労働者民衆の「憲法」をつくろう!

現行憲法の思想と決別し、労働者の自立した思想を勝ち取ろう。タイトルを変更しました。

ある、左翼政治団体の大会報告の問題点

2024年08月23日 | 政治社会

今年の2月に開かれた、左翼政治団体の大会報告が少し前に手に入ったので、その問題点を指摘する。

彼らの新聞によれば、「第二報告は、反帝・反スターリン主義の綱領的立場から現在の世界戦争情勢についての認識と基本任務を明らかにしたものとして重要である。」だから、全文を掲載する、と。この第二報告を見ていく。

 

Ⅰの(1)今日の世界戦争の原因は何であるのか  
 という見出しのところを見ると以下のような文言があるので、抜き出す。
「今日の世界戦争の原因は何であるかをはっきりとつかまなければならない」これは当然。
「結論的にいえば、今日の戦争の最大の原因は、圧倒的な軍事力・経済力を持って第2次世界大戦後の世界を支配し続けてきたアメリカ帝国主義の歴史的没落が決定的な段階まで行き着き、米帝がこの没落の危機からの脱出をかけて、中国スターリン主義に対する侵略戦争=世界戦争を開始しているということにある。」
この文言については、抽象的で具体性に欠ける。また、言葉が主観的である。その例は「アメリカ帝国主義の歴史的没落が決定的な段階まで行き着き」である。「歴史的没落」とはどのような状態を指しているのか書かれていない。それが「決定的な段階に行き着き」とあるが、それはどんな段階か。このまま進むとどうなるのか?書かれていない。

アメリカは第2次大戦終了時、圧倒的な軍事力と経済力を有し、また富も又莫大な量を保有していたのは事実。ただ、問題は、アメリカの巨大な工業生産力が生み出す生産物の消費地は、当時世界中のどこにあったのだろう。アメリカ資本主義・帝国主義にとって、消費地=市場の再建は喫緊の課題であった。アメリカは、ヨーロッパにマーシャルプランを提示し、復興を急がせたのは、自国の生産物の消費地の再建しなければならなかったからである。ヨーロッパの経済復興と又日本の経済復興は、次第にアメリカの圧倒的な経済な優位性を低める結果となり、ブレトンウッズ体制が崩壊することになる。固定為替制度は変動為替制度に代わり、金本位制は解体した。これは、アメリカの世界支配体制の崩壊の始まりを意味した。アメリカの絶対的支配力は相対的なものに変わった。それでも、アメリカは現在トップランナーである。それは、軍事力においてもアメリカの圧倒的な力は相対的にならざるを得なく、世界の警察官を自認していたが、今やそれを放棄しているが、軍事力はまだ、トップである。

アメリカの経済的・軍事的立場は、大きく低下していることを没落と呼んでいるのだろうか?物事は出来るだけ正確に具体的に表現することが重要である。アメリカの経済力の低下は、資本主義の論理から必然である。ヨーロッパや日本の経済復興は、アメリカが望んだことであり必然であった。経済力は軍事力の大きさに反映される。これも資本主義において必然性を有する事柄である。戦争が長期的になれば、兵器を含め物資の消耗戦となるので、経済力の大小が戦局を大きく左右することは、第2次大戦の日米戦を見れば明白であろう。中国の経済力は飛躍的に向上し、世界第二位の大国になり、それに伴って軍事力も飛躍的に強化され近代化された。アメリカが無視することが出来ない経済力・軍事力を持つようになった。これもある意味必然である。

 「第2次世界大戦は、1917年ロシア革命をもって開始された<帝国主義から社会主義・共産主義への世界史的過渡期>と国際共産主義運動を一国社会主義論をもって変質させたスターリン主義が、世界革命を裏切り,国際階級闘争を敗北させ、その結果として延命した帝国主義がその基本矛盾を再び爆発させたものだった。」

