母が、乳がんだって

2009年6月末、70歳の母から「乳がんになった」と言われました。

入院までのあたふた

2009-07-25 14:58:32 | 日記
母は乳腺専門クリニックのB先生と一緒にマンモグラフィの画像を見たとき、
しこりと同じ色の点が散らばっているのを見て、
全摘とサラリと言われたときに、ああそうか、と受け入れたという。
私もあの青白い点が意味するところはそういうことかと思った。

でも「これ何ですか」って気軽に質問できないのが何とも落ち着かない。
なってしまったのものはしょうがないのだから、せめて知りたいのに、聞く相手が判らない。大学病院じゃ無理なんだろうか。
母の嘆きは主にこういう内容だ。

うっかり父に先に相談したことで、勝手に決められたことは
いろいろと細かなことに影響してしまっている。

かかりつけの循環器開業医のD先生に薬を一時停止する報告に行った際も
元々月1回診察の、単なる次回という時に
「実はこうなりまして、しかも急展開で...」という報告になり、
普段は冷静なD先生もさすがに驚いてしまい、処方薬を出す数の相談を双方で忘れてしまった。
これは私がそのうちに取りに行けばいいだけのことで済むけど。
このD先生には父もかかっているが、気が合わないらしく、薬がなくなってからようやく行く。代診の先生で済ませていることも多いので、D先生には話していなかったようだ。

D先生のところはいつも混んでいるので、両親とも風邪程度の時とあちこちの痛みは近所の内科+整形外科の医院に行っている。
内科のE先生と整形のF先生は両親も気に入っていて、私も捻挫で通っている。
この2人の若い先生は、非常に話しやすい、ある意味ヘンな先生達。

私は昨年暮れに咳風邪をひき、酷く咳き込んだ瞬間に腰を捻挫した。
そのときにこの医院で診て貰い、1ヶ月ほどして良くなってきたところで
今度はインフルエンザにかかってしまい、短期間に激しく痩せ衰えてしまった。
職場復帰後に電車内でバランスを崩して、もう一度腰を捻挫、今度は広範囲で重めに。
椎間板やすべり症には至らずに済んだけれど、急激に痩せ衰えたことで
筋力も体力も抵抗力も免疫力も低下していて、ものすごく治りが遅く、まだ痛み止めが必要な状態。
10年ほど世話になっているアレルギー科では私が嫌がるので飲み薬は数日しか出されず、皮膚科でも同じだった。薬キライだから医者には慣れていなかった。
初めての整形では、私の症状だと飲み薬中心と言うことで、初めて1週間以上薬を処方された。
このとき初めて、私が本来の効き目も出るけど副作用が強く出やすい体質(母も副作用出やすい)で、だから私が薬嫌いなのだという説がでる。そのため、色々と薬を探して貰った。同時期にアレルギー科で軽~中度の気管支喘息とも確定され、一気にどこかしらの医者通いが普通になってしまった。

眠れないというより、泣き疲れて寝入ったり、すぐ起きてしまうことを
どこの医者に相談するべきか、数日迷った。
このままでは私の体力が持ちそうにない。

喘息でかかっているアレルギー科の先生は、積極的に相談したいというタイプの先生ではない。(違った意味でヘンな先生なので)
さすがに不眠相談は整形じゃないだろうと思い、滅多にかからないのだけれど、E先生に症状だけを言う。

睡眠薬は初めてだけど、E先生は不眠の原因について何も聞かず、捻挫の続きの話と薬の効果の説明をいろいろするだけだった。正確には聞き出そうとして、私がどんな変な表情をしていたか、見てやめた感じ。

数日後、整形に行くと、私が何も話さないうちに、F先生が睡眠薬のことと、整形で処方する薬との飲み方の工夫などを話し始める。そして不眠の心当たりを聞き出そうとして、やっぱりやめて、筋肉の緊張を解くための睡眠の取り方について一生懸命説明してくれる。

父は、やっぱり、E先生にもF先生にも話したな。時期的に、私や弟より先だろう。ただ、父がしばらくこの医院に行く予定は無いので生体検査後の話は知らないと思う。
だけど、母が自分からは何も話さず、私が何も話さないことで、先生達は何となく察しているだろう。

私は、医者の守秘義務に甘えて、「実は」と話してしまうべきだったのだろうか。
毎度の「もうイヤなんだけど薬まだ要りますか」「痛がってるからまだ飲んでて」の会話をせずに、「早く目覚めすぎるので薬下さい」と薬嫌いが自分からいきなり言い出したあたりで察してください、というほうの失礼な甘え方で良かったのだろうか。

職場の上司には「親が入院手術をすることになった」としか言ってない。父か母かも病名も言う必要がないので楽だ。(私の重要度がその程度ということでもあるけど)
自分の友人にも言えていない。気軽に言いにくい年代になったということか。

勝手にことが進んでしまって、父が自分メインの知人に変に話しまくったせいで、誰にもまだ知らせるなと母は意固地になったな、と弟は言った。
今の母の希望は、あちこちに知られたくない、ひっそりと耐えたい、だから
私がかかりつけの先生達にも言わないのは間違ってないと思いたい。

睡眠薬は、まだ試して1週間弱。泣き疲れて眠ることはなくなった。
いつまでも飲んでいたくないけど、今だけは助かる、と思うことにする。