次の日の朝に予想通り和哉からメールがあって遊びに行くことにした。
いつものようにアーカスへ映画を見に行くように伝えてすぐに準備して家を出る。
その映画は前から見たかった物なので家を出るときは少しウキウキしていたかもしれない。みつきに「楽しそうだね」と言われるほど。
楽しい思いは昨日のことを夢だったのかもしれないという風に思わせた。
あるいはそう思いたかったのかもしれない。
時間通りに待ち合わせ場所に着いてアーカスへ向かって映画を見た。
想像以上に感動的な内容で、そりゃ涙もこぼれまくるさ。
映画が終わった後にみつきから「優君泣きすぎだよ」と言われてしまった。仕方がないだろう。感性豊かなのだから。
もちろんこの気持ちを小説のほうへ生かすのも忘れない。劇場から出た後、今の気持ちをメモ帳へ書きとめた。
それから飯を食ってカラオケに行ってゲームセンターで遊んだ。相変わらず朋香の歌声は綺麗で、和哉の歌声は音痴だった。
ゲーセンでは和哉は負けっぱなしで悔しそうな顔をして、それを見るのが楽しかった。特にクイズゲームで和哉が朋香に完敗させられたときの顔は写真に残しておきたかったほど馬鹿な顔をしていた。
とにかく楽しかった。
ゲーセンを出るときにみつきが珍しく何かを物欲しげに見つめていて、その先にはUFOキャッチャーがある。
(あれほしいのか?)
本当に小さな声で訊くと、みつきは恥ずかしそうな顔をして「……うん」と頷いた。
だから二人に少し待つように言って一人でゲーム機に近寄ってコインを入れてその中にある謎の形をしたぬいぐるみをゲットする。
クレーンゲームは苦手ではない。というか苦手なゲームはほとんど無い。楽々とクレーンはそのぬいぐるみを掴んで出口へシュートする。
取り出し口に手を突っ込んで間近で見てみると、人形はよく分からない形だった。白大福にさくらんぼを突き刺したような形。
「何でこんなのほしかったんだ?」
思わず尋ねるとみつきはもじもじと「その……可愛いから」と消え入りそうな声で言った。その声を聞いた後、改めてぬいぐるみを見てみる。やっぱりわかんねえよ。
それは三十センチほどの大きさだったので持ち合わせの鞄には入りきらず、手で持って帰ることになった。
帰る途中それを持ってるのはすごく恥ずかしかったが、横で幸せそうな顔をしているみつきを見るとそんなことも忘れられた。
電車に乗って町に戻った後、短い沈黙があった。
点々としか存在しない街灯の下を何を言うわけでもなく、ただ並んで歩く。
疲労や脱力感もあるだろうが、住み慣れた町に帰ってきた安心感がそうさせているような気がした。何より夜の暖かい暗さが、心を落ち着かせていた。
その安心感が、不意に俺の気持ちを駆り立てる。夜の包み込むような暗さが、忘れかけていた淡い希望に火をつけた。
「和哉、ちょっと付き合ってくれないか?」
「俺にそんな趣味は無いぞ」
多少真剣味に言ったつもりだったのだが想像以上に和哉は馬鹿だった。
「本当にお前は馬鹿だな。サーカス団のミジンコのほうがよっぽど賢いぞ」
サーカス団にミジンコが所属してるかどうかは兎も角、っておいおいこんなことを言いたいんじゃないぞ。
「二人ともどこか行くの?」
朋香がどこか不安そうな目で俺を見つめてくる。私は? と言っているような気がした。
「まぁその辺ぶらぶらしてすぐに返すよ、おばさんにもそう言っといてくれ」
「ん、わかった」
悪いな。心の中だけで謝ってから朋香と分かれた後、話をどうやって切り出そうかと考えながら夜道を歩いていた。
「そっちの学校はどうよ、なんかあったか?」
気がつけばそんなことを訊いていた。違うそんなことを訊きたいじゃない。
「別に、期末テストがあって先生の愚痴言って友達と馬鹿やったりしてただけ」
「そっか、まぁそんなもんだよな」
「一人暮らしってどう思う?」
「どうってなんだよ」
「家事が大変そうだとか色々あるだろ」
「そうだな、寂しそうとか、かな」
一瞬隣のみつきと目が合った。
「案外そんなこともないよ」
寂しくは無い。いつもみつきが居るのだから。
俺の訊きたいはずの問いはまだ出て来ない。
「大学どこに進学するとか決めてるのか?」
「いや、まだ何も」
「やりたいこととかは?」
「勉強が嫌いだからな、まだ全然そんなの考えてねえ。テストで精一杯」
「それでもヤバイ点数なんだろ、朋香に迷惑かけんなよ」
「お、おう」
そこでようやく問う決心がついた。同時に頭の中でもう一つの考えが囁きだす。
そんなことを訊いてどうする? 答えはもう分かっているだろ? お前は気づいているだろ? やめておけ、悲しむだけだ。まだ間に合う。笑って帰れ。
暗い思いが頭を支配する前に、口は動き出していた。
「お前さ、幼稚園の頃とか覚えてるか?」
「幼稚園? まぁぼんやりとなら少し」
何度も何度も暗い思考が頭をよぎる。
大丈夫だ。まだ間に合う。何か馬鹿を言って終わらせろ。また大切なものを傷つけるのか?
