旧・R150のこの道は静岡市と焼津市を結んでまして、用宗(もちむね)街道とも呼
ばれているようです。街道というからには結構な人の往来が昔からあったということだと
いえますね。
ところが、このあたりは駿豆断層の影響かなにかで地盤がかなり「元気」だったりしま
す。
・・・まぁ、簡単に言うと「脆い」ということなのかもしれません。それに海流もかな
り速いということで、あっちの世界に渡ろうと思う方を引きとどめることが出来ないとか。
海流が速いことに加えて深さもある程度らしく、海流ですぐ沖か海底かに向かわれてしま
うんだとか。
さて。
そうは言ってもトンネルでもなく、則面強化で山沿いでもなく、こんな形になったのは
昭和47年7月5日に起こった崖崩れが原因でした。それまでの崖崩れでの被害や規模を
想定し、このあたりは最大1300トンぐらいの落石への対応をしていたようなのですが、
このときの土砂総量は8000立米、約6000トンとも言われており、それが画像の奥
にあるトンネルを結果として直撃しました。雨や地震で地盤が緩んでいたのかもしれない
ということのようですが、ちょうどそのポイントを走っていた方が犠牲になりました。
これを受けて再度トンネルを掘るかどうするか検討がされましたが、海岸線から60メ
ートルほど海側に逃げる形で橋を設けることで解決を図ったのがこの橋です。当時の土木
技術でこの海流&深さに対してどのような工夫をして架橋したのかは分かりませんが、当
時は「国道」でしたので、一種の「メンツ」みたいなものがあったのかもしれません?
風が強くなければもう少し散策(橋の下に言ってみるとかもう少し洞門近くに寄るとか)
が出来たのかもしれませんが、カメラが持ってかれそうになったので諦めて次のポイント
に移動を開始します。
・・・ここって以前はなんで行ったんだっけ・・・。夜か夕方だったけどかなり綺麗だ
ったような記憶があるんですが、さて・・・??
ばれているようです。街道というからには結構な人の往来が昔からあったということだと
いえますね。
ところが、このあたりは駿豆断層の影響かなにかで地盤がかなり「元気」だったりしま
す。
・・・まぁ、簡単に言うと「脆い」ということなのかもしれません。それに海流もかな
り速いということで、あっちの世界に渡ろうと思う方を引きとどめることが出来ないとか。
海流が速いことに加えて深さもある程度らしく、海流ですぐ沖か海底かに向かわれてしま
うんだとか。
さて。
そうは言ってもトンネルでもなく、則面強化で山沿いでもなく、こんな形になったのは
昭和47年7月5日に起こった崖崩れが原因でした。それまでの崖崩れでの被害や規模を
想定し、このあたりは最大1300トンぐらいの落石への対応をしていたようなのですが、
このときの土砂総量は8000立米、約6000トンとも言われており、それが画像の奥
にあるトンネルを結果として直撃しました。雨や地震で地盤が緩んでいたのかもしれない
ということのようですが、ちょうどそのポイントを走っていた方が犠牲になりました。
これを受けて再度トンネルを掘るかどうするか検討がされましたが、海岸線から60メ
ートルほど海側に逃げる形で橋を設けることで解決を図ったのがこの橋です。当時の土木
技術でこの海流&深さに対してどのような工夫をして架橋したのかは分かりませんが、当
時は「国道」でしたので、一種の「メンツ」みたいなものがあったのかもしれません?
風が強くなければもう少し散策(橋の下に言ってみるとかもう少し洞門近くに寄るとか)
が出来たのかもしれませんが、カメラが持ってかれそうになったので諦めて次のポイント
に移動を開始します。
・・・ここって以前はなんで行ったんだっけ・・・。夜か夕方だったけどかなり綺麗だ
ったような記憶があるんですが、さて・・・??
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