ここで、世界革命闘争の指導部としての第三インターのことが何ら触れられていないのはどうしてなのだろうか。彼らは、インターナショナルを軽視しているのではないだろうか?第三インター即ちコミンテルンは、レーニンの世界革命戦略にとって核となる存在であった。この存在に触れないでロシア革命以降の世界革命を語ることは出来ない。スターリンが変質させたのはソ連邦だけでなく、コミンテルンも変質させ、そのコミンテルンの指導を通して各国の革命運動を失敗させていったのである。よく知られているドイツ革命や中国革命の国共合作やスペイン内戦、さらに日本の階級闘争もその一つである。こうした、各国の革命闘争の敗北の原因はコミンテルンの変質による。そしてそれを指導していたのがスターリンとそれに従う党官僚たちであった。
スターリンの理論の中心は、一国社会主義論であるのは、指摘の通りであるが、国際革命を敗北に導いたのはそれだけではなく、社会ファシズム論(後に何の反省もなく変更したが)であり、反ファッショ人民戦線論であった。一国社会主義論は、一国でも社会主義社会を建設できるというものであるから、国際革命に頼らなくてもソ連は社会主義社会を実現できると。一方で、帝国主義諸国は、労働者国家ソ連邦の存在が、自国労働者階級の闘争を後押しし元気や希望を与え革命闘争をすすめているので、ソ連邦の解体をチャンスがあればやろうとしていた。その事を最も露骨に示していたのはヒットラーのナチスドイツであった。ソ連侵略の意図を明らかにしていた。この意図にスターリンは警戒をし、もしソ連が攻撃されたら、世界各国労働者の任務はソ連防衛であると。これが、コミンテルンの方針となっていく。「自国帝国主義打倒」これこそが、各国労働者・共産主義者の任務でなければならなかった。この方針は、ソ連邦防衛の任務に従属させられた。「自国帝国主義打倒」の任務こそ、ソ連防衛を果たすことになるという、当然の論理をスターリンは踏みにじり世界革命を敗北に導いた。それは、単なる理論の問題ではなく、スターリンの権力支配を優先させた政治が、ロシア共産党をソ連邦共産党をコミンテルンを堕落させ、従って誤った情勢認識や方針を提起している。その一つが、「社会ファシズム論」である。当時の社会民主主義勢力を共産主義の主要な敵=資本主義を補完する役割を果たしていると、攻撃することをコミンテルンを通して世界各国共産党に指示した。1920年代後半、29年の世界恐慌のもと世界的不況となり、失業者があふれ、世情は不安定となり、又民主的ブルジョア政治も将来を展望することの出来ない情勢となり、左右の対立が激化した。情勢は、左か右か、どちらが将来の展望を提起できるか、労働者民衆の支持がえられるか、と。ヨーロッパでは社会民主主義のもとにも多くの労働者が組織されていた。この労働者達を左が獲得するか右が獲得するかが、争点であった。「社会ファシズム論」は、彼らを右に押しやった、という犯罪的政策であった。そして、その後、ドイツにおいてファシストヒトラーが権力を握りドイツ共産党は非合法化され敗北した。スターリンは、それを見て「社会ファシズム論」の誤りに気がついたのだろう、その後、その路線を修正し「反ファッショ人民戦線論」を提起する。

この「反ファッショ人民戦線論」もまた、犯罪的である。これは、ファシズムに対抗するために民主的ブルジョアと手を組むというものである。これは、革命の放棄である。スターリンは公然と革命的労働者・共産主義者に民主的ブルジョアと手をつなぎファシズムを倒せと要求する。ファシズムを倒した後、ブルジョアを倒せという方針を提起したのか。提起していない。民主的ブルジョへの階級的武装解除を意味する。こうした方針がスターリンの本質であった。この点を暴露することが必要。

「この世界戦争(注:第2次のこと)の結果、帝国主義はアメリカを除いては総崩壊的な危機に陥った。欧日の帝国主義各国では労働者人民の憤激が戦後革命情勢を作りだし、帝国主義の支配下にあった植民地体制諸国では、民族解放を求める闘いうねりが中国革命を先頭に民族解放・革命戦争となって爆発していった。これらの帝国主義国のプロレタリア革命と植民地体制諸国における民族解放・革命戦争は,帝国主義の世界支配を覆す一つのプロレタリア世界革命として結合し、勝利を勝ち取るべきものだった。しかしスターリン主義は帝国主義との世界分割=「平和共存」を求め、戦後革命情勢を終息させていった。」

この文言では、スターリンがどのようなロジックを用いて「戦後革命情勢を終焉」させたのか、全く解らない。戦後革命情勢を労働者・植民地諸国の民族解放闘争は、世界革命へと進まなかったのは「スターリンの裏切り」という言葉だけで終わらせているが、何をどう裏切ったというのか具体的に明らかにすべきである。
 「スターリン主義」が帝国主義と世界分割した、と主張しているが、帝国主義は何故それを認めたのか。
 「スターリンの裏切り」は、どうして可能だったのか?世界の労働者は共産主義者は、スターリンに何を期待したのか?期待したとしたら「世界革命」か。何故期待したのか?彼はレーニンではないし、彼の代わりをすることも出来ない。何故期待したのか?それは、10月革命の成功という、栄光・権威をロシア共産党・ソ連邦が保持していたからであり、その栄光・権威をスターリンは反対派や批判派を排除して自己の物としたからである。世界の労働者・共産主義者は、10月革命の栄光・権威を否定することは、この当時極めて難しかった。しかし、スターリンの「一国社会主義論」と党支配のやり方を批判する勢力もロシア共産党内部に存在した。当初は、トロツキーであり、後にジュノヴィエフやカーメネフ、その後にブハーリンという、政治局メンバーたちである。そしてその同調者達が粛清されていった。スターリン支配の過程に、ロシア10月革命と労働者国家が直面した困難さが存在し影を落としていた。その一つが民族問題である。また、一党独裁や、党内論争を外部に発表できない縛りなど、一時的な措置が永続した問題などがあることも指摘できる。しかし、現実の闘争の困難な進行にたいして常に正解を出すことは難しい。一度の失敗や不正解が取り返しのつかない結果になることもある。これらの問題について,より深く考察しその問題点を明らかにすることが共産主義に対する信頼回復につながると確信している。時間の関係で、今は出来ないが、時間ができ次第取り組むつもりである。
 大会の第二報告の問題点は他にもあるが、今回はここまでにする。