そんな囁きを振り払って、俺は尋ねた。夜の暗さに押されるように。
「一緒に遊んでた友達の名前とか、覚えてるか?」
暗い思考が頭の中でうなだれているのが分かった。言ってからすぐに後悔をした。何を訊いてるんだ俺は。
「流石に、そこまでは覚えてないな」
その言葉を聞いた瞬間に、心の中の何かが音を立てて崩れていくような気がした。ほれみろ、だから言っただろう。汚い希望なんて持ちやがって、腐った期待なんて持ちやがって。お前はまた、みつきを傷つけた。
横を見るとみつきはうつむき加減に頭を下げていた。暗くて表情を見る事は出来ないが、俺は確かにその顔を見ることが出来た。
本当は分かっていた。言われるずっと前から分かっていたことだ。
髪を栗色に染めたのだって、和哉がもしかしたらみつきのことを思い出してくれるかもしれないという希望を持ってやったことだ。みつきのような綺麗な栗色にはならなかったけど、結果はどうだった? 結局何も変わらなかったじゃないか。
気づいていたさそんなこと。もう和哉の中にみつきは居ない。俺はその事実をただ掘り返してしまっただけだ。
「…………そりゃそうだよな」
そうやって自分に言い聞かせるしかなかった。もう二度とそんな事を言わないと、もう二度とみつきを傷つけないと、ただ誓うしかなかった。
もうやめよう。こんな暗い気持ちは笑って吹き飛ばしてしまったほうが良い。
「そうだ、今年デパートの前でイルミネーションやるの知ってるか?」
話題なんて何でも良かった。たまたまそんな事を思い出しただけだ。
「そうなのか?」
「あぁクリスマスの夜までやってるらしいぜ、今朝のチラシになんか書いてあった」
チラシの写真に載っていたイルミネーションはすごく綺麗で幻想的だったのを覚えている。
「んなもんいちいち確認してねえ。なんかおばさんっぽいな」
「うるせえよ」
「わりい」
「お前、朋香と行ってこいよ」
「優は来ないのか?」
「俺は、まぁ、その、あれだ。荷物整理で多忙だ」
あながち嘘ではない。
「別に変な気とか使わなくてもいいぞ?」
「今更お前らに気配りなんてするかよ」
そう言って笑ってやった。笑い飛ばしてやった。いろいろなものを。
踏み切りの前で止まって話していたせいで時々お互いの声が聞こえない時も合ったが、そんなことも気にせずに笑い続けた。
「今日は中々楽しかったぜ」
「ん? だから聞こえないって」
「楽しかったっつってんだよ!」
「俺もだ!」
何馬鹿みたいに叫んでるんだろな。でもそれがおかしくて、やはり笑ってしまう。
再び遮断機がカンカンと鳴り出し、電車が猛スピードで俺達の横を通り過ぎていく。
「俺さ、和哉と朋香とみつきに会えてすげえ良かった」
その声はほとんど電車の音にかき消されてしまったが、もしかするとそれにあわせてそう言ったのかもしれない。だってそんなセリフ、恥ずかしすぎるだろ?
「んじゃ、俺帰るわ」
踏み切りを乗り越えて歩き出す。その右手はしっかりとみつきの左手を掴んでいた。この暗がりなら大丈夫だろ。そう思いながら。
和哉の居る前でそんな事をされるとは思っていなかったのか、みつきは「あっ……」と小さな声を漏らして、でもしっかりと手を握り返してくれた。それが少し恥ずかしくて、
「朋香に今日はありがとうって言っといてくれ」
と言ってみたりした。
和哉からの返事も待たずに歩く。気がつけば和哉の姿はもう見えなくなっていた。
そして、またこのセカイへと帰ってきた。
玄関の前で立ち止まる俺の手を、みつきはしっかりと握ってくれる。
「ただいま帰りました」
玄関のドアを開いて中に入る。キッチンのほうから「優ー? おかえりー」と耳につく飛んでくる。
その声に何を言うわけでもなくそそくさと自室へ戻り、セカイとの空間を絶った。
静寂。
階下からは包丁の音やテレビの音がかすかに聞こえてくる。向こうのセカイの音は、嫌な記憶を思い出させるのに十分な力を持っていた。
むくむくと湧いてくる忘れかけたはずの後悔。
ベッドに座って、必死に思い出さないようにと頭を片手で抱える。右手は繋いだまま。
「……なぁ」
「何?」
優しい声でみつきは答えてくれる。
「……悪かった」
「ううん、全然平気だよ」
平気なわけはない。辛かったはずだ。苦しかったはずだ。そうでなきゃ、あんな顔は出来ないだろ。
「……ごめん」
「本当に大丈夫だから、気にしないで」
みつきは強い子だ。俺ならとっくに折れてしまいそうなのに、彼女は平気だと、大丈夫だと言ってくれる。
「……でも、ごめん」
しかし謝らずには居られなかった。沈黙が覆う。みつきはぎゅっと俺の手を握って、
「そういえばさ、もうすぐクリスマスだよ」
暖かい笑顔を見せてくれた。
「あぁ、そうだな」
「楽しみだなー」
そこに夢があるように、みつきは笑顔で宙に何かを見ていた。きっとそこには何かが輝いているのだろう。
思いついた。くだらない思いつきだけど、もしかすると喜んでくれるかもしれない。
「クリスマス、二人でどこか行こうか」
謝罪、あるいはもう二度と傷つけない決心のつもりだったのかもしれない。
「え、でも……」
みつきは遠慮がちな声で申し訳なさそうに言うが、
「いいよ、俺がそうしたい」
俺がそう言うとはにかみながら、少しだけ顔を伏せて恥ずかしそうに言った。
「えっと、じゃあ、優君と一緒に――」
