母が、乳がんだって

2009年6月末、70歳の母から「乳がんになった」と言われました。

経緯

2009-07-02 01:08:36 | 日記
6月中旬
もう要らない物を処分すると騒ぎだす。
前に処分祭りやったときより、随分思い切っている。
なんか、変。

数日後、近くの病院で検診を受けてくると言った。
そういや、一度も検診行ったことないはず。

6/26
月曜(6/29)に、別の専門病院で精密検査してくる、と言われる。
父の知り合いのお医者様(以後A先生)からの紹介で、すぐ診て貰える?
あまりに展開が早すぎる。

6/29
夕刻、残業の前に電話してみる。
「全摘にすることにした。組織検査後の痛み止めの薬はロキソニンだった。弟には今メールを出した」
あとは病院内で父がやらかしたことの愚痴をひととおり聞き、ひとまず電話を切る。
ロキソニン、私は何故か副作用がきつくて飲めないので、最近の母娘の話題。

6/30
私自身の医者行きで早上がりの日。
隣県で所帯を持っている弟が急遽帰ってくると返信してきた。
夜、数年ぶりに家族4人で夕食。
その後、次の診察日が決まってないことから、
病状のことよりも、母は自分の覚悟を話し始める。

小さな言い合いが一段落して、話がズレ始め、
同じく乳がんになった外国の知人の話を始めて止まらない父と止めない息子。
あー、うちの男どもはやっぱり役に立たないと嘆く母と少し離れた場所で話す。

おかしいと思ったのは数週間前で、自分でコレしこりだなと思い、その時、市から届いた各種がん検診案内の紙を見て「あーあ」と理解した、と。
男どもより(私が)一番ショックだったよね、最初におかしいと思ったとき言わなくてゴメン、と言われた。

私の身体のことをあれこれ心配されたくなくて、ここ数ヶ月避けていたのは、私の方なのに。

私が明日(7/1)自分で行くつもりだった都の大気汚染医療費助成制度の申請書類、母が保健所に行ってみたいと言い出したので頼むことにする。

7/1
弟と一緒に家を出て、電車内で、私視点での両親の近況を弟に話し、今後、我々姉弟ができることは何かなど、力の無い話し合い。
保健所に行くつもりだったから、もともと今日も早上がりだったけど、どうしてもすぐに帰ることが出来ず、途中下車してショッピングセンターをうろつく、を数回繰り返す。ときどき涙が出そうになる。
スポーツクラブにも行って、軽い筋トレと有酸素を少し。なじみのスタッフに私の体調を話し、いつもと同じように振る舞おうと努力する。
何かをしていないと、どうしても変なことを考え始めてしまうみたい。
早く帰るべきかと思ったけど、いつもと違うことをすると、それも気にする母だからあえて普段通りにした。これでいいのかはやっぱり判らない。
21時か22時には睡眠導入剤を飲んで寝てしまうのに、22時半ごろ帰ったら、保健所に行ってきた報告と係の方からの話を暗がりからしてきた。

7/2深夜
私は今、混乱とショックの段階にいる。
具体的に何がどうなっているのかは聞き出せていない。
これからどうしたらいいのかもどうなるのかも、もちろん判らない。
涙が止まらない。涙を流すなんて、何年ぶりか覚えてない。
自己満足ブログなんか書けば、落ち着けるかと考える。
紺系は母も私も好きな色。

出来る限り、本人の希望通りにさせてあげる。
これだけが、今現在、家族ですぐに一致した意見。