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岸田首相が9条改憲を指示した、反対運動を盛り上げ阻止しよう。

2024年08月10日 | 政治社会

7日、岸田首相は憲法9条に自衛隊を明記する改憲を自民党に指示した。これは、故安倍の悲願であったが、彼の在任中実現できなかった課題。この情勢下で9条改憲を指示することは、逆風にさらされ、自民党総裁選控えて対立候補がうごめいている中では、再選される可能性が低いと見なされている情勢を自己に有利に転換させようというねらいがあるのだろう。旧安倍はなどの党内保守勢力を取り込み再選を果たそうというねらいだろうと、だれでもが考える。9条改憲を総裁再選への道具にするという、政治家として許しがたい憲法軽視の姿勢である。政治家としての高邁な理念や理想が欠片もない岸田、こうした岸田を引きずり下ろす人は、憲法に十分な敬意を持つ人物であって欲しいと思うが、現在の自民党にそのような期待を持つことはできない。

9条改憲を阻止する力は、国会外の民衆・大衆にしかない。が、単なる護憲や改憲反対では阻止する力として全く不十分である。私たちが本ブログに2022年2月7日に投稿した記事『日本国憲法の本質と労働者の階級的自立、改憲攻撃と闘おう』は、全く色あせていない。現在でもこの見解は、変更する必要を感じていない。

ただ、情勢は一層厳しくなっている。22年当時は、ロシアのウクライナ侵攻が始まった時期であった。それは戦後支配秩序が崩壊し、新たな世界秩序を構築できない情勢下で起こった侵略戦争である。現在、イスラエルが行っている侵略行為は、第1次大戦という帝国主義戦争の戦後、戦勝帝国主義諸国の領土分配の結果から生まれ、最終的には第2次大戦の戦後支配秩序の一部としてイスラエルの建国が認められた。争いの種は、帝国主義の領土分配などの利害関係によって生み出されたものである。ロシアのウクライの侵攻とイスラエルのガザ侵攻は、帝国主義諸国の領土分配など支配体制の構築過程で生まれたのがイスラエルとパレスチナの紛争であり、戦後支配秩序の崩壊によって生まれたのがロシアのウクライナ侵攻である。

つまり、戦争や紛争は帝国主義段階にある資本主義にとって宿命的な存在なのである。戦争を惹起しない資本主義はあり得ないのである。そして事態は、世界の国々を巻き込み、各国の利害や思惑が複雑に考察し、各国の同盟や友好関係の離合集散が進んでいる。

このような世界の混迷状態は、右翼・極右の勢力に活躍の場を提供する。世界の混迷は、資本主義社会の未来が明確に描き得ないことを示していると同時に、一方で貧富の差が一層拡大し、富の偏在は耐えがたいまでに進んでいる。巨万の富を有する極少数の人々、一方で飢餓状態にある多数の人々が存在している。富の不公平は、拡大の一途を辿っていて、これを是正する力はブルジョア政治家にはない。

それを是正する力は、自立し団結した労働者階級だけである。労働者の自立を生み出す階級的理論を私たちは形成しつつあると、認識している。これは主観的な思い込みではない。客観性を担保していると認識している。その一つが、先ほども紹介した『日本国憲法の本質と労働者の階級的自立、改憲攻撃と闘おう』という論文である。ぜひ読んで、意見や批判があれば投稿して下さい。

岸田が提起した9条改憲は、現在の二つの戦争が継続している状況では、一定のリアリティーを持つ可能性がある。私たちも9条守れだけでは不十分である。私たちもまた、自己の主張にリアリティーが必要である。模索しよう。

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今日、長崎市の平和記念式典が開かれた。イスラエルを招待せず。

2024年08月09日 | 政治社会

長崎市の平和記念式典に、今年、長崎市の市長は、イスラエルを招待しなかったが、その事が論議を呼んでいるようだ。

英国や米国などG7の国々は、この事を「イスラエルをロシアと同列にみている」ものとして、大使の出席を見送り代理の人間を出席させたと報じられた。長崎市の決定を批判するものとなっている。彼らのこの決定は、平和の実現を希求している長崎の人々の願いを否定するものである。イスラエルがこの間行っている戦争行為は、明らかに侵略であり、学校や病院さえ攻撃し多くの民間人が犠牲となっている。

