母も私も水曜の疲れがまだ取れきっていない。
弟には気の毒だが毎日愚痴メールを送り、うちのオヤジはこんななのだということを理解してもらわないと私達もやりきれない。
母の手術日はまだ「予定」でしかないというのに、
手術当日は近くのビジネスホテルに泊まり込むと宣言した。
もしかしたらもう予約しているかもしれない。(病院は家から電車などで約1.5h)
何か、イベントか何かと同じ感覚ではしゃいでいる。
ヨソから見れば、心配のあまりパニックになっているだけじゃないの、と思えるのかもしれない。
でも、うちは違う。滅多にない出来事ではしゃいでハイになっている。
旅行や出張前の高揚で、私達が振り回される時と同じ疲労感。
(パスポートを入れたバッグごと忘れて家を出て、見つけた母が慌てて着の身着のままでタクシーで届けに行ったのに何をやらかしたのか帰国後に叱られるまで理解していなかった、現地に到着してから目的の重要書類を置いてきたことを思い出して高い航空便で送らせた、など、きりがない)
大学病院の時も、珍しい非公開施設を見学しているのと同じ感覚でうろついていた。
手術翌日は父に絶対来て欲しくない、と母は嘆いている。
ぐったりしているであろう姿を、高みの見物しに来るからだ。
本当に、そういう感覚なのだ。
ビジネスホテルも母が心配で泊まるのではなく、この機会に体験したいだけなのだ。
昔から病気や病気の人を軽く見る傾向があり(父の兄妹弟や近隣の人々が皆そんな感じなので地域性かもしれない)、母の血圧が高くなって具合の悪いときも「体調管理ができてない」「また具合悪いのか」などと嘲るように言っていた。
それが、今は年で自分のほうが病気が多くなり、心臓(種類は知らないが狭心症の薬服用)も血圧(本態性)も母(心房細動と軽度の原発性アルドステロン症)のより良くない。白内障も緑内障の手術もやった。脊柱管狭窄症も軽い痛風もある。なのに、人の痛みや辛さを思いやることが未だにまったく出来ない。
(昔、私が母の検査入院中に高熱で仕事を休み寝込んだ時、食事作るのが面倒だからという理由で起こしに来たり、先日は捻挫して腫れた私の足首をいきなり掴もうとしたり、これもきりがない)
妙な見栄っ張りというのか、病気を「恥」と思っていて、これらの不調を祖母にも伯父にも叔母達にも友人達にも言わない。実は弟にも言っていなくて、これは一昨日私が耐えきれずにばらしてしまった。
母の今回のことを話のタネに、しばらく連絡していない海外の友人にメールしようとしていて、母が怒って止めさせた。言うなら自分の持病告白とセットで、と。
そしたらそれでひっこめる程度。やっぱりイベントなのだ。
老人性躁状態というのか、認知症の始まりかと思ってみたりもするけど、私が子どもの頃から変わらないので、元々としか。
母は今から、「(手術で)切られるショックと(全摘なので)無くすショックがすごいと思う、そういうのに弱いから」と、術後の自分が気弱になることの心配をしている。
心臓の薬の影響で、生体検査(これが正しい?)の内出血がまだおさまっていないと言う。そうとうなアザらしく、私にも絶対に見せられないと言う。
手術後、これのもっとすごいことになるかと思うと、自分で耐えられるか不安で、そういうことを相談できる人が病院にいるか判らないのも不安なのだと言う。
私はそうなった母をどうやって支えていったらいいか、どこに相談したらいいのか判らないのが不安だ。
どうやらA先生は、父がしっかり把握して、母や私や弟にきちんと説明済みだと思っている気がしてならない。
父は弟だけにメールを送っていることがたまにあるけれど、弟も特に知らされておらず、母本人も「初期らしい」ことしか知らない。
乳腺外科専門医のA先生が生体検査の結果から、非浸潤だろう、と今の時点では思うと言われていることが、父とA先生の会話から耳に挟む程度に聞こえただけだ。
専門医のA先生に話していながら、父はイボやホクロを切除するのと同程度に考えているのだ。信じたくないが、そういう人だ。
こんな変に半端すぎるコネは良いものではない。出来ることなら取り消したい。
普通に順番を数ヶ月待つ方が、じわじわと苦しくなっていっても確実に自分で受け入れていける。気が合わなくて病院を変えるとしても自分の意志で出来る。
母はあの時うっかり言わなければよかったと嘆いている。でも普通に地域の病院で診てもらっていても、言った時点で大興奮してA先生に相談し、勝手に変更させられることになっただろう。
今、ビジネスホテルには露天風呂のある大浴場が付いていて、と聞こえてきた。
なんか、ほんとにもう予約したっぽい。少ない年金暮らしでなんの贅沢だと怒っている母の声も聞こえる。
父が弟に送ったメールには「姉も一緒に来た、今後の見舞いもあるし、いい経験になったようだ、非浸潤だろうということで安心材料だ」とあったそうだ。
見舞いって何?
経験って何?
安心材料って何?