今にも消えてしまいそうな声、しかししっかりとした声。
「そんなところで良いのか? もっと遠くのほうでも行けるぞ?」
「ううん、そこがいい」
「わかった」
コンコン。
二回のノックの後、返事を待たずに部屋のドアが開けられて父が入ってきた。
「どうした優、電気もつけないで」
そう言って母と同じように照明のスイッチを入れる。
「ほら、この前このガットほしがってただろう。買ってきたから張り替えておきなさい」
「……ありがとうございます、父さん」
「またほしくなったら言いなさい」
それだけを言い残して父は満足げに部屋を出て行った。だからドアを閉めろよ。
ドアを閉めてから渡されたガットに視線を落とす。
テニスをしていないと知らないかもしれないが、ガットには色々と種類があって、俺が使ってるのは割と細いタイプだから頻繁に痛んだりする。だからガットを張り替えることも多い。
この前もテニスの試合に父が、これまた頼んでもいないのに応援に来ていた。
その試合の後に俺がベンチで次のガットを何にしようかと悩んでカタログを見ていたところにこのガットが載っていて、それがたまたまカタログに大きく書いてあったからどんなものなのかとその解説を見ていただけなのだけど、それを見ていた父は俺がこれをほしがっていると勘違いしたらしい。
満足げな顔でこれを渡して、気持ちよく帰って行った。本人はすごく良いことをしたつもりなのだろう。息子のために何かをしてやった。それが快感なのだろう。
こんなことはたびたびあった。
ほしくなかったわけじゃないさ、でも、頼んでねえよ。
そんなものはエゴだ。自分勝手な思い込みでしかない。
またほしくなったら言え? 俺は一度もほしいなんて言っていない。
乱暴にガットの箱を置きっぱなしの荷物の上に放り投げて、再びベッドの上に体を戻した。
「ガット、張り替えなくて良いの?」
「あぁ、明日やる。今日はもう疲れた」
本当に疲れた。そもそも今日は朝から動きっぱなしだったんだ。疲れもするさ。
ベッドに身を投げ出して横になる。下からご飯が出来たとキンキンした声が飛んできたが、今はそんな気分ではない。
大きめの声でいらないと返すと、それ以上はもう返ってこなかった。
「もう寝るの?」
「悪い、今日はちょっと、いやかなり疲れた。寝かせてくれ」
「うん、わかった」
それからまもなく眠りに落ちる。
「おやすみ、優君」
眠る間際に心地良い、柔らかな声を聞いた気がする。
翌日はいつもよりもずっと睡眠時間が長かったおかげかとても気分良く起きることができた。
起きてすぐにみつきの「おはよう」という笑顔を見られたことも一役、いや心地良い朝の大部分を占めていたりする。
他の家族はまだ起きていないらしく静かな朝だった。
まだセカイが眠っているうちにキッチンへ出向いて朝食製作を開始。珍しくこの日はみつきもキッチンへ降りてきたいというので一緒に行こうと言った。
それはきっとこのセカイが動き出していないから、今はまだ普通の世界だったからだろう。
冷蔵庫を開けてみると見事に何もなかった。卵が二個と牛乳と他調味料の類。電子レンジの上にはぽてっと倒れている二切れだけ入った食パンの袋。
インスタントで何か無いかと棚を探してみたが、中から見つかったのはボルシチの元だけだった。それも五年前の。
うえ、何でこんなの残ってるんだ。
仕方がないので冷蔵庫最後の卵と牛乳を取り出してフレンチトーストでも作ることにする。むしろそれ以外作れる気がしねえ。
深めのバットに卵を入れてよく書き混ぜた後牛乳と砂糖を混ぜて卵液を作った後、食パンを四つ切りにして卵液につけて、その間にフライパンを熱して油を引き、液の染み込んだパンを焼いて出来上がり。
「優君料理上手だよねー」
その作業をずっと楽しそうに眺めていたみつきが出来上がったフレンチトーストを見て言った。
「誰でもできるだろこんなの」
ただ卵と牛乳にパンつっこんで焼くだけだし。
「ううん、きっと私だったらこんな上手には焼けないもん」
「みつき料理したことないだろ」
「うん、だからきっと」
「……そっか」
あまり笑えない冗談だ。こんなにも楽しそうに料理を眺めることができる子が、料理をすることが出来ないなんて。もし本当に神様がいるなら殴り飛ばしてやりたいところだ。
調理器具諸々を片付けた後、テーブルに移動して自作のフレンチトーストを食べ始める。
卵が良く染みていてうめぇ。焼き加減も最高だな。
「おいしそうだね」
向かいの席に座ったみつきがやはり楽しそうに俺の朝食風景を眺めていた。
「おう、うまいぞ」
「私も食べられたら良いのになぁ。すごくおいしそうだもん」
それに答えることが出来ず、ただ食べ続けた。
朝食も済んで部屋に戻ってからずっと放置されていた荷物(主に本)を整理することにする。
本の整理というのは意外に大変で、本棚に綺麗に並べようと思うと結構な神経と労力を使うことになる。
例えば本棚の一段目にシリーズ物を並べていって最後の数巻だけが入りきらなかったりとかすると悲しいだろ。それに続刊が出ていたりしたら今まで綺麗に入れていた本を取り出してぴったりとはまる位置を探し出さなければいけない。
というようなことをみつきに言うと「優君几帳面すぎるよ」と笑われてしまったが、これって常識じゃないか?
