ポコピン亭

ポコピンの日々の記録と東方緋想天の戦いが綴られていきます。多分。

第一章 冬風のしたで 一

2008-03-04 | one day -鈍色の叫び-
 その日も昨日に負けず劣らず猛烈に寒かった。
 朝には微妙に、ほんの五分くらいだけど雪が降ったほど気温は低い。
 空には羽毛布団みたいな分厚い灰色の雲がしっかりと太陽の光を遮っていて、夏には凶悪にも思えるくらいギンギン調子に乗って輝いている太陽もボロ負けだった。
 風が冷たい。マフラーで巻かれたところから上の部分、つまり頬の辺りから頭の先にかけてはもう寒すぎて感覚が無くなってきた。
 このすっかり薄くなった古いロングコートも僕を冷気から守りきるのは困難らしく、母親が買ってきた三組千円セットの手袋はむしろむなしくて、頼りになるのは僕が自分で買ってきたこのマフラーだけ。
 マフラーだけでこの寒さに耐えられるか!
 奥歯がカチカチと鳴り始める。これはシャレにならない。寒すぎる。
 今だけ、今この瞬間だけ夏の暑さが恋しくなった。
「ちょっと、大丈夫?」
 同じく隣に並んで立っている少女、一河朋香が心配そうに尋ねてきた。
 朋香も僕と同じ時間外気にさらされ続けているはずなのに全然寒そうな気配は無い。
 白に近い桃色のダウンコートに、もこもこした毛糸の手袋、赤と白のラインが入ったニット帽と見ているだけで暖かそうなのに手には買いたてのココア(HOT)まで握られている。
「見ての通りだ、大丈夫そうに見えるか」
 唇が震える。話すのも辛い。はっきり声が出せている自信は無い。少なくとも僕には「みえのおおいあ」にしか聞こえなかった。三重の多いア?
 それでも伝わったのは、おそらく慣れだろう。数分前からずっとこんな調子だからだ。
「えっと、うん、元気そう。良かった良かった」
 僕の顔を覗き込んで出た言葉がそれである。鬼だ。僕がこんなに震えているのに元気そうだってさ。多分寒さで視力が落ちているんだな。そうに違いない。きっとそうさ。
「本当にそう見えるなら朋香、お前は重症だ。早く眼科に行ったほうが良い」
「うるさい馬鹿!」
 うぅ、どうして神様は僕にこんな酷い仕打ちをするのですか、学校の小テストでカンニングしたからですか、遅刻回数が多いからですか、それとも買うつもりも無いのにスーパーの試食コーナーを回ったからですか。あんまりです、そんなことで僕をこんな酷い罰を与えるなんて、貴方は最低だ。僕はこれっぽっちも信じていない神様に愚痴ってやった。
「寒い、マジで寒い、ココアちょっとくれよ」
「なんで?」
「いいじゃんちょっとくらい」
「やだ、自分で買ってくれば?」
「少しくらいくれよ」
「うるさい馬鹿!」
 あぁ泣きたい。鼻をすする。泣いてるわけじゃないぞ、寒すぎて鼻水が出てきただけだ。
 僕達が駅に着いてから十分が経過していた。


 相棒兼、親友兼、幼稚園からの幼なじみが四ヵ月ぶりに京都に帰ってくるというメールが届いたのは、学校が冬休みに入った翌日のことだった。
 相棒は僕とは違って他府県の高校に通っている。電車を乗り継いでで二時間くらい走ったところ、らしい。
 実際に自分で行ったことが無いから分からないけど、とにかくそこそこ遠いところだ。
 相棒は屈指のテニスプレーヤーで、いろんな大会でそれなりに入賞と優勝を繰り返しているような化け物だ。
 親父さんが元テニスプレーヤーでスポーツジムを経営していて、小さい時に一度遊びに行ったことがあるが、全然遊ぶような雰囲気ではなかった。
 真剣な表情で玉を追いかける人たちは当時の僕を圧倒するのに十分だった。
 そんなジム経営の父に育てられた相棒はあっさりスポーツ推薦で高校に入学。スポーツで有名な高校だそうだ。
