a green hand

今日は息子の誕生日

34年前の今日、私は息子を出産した。
産前休暇が、あったにも関わらず、切りのいいところでと、2学期一杯を
働いた。それなのに、お腹は大分大きく、曲がることもできないほどであり、それに私の誕生日
が出産予定だったが1週間ほど過ぎていた。

朝方、夢を見た。これから生まれていくよと、確かに合図があった。トントンという音が聞こえて
目が覚めたのである。

大急ぎで夫と40分ほどかかる病院へと急いだ。
雪がチラついていた。

朝まだ暗い6時ごろだったような気がする。
車の中すでに陣痛が始まっていた。

日赤病院に着き、駆け足で3階まで階段を上がった。
すぐに、寝台へとあがり、すでに破水していたようで、胎児が大きかったから車の中で生まれなかった
ようなものである。

それからが凄まじい。
看護婦が二人私のおなかの上に覆いかぶさるようにしてまさに出産を助けていた。
慌てている様子がわかる。

30分もしないうちに生まれたわが子の顔を見ての第1印象は「誰かに似てる、誰かって私だ」であった。
その顔は黒目と白目の境に血が滲み、顔は紫色にうっ血していた。
初めて出会った息子と対面したその顔が忘れられない。
相当の苦しみをもってこの世に生まれたのだ。

初めて抱いたとき、ずしりと私の腕に感じた重みは今でも思い出すことができる。
4キロほどの体重があった。
部屋に戻ると、同室のみんなに驚かれた。
その体で、4キロもの?という・・。
普通分娩で産んだ巨大児は、出産より産後の痛みの方が優っていた。

つづきは夜に

息子は難産であったため、右手分娩麻痺というおまけ付きであった。
新生児黄だんも強く現れ、私だけ先に退院ということもあった。

退院後、しばらく右手分娩麻痺の治療のために通院した。
板のようなものを右手に当て、包帯をしていた。
それを外す日に、今思えば年配の看護婦さんだったが、不思議なことを口にしながら処置してくれていた。
「あんまり可愛い子なので記念にいただいておこう」とそのギブスのようなものを外しながら言うのである。

生まれたばかりの、ひどい顔は日を追うごとに消え、よく笑う可愛い子になっていたのだと思う。
それでも私はとても若かったのだ。
可愛いから、その子のギブスのようなものが欲しいという心情がわからなかった。
若い私はそれがとても不思議でしかたがなかった。

でも、今ならわかる気がする。
おばあちゃんの心情であるなと。

生まれた時から、年配者から好かれる何かを持っているような息子である。

今朝、生まれた日の様子をメールして、頑張って生まれてきたのだからこれからも頑張るように
と書いたら、「ありがと!そして産んでくれてありがとうございました!!」というメッセージが届いていた。

息子はいろいろなことがあっても、今、とても幸せな中にいると感じ、うれしくなった。
今日はどんな誕生日をすごしているのだろう。

私は、今日、息子にネクタイを買ってきた。
夫と母と私からである。
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