母が、乳がんだって

2009年6月末、70歳の母から「乳がんになった」と言われました。

入院は手術前日に

2009-07-16 20:19:00 | 日記
最初は、術前入院期間がいるかもと言われたけど、大丈夫と言われた。入院は27日に。
弟にすぐ知らせ、休みの調整をするという返信をもらう。私は休みを取った。

ただ、術後の傷の具合にもよるから退院は一週間目安としか言われなかった。

父は手術当日どころか入院日からホテルに泊まるつもり。そんな費用の余裕がどこにある?母が嘆く。
知らない人が見れば心配のあまり、に見えるのかな。
ただ、私も舞い上がった父と一緒にいられる自信がなくなったので、母には悪いけど、もうどうでもいい。
ただ、自分のお泊まり荷物ぐらいは自分で面倒みてもらう。(平気で重いから持ってと言う)

午前に入院手続きと本人は着替え、夕刻に家族同席での手術の説明。それまでの間、どうしていようか。
施設見学Part2を始めるであろう父をおさえるか、母の側にいさせて血圧上げさせてしまうか。

せめてもの抵抗で、入院時の恐らく看護系の提出書類にあった何かの時の報告相手を父ではなく私にする、と母が言った。まだ覚えているだろうか。

タイプに若干違いはあるが、両親ともにプレッシャーに弱い。
私も近所の整形のF先生にそう言われた。
もしかしたら2倍弱いのかもしれない。

昔、生活が不規則過ぎた頃は夜更かし好きもあって眠れなくても眠らなかったが、ここ数日は眠っても早く目覚めてしまう。
導入剤は使ったことがなく、今は副作用で眠い薬ぐらい。でも夕べはそれを飲み忘れ、思い出したけど面倒になり、自然に眠くなって寝たのは午前1時頃と思うが、今朝は4時に目覚めた。
体が辛いというのはなく、すっきりしていた。
これって不眠?

循環器内科で術前外来検査

2009-07-15 00:34:48 | 日記
検査だけなこともあって、今日は母一人で病院へ。
父に振り回されず、自由に動き回れて気楽だったらしい。

検査と言っても問診だけだったようで
何の薬を何年何月からこの量で処方され、というのを
よどみなく言えたからか、あっさり終わったらしい。
70婆さんが(事前にまとめておき)自分できちんと薬歴を言えるのを
褒めて貰ったらしく、ちょっと喜んでいた。

明日はA先生にも会うことになるので、父もセットでついてくる。
A先生は偉い先生すぎて、何というか、
病巣だけを診る身分、という先生なので
母に挨拶以外の話をしないのがひっかかる。
C先生から話は聞けるのか、と期待するけど、
父が一緒だと話がずれていくか途切れる可能性大なので、
チャンスは入院後になりそうな気もする。
この段階で家族(うちの場合は私達姉弟)が何も判ってないって
あんまりだよね、と弟とメールでこぼしあう。
弟も色々あって身動きが取れないので、情報が無くて不安なのに。

手術日が母の体調じゃなくて
A先生の都合で決まっている気がしなくもない。
でも母はこの不安よりも、術後の痛みと喪失感、
退院予定日を言ってもらえない方が不安だという。

母も変わり者ではある。
「やっぱり切ったものって見せて貰えないのかなあ。
麻酔からさめる頃には持ってかれた後だよね」

普段かかりつけの地元開業医のうち、いくつかは家族で同じところでお世話になっている。
今日は整形外科で私の捻挫等を診てもらった。
本当は来週の予定だったけど、入院の前後に気力が出るか判らないので、急遽行ってきた。

私のしばらく前の時間に母が腱鞘炎で受診していた。
(薬が影響ないので)母は、今は何も言わない、と昨日から言っていた。
だから私も何も言わなかったし、F先生ももちろん、家族が来院したことを言わない。
だけど、父が、診察に行ったと思われる時期の数週間前には(無断で)しゃべってしまったようだ。
終わり際に、普段言われないことを言われ、
更に私が前に副作用が辛くて3日でストップした薬を再考するようにも言われた。

