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JUST SAYING TO MYSELF

1度ならず2度までも、ヒコウの道(笑)を爆走する!ナミによる極々個人的日記。

この頃

2005-06-14 | reasons for living
なんかもう
授業にも専念できず
試験勉強にも専念できず

要するに
どこから手を付ければいいのかわからない(-_-ι

たまに
今の仕事、引き受けるべきだったのかどうか
疑問に思うこともあり…。

何が正しいか間違ってるかは
後に出てくる結果次第だけど



今は
とりあえず生徒にバレないように
演じるしか、ない。

試験まで、ひと月を切り、思う。

2005-06-09 | reasons for living
しっかし…。
願書に「教員経験の有無」について書く項目があったけど
あれで何か考慮してくれるというのだろうか…。

あと1ヵ月になってしまった。



「試験」だと思うと
なんで「勉強」は楽しくなくなるんだろう。

たとえ
私の眼前にある「勉強」が
「試験」のためダケなのだとしても
せめて
私たちの伝える「勉強」が
「試験」のためだけじゃないもので
ありますように。

いやぁん(T_T)

2005-06-01 | reasons for living
6月になってしまった…( ̄□ ̄;)!!


7月は更に身動き取れないだろうから、
今のうちに仕事かたさなきゃ…(>_<)
主任の先生に教えてもらったウラワザを駆使して
1学期、乗り切りますp(^^)q

LOOP named "AWARENESS"

2005-05-14 | reasons for living
今日をもって解散した<Fanatic Crisis>の歌の中に
LOOP

というのがあります。
このサイトのアドレスの一部にもなっていますが…

この歌のおかげで
今、学校で教えることを諦めずにやっているようなものです。

 * * *

教育実習以来、初めて「学校で教える」ことをしたのが
3年前になります。
長期の休暇を取る先生の代替で入ったのですが、
そこの生徒がまずヒドかった。
…今思えば、
アレで普通…というか
アレが現状なのだろう、と思いますけど
なにせ、最後に教えたのが“教育実習”の時ですから
ソレが現状とは思いもせず。

とにかく、
まいってしまいました。
何をどう教えたら黙るのかわからないし
何をどう言ったら反応するのかわからないし
気ばかり焦る。そんな状態でした。

「代替だから」
という言い訳で、とりあえず自分を支えるしかないというか。
そうじゃないと、とてもじゃないけど、自分が倒れる…
「代替だから」こそ、逆に、倒れられない…という状況にも
陥ったり、陥らなかったり。


そんな時に聴いたのが
“LOOP”という歌でした。
それを聴く前に、彼らの別の曲で興味を持ち、
「他のも何かあるかな」と思って
CDをレンタルして聴いてみたのです。

歌詞の中に、こんな部分があります。
“笑えない子どもらにジョークを”
“決めないで 己を”
“繰り返しじゃない今日を”


……。

その時、何をどう思ったのかは覚えてないのですが
「まだ自分は大丈夫だ」
と確信しました。
確信して
黙って、泣いてました。

 * * *

次の授業からは
気がとってもラクになって
“何が生徒をそうさせるのか”
を考えてみたりして。
当時は運転免許を持ってなかったので
朝、学校行く前にこの曲を聴いて出かけてました。
車に乗るようになってからは
車の中で曲をかけて
車も私もアクセル全開にして。




“LOOP”
これに出会わなかったら、
私は教員目指すのを、あの時点でやめていたかもしれません。

この曲は、私の人生を決めた1曲です。

 この歌を
 ありがとう。

いまさらだけど

2005-04-26 | reasons for living
こないだ
小中学校を対象とした学力テストの結果が出てましたね(こちらも参照ください)。

私は・・・
結構、納得いかなかったタチでした。

チラっと問題も新聞に載っていて、見ましたけど
いかにも「テスト!」って感じのではなくて
基礎的な知識をフル回転で使って問題を解かせる、という形式のものなのね。
全部が全部そうだったかは、調べてないのでわかりませんけどね・・・
うーん・・・・・。
まぁ
これで、文科相が安心しきってないのが救いだな、って思っちゃいました。

