私は千葉県内にある無名の私立大学に通っておりました。現在30歳である私にとって当時というのはまさに就職氷河期のまっただ中でありまして、就職活動で100社にハガキを送り、面接にたどり着けるのがようやっと1~2社というのが普通の光景でした。地方の無名私立文系大学においては「どんな業種であれ就職できれば御の字」といった空気が学生や指導する先生にも漂っており、そんな淀んだ空気に私は日々うんざりしている状況でした。
大学四年のはじめくらいから将来を展望する気力が萎え、絶望感が精神を支配するようになりしだいに無気力になっていき、いわゆる半ひきこもりのような状態に。それまでに単位を稼いでいたので卒業にはこぎつけたもののそのまま今で言うところにニート状態になってしまいます。その後親の脛をかじりつくし三年間ニート状態のままほとんど労働をすることなく過ごしてしまいました。
なぜ働くことが出来なかったのか、フリーターになっている今になって思うことは、「正社員」という状態でしか一人前の大人として認められないという根強い思い込みが私にはあったからだと思います。フリーターにすらなれずにズルズルと惰眠を貪っているダメ人間である自分には生きる資格すらないという思いがあったのです。将来の展望というものが全く描けなかったことが逆に「ちょっとでもいいから動く」ということを阻害していたのだと思います。
私の経験から即して言いますと、玄田有史氏のいう「希望をもてなければニートになる」というのはある程度正しい気もしますが、ならば希望を持てるように具体的な外堀を埋めていかねばならないでしょう。国家予算で「希望学」などといったわけのわからない研究をしている場合ではないように思います。
再チャレンジ云々と世間では盛んに喧伝されてはおりますが、「数年間のブランク」や「30代までフリーターだった」という事実からの再起を暖かく受け入れる企業など果たしてあるでしょうか? 利益を生み出さねばならない営利企業にとってのコスト意識としては、30代フリーターを中途採用するメリットなどないのは自明であり、人件費をとことんまで抑えることで業績を上げているような状況下で「再チャレンジ」など叫ばれたところで、空疎な戯言にしか私には聞こえません。
我々「就職氷河期世代」にフリーター、ニートとして過した人々は真の意味で「再チャレンジ不能世代」として煮え切らない絶望感を抱き続けながら生きてゆくことになるでしょうか…。このような社会が果たして本当に「美しい国」と言えるのでしょうか?
例えば基本的にフルタイマーとパートタイマーの賃金格差を是正されている、オランダモデルのような、非正社員も堂々と生活できるような世の中が私には希望に満ちた社会だと思います。そのためには現在アルバイト、派遣社員、契約社員等のフリーターの人たちが不当に搾取されないことが原則でしょう。これからのPOSSEに期待しております!
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