 でもそこは他府県であり、つまり京都ではない別の県、どこだったかな、まぁいいや、とりあえず他府県なわけで、電車で二時間。
 もちろんそんなところに家から通学するわけもなく、今は寮で一人暮らしをしている。
 出発前日に、いやぁ参ったよ学校遠すぎだってのわはははは、とか言っていたが結構あっさり出発してしまった。
 向こうの練習は厳しいらしく、京都には大型の連休の時しか帰って来ない。
 そして今、無事にお互いの高校が冬休みに突入して、僕達は相棒の帰りをこうして駅で待っているのだが、
「寒い寒い寒い寒い」
 本日二百回目に突入する寒いを連呼。正確には数えてないが多分それくらいは言っているだろう。寒い寒い。
 雨をしのぐための屋根しかなく、横からの風が当たりまくりなこの駅の製作者は僕のことが嫌いなのだろうか。あったことも無いのに。
 駅の横にはコンビニがあるのでそこに入って待っていようと朋香に言うと、
「もうすぐ来るだろうし、待ってよう」
 とかニヤニヤ笑いながら言うのだ。わざとだ。絶対にわざとだ。
「和哉うるさい」
 しかめっ面で朋香がそういうのだけれども、寒いものは寒い。冬は寒いもんだろ? 今俺は冬の試練に耐えているところなんだぜ。邪魔をしないでクレタマエ。
 とうとう頭まで怪しくなってきた。
 隣のタクシー乗り場で一人のおばさんが黄色いタクシーに乗り込むのが見えた。あの中は暖房全開であったかいんだろうな。自分がタクシーに乗ったつもりで想像してみる。
 暖房の暖かさ。紅潮する頬。寒さから解放された安堵の息。
 冷たい風がそんな妄想を軒並みなぎ払っていった。
 もう少しみせてくれてたっていいじゃないか…………。僕は大自然を相手に愚痴っていた。
 学校が冬休みに入ってから気温はグングン低下。温暖化はどうしたんだと言いたくなる。
「自分で一時には着くから待ってろとか言ったくせにもう十五分も経ってるし!」
 そうだ、今こうやって震えてるのはあいつのせいだ。あいつがもっと時間通りに駅についていればこんな思いはしなかったはずだ。
「電車遅れてるのかな」
 相変わらず暖かそうな格好で語りかけてくる朋香が握るココアの中身はもう無くなっていた。ちぇ、本当に一口もくれなかったな。少しだけ寂しい気持ちになった。
 それにしても遅い。線路でも凍っているのだろうか。それなら仕方が無いが、単なる遅刻なら一体どうしてやろうか。……どうするつもりんだんろう。
 やばい、本格的に頭がやばくなってきた。そのうち「ぐふふふ」とか謎の笑い声を上げだしかねない。
 そんなことを思っていた時だ。
「いーっよう!」
 男にしてはやけに高めの声と共に僕の受ける重力が二倍になった。後ろから誰かが乗りかかってきたらしい。突然のことだったのでバランスを崩してこけそうになったが何とかこらえるが、急に力が入ったせいで足が痛い。
 こんな馬鹿なことをするのは今あいつしかいない。
「重いっつうの」
 前かがみで今にもこけそうな体を勢いよく起こす。のりかかってきた奴もすぐに身を引いてくれた。
 慌てるわけでもなく振り返ると、そこには黒い塊があった。決して比喩などではない。
 上から下まで真っ黒。上は分厚いニット帽から始まり、口まで覆ったネックウォーマー、ベルト付きダウンジャケットにぶかぶかのカーゴパンツにスニーカー。途中で刺繍も何も無い。完全無地の黒。帽子を含めて高さ百八十センチ近い黒が立っていた。
 一言で言うと怪しさ全開。某探偵もののアニメの犯人像に服を着せたらこんな感じではないだろうかという感じで、ぱっと見は正直ビビる。
 あたかもその空間だけが切り取られたかのような、そんな風にも思えてくる。