私は、いまだに毎晩涙をこぼしている。
涙が出なくなったとき、どうなっているのだろう。

我が家独特の問題

2009-07-11 21:27:23 | 日記
母も私も水曜の疲れがまだ取れきっていない。
弟には気の毒だが毎日愚痴メールを送り、うちのオヤジはこんななのだということを理解してもらわないと私達もやりきれない。

母の手術日はまだ「予定」でしかないというのに、
手術当日は近くのビジネスホテルに泊まり込むと宣言した。
もしかしたらもう予約しているかもしれない。(病院は家から電車などで約1.5h)
何か、イベントか何かと同じ感覚ではしゃいでいる。
ヨソから見れば、心配のあまりパニックになっているだけじゃないの、と思えるのかもしれない。
でも、うちは違う。滅多にない出来事ではしゃいでハイになっている。
旅行や出張前の高揚で、私達が振り回される時と同じ疲労感。
(パスポートを入れたバッグごと忘れて家を出て、見つけた母が慌てて着の身着のままでタクシーで届けに行ったのに何をやらかしたのか帰国後に叱られるまで理解していなかった、現地に到着してから目的の重要書類を置いてきたことを思い出して高い航空便で送らせた、など、きりがない)

大学病院の時も、珍しい非公開施設を見学しているのと同じ感覚でうろついていた。
手術翌日は父に絶対来て欲しくない、と母は嘆いている。
ぐったりしているであろう姿を、高みの見物しに来るからだ。
本当に、そういう感覚なのだ。
ビジネスホテルも母が心配で泊まるのではなく、この機会に体験したいだけなのだ。

昔から病気や病気の人を軽く見る傾向があり(父の兄妹弟や近隣の人々が皆そんな感じなので地域性かもしれない)、母の血圧が高くなって具合の悪いときも「体調管理ができてない」「また具合悪いのか」などと嘲るように言っていた。
それが、今は年で自分のほうが病気が多くなり、心臓(種類は知らないが狭心症の薬服用)も血圧(本態性)も母(心房細動と軽度の原発性アルドステロン症)のより良くない。白内障も緑内障の手術もやった。脊柱管狭窄症も軽い痛風もある。なのに、人の痛みや辛さを思いやることが未だにまったく出来ない。
(昔、私が母の検査入院中に高熱で仕事を休み寝込んだ時、食事作るのが面倒だからという理由で起こしに来たり、先日は捻挫して腫れた私の足首をいきなり掴もうとしたり、これもきりがない)
妙な見栄っ張りというのか、病気を「恥」と思っていて、これらの不調を祖母にも伯父にも叔母達にも友人達にも言わない。実は弟にも言っていなくて、これは一昨日私が耐えきれずにばらしてしまった。
母の今回のことを話のタネに、しばらく連絡していない海外の友人にメールしようとしていて、母が怒って止めさせた。言うなら自分の持病告白とセットで、と。
そしたらそれでひっこめる程度。やっぱりイベントなのだ。
老人性躁状態というのか、認知症の始まりかと思ってみたりもするけど、私が子どもの頃から変わらないので、元々としか。

母は今から、「(手術で)切られるショックと(全摘なので)無くすショックがすごいと思う、そういうのに弱いから」と、術後の自分が気弱になることの心配をしている。
心臓の薬の影響で、生体検査(これが正しい?)の内出血がまだおさまっていないと言う。そうとうなアザらしく、私にも絶対に見せられないと言う。
手術後、これのもっとすごいことになるかと思うと、自分で耐えられるか不安で、そういうことを相談できる人が病院にいるか判らないのも不安なのだと言う。
私はそうなった母をどうやって支えていったらいいか、どこに相談したらいいのか判らないのが不安だ。

どうやらA先生は、父がしっかり把握して、母や私や弟にきちんと説明済みだと思っている気がしてならない。
父は弟だけにメールを送っていることがたまにあるけれど、弟も特に知らされておらず、母本人も「初期らしい」ことしか知らない。
乳腺外科専門医のA先生が生体検査の結果から、非浸潤だろう、と今の時点では思うと言われていることが、父とA先生の会話から耳に挟む程度に聞こえただけだ。
専門医のA先生に話していながら、父はイボやホクロを切除するのと同程度に考えているのだ。信じたくないが、そういう人だ。