一々続刊を見つけるたびにシリーズ全てを取り出すのがめんどうだったので、一度本棚に詰まっている本を全て取り出して一から整理しなおすことにした。
しかしまぁ、こうして本を並べて改めてみてみると、
「足の踏み場も無いってこういうことだな」
「本当にすごい量」
ベッドの上に避難しているみつきからも驚きの言葉が漏れた。
溢れかえった本をシリーズごとに整理し、その分厚さや本棚の隙間などを考えつつあれはここに、これはそこになどと算段をしている途中で和哉から『これから朋香と出かけるんだが優も来ないか?』とメールが来た。もちろんこんな状態で本達を放置するわけにもいかなかったので断っておいた。
それから色々と計算をしながら次々と本棚に本を納めていく。
大体四割くらい終わったところでぱたぱたと誰かが階段を登ってくる音がして、足音からそれが母のものだと分かる。
二回のノックの後、やはり返事を待たないで母はあっさりとドアを開いた。
「あら、掃除してたの?」
「はい」
「これから病院にお見舞いに行って買い物してくるけど、何かほしいものある?」
「いえ、特に何も」
「そう、それじゃあ行ってくるわね」
それだけを言い残して母はすぐに部屋を出て行った。当然のようにドアは開きっぱなしである。
お見舞いというのは母の妹、つまり俺の叔母の子供が小さいときから入院しているらしく、母は度々病院を訪れている。というのを訊いてもいないのに聞かされた。
俺も何度か一緒に行かないかと誘われたことがあるが、その度に結構ですと断ってきた。どうせ向こうのセカイのことだ。くだらない。拒否というよりも拒絶に近かった。
あらかた整理も終えて一息着けるようになったのは時計の針が二時を指す頃だった。
ちょこんと座るみつきの横で、倒れるようにベッドに乗りかかる。肉体的にも精神的にもそこそこの疲労感。
「お疲れさま」
「次からはもっと自制するわ」
「うん、そのほうが良いと思う。すごく大変そうだったもん」
寮にいる時から大変だろうなとは思っていたが案の定だ。自業自得ってやつ。
それから遅い昼食を取ろうとして朝材料を使い切っていたことを思い出した。そういえば修達は何食べたんだろうか。まぁ修のことだから近くのコンビニから買ってきたりでもしたのだろう。もう中一だしな。
俺もコンビニ行くかな、と思ったが外に出るついでにぶらぶら歩いてみようか。一日中家の中にいるっていうのも体に悪そうだし。
「ちょっと出かけよう」
「どこ行くの優君?」
「さぁ? とりあえず飯食いに行って散歩でもするか」
「うん」
ベッドから飛び降りてからいつもの外出スタイルで家を出る。
相変わらず空は冬らしく灰色な空で太陽はノックダウンしているし、風は殺人的に冷たい。雪が降っていないのが不思議なくらいの天気だった。
晴れてくれないと布団干せなくて困るんだよなぁ。
そんな事を考えながらとぼとぼと歩く。隣ではみつきが鼻歌混じりでご機嫌な様子で歩いていた。
「嬉しそうだな」
「うん、なんかね、空も飛べそうなくらい元気なの。なんでだろう」
「本当に飛んでいくなよ」
「あはは」
しばらく歩いて駅前で何か食べようとしたのだが、こんな時間にも関わらず満席で座れなかった。ドーナツでも食べながら歩こうかと言うとみつきに「食べ歩きは行儀が悪いから駄目だよ」と怒られた。
仕方がないので他を当たることにする。とはいえ行きたい場所があるわけでもなく、食べたいものもなかったので大体何でも揃っていそうな喫茶店で昼食をとることにした。
丁度買いたい本もあるし、デパートでいいか。数分前までの自制するという言葉はほとんど消えかかっていた。
いつものようにアーカスへ映画を見に行くように伝えてすぐに準備して家を出る。
その映画は前から見たかった物なので家を出るときは少しウキウキしていたかもしれない。みつきに「楽しそうだね」と言われるほど。
楽しい思いは昨日のことを夢だったのかもしれないという風に思わせた。
あるいはそう思いたかったのかもしれない。
時間通りに待ち合わせ場所に着いてアーカスへ向かって映画を見た。
想像以上に感動的な内容で、そりゃ涙もこぼれまくるさ。
映画が終わった後にみつきから「優君泣きすぎだよ」と言われてしまった。仕方がないだろう。感性豊かなのだから。
もちろんこの気持ちを小説のほうへ生かすのも忘れない。劇場から出た後、今の気持ちをメモ帳へ書きとめた。
それから飯を食ってカラオケに行ってゲームセンターで遊んだ。相変わらず朋香の歌声は綺麗で、和哉の歌声は音痴だった。
ゲーセンでは和哉は負けっぱなしで悔しそうな顔をして、それを見るのが楽しかった。特にクイズゲームで和哉が朋香に完敗させられたときの顔は写真に残しておきたかったほど馬鹿な顔をしていた。
とにかく楽しかった。
ゲーセンを出るときにみつきが珍しく何かを物欲しげに見つめていて、その先にはUFOキャッチャーがある。
(あれほしいのか?)