このイスラエルの戦争行為とロシアのウクライナ侵攻とどこがどう違うというのだろうか。どう区別するというのだろうか。今回のイスラエルの攻撃は、ハマスの先制攻撃が直接の原因だとしても、何ら正当化する事は出来ない。イスラエル・パレスチナの間の紛争の歴史を見れば明白である。パレスチナ人の住んでいる土地をいろいろ自分たちの都合の良い口実を儲けて侵略し奪い、パレスチナ人を追い出しイスラエル人がそこを占拠するという歴史があったのである。パレスチナ人が追い出された自分たちの土地を奪い返そうとする行為は、自衛権の発動であり国際法に則っている。

長崎の核兵器廃絶の願いは、その前提として世界平和の実現が必要であると考えるのは至極当然である。世界平和なくして、核廃絶はありえない。だから長崎市が、世界平和の障害物としてイスラエルの蛮行を容認できない姿勢を示したのは一貫している。批判されるのは大使欠席を決めた国々である。彼らが口にする「平和」は偽善である。特にアメリカは最も偽善的である。

何故、人間は戦争を無くすことが出来ないのか。原爆の悲惨さを目の当たりにしても戦争を終わらせることが出来ないでいる。戦争のよって利益を得ている大企業や人々がいるから、という見方も根拠はある。

しかし、より根源的には、人類がまだ依然として野生動物と同じレベルにいるからだろう。野生動物は、自分や自己の集団の縄張りを守ろうとする。自己の縄張りを侵略されたら断固闘う。それは時に死を伴うこともあるほどである。縄張りは。自己とその集団にとって死活の問題だからである。人間の戦争の理由は、いろいろあるが根本は動物と同じで縄張り(=領土領海)争いである。他国の領土領海が豊かである場合、そこが欲しくなる。これが戦争を起こす理由の1つで第1次第2次大戦がそれである。さらに、資本主義経済システムは、弱肉強食の論理を持っているので、そのことが強調される。資本主義は戦争を廃絶する力を有しない、という以上にそれを助長する。日本の明治以降の歴史を見ると、戦争をきっかけにして経済は大きく発展した。日清、日露、第1次大戦がそうである。第2次大戦は、ボロ負けだったので、損失のみだったが。第二次大戦で大もうけしたのはアメリカだけである。

私有財産を持つことで、争いが個人や集団で、地域社会同士の争いが次第の大きな集団を形成するようになり、都市国家が登場し、それが国家へと発展した。この歴史のどの段階でも戦争は起きている。私有財産あるところに戦争ありなのである。戦争のない世界を実現しようとすることは、私有財産制度を無くすことなのですが、その事に気づかずに平和を求めている人が圧倒的に多い。その事に早く気づいて欲しいものです。

 

 

 

 

 

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トランプ銃撃さる

2024年07月15日 | 政治社会

昨日、米国のとランプが銃撃されたニュースは、大きく報道されたので、ご存じのことと思います。

その背景などについての分析も今日の新聞でも行われていて、参考になる記事もあった。

アメリカでは、現役の大統領が暗殺された例がいくつかあり、また、銃撃され負傷した例もいくつかある。また、大統領補選中に暗殺された例もある。こうみると、アメリカという国は、テロを容認する空気が存在している、といえる。その根底にあるのが、銃の所持を憲法が保障している点にある。銃の所持を当然としているのは、アメリカの歴史に規定されているからだろう。現在の合衆国は、先住民を暴力=銃でその住居(多くが豊かな土地で生活しやすい土地)から追い立て、抵抗したら容赦なく射殺した。こうした、先住民を銃で排除し、そこに自分たちの町や牧場や農地にした。先住民の反撃もしばしば起こったので、銃で自己を防衛するのは当然という考えが根付く。また、メキシコとの国境紛争もあった。こうして、南部や西部では銃を保持することは当然という考えが広く浸透していた。また、南部には奴隷がいて、彼らの叛乱を防ぐために銃が必要という考えもあっただろう。つまり、アメリカ合衆国という国家の成立が条件の1つに、先住民を迫害・排除することがあったのである。その歴史を否定する歴史観はアメリカにはないと思われる。

この負の歴史を否定する思想が広くアメリカ国民に拡がらない限り、アメリカの民主主義は侵略者の民主主義なのである。だから、イスラエルの侵略的ガザ侵攻を否定できないし、また、ロシアのウクライナ侵攻に対しても、バイデンは批判したが、トランプは容認する姿勢を示している。アメリカの民主主義は、強者の為のもので、弱者のためのものではない。ブルジョア民主主義は、強者のものであるが、アメリカはそれが極端である。イギリスのそれと比較するとわかりやすい。

自己の政治的主張を実現するために暴力を使うことを容認する人が、アメリカには現在数%いるという世論調査があると、新聞が報じている。テロを容認する人が数%でもいると言うことは、政治的な意見の食い違いを、暴力で解決しようとするものだから、民主主義の原則を否定するもの。そうした考えが、アメリカの建国の歴史的事実から生まれているので、根っこは深い。

誰かが、内戦が始まる可能性を指摘していた。それは、世界秩序の完全なる崩壊を招来するだろう。

それを唯一阻止できるのは、労働者階級の世界的連帯・団結だけであるが、その実現は極めて厳しい状況にある。が可能性はゼロではない。

 

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都知事選続 石丸現象とは?

