ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 愛しのアイリーン (2018)

2018年09月23日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
復元能力なき過疎化。青息吐息の地縁神話。歪に肥大化した母性愛。困ったときの金権発動。婚姻名目の性欲処理契約。潜在的な異物排他の露見。フィリピン娘は異国の僻地で制度(公)と心情(私)の矛盾のはけ口となり、手作りの十字架を握りしめ一心に般若心経を唱える。

彼女が願った“浄化”をニッポンはかなえることができたのだろうか。

以前、日本の過疎地の農家に嫁いだフィリピンの花嫁たちのその後を追ったドキュメンタリーを見たことがある。ほとんどの嫁は子育てが終わった後、離婚して村を出て自活していたと記憶している。

原作のコミックは1995年の作だそうだ。2018年の現在、厚生労働省が実施している技能実習制度や外国人研修制度、外国人福祉士の学習支援制度も、一時的な労働力として彼らを使えばペイするが、移民として定住されると社会的コストが増加して割に合わないという前提にたっている。

公の制度と言いながら、発想は金で当面の労働力を確保し、その後の個人の意志や生活はなし崩しでウヤムヤにという点で、結果的にフィリピン妻たちが日本の家族制度から離反してしまった東南アジアの嫁探しツアーと発想は五十歩百歩だ。

母国に残した家族の幸福と、異国での自らの幸せを夢みたアイリーン(ナッツ・シトイ)が祈った“浄化”は、いまだかなっていないのだろう。そんなことを考えた。

(9月20日/TOHOシネマズシャンティ)

★★★
コメント
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