く、改正前の基準が適用になります。

補助標識で「マイクロバスを除く」とあれば別ですが、弊社のコミューターは大型乗用自動車なので、この標識の先には進入できません。同じサイズでも、グランドキャビンやハイエースバンなら問題なく進入できますし、4tトラックやモーターホーム(観光バスほどもあるキャンピングカー)のようなはるかに大きな車でも、規制の対象外なので進入できます(*道幅等に問題がなければですが...)。

弊社の近所には、写真の様な標識がいくつかあります。
ピックアップ先で見かけることもありますし、首都高八重洲線にもあります。
ショートカット出来ずに、迂回しなければならない場合もあります。
ピックアップ等の際、「なぜ近くまで入ってくれないの?」とか、「なぜこの道を通らないの?」と言われることもあります。
ましてや、コミューターのサイズならなおさら「なぜ?」と、私も思います。
写真4の道路も大型車両通行止めです。「なぜ?」


この疑問は、ナンバープレートが基準になっている、高速道路の料金にも共通します。

以上、マイナーな話題ですみませんでした。
広報委員Kより