2024年07月14日 | 政治社会

都知事選で、蓮舫は三位で二位に石丸がなった。これを、マスコミは「石丸現象」といって取り上げている。

彼の選挙方法が、NSNなどを利用したものであることが、若者をつかんだとも言われている。新しい手法であることはその通りだろう。

一方で、具体的な政策を出さない点で批判がある。又それが良いとも言う人がいる。さらに、石丸は「政治のエンタメ化」を意図したようなことを発言していた。だから、具体的政策を出さないのだ、というような発言も。

しかし、具体的政策を示さないで立候補し当選して、どのような政策を実行するのかは、当選した人任せに。公約がないのだから、好き勝手をやることが出来る。こうした行為を検証する根拠を有権者は持てない。なぜなら、評価の基準がないからである。石丸氏が当選したら、専制政治になるだろう。

また、このように具体的政策を示さず、また、政治理念を持たない人物に投票した人が多いと言うことは、民衆の政治的無関心や既存の政治に対す不信感が根底にある。民衆のこうした不信感は、戦後政治とりわけ保守・自民党の政治に対する根深い不信感がある。ことに、安倍政治の憲法違反の政治やや反民主的政治がより一層不信感を深めた。安倍政治の罪は大きい。一方、こうした安倍政治を糾弾し、その反民主政治を阻止できなかった、野党のレベルの低さも民衆の政治不信に一役買った。

こうした背景があって、石丸現象が起きたのだろう。この背景には、さらにより深刻な事態が存在している。

それは、民主主義政治の衰退である。民主主義政治、それはブルジョア民主主義と言われるものであるが、そのブルジョア民主主義は、資本主義社会を前提とした政治制度である。従って、民主政治の衰退は、資本主義を土台とした政治の衰退である。一見、資本主義は活発に活動していて、衰退の徴候は見えないように思われる。が、様々な現象=アメリカの大統領選挙での、トランプの支持率の高さ、老齢バイデンの代わりがいない民主党、どちらも政治理念は新鮮味がない。現代の混迷せる世界政治におけるリーダー性を発揮し、世界秩序を形成することは出来ない。戦後アメリカの政治・経済力・軍事力を背景にパックスアメリカーナを実現した力は、存在しない。

現在のウクライナ戦争を巡って、突き出されている問題は、ロシア・プーチンの特殊なキャラのせいではない。彼がソ連邦の崩壊によって生まれたことの歴史的意味を深く考えてみると、現在の危機的状況が見えてくる。この点については、このブログで書いてきた。

ここに来て、新たな事態は、フランスの総選挙での極右勢力の伸張である。今回は、第三位の勢力だが、次回は過半数を獲得する可能性が充分ある。フランスだけでなく、オランダは既に極右は、権力の座についている。その背景は、民主的資本主義の危機である。資本主義発展の力学が帰農しなくなってきている結果である。事態は右か左か、である。

 

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都知事選、結果

2024年07月08日 | 政治社会

昨日、都知事選の投票、開票が行われた。既に結果は判明し、小池の勝利となった。

蓮舫の敗因は?マスコミで様々に書いているが、基本戦略がなかったことだろう。

思いつきで立候補した印象。これまでも、都知事選への立候補が噂され、期待されてもいたようだ。その時は、立候補しないと。

今回立候補したのは、直前に行われた衆院補選で、立憲民主が自民に勝ち、地方選挙でも自民に勝った。立憲民主の勝利は、彼らの政策が支持されたからではなく、自民の失政による棚ぼた的勝利であった。つまり消極的選択だった。その流れ・空気が有利と感じて蓮舫は勝てると判断し、十分な準備もないのに立候補したので、敗北したのである。

もし都知事に立候補しようとするなら、十分な事前調査と現職知事の問題点を洗い出し、対抗する政策を具体的に用意しておくことが、最低必要だろう。

それでも、現職知事しかも2期やっているので、知名度もあり、ばらまきもやっているので、その恩恵に浴している人々は現職を支持するだろうから、勝つのは厳しい。不十分な準備と争点を明確に出来なかったことも敗因。神宮再開発での木の伐採問題を、はじめに力説していたが、争点にはならなかった。ここに準備不足が露呈していた。この時点で、勝敗は決定した。

 

 

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若者たちの「改憲・核武装は当然だ!」の主張に、どう向き合うか その2

2024年05月18日 | 政治社会

2 このブログで、何回か書いていますが、戦後憲法の問題点=戦後のアメリカの世界戦略(ソ連封じ込め)は、ソ連圏との対立を創り出すことによって、労働者の闘争・意識を「反米」と「反ソ」の対立関係の中に閉じ込めることで、日本国=憲法は、その対立関係の一部を構成していたのだ。その事に、私たち労働者階級・左翼は気がつかず現在に至っている。だから、護憲や9条守れでは、戦後支配秩序と対峙することが出来ない。

