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撮影・Shigemi TakamatsuのLIVE映像の紹介 from 10/Apr'06

長嶺ヤス子渾身の歌舞伎座公演/横田安正

2008-03-30 | 芸術

「長嶺ヤス子艶歌を舞う」という大幟(のぼり)が飾られた3月27日の歌舞伎座公演は1つの事件ともいえるイヴェントとなった。
歌舞伎座という劇場の賃料は普通の劇場にくらべ異常に高いらしく、通常は前日に行われる舞台稽古はなしで当日だけの事前稽古となった。こうしたハンディキャップにもかかわらず、20分の休憩を挟んだ正味2時間を越える公演は緊張感に満ちた不思議な舞台空間を現出させた。とにかく観客動員がすさまじく、我々のカメラ席まで入場者が押し寄せ混乱する1幕もあった。20曲の演歌をつないだのが日本舞踊の最先端を走る坂東鼓登治と8人の女性の踊り手、構成・演出の滝沢いっせい、振付・演出の池田瑞臣の目論見が上手くはまった。演歌の歌い手の大半は余り知られていない人たち(すくなくとも私にとっては)で、これが成功の原因の1つであった。観客は既成のイメージから解放され、まったく新しい「思い入れ」に浸ることができたからである。長嶺ヤス子は体調もよく、恐らく今が絶頂期ではないかとさえ思わせる動きをみせた。選曲も重く悲しい演歌の名曲からコミカルなものまでヴァライエティに富み充分楽しめた。

しかし、この夜の公演はそれだけではすまない緊張感があった。それは長嶺が醸し出す「私はこのまま死んでもいい」といった、まさに一期一会の迫力である。これが見る人の心に確実に伝わった。公演は長嶺対千数百人の観客の対峙ではなく、長嶺と観客1人々のパーソナルな対峙となった。2幕目で出た長嶺得意の「カスタネット・ソロ」はアドリブの極致、最後は観客席の奥まで浸入し観客と抱擁するシーンもあり会場は「ヤス子コール」で溢れかえった。照明も思わぬハプニングに懸命に対処していた。しかし彼女の表情は鬼気迫る闘志と歓喜に満ちていて私は「長嶺ヤス子は間違いなく舞台に死に場所を求めている」と確信したのであった。公演が終わって観客はそれぞれ「満足したわ」、「来て本当によかった」、「大満足」などと呟きながらカメラ席を通り過ぎていった。

長嶺ヤス子があとどれだけ踊れるのかは誰もわからない。しかし、これからの公演はまさに「一期一会、いつ死んでもいい」といった緊張をはらんだものになるに違いない。 (演出家 横田安正氏 筆)



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