 ただニット帽からはみ出た栗色の髪の毛だけが、その存在を主張するかのように色を持っていた。
 その黒い男、和泉優は紛れもなく相棒兼親友兼幼なじみである。
 初めこそその服装に少し違和感はあったが、今ではすっかり慣れてしまった。どうしていつも黒い服なのかと聞いてみたこともあるが、今はそんなことよりも、
「何で後ろから出て来るんだよ」
 僕の知る限りこの駅の出入り口は一つしかないはずだ。そこで僕達が待っていたのだからこんな目立つ奴を見逃すはずがない。他にも比較的黒い服装の人は居るが、優はそれをはるかに上回って黒いからだ。
 ……まてよ、まさか。
 僕の頭に笑えない冗談のようなものが浮かんだ。
「実は結構前から着いてたんだけど、ほら、遠目でもお前が震えてるのがすげえ見えるから面白くてずっと見てた。あそこの中から」
 優の指差す先には駅前自慢のドーナツ店。
 最低だ。鬼だ。こいつも鬼に違いない。
 僕の体は意思を無視してがくがくと震えだした。もちろん寒いからだ。
 なんだこいつは。もうちょっと悪びれろよ。むしろ謝れ、今すぐ謝ってくれ。
 そんなことを言ってやろうと思ったときにふと思い出してしまった。
 夏休み帰ってきたときに同じことされてるし!!
 あの時は暑くて最悪だった。連日三十度超えの猛暑が続く中、優を朋香と迎えに来たときのことだ。
 僕達が駅に着いてから五分くらい暑い暑いと言っていて、それから朋香がトイレに行ってくると傍のコンビニまで走っていって、僕は一人で優が来るのを待っていたんだ。十分くらい。
 殺人的な暑さの中を一人で突っ立っているのはかなり寂しくて、それでもずっと待っていた。
 それでも来ないからまだ着かないのかとメールをした二十秒後、朋香と優がコンビニから出てきた。
 今思えば朋香がコンビニに行った理由をもっと深く考えるべきだった。どう考えてもクソ暑いここから逃げ出すための言い訳だったんじゃないかと。しかも戻ってきた時には優まで一緒。
 おそらくコンビニに隠れていた優が僕達を見つけて、僕にばれないように朋香を手招きでもしたのだろう。そして暑さに苦しむ僕のことも忘れて話し呆けていたに違いない。最低だ。
 しかも戻ってきた時の言葉が、
「わりぃ、忘れてた」
 である。どうだろう、そりゃあ泣きたくもなるってもんだ。悲しすぎて涙も出なかったけど。
 そして今回は暖かなドーナツ店からの震える僕観察。悪趣味にもほどがある。
 あぁ、もういいや。きっと僕はいじめられっ子体質なんだろう。絶対にそんなの信じたくないが。
「朋香も久しぶり!」
「うん、久しぶり。元気そうだね」
「元気じゃないときがあったか?」
「そういえば無いよね」
 僕が黙々と暗いことを考えている間に二人は楽しそうに話して笑っていて、僕一人なんかみじめに思えてきた。ズズッ。鼻をすする。ちくしょう、本当に寒いな。
「おいおい、せっかく帰ってきたのに元気出せって」
 僕から元気を奪い取っているのは誰だと思っているのだろうか。
「…………」
「ほら土産やるからさ」
「え、まじで」
 自分の現金さが悲しくなったがもう考えないことにした。開き直りってやつだ。そうでもしないとやっていけない。
 優はポケットに手を突っ込んで、ほらよ、というかけ声と共に何かを僕に投げる。冷え切ってかじかんだ僕の手はそれを上手に掴めなくて、何度か手の中でバウンドさせながら何とかそれを捕まえる。
「……なんだこれ?」
 掴んだそれは大きさ五センチくらいの透明な小瓶に青っぽい液体と、星の形をしたガラスのようなものが入っていた。
 空に向けると中の液体が光の当たり具合で虹のように七光りして、とても綺麗だった。
 蓋のコルクのところに紐がついているからキーホルダーの類、かな?