彼ら、右翼の思想にかぶれている若者たちの目を覚まさせるには、自己の反戦平和運動の問題の本質を明らかにしなければならない。

彼らの主張「攻撃されたらどうするのか」「反撃しないで敗北を受け入れるのか」に対して、どう主張するのかが問われる。

戦争は、国家の暴力の表現の一つ。内戦もあるので、国家だけの専売ではないが、戦争の圧倒的多くが国家による他国への攻撃で始まる。堂々と宣戦布告をしようがしなかろうが、その違いはたいしたことはない。

戦争とは圧倒的に国家の名において行われる。国家がなければ戦争は、なくなるとは断言できないが、かなり減るだろう。現在の文明社会を前提にした場合、国家がなくなれば、戦争はなくなる可能性が大きくなる。なぜなら、国家には領土領海があり、国益があり、その国の経済がある。これらを守ることが国家の第一義的役割と考えられる。そしてそれらが侵されるとき、国家はそれに対し闘う。それが国家存続の意味だから。これを否定することは、国家が消滅する可能性を受け入れることだからである。これまでの歴史で、国家が消滅した事例はヨーロッパや中東などでみられる。アジアでももちろんある。

今日、日本は国家消滅の危機に立っているわけではない。右翼の人々は、北朝鮮が侵略しようと軍事力を強化していると、考えているだろう。そのように理解することも可能であるが、別の考えもある。北朝鮮の歴史を見るとき、初期においてはソ連邦と強く結びついていたし、その支援を受けていた。ソ連邦が崩壊した後は、中国の支援を受けている。現在、どの程度の支援を受けているのかは不明だが。しかし、北に対してアメリカや日本韓国が政策の転換を求めている。日本の場合は「拉致被害者問題」の解決を第一義的に考えているので、北朝鮮政府と認識において大きな違いがある。韓国は民主的政権の時は、会話があり融和的雰囲気が形成されていたが、保守政権になると対立が強くなる。北朝鮮は、アメリカとの外交の確立を強く望んでいるし、日本とも貿易などの交流を望んでいるようにみえる。その事がなかなか実現できないいらだちと、国内経済が外国貿易の停滞によって、思うように発展しない。そこで、外交戦略を見直し、軍事力を強化し力による外交に活路を見いだそうとしているように思われる。また、それは、金独裁政権のピンチをも表現しているように思う。外交は国内政治の延長にある、とはよく言われることである。

北朝鮮の現状をよく観察し分析すれば、彼らが戦争を望んでいる徴候を見いだすことは難しい。

では中国はどうか?中国の習近平政権も、国内経済がうまく機能していない。特に不動産関連の投資がうまく機能せず、大企業が大幅な損益を出したりした。そこからの景気回復が、うまくいかない。習政権は、有効な経済対策を打ち出せないでいる。しかもアメリカの締め付けが厳しい。現在、秋の大統領選挙に向け、対中国に甘い顔をすることが難しい状況なのである。

ただ、中国もアメリカも戦争をすることは考えていない。よく言われる台湾問題についての、中国の「一つの中国」は国家主権論に立てば不当な主張とはならない。中国が力ずくで、一つの中国を実現使用とした場合、アメリカとの戦争を想定しなければならないことは十分理解している。なので、中国共産党の国内統治が極めてピンチになった場合は、軍部の一部が暴走する可能性はある。今は、まだそのような情勢にはない。

従って、日本を取り巻く情勢は、戦争の危機はない。それを騒ぎ立てる人々が右にも左にもいるのは、情勢を自分の政治利用していると思う。私たちは、それに惑わされてはいけない。

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「ガザ反戦 日本の学生も」という新聞記事が

2024年05月17日 | 政治社会

上記、記事が今日の朝刊に出ていた。

このところ、アメリカの大学で学生が構内にテントを張って、イスラエルの虐殺行為を批判し、大学に対してユダヤ資本からの資金援助を返還するように要求していると、テレビなどで報道されている。また、オーストラリアの大学でも同様のイスラエル批判の大学内デモストレーションが行われていると、報道があったので、皆さんも知っているでしょう。

日本の大学生も、こうした海外の学生の行動に触発され行動を起こしたことは、うれしいことですね。

先日、右翼の主張に影響された若者のことを報告しましたが、一方で反戦平和を要求する若者たちもいて、少し安心しましたが、こうした行動を起こす若者は、何時の時代にもいるかと思います。彼らの行動は、人道主義に基づくものなので、社会にどう影響するのか、彼らの行動には継続性があるのかは不明ですね。彼らが現在の信念をこれからも長く保持してくれたらとてもうれしいですね。さらに、こうした取り組みが拡がるともっとうれしいですね。

ただ、このような行動を起こした若者が、年を経てその信念を変えてしまう人も多く見てきているので、安心は出来ません。

「持続した志」を持っている人がいかに少ないかを知っているので、なんとかしたいと思うが、そのエネスギーがなくなってきた。出来ることは、このブログで、自分の意見を発表したり、自分の周りの人々に意見を述べたりすること。自分の課題を持っているので、それを追求し形にすることが、いまできること。