なにがそう納得いかないかというと
旧課程と新課程の生徒を比較してる、
ということですよ。
もちろんちゃんとしたテストだから
変数のこととかも考慮はされてるので(されてますよね?当然)
比較するのはおかしくないのでしょうが、
でも、それでもね、
旧課程で目指していた「学力」と
新課程で目指している「学力」と
同じなのかな?って考えるとさ、
比べて良いのだろうか、と・・・。
「ゆとり」と言われる前の生徒と
「ゆとり」の中で勉強した生徒と
やっぱ、“生徒”そのものが
統計として数字を弾き出せる範囲を越えて
まるで違うのではないかな?
って、思うのですヨ。
んー、なんて言ったら最も分かりやすいんだろう???

極端に言ってしまえば
「ゆとり教育」の前と後では
ほんの数年の間なのだけど
その「数年の差」が「時代の差」並みの距離を取っている
と、思うわけです。
見かけでは2~3年の差なのですが
実質20~30年くらいの差があると思うのです。
なので・・・
なんか、この、
新旧課程の間で比較するってのが
たとえ、数字の上では確かだとしても
イマイチ納得しないんだよね。


あと
もっと単純なところで
そもそも「学力」とはなんぞや、と。

塾で講師してるとホントよく思うんですが
明らかに
保護者の言う「学力」と
国が示している「学力」は
違いますよね・・・。
“違う”っていうか、
いや、むしろ
“同じ”なんです。
どちらも学力に変わりないです。
国が言う「学力」=「学・力(基礎力もあり、応用力もあり=色んな意味でサバイバルなチカラ)」
って、確かに学力だと思うし、
保護者が心配する「学力」=「“テスト”としての勉強ができるチカラ」
も、やっぱり学力だと思うのね。
根底では、同じコトなんだろうけれど
その“根底”が、深いところにありすぎて、わからん…不透明~~みたいな。
だから、
上っ面だけみると
「学力」の指しているところが、まるで違う。

私も、
今、ここでは
「何がどう同じなのか」って言葉では説明できないけど
やっぱり、国が言う学力も、家の人が言う学力も
同じなんだってのは、直感として、ボンヤリと、見える。
だけど
それがどうつながって同じことなのか
というのがスッキリ説明できなければ
やっぱりずっとすれ違ってしまうと思うんだ。

なんか、まとまらない話を書いてしまったが
要は。
国(=学校)も家庭(=生徒)も
「なぜ、勉強するの?」
という、この素朴かつ真実を突く質問に
シンプルに答えられる教育ができたら
現在の、あっち行きこっち行きな流れをしなくて済むのではないかな…
と思ったりするわけですよ。
ん、まぁ、試行錯誤は重要ですし、
これがなきゃ、私もこんなこと滅多に考えないですし、
それに
そんな素朴な質問に答えるには
答えがきっと簡単過ぎて、
きっと最後までわからんでしょうから
口で言うほど、世の中甘くないのは、
わかってるんですけどもね(^^;)

あ~~~~~
難しいもんだねぇ。

授業

2005-04-13 | reasons for living
昼頃
教え子から
「英語の授業、こんなだったよ」
ってメールがあって。
正直ちょっと凹んだわ。

授業やりたい…。

塾でもできるけど
塾の目標と
学校の目標って
一般的に考えても違うワケで。
やっぱり
私は
言葉が呼吸してることを伝えたいな…って
思ってる。
学校で外国語を学ぶ理由って
そこにあると思うし。
極端な話、
「学校で英語習ったけど、英語はわかりません」
でもいいのよ(本当は困るけど)。
英語も言葉(=人)なんだ、って
肌で感じられればいいというか。

塾では
そんなコトは、どちらかといえば二の次だからさ。
進学ありき。
まぁ、それはそれで
いいんだけどね。

あー…


参考書より教科書~.‥¨(TΔT)¨‥.

