裏側から見た世界

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聖徳太子のナゾ

2022-06-22 23:43:00 | 洗脳からの脱出
聖徳太子は実在しなかった…と言う近年出てきた説を聞いたときは、ビックリと共に違和感があり、
その違和感の原因は、これか?と木村さんの投稿を読んで思いました。

蘇我氏を倒したのは物○氏。
自分たちが学んできた歴史書には、さも、蘇我氏が悪いように書いてあるけど…
この感じ何かに似てますよね…
そうつまりは、本当は良い方が悪者にされるというか、勝者によるマインドコントロールですかね…
て、わたしも真実は知らないですが、きっとそういう事なんでしょうね😓

余談で、
蘇我氏…馬子、入鹿、で馬鹿。
↑これも酷い話しです😢








〜以下転載〜

​近年、聖徳太子はいなかったという

説が出ていますが違うと思います。

聖徳太子とは本名でなく後の世の

人々による呼び名みたいなもので、

「徳の高い聖なる太子」というような

意味です。


様々な記録から幼名は厩戸皇子という記載は

ありますが、成人してからの本名による記載

はありません。

聖徳太子はいなかった、というのではなく

聖徳太子と後の世の人々から呼ばれた人物は

誰だったのか、という視野が適切でしょう。


現実に聖徳太子と後の世に呼ばれた人物は

奈良県明日香村の橘寺にて生まれています。

昨年、橘寺を訪ねて橘寺の方に確認したら、

それは間違いないと答えました。

また四天王寺を建立したのは、聖徳太子と後の世の

人々から呼ばれた人物であり、それは蘇我物部戦争

の最中に先陣を切って戦場に出陣していた若き日の

聖徳太子と後の世に呼ばれた人物が危うく戦死し

そうになり、とっさの判断で付近の木の穴に身を

隠し九死に一生を得たことから、その感謝の表れ

として四天王寺を建立したのですから、確かに

実在しています。


ちなみに聖徳太子と後の世の人々から呼ばれた人物

が九死に一生を得た木の穴は現在の大阪府八尾市に

ある勝軍寺の境内にあります。

この付近は古代では物部氏の本拠地でした。


聖徳太子と後の世に呼ばれた人物は毒殺された

のが史実です。

太子と呼ばれているように、有力な皇位継承候補者

だったのでしょう。

身内に毒を盛られて暗殺されました。

確か勝軍寺に血を吐いて倒れる聖徳太子と後の世

に呼ばれた人物の姿の絵があったような記憶が

あります。


では、聖徳太子と後の世に呼ばれた人物は誰だった

のでしょうか?

私はズバリ、蘇我氏一族の誰かだったとしか

考えられません。

聖徳太子と後の世に呼ばれた人物とは蘇我○○だった

可能性が極めて高いでしょう。

史実として聖徳太子は常に蘇我氏と行動を共に

していますから、一族だったと私は見ます。


聖徳太子は「和を以て尊しとなす」とか何人もの

話を同時に聞くことができたという逸話が伝わって

いますが、これは当時の日本の中心地の大和が

12支族や縄文人など、様々な言葉を話す民族が

存在していた事に基づくものでしょう。

12支族よ、和を以て結束せよということだと

私は見ています。


645年の乙巳の変に際して蘇我氏が滅亡させられ

た際に、それまで保管されていた日本の多くの

記録や文献が燃やされたために古事記、日本書紀

より遥か以前の記録はほとんど灰にされました。

聖徳太子の事が記録に出てこないのは、これによる

ものではないかと思われます。

敗れた側は記録から抹消される場合が多いです。

乙巳の変から大化の改新により権力を握った側

からすれば蘇我氏の痕跡は消し去りたいために

これにより聖徳太子と後の世に呼ばれた人物は

実名で記録には出てこないのだと言えます。


近年、日本を破壊しようという大きな力が作用

する中で「聖徳太子はいなかった」とするロジック

も出てきています。

日本の古代に多大な貢献をした人物を実在しなかった

かのように偽装する手法は政治的なものです。


聖徳太子と後の世に呼ばれた人物とは蘇我○○

であった。

その蘇我○○は皇位継承を巡る権力闘争の中で

側近に毒を盛られて毒殺された。

蘇我氏滅亡により、その存在は記録から抹消された。

その人物は隋の皇帝に陽出づる国としての国書

を小野妹子に持たせ、四天王寺を建立し、和を説き、

十七条憲法を発した。

極めて徳の高い人望のある人物だった。

それ故に後の世の人々は「聖徳太子」と呼ぶように

なった。


このような風景だと見ています。

蘇我氏を紐解く事が日本の古代を紐解くことにも

なるでしょう。

蘇我氏一族の末裔として琴線に触れる事です。









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