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a green hand

コロナ禍のおもてなし

昨日は久しぶりに10歳下の友人と長い事、我が家で話した。
窓を開け放ち、3メートルの距離を置き、マスクをつけての会話。

気温が上がった昨日、友を歓迎するかのように咲き始めた芍薬やバラ。
テーブルに小さめで一重のピンクの芍薬を花瓶に挿し、ご馳走にした。

どちらかがウィルス菌を持ってるという接待である。w
Tさんが玄関に入る時、いいんですかと改めて私に聞き、消毒をして来ましたがと言った。

ここは福島の田舎であり、教会と犬の散歩に出かける程度のしかもワンちゃんたち2匹との3人暮らしのTさんである。

コロナは実に様々な、今まで考えてもみなかった普通のことを深く考えさせてくれる。

というわけで、友との語らいは大変有意義なひと時であった。
内容は、コロナ禍になり急に読書家になったTさんの感じたことのいろいろ。
急に読書家といっても素地があったからその時機が来ただけのこと。

Tさんはそれがとてもうれしいと語る。
この先永遠に読書家であり、読書で対話し考える事に喜びを感じながら生きるだろう。
私もうれしい。

何故ならTさんは、共感した本を読んでみてほしいと文化をおみやげにするからである。
最近の本は「犬の力を知っていますか?」池田晶子のいぬをめぐる哲学エッセイ。

養老孟司と伊集院光との対話「世間とずれちゃうのはしょうがない」

かと思うと、月刊誌Moe 我々が長い事仕事に欠かせなかった絵本の世界観が詰まる雑誌である。
開くと懐かしさに溢れ、文句なしにニコッとできる世界である。
「五味太郎がいい、五味太郎ってこういう人だったのね」と感動の波が伝わってくる。

微妙に好みは分かれるが受け入れられないことはない。
好みが違うから世界が広がる。
これは信頼関係が互いに成立していないと世界は広がるわけにはいかない。

昨日のおもてなしは、ピンクの小さな芍薬の他に、和菓子を準備した。

アヤメの上菓子とお抹茶を紫の敷物に誂えた。
紫の敷物は娘が台湾で求めたもの。

お抹茶は京都のもの、抹茶茶わんは紫系の有田焼き、どちらも息子が母の日にくれたものである。

抹茶茶わんの色に、私のイメージぴったりというTだったが、逆に私はTに似てると思っていた。

気づくと2時間ほど経過していた。
Tはこんなに長居してしまってと、慌てて庭に出た。

花々を眺め、取り出した携帯で母と私に写真を撮りましょうと促す。
気乗りしなかったが、なかなか写真を撮ってもらうことってないでしょうの言葉につられて母と2人で写真に収まる。

また来てもいいですかといいながら帰る後ろ姿を見送る。
今日は大腸検査結果を聞きに行くと話していた。

私ならクヨクヨ考えるところだが、大丈夫だと思うと自信に満ちている。
Tには神も仏も付いていると感じた瞬間であった。




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