だったらやるしかないでしょ。

2005-03-31 | reasons for living
先日ここで書いたように
明日からはまた
ただのフリーターに逆戻り。
こういうの↑を出さないようにするのが
教育者の役割の1つなのに
…説得力ないなぁ(^^;

とりあえず、
3ヵ月。
3ヵ月、やるしかないよね。
うまくいけば、
4ヵ月だけど…
どのみち
1年の3~4分の1。
だとすれば
人生の何分の1?

あぁ…でも、
怖気付きそうな自分がいて。
今までも
迷ってきたことが
私を捕らえそうになって。

私がここで戦えないなら
私は生徒に「戦え」とは
言えなくなるから。



よし!
蹴散らしていけ!!

Keep my head right up!

2005-03-24 | reasons for living
こないだの15日が最後だと思ってたんですが、
昨日出てきた書類を「書いてください!」ってことで
仕方なく(笑)学校まで書きにいきました。
遅ぇ~~んだよっ、まったく(-_-メ)←忘れてたくせに。

そして
私の闘争心(?)を掻き立てる為に
そして
ちひろセンセイやさっちゃんを安心させる為にも
もう1度校長室行って。
あいさつしてきました。

 私としては(当然ながら)
 ぶっちゃけ屈辱です。


でも
ちひろセンセイやさっちゃんの顔にドロ塗るわけにもいきませんので。

でも
この憤りは
誰にも見せない。
ココでは、充分見せてしまっているけど…。
もうこの先は、見せない。




数日前に思ったのですが。
私の人生というのは
驚くほどに
怒りに満ちています(喜ばしくないね、全然)
そして幸か不幸か、
その“怒り”が、私の人生の方向を決定しているのです。
しかもかーなーりー重要な事柄を決定している(^^;
まぁ、“怒り”と言っても
単にブチ切れてるだけではなくて。
そこになんらかの精神的ダメージが含まれているんだけど。
 ★★★
思い起こせば
最初の怒りは、中学2年。
私の英語人生は、中2の時に発生した“怒り”によるものでした。
交換ホームステイって、わかりますかね?
まぁ、「交換留学の2週間版」と思ってくれて大丈夫です。
それに一応、応募したもののダメで。
まぁ、ダメなのは覚悟していたけど
後に知った事実というのが
「生徒会に入ってる生徒は誰でも選出される」
というもので。
だったら選考会だのなんだの、全然意味ないじゃん!汚ねーーーーっ!!!!凸(-Д-*)
・・・ってんで
そこから英語の勉強を本格的に(と言っても、発音練習だけだったけど)やり始めた。
 ★★★
そして
次の怒りは高校の頃。
うちの学校には「外国語科」というのがあって
私はそこに所属していたのですが。
まぁ、そんな科ですから、当然、帰国子女なんてザラにいるわけです。
で、中には、感じの悪い(失礼)帰国子女もいるワケで(それは1人だけでしたが)。
なんというか…「自分は英語の勉強しなくても英語喋れるし」みたいな(苦笑)。
別にそれは、言い返せることでもないし、本当のことだから
「そうだねぇ(・_・)」
としか言えません。
でも。
だからといって。