本当に小さな声で訊くと、みつきは恥ずかしそうな顔をして「……うん」と頷いた。
だから二人に少し待つように言って一人でゲーム機に近寄ってコインを入れてその中にある謎の形をしたぬいぐるみをゲットする。
クレーンゲームは苦手ではない。というか苦手なゲームはほとんど無い。楽々とクレーンはそのぬいぐるみを掴んで出口へシュートする。
取り出し口に手を突っ込んで間近で見てみると、人形はよく分からない形だった。白大福にさくらんぼを突き刺したような形。
「何でこんなのほしかったんだ?」
思わず尋ねるとみつきはもじもじと「その……可愛いから」と消え入りそうな声で言った。その声を聞いた後、改めてぬいぐるみを見てみる。やっぱりわかんねえよ。
それは三十センチほどの大きさだったので持ち合わせの鞄には入りきらず、手で持って帰ることになった。
帰る途中それを持ってるのはすごく恥ずかしかったが、横で幸せそうな顔をしているみつきを見るとそんなことも忘れられた。
電車に乗って町に戻った後、短い沈黙があった。
点々としか存在しない街灯の下を何を言うわけでもなく、ただ並んで歩く。
疲労や脱力感もあるだろうが、住み慣れた町に帰ってきた安心感がそうさせているような気がした。何より夜の暖かい暗さが、心を落ち着かせていた。
その安心感が、不意に俺の気持ちを駆り立てる。夜の包み込むような暗さが、忘れかけていた淡い希望に火をつけた。
「和哉、ちょっと付き合ってくれないか?」
「俺にそんな趣味は無いぞ」
多少真剣味に言ったつもりだったのだが想像以上に和哉は馬鹿だった。
「本当にお前は馬鹿だな。サーカス団のミジンコのほうがよっぽど賢いぞ」
サーカス団にミジンコが所属してるかどうかは兎も角、っておいおいこんなことを言いたいんじゃないぞ。
「二人ともどこか行くの?」
朋香がどこか不安そうな目で俺を見つめてくる。私は? と言っているような気がした。
「まぁその辺ぶらぶらしてすぐに返すよ、おばさんにもそう言っといてくれ」
「ん、わかった」
悪いな。心の中だけで謝ってから朋香と分かれた後、話をどうやって切り出そうかと考えながら夜道を歩いていた。
「そっちの学校はどうよ、なんかあったか?」
気がつけばそんなことを訊いていた。違うそんなことを訊きたいじゃない。
「別に、期末テストがあって先生の愚痴言って友達と馬鹿やったりしてただけ」
「そっか、まぁそんなもんだよな」
「一人暮らしってどう思う?」
「どうってなんだよ」
「家事が大変そうだとか色々あるだろ」
「そうだな、寂しそうとか、かな」
一瞬隣のみつきと目が合った。
「案外そんなこともないよ」
寂しくは無い。いつもみつきが居るのだから。
俺の訊きたいはずの問いはまだ出て来ない。
「大学どこに進学するとか決めてるのか?」
「いや、まだ何も」
「やりたいこととかは?」
「勉強が嫌いだからな、まだ全然そんなの考えてねえ。テストで精一杯」
「それでもヤバイ点数なんだろ、朋香に迷惑かけんなよ」
「お、おう」
そこでようやく問う決心がついた。同時に頭の中でもう一つの考えが囁きだす。
そんなことを訊いてどうする? 答えはもう分かっているだろ? お前は気づいているだろ? やめておけ、悲しむだけだ。まだ間に合う。笑って帰れ。
暗い思いが頭を支配する前に、口は動き出していた。
「お前さ、幼稚園の頃とか覚えてるか?」
「幼稚園? まぁぼんやりとなら少し」
何度も何度も暗い思考が頭をよぎる。
大丈夫だ。まだ間に合う。何か馬鹿を言って終わらせろ。また大切なものを傷つけるのか?
