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ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■友人T.O君と

2010年02月19日 | ■無精者の交友記
T.Oは中学時代からの友人で、
隣町の二番館まで自転車を連ねてよく映画を観に行った仲だ。

奴は元船乗りで外国航路の貨物船の航海士をしていた。
その後、海運会社のサラリーマン、老人施設のガードマンと職を変えた。
その間にモデルのように美形で、女優のように我がままな女と結婚し
一年たたないうちに離婚した。

今は仕事の関係で上海に住んでいる。
春節の休暇で帰国してきたので久しぶりに会った。

購入をたのまれていたDVDを渡す。
「やくざの墓場 くちなしの花」「ボクサー」、井筒の「宇宙の法則」と市川崑の「幸福」。
それとキネ旬2月下旬号。

上海のオンラインショッピング事情はよく知らないが、
この前は「麻雀放浪記」とクロード・ガニオンの「Keiko」、
ジャン・ジャック・アノーの「子熊物語」をたのまれた。
人のことは言えないが奴もかなりの雑食だ。

逆に上海では、日本で手に入りくいDVDが安く買えるのだそうだ。
今村昌平の「西銀座駅前」や「盗まれた欲情」、
大島渚の「飼育」と「東京戦争戦後秘話」が収められたDVD・BOXを以前、土産にくれた。
それとノーカット無修正版の「愛のコーリーダ」。
これにはフランス語の字幕が付いていた。
合法か否か、少し怪しい。

新宿のシネコンへ「アバター」を観に行ったら
平日の昼間だというのに満席で入れなかったとぼやく。
観たら観たで、きっと映画の出来をぼやいていただろう。

今、上海の街は驚くほど可愛い女の子で溢れ、
目を見張る美女が、そこここを闊歩しているのだそうだ。
それに比べて新宿を歩いている女は、
どうしてみなブスばかりなのだと、うんざり顔で言う。

上海に行ったことがないので、私にはことの正否は分らない。
あくまで奴の主観である。
新宿のお嬢様方、悪しからず。
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■Y君への返事

2009年03月25日 | ■無精者の交友記
毎年、年始の賀状を欠かさぬY君からの便りが、今年は1月の10日過ぎに封書で届いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明けましておめでとうございます。

年明け草々、あまりめでたくないご報告です。
実は妻と離婚することになりました(30代の頃、私が遊びすぎたのが原因です)。

また、これまでは東北・○○の実家と横浜の自宅を行ったり来たりしておりましたが、離婚に伴い、横浜の自宅から撤収して○○に腰を落ち着けることになりました。

正直なところ、ここ数年は妻との不和にさんざん苦しみました。昔、妻をさんざん苦しめたのだから、仕方ありません(ああ、辛いなあと思う一方で、「いい気味じゃないか」「違いねえ」と独りで掛け合いをしていました)。

でも、離婚を決めた今、心はある程度、落ち着いています。
では、また。お元気で。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

行間にY君と奥さんの業を感じる。奥さんに恋人でもできたのだろうか。

手紙をもらってから随分と時間がたってしまった。東京では桜が咲き始めているのに、まだ返事を書いていない。だぶん返事は書けないだろう。
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■荒生さんの手帳

2009年03月12日 | ■無精者の交友記
得意先からの依頼で新製品のセールスプロモーション・ビデオを作る仕事をしていた。まだ社会に出て間もないころの話しだ。私の役目は、得意先の意向をくんで現場に反映する窓口係り。実際に撮影の現場を取り仕きるのは、ビデオ制作プロダクションのプロデューサー荒生さんだった。私の父親ほどの年齢の荒生さんは、得意先にふりまわされて、ときに現場を混乱させる新米の私に「Kちゃん、たいへんだねェ」と息子を見守るような大らかさで接してくれた。

スタッフの増員や準備機材の変更、撮影商品の不備やモデルへのダメ出し、台本の修正待ちやナレーションの差し替え。私が難題を持ち込むと、荒生さんは分厚い手帳をさらさらとめくって次々に電話をかけ始める。「やぁやぁ、久しぶり。どう、儲かってる」と3~4ヵ所に電話をかけ終わると、たいていの問題は解決してしまうのだった。その手帳が荒生さんのキャリアそのものだった。いつか、あの黒い手帳を持てるようになりたいと思った。

荒生さんは、もともとは映画界の出身で、60年代から70年代は自分で経営する制作会社でテレビのホームドラマを手がけて随分と羽振りもよかったそうだ。本人曰く、その会社は儲かりすぎてつぶれてしまったとのこと。どんな映画に参加していたのかとたずねた私に「Kちゃん知らないよ、若いから。始めは新東宝。あとはシンドウカネト、ヤマムラソウ。古くて暗くて、ぜんぜん儲からないやつ」だと教えてくれた。

先日、新藤兼人監督の「原爆の子」(52)と「どぶ」(54)、そして山村聰監督の「蟹工船」(53年)を観ていたら、スタッフクレジットに荒生利京の名前を見つけた。荒生さん、確かに古くて暗くてぜんぜん儲かりそうにない映画だったよ。最後にお会いしたのは5年ほど前だったと思う。近くまで来たからと、私の仕事場にぶらりと寄ってくれた。ちょうどそれが何かのきっかけだったかのように、宛先人不在で年賀状が戻ってくるようになった。今年、88歳になられるはずなのだが。
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■それぞれの事情

2009年02月19日 | ■無精者の交友記
キムさんは韓国生まれの26歳。日本の男と結婚して東京の郊外に住んでいる。

ご主人は48歳。左腕がない。そのせいかどうかは、定かでないが定職についていない。子供はいないが、80歳を超えたご主人の両親と同居している。障害者年金と老齢年金、そして彼女のパート収入で生計をまかなっている。今のアパートから公営の住宅に移りたいのだが、ご主人に前科があり入居審査ではねられてしまうのだそうだ。

私がキムさんについて知っていることは、これですべてだ。

三年ぶりにソウルに里帰りしてきたといって、お土産に自家製の塩辛をくれた。チャンジャというらしい。週末の酒の肴にためしてみようと思うが、私には辛すぎるかもしれない。
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■けいことあきえ

2009年02月05日 | ■無精者の交友記
彼女らに会うのは10年ぶりくらいだった。二人は中学から高校を通しての同級生だ。二人とも、子供たちはすでに成人している。夜行バスで上京して、コンサート、美術館めぐり、食べ歩き三昧。その何日目かの夕食を、俺におごらせようと目論んだ彼女らに六本木に呼び出された。

言いたいことは何でもずけず言う活発な女の子だった「けいこ」は、やはり同級生だった夫と離婚。金融関係の外交員をしながら、二人の子供を育てあげた。会話は常に彼女がリードする。相変わらず逞しい。

「あきえ」は、おっとりした性格で体格も華奢だがスポーツが得意。男子生徒の視線を集めるマドンナだった。もうすぐ、ひとり娘が結婚するという年齢なのにワンテンポずれる言動は昔のままで、なんとも可愛らしい。

金曜日の夜中、もうすぐ日付が変わるとい時間。どしゃ降りの雨のなか、タクシーで二人をホテルまで送る。明日の昼飯は築地のすし屋、夕食は横浜中華街の予定だそうだ。
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