コトありで考えたこと

暇と退屈の倫理学(1)

今、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を
読んでいるけど、要点をまとめてみるね。

まず「倫理学」ってどんな学問か知ってる?

英語のethicsの訳だけど、
「社会的動物としての人間のありよう(倫)から
生起する規範たる道徳ないし倫理の種々相を
検討する学の総称」
のことみたいだけど意味はわかったかな。

道徳学、道徳哲学などの訳も可能。

次に、暇と退屈の違いは?

暇:何もすることのない、する必要のない時間。
  暇の中にいる人のあり方とか感じ方とは
  無関係に存在する客観的な条件である。

退屈:何かをしたいのにできないという感情や気分を指す。
   人のあり方や感じ方に関係し、主観的な状態のことである。

こう説明すると違いがよくわかるでしょ。

では、
①暇に落ちった人間は、必ず退屈するのか?
②退屈している人間は、必ず暇の中にいるのか?
と質問されると、どちらもNOだと思わない?

つまり、暇と退屈はイコールじゃないということだよね。

ここで人類の歴史を振り返ってみると、
・二足歩行する初期人類は遅くても400万年前には出現した。
・人類が定住生活を始めたのは約1万年前である。
・定住生活を始めるまでは遊動生活だった。

遊動生活では移動のたびに新しい環境に適応しないと
いけないため、やらなければならないことが
日々たくさんあったので人間は退屈しなかった。

一方、定住生活では新しい環境に適応する必要がないので
暇が生じた。これによって退屈も生じた。

400万年という長い人類の歴史から見ると、
暇や退屈が生じたのはたったの1万年前である。

こう言われると、
「へぇ~ そうだったんだった」
と思うよね~

長くなるのでつづきは次の記事で♪

 

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(1月27日 ベルク記)

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