goo blog サービス終了のお知らせ 

つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

どきどきをおめでとう

2012-10-17 21:44:57 | 日記
私はこのブログについて褒められると、すごく嬉しい。
「よく毎日文章なんて書けるね、本当にすごいと思う」という類の褒め方ではなくて。
文章や内容について褒めてくれると本当に嬉しい。
それが私が尊敬している人から言われたとしたらもう、心がきゅっとなるくらい嬉しい。
もしくはその人が、割と言葉を自在に操る部類の人だったりしたらもう。

たとえば、容姿を褒められるよりも嬉しい。
たとえば、仕事の成果を褒められるよりも嬉しい。
たとえば、書道の作品を褒められるよりも嬉しい。

それらを褒められたって確実に嬉しいけれど。
たぶん、それらよりもこのブログが、「より私」であるからなのだと思う。

以前このブログを読んだある人に「あれはね、手放しですごいと思うよ。きれいな文章だよね」と言われたことがある。
私はそう言われる前からその人のことが人間として好きだし、何よりその人の言葉の扱い方が好きだ。
その人が何の気なしにそれを言ったとしても、私にとってみればそれを言われたシチュエーション丸ごと、とてもとても大事なだいじな思い出である。

もちろん、個人的な出来事や気持ちを綴っているが、ブログというものの性質上、元々知り合い含め不特定の目を想定して書いている。
ときに気分も乗れば、格好もつける。
ただ、やはりたかがブログでたかが自分の出来事や気持ちであり、だから後々読み直して文章が最善であることも少ない。
それでもいい、何か書きたいという欲求の方が大きい。
だからたとえ褒められなくても私はこれを書き続けると思う。

表現欲求、というとおこがましい気がする。
露出願望、だ。

行き過ぎた表現をすれば、これは私のエクスタシーのひとつだ。
それを共感してくれたり、いいねと言ってくれることは、私が丸ごと芯から気持ち良くなれる。
別に、上せている、という感覚は本当になくて、単に嬉しい。

自らアウトプットしたものを褒められるのはこんなに嬉しいのに、その現場は得意ではない。
幼い頃から褒められ慣れてない私は照れて、あんなもの、というような言い方をしてしまいがちであるが、そこに心が乗っかってしまっているものについては褒められて嬉しくないはずがない。
そもそも露出したくて露出しているのだから。

ただし、私が相手が言ってくれたことを過剰に目いっぱい膨らませて受け取っているかもしれないことは、まあ置いておくとする。

とても久しぶりに今日、互いのブログがきっかけでリアルにお会いすることができた方がいて嬉しかったのだ。
力を入れてお喋りをすると身体が火照る。
ヒロトとマーシーの話は少ししかしていないけれど、それも手伝って午後ずっと、身体が熱い。

また自分の話ばかり、と反省少しに、ありがとうございましたと伝えたい。


昨日のほぼ日。
トップページにあるほぼ日刊のエッセイは、毎日上書きされてしまうので、良かったものはコピーしてメールに送って保存している。
もしかすると知らないだけど、どこかサイト内に過去ログがあるのかもしれないけれど。

時々、糸井さんの文章には心を掴まれる。
きゅっとなったり、うっとなったりする。

生きているうちはずっと、きゅっとなったり、うっとなったり、いっぱいしたい。


以下、『ほぼ日』今日のダーリンより抜粋。

「群れ」で生きる、という視点で、
 さまざまなものごとを見てみると、
 逆に「個」で生きてるもののいかに少ないかも知ります。
 花が咲いているということにしても、
 「群生」していることによって、
 ミツバチなどが寄り付きやすくなります。

 都市のなかで、野良で生きている猫なんかでも、
 たがいにかばいあったり、守りあったりしてます。
 そして、なによりも、人間のやっていることを見ると、
 「群れ」としてのじぶんたちの性質を、
 思いだしては感激しているように思えてなりません。
 愛だの、絆だの、連帯だの、団結だの、仲よくだの、
 肯定的に語られていることって、
 みんな「おれたち、群れだよな」の確認のようです。
 「群れ」であることを、強要されすぎると、
 かえって「群れ」として弱体化することもありますが、
 だいたいは「助け」たり「助けられたり」することは、
 こころの安らぐことなんですよね。

 共感して、うれしい。合奏して、楽しい。
 理解しあえて、うれし泣きする。離れ離れで、さみしい。
 人間という「群れのどうぶつ」は、
 「群れ」であることを確かめては、
 また「ひとり」に戻る自由を求めるという、
 振り子のような動きを繰り返しています。
 「群れ」であることを、よくわかっていられたら、
 「ひとり」で走ることにも耐えられるってことですよね。

 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
 あらためて、"Only is not Lonely"を、思いだしますね。