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若者たちの「改憲・核武装は当然だ!」の主張に、どう向き合うか

2024年05月16日 | 政治社会

上記、タイトルの記事は、ある会の会報(2022、9,7)から転載したものです。少し日付は古いですが、書かれている内容は決して古くはないと思います。かなり深刻な内容が書かれているので、取り上げました。この文章を書いた人は、高校の先生ではないかと思われます。

 

この数ヶ月間に起きた「ウクライナ戦争」「安倍元首相の暗殺」。この二重のショックをうけ、多くの国民、とりわけ若者たちの意識は大きく流動しているようです。最近、かつての教え子たちと、戦争や平和の問題について真剣に話し合う小海を持ちました。20代前半の世代で、中には極端な意見もありますが、その一部を紹介し、今後、どのように論議をすすめたら良いか、考えさせられたことについて述べます。

(1)「9条は妄想に過ぎない」
 若者たちの「9条離れ」がこれほど拡がっているとは、本当の驚きでした。「9条は昭和の妄想だ」「連合国による軍国日本へのとどめだ」「非武装による平和など、現実的ではない」と、ほとんどが改憲論なのです。
(2)「平和を守る力は,埼教の核武装だ・・・?!」
 彼らは言う。「『核シフト』(中国・ロシア・北朝鮮の核の脅威)をICBMを載せた原子力潜水艦の保持は絶対条件だ」「当面は、米国とのニュークリアシェアリングを確保するべきだ」「安倍元首相の、『ウクライナは核兵器を手放したから攻撃された』は正論だ」と。
(3)「9条を全文削除し、核武装の条文化を・・・?!」
 「日本は堂々と核大国になるべきだ。自民党は弱腰過ぎる」「自民党の改憲案は、『非武装平和』と『自衛隊保持』という70年間のごまかしを条文化するものだ」若者たちのこうした主張は、自民党内右派の本音や野党の中の、「戦時には米軍や自衛隊を活用する」などの主張に影響されています。
(4)徴兵制に反対し、核兵器に依拠する若者たち
 私は、「君たちは戦争をどのようにイメージしているの?」と尋ねました。なんと意外な返答が・・・。「国のために、自分の生活や、命を投げ出すなんていやだ」「今は地上戦の時代ではなく、核戦争の次元で決する時代だ」と。彼らは、戦時下でも、日常生活を維持できると思い込み、核武装に依拠しているのです。
(5)個人主義を正当化するための「反戦平和教育」への右翼的反発
 「僕たちのほとんどは個人主義者だ。国のために死にたくないという僕たちを育てたのは社会であり、学校だ」。「先生たちは平和教育を押しつけ,愛国心の芽を摘んできたのだ。大人たちは、『東京裁判史観』を受け入れ、国の安全は米国に任せ、ずっと属国のママだった。軍人も愛国心も育つずがない」と。

・・・・・この若者たちは、小泉元首相による自衛隊海外「派兵」のころに生まれています。安倍元首相の「9条改憲・軍事大国化」の主張に野党や労働組合幹部などが、「専守防衛」「健全な日米安保を」あどと同調するのをみてきたのです。
 2000年初頭からの右翼と政府・自民党が一体となった自虐史観の流布(教科書問題など)以降、平和教育が抑圧され、広島・長崎そして沖縄の悲劇も、アジア諸国への日本軍の残虐な侵略の事実も風化させられてきたのです。
 若者たちの主張は、今までの平和運動が、総じて政府の軍事強化という事態に「9条守れ」の理念を対置するものの限界によって生み出されていると。これを克服し、改憲や軍事強国化の現実と対決する運動に高めていかなければ・・・。

 

*これを読んで、皆さんはどんな意見を持ちましたか。良ければ、コメントを寄せて下さい。

以下に、私の意見を書きます。

 

若者の意見は、右翼の受け売りですが、そのことに気づけばいいのですが、このまま行ってしまうこともあるので、心配ですね。

こうした若者が増えたことは、リベラル派、左翼の弱さの結果ですね。具体的には、憲法に関しての認識が労働者階級としてのものになっていないからですね。憲法の持つ政治的階級的、歴史的世界史的理解が全く不十分だからです。

この引用した文の問題は、いくつかあります。

 