そんな囁きを振り払って、俺は尋ねた。夜の暗さに押されるように。
「一緒に遊んでた友達の名前とか、覚えてるか?」
暗い思考が頭の中でうなだれているのが分かった。言ってからすぐに後悔をした。何を訊いてるんだ俺は。
「流石に、そこまでは覚えてないな」
その言葉を聞いた瞬間に、心の中の何かが音を立てて崩れていくような気がした。ほれみろ、だから言っただろう。汚い希望なんて持ちやがって、腐った期待なんて持ちやがって。お前はまた、みつきを傷つけた。
横を見るとみつきはうつむき加減に頭を下げていた。暗くて表情を見る事は出来ないが、俺は確かにその顔を見ることが出来た。
本当は分かっていた。言われるずっと前から分かっていたことだ。
髪を栗色に染めたのだって、和哉がもしかしたらみつきのことを思い出してくれるかもしれないという希望を持ってやったことだ。みつきのような綺麗な栗色にはならなかったけど、結果はどうだった? 結局何も変わらなかったじゃないか。
気づいていたさそんなこと。もう和哉の中にみつきは居ない。俺はその事実をただ掘り返してしまっただけだ。
「…………そりゃそうだよな」
そうやって自分に言い聞かせるしかなかった。もう二度とそんな事を言わないと、もう二度とみつきを傷つけないと、ただ誓うしかなかった。
もうやめよう。こんな暗い気持ちは笑って吹き飛ばしてしまったほうが良い。
「そうだ、今年デパートの前でイルミネーションやるの知ってるか?」
話題なんて何でも良かった。たまたまそんな事を思い出しただけだ。
「そうなのか?」
「あぁクリスマスの夜までやってるらしいぜ、今朝のチラシになんか書いてあった」
チラシの写真に載っていたイルミネーションはすごく綺麗で幻想的だったのを覚えている。
「んなもんいちいち確認してねえ。なんかおばさんっぽいな」
「うるせえよ」
「わりい」
「お前、朋香と行ってこいよ」
「優は来ないのか?」
「俺は、まぁ、その、あれだ。荷物整理で多忙だ」
あながち嘘ではない。
「別に変な気とか使わなくてもいいぞ?」
「今更お前らに気配りなんてするかよ」
そう言って笑ってやった。笑い飛ばしてやった。いろいろなものを。
踏み切りの前で止まって話していたせいで時々お互いの声が聞こえない時も合ったが、そんなことも気にせずに笑い続けた。
「今日は中々楽しかったぜ」
「ん? だから聞こえないって」
「楽しかったっつってんだよ!」
「俺もだ!」
何馬鹿みたいに叫んでるんだろな。でもそれがおかしくて、やはり笑ってしまう。
再び遮断機がカンカンと鳴り出し、電車が猛スピードで俺達の横を通り過ぎていく。
「俺さ、和哉と朋香とみつきに会えてすげえ良かった」
その声はほとんど電車の音にかき消されてしまったが、もしかするとそれにあわせてそう言ったのかもしれない。だってそんなセリフ、恥ずかしすぎるだろ?
「んじゃ、俺帰るわ」
踏み切りを乗り越えて歩き出す。その右手はしっかりとみつきの左手を掴んでいた。この暗がりなら大丈夫だろ。そう思いながら。
和哉の居る前でそんな事をされるとは思っていなかったのか、みつきは「あっ……」と小さな声を漏らして、でもしっかりと手を握り返してくれた。それが少し恥ずかしくて、
「朋香に今日はありがとうって言っといてくれ」
と言ってみたりした。
和哉からの返事も待たずに歩く。気がつけば和哉の姿はもう見えなくなっていた。
そして、またこのセカイへと帰ってきた。
玄関の前で立ち止まる俺の手を、みつきはしっかりと握ってくれる。
「ただいま帰りました」
玄関のドアを開いて中に入る。キッチンのほうから「優ー? おかえりー」と耳につく飛んでくる。
その声に何を言うわけでもなくそそくさと自室へ戻り、セカイとの空間を絶った。
静寂。
階下からは包丁の音やテレビの音がかすかに聞こえてくる。向こうのセカイの音は、嫌な記憶を思い出させるのに十分な力を持っていた。
むくむくと湧いてくる忘れかけたはずの後悔。
ベッドに座って、必死に思い出さないようにと頭を片手で抱える。右手は繋いだまま。
「……なぁ」
「何?」
優しい声でみつきは答えてくれる。
「……悪かった」
「ううん、全然平気だよ」
平気なわけはない。辛かったはずだ。苦しかったはずだ。そうでなきゃ、あんな顔は出来ないだろ。
「……ごめん」
「本当に大丈夫だから、気にしないで」
みつきは強い子だ。俺ならとっくに折れてしまいそうなのに、彼女は平気だと、大丈夫だと言ってくれる。
「……でも、ごめん」
しかし謝らずには居られなかった。沈黙が覆う。みつきはぎゅっと俺の手を握って、
「そういえばさ、もうすぐクリスマスだよ」
暖かい笑顔を見せてくれた。
「あぁ、そうだな」
「楽しみだなー」
そこに夢があるように、みつきは笑顔で宙に何かを見ていた。きっとそこには何かが輝いているのだろう。
思いついた。くだらない思いつきだけど、もしかすると喜んでくれるかもしれない。
「クリスマス、二人でどこか行こうか」
謝罪、あるいはもう二度と傷つけない決心のつもりだったのかもしれない。
「え、でも……」
みつきは遠慮がちな声で申し訳なさそうに言うが、
「いいよ、俺がそうしたい」
俺がそう言うとはにかみながら、少しだけ顔を伏せて恥ずかしそうに言った。
「えっと、じゃあ、優君と一緒に――」