 朋香にも同じものが渡されて、やはり僕と同じように光を当てて虹を楽しんでいた。
「なんか綺麗だから言われるがままに思わず買ってみた」
 誰に言われたんだろう、店員か? まぁ販売側の誰かだろう。
 確かに綺麗だ。ずっと見ていても飽きない気がする。少し振ると中で透明な星がキラキラと輝いた。
「すごく綺麗」
 感動した口ぶりで朋香が呟き、マジで綺麗だな、と僕も呟いた。
「はは、喜んでもらえてよかった」
 ポケットに手を突っ込んだままの優の目が笑っていた。きっと口元もニコニコとしているに違いない。
 僕達は少しの間、虹色の星を眺めていた。
 流れていく冬の風。さっきまでは随分と冷たかったそれも、今は不思議と暖かく感じられる―――わけはない。
 寒いものは寒いわけで、もう限界なんてとっくに超えている。さっさと用事を終えてぬくぬくとしたいのでさっさと用件を済ませることにする。
「それで、俺らは荷物持ちだろ。何でお前手ぶらなんだよ」
 ちなみに昨日きたメールの内容はこうだ。
『愛しい親愛なる親友へ。ついにこっちも冬休みだぜ! つうわけで明日の一時にいつもの駅で待機よろしく! 最高の荷物持ちを持つ幸せな俺より』
 俺より、っておいおい。それじゃ誰だかわからないだろう。
 一体僕は親愛なる親友なのか、最高の荷物持ちなのかどっちなのだろう。多分両方か。
 優はそういう奴だ。いつも冗談っぽく言うくせに、言いたいことは何でも言う。
 ふざけてるくせに、しっかりと話す優の正直なところが僕は好きだった。
 いつも自分をごまかして、見栄とかを張ったりして何とか生きている僕には優が羨ましかった。
 だから僕は荷物持ち。僕の名誉のために言っておくが別にこき使われているわけではない。友情ってやつだ。親友が助けを求めているのに放っておくことなんてできないだろう?
 そういうわけで僕達は親愛なる親友のために彼の荷物を持って帰るのを手伝うことになった。
「あぁ、荷物はな、あれ」
 優のポケットから出た指が明後日の方向を指し示して、僕の目がその先を追う。
 指の先は駅の端っこ。ただでさえ陰になって見えにくいくせに日の光が弱いせいでさらに暗くなったところを指していた。
 まだ昼間なのに暗すぎてよく見えない。よく見えないが、ぼんやりと何かが見えた。目を凝らすと少しずつ何かが見えてくる。それから思わず目を見開いてしまった。
 アウトドアなんかで使う巨大な肩に担ぐタイプの横長い鞄が二つ。どちらもありえないくらいパンパンに膨らんでいて、触るとはじけてしまいそうだ。
 何であんなにでかいんだとか、中に何が詰まっているんだとか、そんなことが出ては消え、消えては出てきてを繰り返した結果、残ったのは大きな溜息だけ。
 向こうで着る衣類や日用品だけでは説明できないその大きさに、僕は完全に圧倒されていた。
 前回はもっと可愛らしく、もっと一般的にしぼんでいたはずだ。
 だが今回はしっかり前の二倍以上はある気がする。無意識に二度目の溜息が漏れた。
「……すごい量だね……」
 朋香も驚いているようで、その声はどこか小さかった。
「すごいってレベルじゃねえぞ、あれは」
 はっきり言って常識外である。どうやってあんなものを担いでこの駅までたどり着いたのかと尋ねたくなる。しかしすぐに手で持ってきたのだろうという一般的な答えにたどり着き、優がそれぐらいのことを軽々とやってのける男だということを思い出して、再び溜息が漏れる。
「まぁ向こうで色々買っているうちに……色々と……な?」
 な? じゃねえよ、な? じゃ。
 とりあえず近くまで歩いてみるとそれは近くなるほどさらに大きくなっていって、すぐ近くで見れば僕一人位は軽く収まりそうなサイズだった。改めてこれを担いでいる優を想像してみる、が、あまりに非常識すぎて僕の想像力では全然足りなかった。とにかくでかすぎるのだ。
 シャレになってないぞおい。
