先日、六反東住宅在住の男性から
ふれあい喫茶 健康の館に関するコメントを頂きました
普段から、利用者さんの声を聴かせてもらう事も多く
是非、紹介させていただきたく投稿させて頂きます
「ふれあいの町」担当者様、毎日ご苦労様で御座います。
ブログを見たので投稿させて頂きます。
半年前から「ふれあい喫茶健康の館」を利用させて貰っています。
私は6年前離婚し、一人暮らしを始め、4年前、市営住宅に引っ越してきました。
サラリーマンを卒業後、いろいろの職業につき、日本全国ほとんどの土地を渡り歩いてきました。
放浪生活の中で、老後を送りたい憧れの姿として、東京日比谷公園横にある日本プレスセンターの仕組みと、那覇市のフリーゾーン地区にあるシーメンズクラブ那覇の仕組みがあります。
前者は大手新聞社が出資したビルで、諸外国の賓客や国内の重要人物の記者会見を行うための場所ですが、上記出資会社のOBは自由に利用出来る施設が設置されており、施設利用料は無料で、コーヒー他飲み物や、料理は定価の半額で利用出来ます。
私は10回以上訪れましたが、何時行ってもOBが悠々自適の生活を楽しんでいる姿が印象的でした。
後者はアメリカ海軍出身者の会員制クラブのレストランで、会員は 料理等を定価の半額で利用出来る特典がありますが
一般人も利用可能になっています。
建物は豪華、内部も豪奢で、平日の昼間は客は誰もおらず、貸切状態であるのが魅力的な所です。
然し、老いを感じる様になるとともに、これら施設利用と同様の待遇を求めることが100%不可能であるという事実を是認せざるを得なくなりました。
「年を取ると趣味を持った方がいい」とか「夢を持ってその実現に邁進すればいい」とかよくいわれます。
これは年を取るとやることがなくて寂しくなるから、その「寂しさ」対策として推奨されている方法です。
私は分不相応の夢を持ち、日夜そのための努力をしてきたし、今も続けていますが「寂しさ」はなくなりません。
どうやら、「寂しさ」には上記方法では癒されない別種の「寂しさ」がある様です。
今、「修活」という考えが注目されています。
これは「豊かに老いて、美しく死にたい」という考え方ですが、人生の晩節には「老いる事と、死」は常に頭にあります。
「人は社会的生き物である」という諺は50年以上前から知っていました。
その意味は「人は集団生活を行う動物である」という意味に解してそれ以上の意味があるとは思ったこともありませんでした。
独り暮らしが続き、人生の晩節を迎えた今、その意味は「人は話し相手がいないと暮らしていけない」「話すことによって寂しさが紛れる」
「人は孤独では生きられない動物である」という意味だと解釈する様になりました。
私は、毎朝4時50分に家を出て、6時30分に帰ってくるウオーキングを3年半続けています。
大和川の堤防を休みなしに歩いていますが、途中、すれ違った人と挨拶をし、時にはその時々の話題について話込むことはありますが、ふれあいの町に来る以前は、会話はこの時間帯だけで、この時間以降、1日中誰とも話す機会はありませんでした。
話相手がいなくて、喋らない、相手の話にあいづちも打たないで1日過ごすことは苦痛であり、「寂しい限り」です。
先ほど、“別種の「寂しさ」がある様です”と書きましたが、それは話相手がいなくて、喋れない「寂しさ」だったのです。
毎日の生活そのものと老いることは同時に進行しますので、「豊かに老いる」ためには日々の生活の中にその答えを探さなくてはなりません。
私は、“現在のふれあいの町”は毎日の生活の一部にふれあいの町に行くことを組み入れて「豊かに老いる」ことを実践している人が集まっていると考えています。
日本プレスセンターやシーメンズクラブ那覇の施設と同様の環境で老後を過ごす夢は叶えられませんでしたが、今、ふれあいの町で、喋り、相手の声をきくことで、心がリフレッシュされ、分不相応の夢を追いかけています。
「明日も又来てね、待ってるよ」の声を背に聞きながら明日も来ようと思いながら毎日通っています。
“有難うございます”コメントで感謝の気持ちを表させて頂きます。