今にも消えてしまいそうな声、しかししっかりとした声。
「そんなところで良いのか? もっと遠くのほうでも行けるぞ?」
「ううん、そこがいい」
「わかった」
コンコン。
二回のノックの後、返事を待たずに部屋のドアが開けられて父が入ってきた。
「どうした優、電気もつけないで」
そう言って母と同じように照明のスイッチを入れる。
「ほら、この前このガットほしがってただろう。買ってきたから張り替えておきなさい」
「……ありがとうございます、父さん」
「またほしくなったら言いなさい」
それだけを言い残して父は満足げに部屋を出て行った。だからドアを閉めろよ。
ドアを閉めてから渡されたガットに視線を落とす。
テニスをしていないと知らないかもしれないが、ガットには色々と種類があって、俺が使ってるのは割と細いタイプだから頻繁に痛んだりする。だからガットを張り替えることも多い。
この前もテニスの試合に父が、これまた頼んでもいないのに応援に来ていた。
その試合の後に俺がベンチで次のガットを何にしようかと悩んでカタログを見ていたところにこのガットが載っていて、それがたまたまカタログに大きく書いてあったからどんなものなのかとその解説を見ていただけなのだけど、それを見ていた父は俺がこれをほしがっていると勘違いしたらしい。
満足げな顔でこれを渡して、気持ちよく帰って行った。本人はすごく良いことをしたつもりなのだろう。息子のために何かをしてやった。それが快感なのだろう。
こんなことはたびたびあった。
ほしくなかったわけじゃないさ、でも、頼んでねえよ。
そんなものはエゴだ。自分勝手な思い込みでしかない。
またほしくなったら言え? 俺は一度もほしいなんて言っていない。
乱暴にガットの箱を置きっぱなしの荷物の上に放り投げて、再びベッドの上に体を戻した。
「ガット、張り替えなくて良いの?」
「あぁ、明日やる。今日はもう疲れた」
本当に疲れた。そもそも今日は朝から動きっぱなしだったんだ。疲れもするさ。
ベッドに身を投げ出して横になる。下からご飯が出来たとキンキンした声が飛んできたが、今はそんな気分ではない。
大きめの声でいらないと返すと、それ以上はもう返ってこなかった。
「もう寝るの?」
「悪い、今日はちょっと、いやかなり疲れた。寝かせてくれ」
「うん、わかった」
それからまもなく眠りに落ちる。
「おやすみ、優君」
眠る間際に心地良い、柔らかな声を聞いた気がする。
翌日はいつもよりもずっと睡眠時間が長かったおかげかとても気分良く起きることができた。
起きてすぐにみつきの「おはよう」という笑顔を見られたことも一役、いや心地良い朝の大部分を占めていたりする。
他の家族はまだ起きていないらしく静かな朝だった。
まだセカイが眠っているうちにキッチンへ出向いて朝食製作を開始。珍しくこの日はみつきもキッチンへ降りてきたいというので一緒に行こうと言った。
それはきっとこのセカイが動き出していないから、今はまだ普通の世界だったからだろう。
冷蔵庫を開けてみると見事に何もなかった。卵が二個と牛乳と他調味料の類。電子レンジの上にはぽてっと倒れている二切れだけ入った食パンの袋。
インスタントで何か無いかと棚を探してみたが、中から見つかったのはボルシチの元だけだった。それも五年前の。
うえ、何でこんなの残ってるんだ。
仕方がないので冷蔵庫最後の卵と牛乳を取り出してフレンチトーストでも作ることにする。むしろそれ以外作れる気がしねえ。
深めのバットに卵を入れてよく書き混ぜた後牛乳と砂糖を混ぜて卵液を作った後、食パンを四つ切りにして卵液につけて、その間にフライパンを熱して油を引き、液の染み込んだパンを焼いて出来上がり。
「優君料理上手だよねー」
その作業をずっと楽しそうに眺めていたみつきが出来上がったフレンチトーストを見て言った。
「誰でもできるだろこんなの」
ただ卵と牛乳にパンつっこんで焼くだけだし。
「ううん、きっと私だったらこんな上手には焼けないもん」
「みつき料理したことないだろ」
「うん、だからきっと」
「……そっか」
あまり笑えない冗談だ。こんなにも楽しそうに料理を眺めることができる子が、料理をすることが出来ないなんて。もし本当に神様がいるなら殴り飛ばしてやりたいところだ。
調理器具諸々を片付けた後、テーブルに移動して自作のフレンチトーストを食べ始める。
卵が良く染みていてうめぇ。焼き加減も最高だな。
「おいしそうだね」
向かいの席に座ったみつきがやはり楽しそうに俺の朝食風景を眺めていた。
「おう、うまいぞ」
「私も食べられたら良いのになぁ。すごくおいしそうだもん」
それに答えることが出来ず、ただ食べ続けた。
朝食も済んで部屋に戻ってからずっと放置されていた荷物(主に本)を整理することにする。
本の整理というのは意外に大変で、本棚に綺麗に並べようと思うと結構な神経と労力を使うことになる。
例えば本棚の一段目にシリーズ物を並べていって最後の数巻だけが入りきらなかったりとかすると悲しいだろ。それに続刊が出ていたりしたら今まで綺麗に入れていた本を取り出してぴったりとはまる位置を探し出さなければいけない。
というようなことをみつきに言うと「優君几帳面すぎるよ」と笑われてしまったが、これって常識じゃないか?
