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チャーリーブラウンによろしく

2年ほど放置していたブログですが、ヤプログから引っ越してきました。
更に数年を経て、ようやく再開しました。

双眼の色

2023年07月08日 | 暮らし
服部克久氏の弟の服部吉次さんの独白を読んだ。
うめき声が出そうな憤りを感じた。

この国の、テレビ放映されてきて、今もされている大衆音楽の水準を、自身の事務所所属の若者を登場させることにより、著しくおとしめ続けただけでなく、長きにわたり、否、ほとんど生涯にわたり、その所属する若者たちを、次々と邪な欲望のはけ口とし続けた犯罪者は、極めて稀な異常者でもあったと知った。

なんとこの犯罪者は、自分が世話になっている作曲家の子であるにもかかわらず、服部さん相手に強制〇交(〇は、心辺に生きると書く漢字)の罪を行った。
服部さんはその当時八歳。いたいけない、少年未満(一般に意思能力がないとされる十歳未満の意)の子どもである。
その異常性、残忍性にあきれている。

「その後三十回くらい」
とのご本人の独白を読み、服部さんへの罪だけでも十分だが、更に、多数の被害者数、その被害者年齢、犯行回数と犯行期間にかんがみ、欧米なら、当然に終身刑に値する重罪人だ、との思いを改めて持った。

君看双眼色
不語似無憂

という漢詩を教わったのは、五木寛之氏の著書からであった。
「君看よや双眼の色。語らざれば憂い無きに似て」と読むとのこと。
氏は「語らざれば」という言葉に迫力を感じる、というようなことを記していたと記憶する。
服部さんの独白を読み、写真を、その双眼を看て、僕はこの詩と五木氏の上記の付記を思い出した。

七十八歳の今日まで、この漢詩のごとき心情で人生を歩んでこられた服部さんの、その重ねた沈黙の七十年の重みに、僕はこうべを垂れるしかない。

物心つくかどうかの年齢で、繰り返し蹂躙された服部さんは、その後も重罪人が、何食わぬ顔で服部家を訪れ、そこに連れてきた少年たちの〇(〇は心辺に生きると書く漢字)をむさぼる気配を、感じさせられたこともあったという。

リチャード三世の冒頭ではないが、その罪の重ね方、もはや人にあらず、と言いたい。

その後も、重罪人が所有する事務所に属する若者たちが、今日もまた歯牙にかけられたに違いない、などの苦痛を伴う予測を、自身のフラッシュバックとない交ぜに、いくたびも強いられ続けたことは想像に難くない。

いったい、どれほどの無念と怒りと悲しみであったであろうか。
できるだけ感情的にならないよう行ったことが想像に難くない、あの独白が内包する、したたかな勇気と理性に、僕は伏して敬意を表する。

江戸時代、幟あずけという罰があった。
奉公人などが死罪に相当する重罪を犯した場合、罪状を記した幟(のぼり)を市中引き回しの際に、その罪人の傍らにあげたそうだ。
その後、その罪人の罪の原因が、罪人が属した店(たな)や家にあると判断した場合、幕府はその幟を罪人の命日にその店などの門前に掲げることを命じた。
更に、命じただけでは不十分なので、実際に掲げているかどうか「幟しらべ」を与力が行った。

この罪を、くだんの重罪人が起ち上げた事務所―知性もなく、歌も踊りも下手くそな集団だらけを擁する、無反省の事務所―に科してはどうか。

愛犬が逝った

2023年07月06日 | 暮らし
おだやかな最期だった。

前日夜、よく利用し、それがために、その支店のMVPの一人に選ばれた、タリーズのテラス席に行きいつものように過ごした。

その「いつものように」が利いたのか、愛犬は、もう嚥下するのがしんどく、丸一日何も食べず、水だけで過ごしていたが、いつものようにフレッシュのポーションを一つ舐めた。おいしそうにするので、もう一つもらい、差し出すと半分ほどを舐め、満足そうに、キャリアに臥せった。

