平野区長吉 六反東 ふれあいの町 ~長吉六反東地域活動協議会~

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百歳体操やよいに浪曲詩がやってきた

2016-09-20 | 福祉
皆さんが楽しみにしていた、浪曲師の春野ここさんが
やってきました
わたしも今まで、浪曲というものを見たことがなく
恥ずかしながら、どういうものなのかさえわかりませんでした。
披露して頂いたお話は「かちかち山」です。
始まるやいなや、あまりの面白さにすぐ引き込まれてしまいました
初めてみる浪曲に感動いたしました。
皆さんも、夢中でお話を聞いておられました。

春野ココさんは、プロになるため、あちこちの施設や講演できる
ところを回っているそうですよ
三味線の方はプロだそうで一緒に回っているそうです
また、披露できる場所があれば行っていただけると聞いたので
相談してみてはいかがでしょうか?
これからも頑張って下さい応援してます












最後は皆さんで水戸黄門の主題歌を熱唱しました。
とても楽しかったです
本当にありがとうございました








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1 コメント

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Unknown (村山 修)
2016-09-25 10:31:05
浪曲とは懐かしいですね。
メディアがラジオしか無い戦後時代には歌謡曲と同等の娯楽手段でした。
広沢虎三の「森の石松」の「食いね~ 食いね~ 江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」のせりふをよく口ずさんだ覚えがあります。
村田英夫や三波春男も最初は浪曲師だったのをご存じでしたか。
特に村田英夫は次の浪曲界を背負う逸材と期待されていたそうです。
三波春男が歌謡界に転出した理由は「浪曲界では村田英夫に敵わない」と思ったからだと本人が後日話していますし、村田英夫が歌謡界に転出した理由も三波春男の成功を見た関係者から勧められたからだそうです。
この両巨頭の浪曲界からの離脱とテレビの普及とが相俟って浪曲の人気は徐々に下火になっていきます。
戦後のメディア技術の発達による芸能界の変遷に巻き込まれて浪曲の人気は落ちていますが、浪曲の良さが最認識されてきっと再浮上してくるでしょう。
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