こんな変に半端すぎるコネは良いものではない。出来ることなら取り消したい。
普通に順番を数ヶ月待つ方が、じわじわと苦しくなっていっても確実に自分で受け入れていける。気が合わなくて病院を変えるとしても自分の意志で出来る。
母はあの時うっかり言わなければよかったと嘆いている。でも普通に地域の病院で診てもらっていても、言った時点で大興奮してA先生に相談し、勝手に変更させられることになっただろう。

今、ビジネスホテルには露天風呂のある大浴場が付いていて、と聞こえてきた。
なんか、ほんとにもう予約したっぽい。少ない年金暮らしでなんの贅沢だと怒っている母の声も聞こえる。

父が弟に送ったメールには「姉も一緒に来た、今後の見舞いもあるし、いい経験になったようだ、非浸潤だろうということで安心材料だ」とあったそうだ。
見舞いって何?
経験って何?
安心材料って何?
あー、我が親なのに情けなくてたまらない。

家族として(実娘として)の心構えなどを少しでも知りたくて
ブログや日記をいくつも拝読してみたけど、
こんな変なことになっているご家庭はやっぱり無い。

診察と検査と

2009-07-09 21:29:45 | 日記
初めての場所や状況だけでなく、無神経というか無頓着な父の行動や言動にも気を抜けず、緊張した疲れが今も取れない。

昨日のC先生の診察で、母の持病について父がA先生にも誰にも言っていなかったことがわかる。言い忘れていたというより、考えもしなかったのだろう。
ここまでは諦めつつ予想していたが、話していなかった心臓関係の薬の影響で、入院期間が長めになるかもしれないと言われ、母が少しショックを受けてしまった。

更に、予備検査の中ですぐ済むものを行う。
注射が大嫌いな母は採血も大嫌い。それなのにいきなり言われ、普段の5倍取られた、としょんぼりしてしまう。

情けない話だが、父は家族でも誰相手でも、人を思いやる感情がほとんど無い。冷たいというよりは、そういう概念自体が無い、に近い。
院内でも、慣れない地域にもはしゃぎまくりで、先生達とのご挨拶にしか役に立たない。

結局、知りたいことをほとんど聞けないまま。いきなり途中から読み始めた小説のような感じ。

C先生の担当日が私のシフト休みと重なるので、次回の診察も同行出来るのが、少し救い。母は父に苛立って、一回ある検査だけの日は一人で来ると言い出している。
(父は脊柱管狭窄症なので、重いものは持たず、すぐに歩かなくなり、座りたがる。これはこれでかわいそうだが、元来の自己中心と老化で、始末におえないことが多い。気遣いが出来るならプラマイゼロだけど、望みは無い)

帰りに、髪をいつ切りに行くか考え始めた母に、入院中の手入れが楽になるよう、ショートにしてみては、と言ってみる。
もし、今後の薬で髪が抜けても、見た目のショックが少しでも減ればと思うのだけど。

診察は明日だけど

2009-07-07 15:03:38 | 日記
マンモグラフィから、組織検査、手術の話とその大学病院での診察予約まで、早いのか遅いのか、こういうものなのか、わからないまま。

母の動揺は少しズレていて、父が付いて来ると言い出した(紹介の先生達が知り合いなら普通かもだけど)ので、私が同行しないと思ってしまったこと。

手術の保証人は家族で何とか出来るけど、姉弟が必要な情報は何もない。父に聞いても世間話程度のことしか覚えていない。(昔からこうなので期待しなかったけど)

明日は何としても行くけど、相談出来そうな種類の病院じゃなさそうだし、父が弟に変なメールを送ったらしくて、手術だけで終わると思い始めている。遠方の知人にどんなはしゃいだメールを送っているかと思うと、気が滅入ると母は嘆く。母自身は、家族4人以外の誰にも知られたくない、言う気も無い、と言う。同情されるのが我慢ならないのだろう。
父は、昔から誰かの気持ちを考えることが出来ない。弟も、実際のところ「父親の息子」なので、精神面では頼りにならない。

不安だらけだけど、これで私は、やっと、泣いているどころじゃなくなった。
その代わり、放心状態になってしまうことが増えた。
明日の夜、私はどうなるのだろう。