 そんな僕は親愛なる親友の最高の荷物持ち。いまさら断るわけにはいかない。
 しかし世の中には不可能という言葉があるわけで、それを横でニコニコしている奴に言ってやった。
「なぁ優。どう考えてもこれは朋香には持てないだろ」
 見た目重量は軽く十キロは超えている。とてもじゃないが朋香がコレを持って歩くというのは考えられない。というか考えたくない。
「いやいやいや、でかいのを持つのは俺とお前で、朋香はこっち」
 そう言いながら優は腰を折って巨大なバッグの向こう側から何かを取り出した。出てきたのはごく普通の肩掛け鞄。しかもぺちゃんこ。
 それはいたって普通サイズで、地面に転がる二つのだるまと比べると余計に小さく見えた。
 おいおい、いくら朋香が女だからってそれはひいきすぎるだろう。僕はずっとこっちを見ている(気がする)だるまを見ながらそう思った。

 
 見た目重量十キロ、感触重量五割増し、つまり十五キロくらいの勢いで膨れ上がった荷物は思い切り僕にのしかかっていた。
 寒いなんて感じている余裕はない。重い。ひたすら重い。とって部分が肩にすごく食い込んできてすごく痛い。気がつけばほとんどおんぶするような格好でその荷物を持っていた。 
 駅から優の家までは二十分くらいかかるが、流石にこの大荷物を抱えて二十分を歩ききる自信が無かったので、丁度中間地点くらいのところにある僕の家で一時休憩することになった。
 とはいえそれでも半分。疲れるには十分な時間である。
「ほんとにお前どうやってこんな荷物こっちまで持ってきたんだ」
 横では清々しいくらい涼しい顔をした優が楽々とバッグを持ち運んでいた。一体どういう鍛え方をしたらそんな風になれるのだろうか。
「それはあれだ、お前らに会いたい強い思いと、再会を喜ぶ気持ちと、九割八分近い気合だ」
 どうやら僕達への思いは二分以下らしい。もう少し僕たちに会いたい思いと再会を喜ぶ気持ちに心を裂いてほしい。
 駅から僕の家に向かう住宅地の細い小道を横一列に並んで僕達は歩く。ただでさえ狭い道を並んで歩いているのだから余計に狭く感じられた。
 しかも右側を歩く優のさらに右側には人一人が入れそうなスペースが空いている。完全な無駄スペースだ。
「おい、優。もうちょっと右寄れよ」
 朋香を挟んだ左側の僕が必死に訴える。なんせこっちは隣の民家の壁とすれすれなのだ。時々飛び出ている木々にぶつかりそうになるのを何とか避けているくらいぎりぎり。
「いいか和哉、お前はバッグをおぶっている。つまり縦幅は一人分だ。でも俺は横に持っている。サイズ的に二人分だ。俺が右に寄ると俺のバッグはどうなる?」
 ならお前も背負えよ! とか思ったが、もうそんなことを言うのもばかばかしくなってきた。うお、あぶね、また木の枝にぶつかりかけた。
 よく見れば朋香と優の間にほんの少し隙間が空いていて、どちらかというと朋香が僕によってきて壁に押付けている感じ。
 お前も右に寄れよ、とか言いたかったけど、どうせ言ったところで痛い反撃がくるのは目に見えていたのでやめておいた。
「男らしくちゃんと持ちなさいよ」
 真ん中で小さなバッグを首にかけて前に持って歩く朋香が言う。そうは言うが朋香、このバッグは、
「まじで重てぇ」
 普段運動なんて通学と体育の授業くらいしか大してしていない僕にとってこれはかなりの重労働である。それに比べて朋香はどうだろうか。ペチャンコの見るからに軽そうなバッグを持って楽々と歩いている。
「それ軽そうだな」
「うん、すごく軽いよ」
「何が入ってんだ?」
「ん? 何も入ってないぞ、中の荷物は全部お前のバッグに突っ込んだからな」
 さらりとすごく酷いことを聞いた気がする。
「ついでにそのバッグも突っ込もうかと思ったんだが、見ての通りそれ以上入らなかったんだな、はっはっは」
 はっはっは、ってお前……。もっと僕のこともいたわってやってほしい。そのうちストライキを起こすかもしれないぞ、一人で。