「帰国子女でもね~クセして、英語喋れますみたいな態度とるな」

くらいのコトを言われたら(いや、もちろんそんなことは直接言われてないけど
内容的にはどう聞いてもそういう内容だった)、
純ジャパの英語Learnersは怒りだしますよ?
こっちだって、英語という言語の勉強するのが楽しくて、理解したくて
必死こいてやってるワケです。
カンペキ自己暗示の世界ですよ。
“Oh! ┐(*_*)┌ I don't speak Japanese!”
みたいな(↑こんな暗示ではなかったけど、まぁ、似たようなモノです…)。
それを
とやかく言われる筋合いはない。
そんな穿った見方をするとはなんぞやっ!!\(▼Д▼メ)ノ
というわけで…
考えた。そこまで言う帰国子女に有無を言わせないようにするには
どの手段が手っ取り早いか。
確かに、やっぱり「10年間も英語圏にいました」って子に
高校の3年間(って、もうその頃には多分2年間か1年半くらいしか
残ってなかったと思う)だけで追いつくには、なかなか難しいモノがありそうだ。
ならば。
絶対に帰国子女にはクチ出しさせない方法、ひとつ。
―― 文法の勉強をすること。
一般的な日本語スピーカーが日本語の文法にほとんど無知・無関心であるのと同様に
ハナっから英語喋れる人が英語の文法に詳しいということは、多分ないであろう。
「帰国子女じゃないくせに」とは、もう言わせん。
帰国子女じゃないからこそ、出来ること。関心を持てること。
やるしかないじゃない????
・・・ってな経緯で
文法の道へはまりゆく私。
 ★★★
そして
高校も終わる頃
中学の時の同級生が
制服姿でラリってる姿を見て
「こんな学校教育、イヤだ・・・
 県のバカオヤジどもを引き摺り下ろして
 New Worldを展開してやる!!!凸(-Д-*)(←ちょっとドリーマーですみません)」

と怒りに身を任せつつ、
絶対に教職免許とって先生になろう!と計画を立てた。
 ★★★
大学では
自分勝手な(自分もだったけどさ)ゼミ生との対決に
派手に疲れてアルコールから抜け出なかった時に
たった2人の良き理解者が私を引っ張って助けてくれた。
そして
彼らを守るために
「勉強したくなかったら、このゼミなんか辞めてくれて結構だ!!
 辞めてしまえ~~~!!!!!!凸(-Д-*)」

・・・と(-_-;)、タンカ切った手前、
勉強しないわけにはいかなくなり(←って言い方もなんだが^^; もちろん好きでやってたよ。
発表さえなければ、もっと自由に好きなだけできたんだろうが…発表がイヤで
現実逃避をよくしていた)
そのゼミというのが、
言語学(英語に関するものだったので、「英語学」)のゼミだったため
「チクショー!!(>_<)」な、勢いで
言語の溝にはまっていった・・・・・。

(…ちなみに、言語学っていうのは
言葉そのものに関する学問なのだけど、
ものすごく雑(誤解を招くくらいに雑)な言い方をすれば
“文法”に関する学問です。
皆さんが学校でやったハズの“国文法”やら“英文法”というのは
言語学の極々々々々々々々々々々々々々々々々一部に過ぎません。)

 * * *

そんなこんなでやってきた
今の私。
「英語」「教員」「英語学」
私の選んだ道、全て
“怒り”を軸にしている(撃沈)。
悲しいほどに…(T_T)(そしていずれも、決心に対する“理由”がどこにもナイΣ(-□-;))
でも
なぜか、そうして選んだ道が
結構自分好みだったりしている(笑)。
なんだろ…動物的カン?か、
単にノーテンキに順応しちゃうからなのか(←絶対コレだね)。

今回も、
“怒り”に身を任せる状況がやってきた。
だけどこればかりは…試験に受かるということは、
自分だけでは決められない事項だから
頑張ったからどうにかなる、とは、言えない。
そこが、今までとは違うところだ。
だけど。
どうなるかは別として。
やっぱり、なんらかの形で、
私の人生をうまく彩ってくれるんじゃないかな、って
思う。



・・・って、
何まとめてんだ?私(-_-ι)

それにしても
我ながら、
見事な憤慨人生を歩んでいると思うよ、ウン。
(全然嬉しくない)

最後だ!

2005-03-20 | reasons for living
愚痴るの、今日で最後にします!
思ったより私は頑丈に出来てました(笑)。
もちろん、
この頑丈さは、いろんな人に支えられてるから、
この強度を保ててるんだけど。
皆がいなかったら
私は立てなかったから。



今日はミホと食事したんだ。
本当は15日に会うはずだったんだが
打ちひしがれてたから(苦笑)。

んで、ミホに。
「コレ乗り切ったら、ナミさんは図太くなるね!…今以上に(笑)」
って言われた(^^)
もうね、
強くなりますよ!

