知覚反応雑記帳

クオリアが誘うままに

新聞雑記・平成の終わりに思うこと

2018年12月28日 | 画像雑記帳
 新聞は当世のデジカメに例えるならば世界を写す撮像素子である。紙の文化が液晶などのデジタルに変わり、新聞紙の存在が薄れゆく時代である。デジタル版配信の新聞もあるが、やはり従来の紙と活字で刷られた新聞の方が紙の触感、実在感(クオリア)がありますね。今年もあと数日、残酷にも時は過ぎ去る。それにしても世界情勢を反映してか暗いニュースばかりで、紙面に目を通すと憂鬱になります。最近、努めて明るいニュースを探すのですががなかなか見当たらない。広告もテレビ同様、健康増進へのサプリメント広告ばかり。最近の新聞には「真実を伝える」正義感、各紙の個性が希薄になってきているような気がいたします。携帯電話の普及で公共の場で新聞を手にする人は極めてまばらです。インターネットを見れば瞬時にニュースが見られる時代、当然のことでしょう。液晶の中のニュースには視覚を混乱させ、じっくりニュースを深く思考しにくいような気が致しなす。歳のせいでしょうか、液晶画面よりは紙の方が手の触覚と目に優しい活字の方が当方には心地が良い。とは言え新聞が何か古色蒼然のような存在になった感がありますね。時代とは言え残念である。カメラがフィルムからデジタルカメラへ移行したように、紙の文化が大きな変革をもたらす過度期でなのでしょうか。パピルスから綿々とつながってきた紙の文化は近未来、大きく変遷するでしょう。スマート・ウォッチの微小なプロジェクターからテーブルや壁に映し出される情報空間。紙の文化を象徴する新聞や本がなくなることは当分ないしょうが、仮想現実の進化を考えると末恐ろしさを感じますね。未来映画が現実味を増す昨今、すべてがデジタル化へ移り行く時代に生きる人々の生活はすでに始まっています。いまだに中東地域で頻発するテロリズム、世界に拡大する自国第一主義と貿易戦争、資本主義の貧困の格差など連日掲載されるマイナーな新聞記事に思わずため息が出ます。人類は何故こうも仲良くなれないのか!災いで終わりを告げる平成最後の暮れ、来年への期待を込め早々と年越し蕎麦を食べに日本橋室町の老舗そば屋へ。味ですか?少々老舗の暖簾が可哀想ですかね。来年の新聞記事が良いニュースで埋まりますように。「人生は未来との一連の衝突だ」(Life is a collisions with the future) J.O.Y.ガセット


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