ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 一晩中 (1982)

2023年06月24日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

冒頭から矢継ぎ早に何組かのカップルが登場してくる。彼、彼女らの群像劇が始まるのだと思い各シチュエーションと人物たちの容姿の特長を記憶しながら次の展開に備える、がすぐに無駄だと気づく。シャンタル・アケルマンの関心は起承転結の物語になどない。

1時間30分の映画(≒フィルムの連鎖)に存在するのは、ある夏の夜半から朝へ向かう時間の帯(流れ)のなかにピン止めされた"人の行為"の断片だ。強いて言えば「抱擁」「ダンス」「玄関ドア」「窓」が不連続に登場し印象に残る。それと初頭に出てくる電話を掛けて相手が出る前に切ってしまう女と、最終盤に登場する掛かってきた電話にひたすら「はい」とだけ答え続ける女の意味ありげな歪な対称性。

映画の構造は『家からの手紙』(1976)に似ている。ただ20代半ばのアケルマンの作品には「その先への予感」があったが、10年後の本作には過去から未来へという時の流れから寸断された「一瞬」の断片しか存在しない。もう本作に「その先への予感」はない。とはいえ厳しい"閉塞感"も存在しないのだが。

(6月20日/アップリンク吉祥寺)

★★★


【あらすじ】
ブリュッセルの暑い夏の夜。恋人のもとを訪ねる女。そして男。見知らぬどうし、互いの孤独をダンスで紛らわすカップル。街へ繰り出す若い一人の女と二人の男。スーツケースに荷物をまとめ部屋を出る女。ベッドで語り合う中年夫婦。そんな眠れな者たちの、ある夏の一夜が明けてゆく。シャンタル・アケルマンと撮影監督カロリーヌ・シャンプティエによる、ある夜に起きた数え切れない「出会い」「すれ違い」「別れ」を切り取るスケッチ・ドラマ。(90分)


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