 一人でストライキの旗を掲げて何かを叫んでいる自分を考えてみた。幼稚にデフォルメされた僕が一人で旗を振りつつ精一杯給料を出せと叫んでいる。間抜けすぎだ。
 もう考えるのはやめよう、なんだかさっきからこんなのばっかりだ。
「そういえば前言ってたあの本、中々良かったぞ」
 優が朋香に向かって話しかけた。
「でしょ? やっぱりあれがあの人の作品で一番良いと思うのよね」
 すぐさま答える朋香。
 一体何の、あぁ、小説の話か。僕の全然及ばない領域の話。僕はあまり小説を読むほうではなく、むしろ全然だ。まるで国語の教科書を見ているようですぐに眠くなってしまう。どうしてこの二人は大量の本を読み続けることができるのだろうか。漫画ならいくらでも読めるけど。
 優と朋香は二人ともかなりの読書家だ。
 朋香の家には大量の本が山ほど溢れていて、まるで家が本でできているってくらい本だらけ。全部父親が昔に買ってきた本らしい。しかしそんな本もすでに朋香によって読破済みで、今では朋香が大量の本を買う立場になっている。
 優のほうは昔彼が僕の家に遊びに来たとき、朋香がたまたま忘れていった全七巻の文庫本のうちの一巻から三巻をその場で読みきり、そこで何か変なスイッチが入ったらしく次の日には残りの四巻を全て購入していったという。
 そこから半ば暴走したように本を購入し続け、気がついたら自室の本棚が溢れているというような状況らしい。
 読書家の本に対する情熱というものがさっぱり分からない僕にとって、それはまるで別世界だった。
 優も朋香も家の近い幼なじみ。優は幼稚園から、朋香は小学校から。
 元々二人の間には何の交流も無かったようなのだけど、二人とも僕とよく遊んでいたわけで、自然と接触する機会も増えて、気がつけば二人は小説の話題で盛り上がっていた。
 どこかに取り残されたような気分になる。
 前に僕も小説を読もうかな、なんて思ってはみたのけれど、朋香から借りた小説を二分で投げてしまった。情けない。
 僕にもう少し根気があればこの輪の中に入っていけたのだろうか。
 そういえば一度だけしっかりと読めたことがあるが、あれはたしか―――
「んで、どうなのさ和哉は」
 急に話を振られて慌てた。
「え? あ、何?」
 全然話を聞いていなかったので何を聞かれたのかさっぱりわからない。
「だから、学校の成績だよ、どうだったんだ」
 どうやら小説の話はとっくに終わっていたようで今は学校の話で盛り上がってるらしい。優が相変わらず笑った目で僕を見ていた。
「お前わかってて聞いてるだろ」
「まぁな」
「いつもどおりだよ」
「そりゃひでえな」
 まぁ、確かに酷かった。頑張らないとクラスの馬鹿四天王になるのもそう遠くない未来な気がする。
「私が勉強教えてあげてるのに小テストみたいな点数とるんだよ?」
「和哉、お前は最低だ」
 なぜか急に真剣になった優の目が気持ち悪い。
「な、なんだよ」
「朋香が、この朋香がお前のために自分の勉強時間をさいてまで教えてくれているんだぞ。それなのに、それをムダにしたお前は最低だ」
「この朋香ってどういう意味よ」
「細かいこと気にすんな、いいか和哉、朋香に教えてもらっているならお前が俺並みの成績を取ることだって不可能ではない」
「そんなに力説されても困るんだが」
「……こともない」
「できないのかよ」
 ちなみに優は聞くに高校の成績がオール五の大馬鹿野郎。そんな成績を僕が取れるはずがない。朋香ですら評定平均が四くらいだというのに。
「とりあえずがんばれよ」
「お、おう」
 本当に頑張らなければいけない。馬鹿四天王入りしないためにも。
 どうしようも無くくだらない話題で盛り上がって、話に夢中で荷物の重さも忘れていた。
 気がつけば僕の家はすぐ目の前に迫っていた。

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