わずかに回復の兆し。

2005-03-18 | reasons for living
昨日、
ちょっと面白そうだな、と思う仕事を見つけて
それについて思いを巡らせて(早く言えば「妄想して」)いたら
少し気分が落ち着いてきました。

 * * *

先日
「数日後、校長を罵倒する」
と宣言しましたが
少し、落ち着いたところで

話そうと思います。

もしかしたら
これを見て悲しむかもしれない…
と思われる子が1人いますが
遅かれ早かれ目の当たりにする事実ですので
書こうと思います。
彼女には、
これを受け止められる“しなやかさ”も、教えたつもりなので。
きっと大丈夫と信じて。
(直接言ったほうが良かったのかもしれないけど、敢えて、この場で。)

あ、ちなみに
同情を買う、とか
そういう目的で書くわけではありません。
しいて言えば
ひとつは、ストレス発散。
もうひとつは、
問題提起です。



今現在勤めている高校の任期が
今月末までとなります。
つまり
今年度で、今の高校で講師をするのは終わり、ということです。
これを知ったのは去年(2004年)の6月でした。
人事の関係で、英語科の非常勤(=私)の代わりに
正規教員を1人入れるということが決定したため
もう夏休みの前から、
この学校を去る覚悟はできていました。
「まぁ、仕方ないよなぁ…自分で決められないし」

…そう、
これは私達の手の出せるものではないのです、
人事というものは。


普通、
「臨時任用職員」や「非常勤講師」と言われている教員は
その任期が1年であるため
次の年度には他の学校に異動しなければならなくなります
(ただし非常勤の場合、その学校の要求によって任期が伸びることもある)。
この異動先を決めるのは県教委になります。
ただし、各学校長が人事に関わって良い、ということになっているので
実際は、校長が人事手配をすることになっています。

いいですか?
校長が、人事の仕事をするんです。
逆を言うと
校長が人事に関わらなかったら
臨任・非常勤、行く宛てがなくなります
(というか、また初めから
あらゆる手続き等をする必要が出てくる。しかもそれには保証というものはない。
確かに、全く何もしないよりはマシだけれどもね)。









行く宛てがありません。









他の臨任の先生は(というか私もだけど)
やっちゃいけないコトまでやって、次の宛てを探したようです
(私はそれでも見つかりませんが)。
私以外の非常勤の方は、運良く掛け持ちをしていて、
他の学校があったり、または
「ここの学校で引き続き…と」頼まれて残ったりして
大丈夫なようです。


私には
ハッキリ言って校長しかいませんでした。
校長が次の学校の手配をしてくれるものだと思っていました(だってそれが彼の仕事であり
彼にしかできない仕事だから)。
私はここを離れるけど、次の学校でまた「教える」仕事ができるものだと思っていました。

ないんです。



私から
好きな仕事を奪ったも同然です。
私から
憎たらしくもあるけど、やっぱりかわいい生徒を奪ったも同然です。


こんなに傷つけられたのは久しぶりです。
えぐられるように傷つけられました。

立ち直れと言われても、ムリです。

私はショックで“支え”を見失いました。






「頼る」イコール「期待する」です。
これは私にとっては、なのですが。
期待すればするほど、
応えがなかったり裏切られた時のショックは計り知れません。
だから
もう校長に頼るのはやめました。
最後の校長の言葉、何だったと思いますか?

「じゃぁ、そういうことで、申し訳ないんですが、これで・・・」



罪を犯す気はナイですが…
そして、こういう「教員」という仕事に携わっていて
こんなこと言ってはいけないと思うんですが…
正直なことを言えば
―― 殺意を覚えました。


「申し訳ない」で済む問題ではありません。
いつまでも教採受かんない私も私ですが
それでも。
ヒマつぶしのためにこの仕事してるわけじゃないんですよ。
やりたいと思って、やってる・やってきた、仕事なんですよ。

人の人生を何だと思ってるのでしょう。
人の生き甲斐を何だと思ってるのでしょう。


悲しくて悲しくて悲しくて悔しくて悔しくて耐え切れなくて悔しくて悲しくて
私はずっと泣いてました。
最初の一週間は呆然としたまま時が過ぎ、
次の一週間はずっと泣いてました。