一々続刊を見つけるたびにシリーズ全てを取り出すのがめんどうだったので、一度本棚に詰まっている本を全て取り出して一から整理しなおすことにした。
しかしまぁ、こうして本を並べて改めてみてみると、
「足の踏み場も無いってこういうことだな」
「本当にすごい量」
ベッドの上に避難しているみつきからも驚きの言葉が漏れた。
溢れかえった本をシリーズごとに整理し、その分厚さや本棚の隙間などを考えつつあれはここに、これはそこになどと算段をしている途中で和哉から『これから朋香と出かけるんだが優も来ないか?』とメールが来た。もちろんこんな状態で本達を放置するわけにもいかなかったので断っておいた。
それから色々と計算をしながら次々と本棚に本を納めていく。
大体四割くらい終わったところでぱたぱたと誰かが階段を登ってくる音がして、足音からそれが母のものだと分かる。
二回のノックの後、やはり返事を待たないで母はあっさりとドアを開いた。
「あら、掃除してたの?」
「はい」
「これから病院にお見舞いに行って買い物してくるけど、何かほしいものある?」
「いえ、特に何も」
「そう、それじゃあ行ってくるわね」
それだけを言い残して母はすぐに部屋を出て行った。当然のようにドアは開きっぱなしである。
お見舞いというのは母の妹、つまり俺の叔母の子供が小さいときから入院しているらしく、母は度々病院を訪れている。というのを訊いてもいないのに聞かされた。
俺も何度か一緒に行かないかと誘われたことがあるが、その度に結構ですと断ってきた。どうせ向こうのセカイのことだ。くだらない。拒否というよりも拒絶に近かった。
あらかた整理も終えて一息着けるようになったのは時計の針が二時を指す頃だった。
ちょこんと座るみつきの横で、倒れるようにベッドに乗りかかる。肉体的にも精神的にもそこそこの疲労感。
「お疲れさま」
「次からはもっと自制するわ」
「うん、そのほうが良いと思う。すごく大変そうだったもん」
寮にいる時から大変だろうなとは思っていたが案の定だ。自業自得ってやつ。
それから遅い昼食を取ろうとして朝材料を使い切っていたことを思い出した。そういえば修達は何食べたんだろうか。まぁ修のことだから近くのコンビニから買ってきたりでもしたのだろう。もう中一だしな。
俺もコンビニ行くかな、と思ったが外に出るついでにぶらぶら歩いてみようか。一日中家の中にいるっていうのも体に悪そうだし。
「ちょっと出かけよう」
「どこ行くの優君?」
「さぁ? とりあえず飯食いに行って散歩でもするか」
「うん」
ベッドから飛び降りてからいつもの外出スタイルで家を出る。
相変わらず空は冬らしく灰色な空で太陽はノックダウンしているし、風は殺人的に冷たい。雪が降っていないのが不思議なくらいの天気だった。
晴れてくれないと布団干せなくて困るんだよなぁ。
そんな事を考えながらとぼとぼと歩く。隣ではみつきが鼻歌混じりでご機嫌な様子で歩いていた。
「嬉しそうだな」
「うん、なんかね、空も飛べそうなくらい元気なの。なんでだろう」
「本当に飛んでいくなよ」
「あはは」
しばらく歩いて駅前で何か食べようとしたのだが、こんな時間にも関わらず満席で座れなかった。ドーナツでも食べながら歩こうかと言うとみつきに「食べ歩きは行儀が悪いから駄目だよ」と怒られた。
仕方がないので他を当たることにする。とはいえ行きたい場所があるわけでもなく、食べたいものもなかったので大体何でも揃っていそうな喫茶店で昼食をとることにした。
丁度買いたい本もあるし、デパートでいいか。数分前までの自制するという言葉はほとんど消えかかっていた。