遠藤周作氏の名著「沈黙」を読んだのは多感な高校生の頃だった。いたく感動したというより、傷ついたような心持だったことを忘れていない。
弱者の弱者たる由縁をあぶりだすように描き、その弱者が自分と重なったからだと思う。繰り返される神の沈黙という言葉が記憶に刻み込まれている。
今秋、若者が亡くなった。
ヘアアイロンを押し付けられて額に火傷を負った女性が、その後の複数の上司(と言っていいと思う)達からの、膨大な業務命令と凄惨な言葉と態度による暴力を受け続け、自らの命を絶ったとのことだ。
古くから長く続く、女性だけの劇団の中で起こったこの事件は、刑事事件だと思う。
少なくとも労働基準法に触れるが故に、警察署同様、捜査権を持つ監督署が取り扱う事件であることは間違いない。
1か月で400時間を超える残業の果ての自死は、阪急に雇用されている労働者たる劇団員の過労死事件だ。
話はそれるが、僕は、この女性だけの劇団について、ジェンダーフリーの現代に、昭和のそれも初期の頃の風土から抜け出られず、変化できない憐れを感じていた。
殊に、同じような化粧と髪型と発声と台詞回しで演じられる、はなはだしい没個性のきわめて形式化された「男役」という存在が、とりわけ滑稽で憐れを醸し出していると思う。
馬鹿げたスタイルの写真を電車の広告に見つけるたび冷笑を禁じ得ない。
揶揄るのは程々にする。
かつて劇団に属した方が、極めて具体的な例示と共に、この劇団では、かかる暴力が常態化していたと、主張されている。
その主張の詳細をARC TIMESというyoutubeの動画で視聴した際、傍らのヒロコさんは、最下層の劇団員の置かれている状況が第二次大戦下の日本軍の二等兵や日本軍に捕らえられた捕虜のそれに等しいと嘆いた。
同番組の編集長の尾形氏が拷問だと漏らした一言を受けてのことだった。
なるほど、そっくりである。かの時代の兵や捕虜の凄惨については、戦争を知る世代が残した著書や映画での見聞に過ぎないが。
長く続く劇団とその前置機関たる音楽学校からは、多くの女性が巣立った。
だが、組織内での、戦時下の捕虜に対するものに匹敵する、恒常的に行われ続けている暴力についての報道が今年2月から始まったのに、今日まで、声を上げることが可能なはずの、組織を出た女性たちは、ことどとく「沈黙」している。
劇団の人気作に「ベルサイユの薔薇」がある。
この劇の原作である名作漫画では、主人公が自らの正義に従い革命軍に転じ、殉職する。正義と良心の物語でもある。
この劇に参加された方も多くいるであろう。
その原作に恥じない行動は出来ないものか、と問いかけ、願う。
ヒロコさんの指摘に反応して、僕は、戦争捕虜の殺害を命令され、仕方なく絶望的に加担した為、戦犯として処刑される男の苦悩を描いた名作映画のタイトルを想起した。
わたしは貝になりたい。
劇団を退いた方や、今属している方、事実を知る多くの方たちは皆、そう思っているのだろうか。
「沈黙」でいいのか。本当にいいのか。
ー追記(令和5年11月28日)ー
これを未明に書き仮眠の後ネットに上げた日の夜、報道で西宮監督署が動くことを知った。事件になって安堵した。
正義が行われることを期待する。
さらに、かつて西宮署は以前に是正勧告を発していたことも、その後の報道で知った。
過日行われた、あの傲慢極まりない記者会見が、当局からの是正勧告を放置してはばからない者どものがゆえの所業であったと知り、妙な納得をした。