東日本大震災から12年。
東京では、今朝5時過ぎに、一瞬ですが、割と大きな揺れがグラッと来て、少し緊張しました。
その一分ほど前に、北海道日高地方で、震度4の地震があったようで、不気味な想いをいだきました。
東日本大震災では、私を含め多くの皆さんが、犠牲になったり被害に遭った方たちのため、自分になにができるだろう、何もできないではないか・・という無力感を味わったのではないでしょうか。
でも、忘れてしまわないよう、しっかりと思いに刻むことだけでも、亡くなられた命への供養になるはずです。
そう思って、黙とうを捧げたい。だって、それしかできないから。
震災を思い出すことは、この12年間の自分の月日の流れについて思うきっかけになるかもしれません。
忘れる事はあっても、起こった過去がなくなってしまう事はない。
大きな揺れがあった東京でのあの日の事。
私も忘れる事は出来ません。
その日の未明に、大地震の夢を見たと、家族の最後に家を出ていく息子に告げました。
息子は、夢で、おがくずみたいな軽いがれきから顔を出して、てれ笑いしていたのです。
地震の後、その息子と、家族で一番最後に連絡が取れた時には、こころからほっとしました。
まあ、彼は、それでなくとも年がら心配をかけてくれる人でしたが。(笑)
まだ高校生だった娘は、友達と行動していたのですが、いざとなった時の大人たちの冷たさ、非情さを感じたそうです。
普通、当たり前、日常、当然のように過ごしていた日々がいかに有難い事かを、思い知りました。
あの日は、人の数だけドラマがあったはず。
そんな今朝は、嬉しいサプライズもありました。
私がこの家に越して来た頃、もう28年以上前ですが、春先に裏の空き地で鶯が鳴いていました。
その後、いつかの春からか、鶯が来て囀ることはなくなっていたので、とても嬉しい驚きでした。
最初は、けっきょ、ほけ、ジー、ケキョなどと拙い囀りでしたが、2,3度、ホーホケキョと上手に鳴きました。
その鳴き声にも、それぞれ意味はあるのでしょうが、人間はホーホケキョが「上手」と感じます。
何年振りかの鶯の囀りに、こころが温まる朝でもありました。
どこにいるか、窓の外を覗いてみましたが、声はすれども・・でした。
鶯って、みかけは結構地味な鳥さんです。
この世に降りてきたひとつの命には限りがあるけど、命はめぐるのですね。
その鶯も、28年前の個体では、当然ないでしょう。つながってきた命です。
ブログを始めたきっかけは、東日本大震災でした。
(2011年7月11日松島にて)
がんばれ、という言葉。
震災後、2014年に病気を知る前の私は、頑張ることは素晴らしいと思ってた。
でも、人により状況により、この言葉がどれほど重荷になるか、あるいは軽薄で白々しく感じるか、何も気づいていなかった。
悪意で使っているのではない事は理解しても。
人間も言葉も、難しい。
ホーホケキョが上手か、そうでないかより。
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感謝をこめて
つる姫