母にはすごく優しくしてもらいました。
友達にはいっぱい愚痴を聞いてもらって、励ましてもらいました。
恩師にもたくさん助けてもらいました。
うちのハニーには私の不安定な精神を、イヤな態度も見せずに、受け止めてもらいました。


それでも

 「こんなことってない。」

私には、納得なんていきません。
仮に、奇跡的にこの後、講師の仕事が舞い込んでくるとしても、
それはとても嬉しいし、きっと必ず引き受けるだろうけど、
今回のことに関しては
私は校長を絶対に許しません。
また、
うちの校長のような上司を、学校であろうが、会社であろうが、何だろうが
きっと許しません。



このように
不特定多数の人の目に触れる場所で
ここまで言っていいのかどうか
私は正直不安ですが…。

でも、ここでこう言うことで
「自分のこと?!Σ( ̄_ ̄;)」
と、ビクリとしてくれるバカな上司が1人でもいれば、
そしてその人が
自分の部下に対して、態度を改めてくれればいいかな…
という願いを込めて、書くことにしました。
この日記は数日後にはトップから消えてしまって
誰の目にも触れなくなるんだろうけれど
それでも。

後の私に対する戒めの意味でも
これは残しておきます。


 * * *

と、
いうわけで
今、普通にバイト探しに夢中です(苦笑)。
でもねー
一応、3月いっぱいまで、動向を見守ることにするよ(-_-ι)
期待薄だけどね。一応ね。
・・・ってか、
ただ、もう何もやりたくないダケなんだけど(笑)。

今は、
もうずっと無視しつづけてきた(^^;洋書を片っ端から読んでいこう!と、
読んでいる最中です。
…とは言え、最近買った「ハウル」を読んでるんだけど(昔からたまってるのは
また次の機会に(-_-;)←と言って、結局また積ん読状態に)。
うーん、
やっぱハウルは映画のほうが素敵かな(^^;) 今のところは。
なんか生意気なんだもん、本のほうのハウル…。



私は一瞬
自分を支えていた「言葉」の世界を、見失いました。
別に言語学者になるつもりはないんだけども
言語の世界には、どこかでつながっていたい、というか。
だけど、それを、見失った。
あまりの悲しさに、悔しさに、
心は少しも動かなくなって。
固まった心で、「言葉」を扱うことは出来ないのを
なんとなく、感覚として知っているので、
「あぁ、もう、これすらも私にはなくなった」
と思ったのです。
だけど、
考えてみた。

私の中には、
これだけ落ち込める感情の幅がある。
本当に「動かない」なら、落ち込むこともないだろう。
これは、もしかしたら
・・・まだ、大丈夫かもしれない・・・。

そう思って、
昨日の日記で「何も失ってないのかも」
と書いたのよ。

なんかね、
結構、大丈夫になってきました。
私が去年の教採の面接で「タフで繊細」と自分の性格について説明してみたけど
これ、我ながらやっぱ合ってるよ!!と思います。
自己分析うますぎ。
今年もこれ使おう。
だって、本当にそうなんだもん。
今年は真顔で言おう。…ちょっとバカっぽいし、ぶっちゃけ恥ずかしいんだけどね(-_-;)


追記:
 いや、全然関係ないことなんで
 「追記」ってのも、変かもしれませんが…
 「結果報告」っつーほうがいいのかな。
 えーと、数日前にぶっ壊れたブラウザ、
 思いきってアンインストールして(←前回、これは怖くてできなかった)、
 もう1度インストールし直したら
 正常に動くようになりました。
 あ~良かった良かった♪(^^)



追々記(4月1日付):
 あんだけ「もう言うのやめる」と宣言したのに…
 やっぱり、こんな記事を見つけてしまうと
 「あ~~…やっぱり、こういう人こそ校長なんだよね」
 って思ってしまうよね。
 全ての学校に、有能な校長を。