次の日の夜、日付が変わり、午前3時、酸素室で、急に座り、気づいたヒロコさんが抱くと、その腕の中でゆっくりと逝った。

ここ数日、何度もありがとうを言い、頑張らなくていいと言い、先に行って待ってろと、折に触れて彼女に語りかけた。

おそらくは、繁殖用の母犬として飼われ、やがて捨てられ、トイプードルの成犬なのに3キロを切る痩身になり、子宮が腫れた状態で、僕たちのところにやってきた彼女は、子宮摘出の手術を受けた際の、ヒロコさんの献身に安心し、僕たちを受け入れた。

以来、僕たちを慕い続けてくれた。
僕たちは幸福な日々を過ごすことになった。

とてもいい時間を、最期の最期まで過ごさせてくれた愛犬には、ねぎらいの気持ちしかない。

ナナ、どうもありがとうございます。どうぞ安らかに眠って下さい。

合掌。

惜別

2023年06月18日 | 暮らし
今年1月10日、僕のギターヒーローのJeff Beck が逝き、1月18日に、僕の音楽の原点の高みに住む一人であるDavid Crosbyが逝き、3月14日に、いくつもの曲を愛聴するBobby Caldwellが逝った。
ただ、予期せぬ、否、正しくは、齢を思い、あるいはと思ったこともあったが、打ち消すように、少なくとも新作アルバムには会えるはずだと思いなおしていたそれぞれのあこがれの人の逝く直前だったのだが、その思いの儚さを次々と教えられ、悲しく嘆いた。

弔いに代えて。
かつて、自分の感受性くらい自分でまもれ馬鹿者よと、自分を叱咤し、けれんみなく活きて、孤高のうちに未練なく去った敬愛する詩人が晩年にしたためた詩の一節を、訃報に触れるたび口ずさんだ。

さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

末期がんの愛犬は、今日も運命にあらがわず、運命を淡々と受け入れ、畏れず、悲しまず、嘆かず、忌避せず、暮らしている。
この、彼女の無常に対する凛とした態度はどうだ、と感心している。ほとんど憧れている。

苦しまず逝ったのか、逝くのか、それだけを気に病む自分を持て余している。
そんな小ささを思い知らされている。


合掌。



意識の外に置いていた時計~その2~

2023年05月30日 | 暮らし
ナナの左前脚の付け根が腫れ始めたのに気付いたのは、半年ほど前だったろうか。向き合ってわきの下に手をくぐらせて抱くと、一閃鋭く吠えて、僕の右手を噛んだ。よほど痛かったのだろう。

様子を見ることにしたが、じわじわとそのしこりは大きくなり、先日、胆のう摘出を勧められた時にも、何なら一緒に取りましょう、と言われた。その時には、痛がることはなかったものの、手の親指二本を横に並べたくらいの大きさになっていた。

余談だが、肝臓内にある犬の胆のう摘出は簡単な手術ではないと説明したその直後に、何なら同時に摘出を、と言われたことも、ヒロコさんがセカンドオピニオンを求めた理由の一つでもあった。

そのしこりがついに化膿し始めたので、セカンドオピニオンを求めた獣医師に診せて、取ってやってほしいとお願いした。

腫瘍の摘出手術は思っていたより広範に及び、リンパ節の一部も取らざるを得なかったとのことで、切除した腫瘍とリンパ節を見せながら、詳細に説明してもらった。病理検査に出すが、悪性の可能性が高いとの所見であった。
当初獣医師が予想したクッシングについては、血液検査の数値が改善していたためか、言及がなかった。飼い主どもは、誤診を期待した。期待し続けている。

翌日の経過観察を終え、次の日の深夜、つまり術後二日目の夜、ナナが口呼吸を始めた。
インターネットに知見を求めると舌にチアノーゼが出て紫に変色したら、それは何らかの原因による呼吸困難だそうだと僕は画面の説明を声に出して読んだ。
水を与えていたヒロコさんは、説明を聞くや、あ、紫色になっていると言い、僕らは、夜間救急へとナナを運んだ。

胸水がたまり心臓を圧迫し血中酸素濃度は80%になっていたと、教えられた。
診てくださった女性の獣医師は、快活で、でも気遣いのあるやさしい物言いで色々と説明してくださった。

