ある朝目覚めると
薄っぺらいカーテン越しに
真っ赤な朝焼けが広がるのが見えた。
私はカーテンを開け、狭いベランダに出て
ひんやりした朝の空気と朝陽に包まれて、小さなあくびをした。
何て不思議な朝焼けなんだろう。
ふと、足元を見ると
薄汚れたライオンのぬいぐるみが転がっている。
カラスが運んできたのかしら。。
拾い上げてみると、何ともきれいなガラス玉の瞳が
朝陽に照らされて、キラキラと輝いている。
胸がキュンとなるような愛おしさを感じ
私は、そのライオンを丁寧にシャンプーして
ドライヤ―で念入りに乾かした。
そして、小さなベッドのまくら元に置いて
いつものように、仕事に出かけた
昨日と変らぬ一日が過ぎ
すっかり陽が落ちてから部屋に戻って鍵を開けると
ベッドのある辺りが、ぼんやりと明るくなっている。
「ベッドの電気、つけっぱなしだったかな」
そう思って、ベッドに近づいてみると
一人の少年が、こちらを向いて静かに座っていた。
あ・・あのぬいぐるみ・・
そう思った瞬間
「ボク ソラ デス」
透き通った声で、歌うように少年が話しかけてきた。
恐怖ではない驚きで言葉の出ない私を
少年は何の躊躇もなく、やさしく抱きしめた。
「イキテイルヨ アタタカイデショウ?」
懐かしいような甘い香りと、やわらかいぬくもり。
ソラの存在を受け入れるのに、理屈など必要なかった。
ソラは、自分をしばらくここに置いてくれるように頼んだ。
彼には、水も食べ物も必要なかった。
ただ、胸の辺りにある小さなボタンを
気がついたときに押してくれるだけでいいと言う。
私は何も追求しないで、ただソラの言葉を受け入れた。
ソラのためならどんな事でもできると思った。
一番最初にベッドに座るソラを見た瞬間に
恋に落ちてしまったからだ。
ソラは毎日、無邪気な笑顔で帰りを迎えてくれた。
自分から話す事はほとんどないが
他愛ない話を、そばに寄りそって聞いてくれた。
それまでこころに張り付いていた愚痴や不満は
どうでもよい、ちっぽけな事になって
やがて、消えて無くなっていった。
ソラが寄りそってくれるだけで満たされ、癒されて
夢も見ないで、ぐっすりと眠る事が出来た。
やがて私は、彼の胸のボタンを押すたびに
彼への愛が深まって行く事に気付いた。
しかし、それは決して口に出してはいけない事であり
また、ソラが私を愛する日は永遠に来ないと言う事も
最初から直感で分かっていた。
悲しい気持ちで愛を伝える代わりに
意味のわからないボタンを押し続ける日々。
満たされ癒される日々が、苦悩の日々に変りつつあった。
そんなある夜
切ない想いでソラの胸のボタンを押した時
彼の身体が、一瞬ふんわりと宙に浮かんだ。
私は慌ててボタンから指を離した。
ソラがどこかに行ってしまう。
言い知れぬ不安と、胸が締め付けられる孤独。
しかし、次の瞬間
「人には、その人のいるべき場所があるの」
脳の思考回路を回らないで、想いと裏腹に
私の口から自然に放たれた言葉だった。
ソラは、きっと天使なのだ。
そう確信して、宙に浮かんでいるソラを見あげた時
彼の顔が、くしゃくしゃに歪んで
その美しい瞳から、大粒の涙がこぼれた。
自分が何者なのか、何のためにここに来たのかを思い出したように。
ソラは、何かしらの理由で天から地上に降りてきた。
誰かの純粋な愛をもらい続け、その愛がソラを浄化した時
天に還れると言う約束をしてきたのだ。
しかし、ソラを愛してしまった私の指は
愛を注ぐ手段だったボタンを押すのを躊躇するようになってしまった。
彼をどこにも行かせたくない。そばにいてほしい。
それは、恋をする者ならだれでも持つ普通の感情なのだ。
しかし、彼を天上に戻す役目を与えられた自分には
真に彼の事を想い、純粋な愛を注ぐことしかできない。
本当の想いを言葉にした瞬間に
ソラは元のぬいぐるみに戻り、また別の誰かの窓に横たわるのかも知れない。
そんな事になるくらいなら、どんなに悲しくても
私が彼を最後まで愛する。
別れの日が近づいてきた事は、
空が教えてくれた。
ますます透明感を増し、美しい青年になっていくソラからも
それを感じる事が出来た。
ソラを愛している。
失いたくない。
そんな想いを封印して、彼の胸のボタンを押し続けた。
押せば分れが近づく。
でも悲しい事に、
彼のあたたかい胸に触れる事が出来るのは
その時だけだった。
そんな苦しい想いを察してか
時にソラは、ボタンを押そうとする私の指を
やわらかい両手でそっと制して包みこみ
眠りにつくまで寄りそってくれた。
そんな夜
私は、ソラのために眠ったふりをしながら
悲しい朝を迎えるのだった。
ある日のことだった。
冷静を装って、ソラの胸のボタンに触れようとした時
それを遮ろうとした彼の両手が、ふいに半透明になった。
驚いて顔をあげると
半透明になったソラの身体が、水のように輝いてゆらゆらゆれている。
ついに、その時がきた。。。
やさしい目をしたソラが、私の身体をすっぽりと包み
やさしくキスをした。
しかし、ソラの唇の感触はなく
抱かれているはずの身体の表面から
彼のぬくもりを感じとる事はできない。
目を閉じて、心で彼を感じながら
私の身体だけが熱くなって行った。
どの位の時間、そうしていただろう。
流し続けた私の涙は、すべてソラの身体に吸収されて
もう、枯れ果てたように思えた。
すると、二人の身体がふわりと宙に浮かび
透明になっていくソラの中で、最後まで赤く燃えていた小さな火が
すうっと、私の中に入ってきた。
そして、枯れ果てたはずの私の涙が一粒
ソラの胸のボタンの辺りに、ポタリと落ちた。
その瞬間
ソラは、煌めく光のかたまりになり
私から離れて、ゆっくりと昇り始めた。
その先を見あげると
目も開けていられないほどの眩しい光を放つ場所がある。
「ジブンノ イルベキバショニ モドルヨ
スベテ アナタノ オカゲ
ホントウニ アリガトウ」
耳からではなく、心の中からソラの声が聞こえた。
もう、流す涙は一粒もなかった。
ソラが残して行ったのは
煩悩という名の小さな赤い火。
美しい朝焼けが始まるとき、私は想う。
一方的に愛を注ぎ続けているだけだと
悲しい想いで天使を育てた日々が
どれだけ大きな愛に満ち溢れた素晴らしい時間であったか。
愛は与えても減る事はなく、また奪えるものでもなく
注げば注ぐほど、自らにも注がれて来るものなのだと。
永遠に愛されないと嘆き悲しんでいた私は
実は二度と再び出会えない無償の愛を、ソラから受け取っていた事に
いまさら、気づくのだ。
煩悩の火を地上に残し
眩しい光となって、天上に昇る日。
ソラは、迎えに来てくれるだろうか。
肉体と言葉から解き放たれた私は
多くの美しい光の中から、ソラとふたたび巡り合って
永遠の宇宙を、ともに翔る事が出来るのだろうか・・・
・・・・・・・・・
ある日の明けがた見た夢の話でした。
文章にしたので、表現できない所もあり
長くなりました。
素敵な一日をお過ごしください。
訪問してくださった皆さんに
友愛と感謝を込めて つる姫