私は、下宿して(自炊)高校に通い、卒業後東京に出てきました。
その後、考えるところがあって、親とも相談し、実家に戻って父の撮影の仕事を手伝っていた時期もあったのですが、どうしても田舎に馴染めず、再び東京へ。
詳しい事は書けませんが、今回の帰省でも、若い頃とは別な意味も含め、私はもう決してここには戻れない、と確信しました。
故郷の自然は素晴らしいですが、まあ自然しかないようなところですが、移動手段はほとんどが車、病院もろくにない。
若くて元気な頃は、こんな村いやだ~~で、東京へ来ましたが、年を重ね、病気の一つや二つを持っている今は、特に高齢者にとっては不便な田舎の暮らしは無理だと。
何より、住んでいる人たちとの柵。
それは、先祖や両親が築いてきた絆でもありますし、小さな地域で助け合って暮らす事はとても大事な事。
遠くに行ってたまにしか戻らない私が言えることは何もないのですが、狭い地域では、関りが苦痛にしかならない場合もある。
地元で頑張り、これからもそこで生きるしかない弟と私との間には、今回の件に関しても、多少の考えの齟齬がありました。
もちろん、弟の考えを尊重しました。
葬儀は家族葬でいいと言い続ける私ですが、親や肉親が亡くなった悲しみを脇に置いて、周りの他人に気を遣って物事を進めなくてはならないなんて、おかしいと思ってしまうんです。
生前の父がお世話になった人たちも含め、人が人と関わって生きていく限り、感謝すべきでもあるし、ある意味仕方がないのは承知していますが、今回も他人の言動に心を痛めた場面が何度かありました。
なんでこんな時に、他人に気を遣わないといけないの?と。
そういう場面を、大人になった私の子どもたちも、しっかり見ていました。
私が「家族だけで見送ってくれ」と言い続けている意味が、実感としてわかったと思います。
人は色々と我慢したり、折り合いをつけながら生きていくものです。
私は、気を遣いすぎる傾向があり、生きづらさを感じて生きてきました。
だから、死んだときくらい、わがままを聞いてほしい、と。
それは、私自身の考えでもあり、残される(残されるという言い方は違うんですけど)子どもたちへの配慮でもあります。
それが正しい配慮かどうかは別として。
生きている時に、優しい言葉も、気にもかけてくれないかった人たちに、神妙な顔で死に顔なんて見てほしくないんです。
こういうと、私の人生が淋しいものだったと思われるかもしれませんね。
ある時期から、自分にとって余計なものを振り落としながら、今に至ったわけです。
だから、そんな自分を惨めだとは思いません。望み通りの今だと。
それが出来たのは、心臓手術をしたから、大きな病気になったからです。
病気のおかげで、言い訳が出来たんです。
思い出す限り、父は私たちと一緒に親や先祖のお墓参りに行こうとしませんでした。
わざわざ墓参りをしなくても、自分はいつも心の中で手を合わせている、というのが父の言い分でした。
それが正しいかどうかは別として。
お墓にまいって、故人やご先祖様と対話して、気持ちが清々しくなるというような話はよく聞きます。
また、手を合わせる場所、標となる、お墓とか仏壇は、いつもはバラバラに生きている子孫や縁者が集う場所になる。
それはそれで素晴らしい事です。
葬儀や法要などで、何年に一度も会わない親戚と再会する事は、故人が作ってくれる素晴らしい機会です。
海洋散骨などしたら、どこに手を合わせていいかわからん、と娘が言ったこともありました。
そんな時、お役に立つのは、心の中で手を合わせる事。
(笑)
それに海はつながっているしね。どこの海に手を合わせてもよいわけです。
そんないま、エンディングノートを作り始めています。
多分まだ死にませんし、子どもたちにはちょいちょい自分の考えを話しているのですが、きちんと言葉に残しておこうかと。
くれぐれも、莫大な遺産の分割で争いなどは起こさないように、とも思いますし。
(笑)ないない。
墓場まで持っていく秘密も、墓を持たない私は、どうかして閻魔様にチャラにしてもらうつもりです。
(笑)
戒名はないので、永遠にさまよう事になるのかしら。
放浪は性に合っているのでちょうどいいかな。
すいません、不謹慎な。でも、これは私自身の見解ですし、私自身の事ですから。
天国も地獄もないんですよね。ホントは。きっと。
父が亡くなって明日で二週間。
まだ夢で会えませんが、さて、今はどこにいるのでしょうか。
小さな骨壺の中にいない事は確かでしょう。
来月帰省するまでに、父に贈るもう一枚の絵を描こうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