あー、我が親なのに情けなくてたまらない。
家族として(実娘として)の心構えなどを少しでも知りたくて
ブログや日記をいくつも拝読してみたけど、
こんな変なことになっているご家庭はやっぱり無い。
弟には気の毒だが毎日愚痴メールを送り、うちのオヤジはこんななのだということを理解してもらわないと私達もやりきれない。
母の手術日はまだ「予定」でしかないというのに、
手術当日は近くのビジネスホテルに泊まり込むと宣言した。
もしかしたらもう予約しているかもしれない。(病院は家から電車などで約1.5h)
何か、イベントか何かと同じ感覚ではしゃいでいる。
ヨソから見れば、心配のあまりパニックになっているだけじゃないの、と思えるのかもしれない。
でも、うちは違う。滅多にない出来事ではしゃいでハイになっている。
旅行や出張前の高揚で、私達が振り回される時と同じ疲労感。
(パスポートを入れたバッグごと忘れて家を出て、見つけた母が慌てて着の身着のままでタクシーで届けに行ったのに何をやらかしたのか帰国後に叱られるまで理解していなかった、現地に到着してから目的の重要書類を置いてきたことを思い出して高い航空便で送らせた、など、きりがない)
大学病院の時も、珍しい非公開施設を見学しているのと同じ感覚でうろついていた。
手術翌日は父に絶対来て欲しくない、と母は嘆いている。
ぐったりしているであろう姿を、高みの見物しに来るからだ。
本当に、そういう感覚なのだ。
ビジネスホテルも母が心配で泊まるのではなく、この機会に体験したいだけなのだ。
昔から病気や病気の人を軽く見る傾向があり(父の兄妹弟や近隣の人々が皆そんな感じなので地域性かもしれない)、母の血圧が高くなって具合の悪いときも「体調管理ができてない」「また具合悪いのか」などと嘲るように言っていた。
それが、今は年で自分のほうが病気が多くなり、心臓(種類は知らないが狭心症の薬服用)も血圧(本態性)も母(心房細動と軽度の原発性アルドステロン症)のより良くない。白内障も緑内障の手術もやった。脊柱管狭窄症も軽い痛風もある。なのに、人の痛みや辛さを思いやることが未だにまったく出来ない。
(昔、私が母の検査入院中に高熱で仕事を休み寝込んだ時、食事作るのが面倒だからという理由で起こしに来たり、先日は捻挫して腫れた私の足首をいきなり掴もうとしたり、これもきりがない)
妙な見栄っ張りというのか、病気を「恥」と思っていて、これらの不調を祖母にも伯父にも叔母達にも友人達にも言わない。実は弟にも言っていなくて、これは一昨日私が耐えきれずにばらしてしまった。
母の今回のことを話のタネに、しばらく連絡していない海外の友人にメールしようとしていて、母が怒って止めさせた。言うなら自分の持病告白とセットで、と。
そしたらそれでひっこめる程度。やっぱりイベントなのだ。
老人性躁状態というのか、認知症の始まりかと思ってみたりもするけど、私が子どもの頃から変わらないので、元々としか。
母は今から、「(手術で)切られるショックと(全摘なので)無くすショックがすごいと思う、そういうのに弱いから」と、術後の自分が気弱になることの心配をしている。
心臓の薬の影響で、生体検査(これが正しい?)の内出血がまだおさまっていないと言う。そうとうなアザらしく、私にも絶対に見せられないと言う。
手術後、これのもっとすごいことになるかと思うと、自分で耐えられるか不安で、そういうことを相談できる人が病院にいるか判らないのも不安なのだと言う。
私はそうなった母をどうやって支えていったらいいか、どこに相談したらいいのか判らないのが不安だ。
どうやらA先生は、父がしっかり把握して、母や私や弟にきちんと説明済みだと思っている気がしてならない。
父は弟だけにメールを送っていることがたまにあるけれど、弟も特に知らされておらず、母本人も「初期らしい」ことしか知らない。
乳腺外科専門医のA先生が生体検査の結果から、非浸潤だろう、と今の時点では思うと言われていることが、父とA先生の会話から耳に挟む程度に聞こえただけだ。
専門医のA先生に話していながら、父はイボやホクロを切除するのと同程度に考えているのだ。信じたくないが、そういう人だ。
こんな変に半端すぎるコネは良いものではない。出来ることなら取り消したい。
普通に順番を数ヶ月待つ方が、じわじわと苦しくなっていっても確実に自分で受け入れていける。気が合わなくて病院を変えるとしても自分の意志で出来る。
母はあの時うっかり言わなければよかったと嘆いている。でも普通に地域の病院で診てもらっていても、言った時点で大興奮してA先生に相談し、勝手に変更させられることになっただろう。
今、ビジネスホテルには露天風呂のある大浴場が付いていて、と聞こえてきた。
なんか、ほんとにもう予約したっぽい。少ない年金暮らしでなんの贅沢だと怒っている母の声も聞こえる。
父が弟に送ったメールには「姉も一緒に来た、今後の見舞いもあるし、いい経験になったようだ、非浸潤だろうということで安心材料だ」とあったそうだ。
見舞いって何?
経験って何?
安心材料って何?
あー、我が親なのに情けなくてたまらない。
家族として(実娘として)の心構えなどを少しでも知りたくて
ブログや日記をいくつも拝読してみたけど、
こんな変なことになっているご家庭はやっぱり無い。