パルスオキシメーターの値が80%だったと聞いて自分を責めるヒロコさんに、気付かず、重篤になって運ばれることが多いケースで、むしろ、よく気付いたほうだと慰めてくださった。

その後ろで、胸水を抜けるだけ抜いてもらい、酸素ハウスに入れてもらったナナは、快適なのだろう、明るい表情をしていた。
獣医師は、かわいいと嬉しそうに言い、僕らは安堵し幸運を喜んだ。診察時間の終わりそうな明け方になっていた。

数時間後、かかりつけ医に再度診てもらい、更に水を抜いてもらいそこでもまた酸素ハウスでくつろいだナナは、帰宅後、疲れをいやすべくよく眠った。

診察の際には、先日検体を送った病理検査の結果を告げられた。やはり悪性の腫瘍だった。あちこちに転移しているそうだ。
切除付近の腹水に注意を向け、胸水を見逃した獣医は、反省を口にした。信ずるに足る専門家だと思った。

だから、気分の悪くならない、QOLに資する、抗がん剤投与を含めた治療方針の説明を受け、飼い主どもは、一も二もなく同意した。

僕は、大急ぎで、紹介された業者に連絡し、酸素ハウスのレンタルを申し込んだ。
なのに、その後のナナは、快適そうに過ごしている。酸素ハウスは動くことなく待機の日々が続く。うれしい誤算だ。

意識の外に置いていた時計が時を刻み続け、僕らは時折、その音を聞き針の歩みを見つめる。
今日も共に過ごせた。眠る前、ナナに触れ、僕らは微笑む。

花に嵐の後

2023年05月14日 | 暮らし
唐代の詩人、于武陵の手による勧酒という名詩がある。

勧君金屈巵 君にすすむ金屈巵(きんくっし(古代中国の酒器)
満酌不須辞 満酌辞するをもちいず
花発多風雨 花開き風雨多し
人生足別離 人生別離足る

井伏鱒二の名訳とその名訳に対する寺山修司の返歌というべき詩が有名で、僕はどちらも好きだ。

ほぼ襲歩で疾駆させていた馬が前転する人馬転という大きな事故で頭から地面に落ちる事故に遭い、九死に一生を得たヒロコさんは、今も脊髄損傷の後遺症で手足のしびれを抱えつつ、昨年より自宅の周りを花で飾り始めた。
自然に触れていたいからであろう彼女の心持を思うと、切ない。

夏には百輪近いミニ向日葵が次々に開花し、道行く人を驚かせ、楽しませた。花の量に比し、鉢が小さかったと嘆きながら、ヒロコさんは水遣りに精を出していた。
昨年の秋に咲いた薔薇は、今年も初夏を待たずに4月下旬からほころび始め、黄金週間直前に、白、黄、桃、紅、橙などの色を纏い満開になった。薄桃のツル薔薇は初めての開花だとヒロコさんの顔もほころんだ。

ところが、いにしえの詩人の警句の通り、満開のさ中、黄金週間の前半、強い雨が降り続いた。
雨上がりの朝、ヒロコさんはすべての薔薇を摘み、欲しいというご近所さんに贈り、残りを部屋に飾った。




ご近所さんの顔がほころび、部屋ははなやいだ。

空に文句を言っても仕方ない。ー避けられないものは抱きしめるほかないー
楽天家のヒロコさんらしいふるまいだった。

冒頭の写真は、嵐の後の最近のものだ。
再びの薔薇の他にも多くの花が「発いて」いる。
この一年、花を育てるまでは話したこともなかった人たちと、新米園芸家は話すようになったそうだ。
そして、話しかけられるたび、ヒロコさんは、がんばっている花をほめてやってくださいと請う。花も褒められればうれしいんです、と笑いかけながら。

酒豪の文豪は、「人生別離足る」を「サヨナラダケガ人生ダ」と訳した。
だが、もし花が話せるのならば、日々は別れに満ちているという、原典の方を私たちは謳う、と言うのではないか。
こんな風に理由を添えて。
だって、その日々には、サヨナラと同じだけのめぐり逢いがあるから。