1、学校教育の問題。

 平和教育は、日教組が力を入れて取り組んできた課題です。先の侵略戦争の反省。侵略した国々でその国の人々を苦しめ、殺しました。そうした反省は、「平和憲法」と言われる憲法の理想を実現する教育をすすめる、という方針を保持していたと思います。また、日本の若者の多く死んでいます。日教組は「教え子を再び戦場に送らない」というスローガンを掲げて、教研集会や組合活動を行ってきたと思います。もちろん、日本の権力を保持していた保守政治は、こうした平和教育を批判攻撃しました。自民党の基本には、平和教育を排除したいという思いが根底に流れています。その考えは、憲法にも及んでいます。つまり、戦後憲法は、自民党にとって押しつけられた憲法で、自分たちが作ったものではない、という強い思いがある。しかし、それは、侵略戦争を仕掛け、アメリカと全面戦争をし敗北した結果、再び侵略戦争をさせないという連合国の総意が、民主憲法に表れているのです。大日本帝国は、無条件降伏した。だからといって、憲法を押しつけられて良いわけはない、という声も一定の根拠あると思う。国家主権と言われるものは、敗戦国でも平和条約を交わし独立が認められ、占領が終了した時点で。戦後憲法の問題点の一つが、日本が占領されている状態で、憲法を作成させられたことである。占領下で、国家主権が存在していない状態で、国家主権行為である憲法改正が、強要されるのは国際法的にも筋が通らない、という右翼の主張に根拠がある。しかし、ではなぜ、マッカーサーの要求に屈服したのか。その理由は、ソ連邦の存在であった。日本の占領政策の決定執行機関は、極東委員会であった。ここには、日本に侵略されたり、交戦した国々が参加していた。その中にソ連も入っていた。マッカーサーとアメリカ本国政府(民主党トルーマン政権)は、対日占領政策でソ連に主導権を握られることを強く警戒していた。それで、この極東委員会が活動を開始するより以前に、日本の戦後国家体制の基本的枠組みを形成してしまおうというねらいがあった。それは、国家の基本的枠組みとして、憲法改正=民主的憲法、再軍備を許さない、軍隊を持たない、軍国主義解体、その温床となる国家神道や教育勅語や、農地解放や、警察の地方分権化など、侵略戦争をすすめた国家体制を解体した。これらの諸改革は、極東委員会が機能する前にマッカーサーによって、矢継ぎ早に実施された。日本政府=保守政権は、交際政治の綱引き=米国かソ連かの選択を迫られたのである。米国のトルーマンは、反共的立場で、特にスターリンを嫌っていたのは有名。個人的な感情の問題ではなく、戦後世界政治=世界秩序が、米国とソ連が対立することによって形成され過程であったのであるから、その論理に従ったと言える。世界秩序としての米国とソ連邦の関係は、対立するだけではなく、対立することを通して互いに依存し合う関係であった。

それ故、戦後における平和は、戦後憲法に依存することは出来ない。なぜなら、民主憲法作成を強要した米国は、その後反動的政策を実行していく。2・1ゼネストを中止を命令する。レッド・パージの実施。A級戦犯釈放、軍隊の復活などなど。そして、日本の占領状態は、平和条約調印後も主に沖縄で続く。こうした事実をみたとき、「平和」憲法の欺瞞性が明らかになる。何よりも、憲法改正作業に労働者民衆は関わっていない。私たちが作ったものではないのである。そのような憲法を、金科玉条のようにあがめてる人々=護憲派、「9条信仰」者は、戦後政治の持つ意味をその本質を理解していない。学校教育で、平和教育をすすめる教員は、こうした憲法作成の歴史的背景・政治的本質を見極める必要があった。だが、それは当時の誰もが出来なかったことであるので、批判派出来ない。平和教育が、憲法に規定されていることが問題なのである。

つづく

 

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プーチンのロシアが、9日第二次大戦での対独戦勝記念日の式典を開いたが、誰が誰に勝利したのか。プーチンでないことは明白。

2024年05月10日 | 政治社会

第二次大戦で、ヒトラードイツに勝利したのは、プーチンのロシアでは断じてない。そもそも、勝ったのはソ連邦共和国で、ロシアではない。ソ連邦とロシアは、まったく異なる国家である。そこに住んでいる人種は、共通しているかもしれないが。正確に言えば、ソ連邦は崩壊後、いくつかの国や地域が独立したので、ロシアに住んでいる人々は、ソ連邦に住んでいた人の一部である。そして、最も重要なのは、ソ連邦とロシアは国家の階級的性格が異なるという点である。革命やクーデターで、国家が代わることはままある。例えば、第二次大戦の前と後の日本やドイツがそうである。日本の戦前国家と戦後の国家では、大きく異なる。その最たるものが憲法である。戦前のそれは、天皇に大権を与え、国民は臣民と言われていた。また、国民の基本的人権は保障されていなかった。つまり、民主主義国家ではなかった。それが、戦後憲法上民主主義国家となった。実態は民主主義にふさわしくない事柄が横行しているが。それでも、戦前と戦後は、どちらも資本主義国家であるのは明白。つまり階級的性格は同じである。それは、ドイツでも同様である。

 ところが、ソ連邦は1917年の10月革命で、労働者階級が権力を握り、国家の階級的性格は、資本主義ではなくなった。たとえば、ソ連邦で賃労働が行われようと農民の土地所有があろうとも、国家の階級性は変わらない。しかし、ロシアは、ソ連崩壊によって誕生した国家である。ソ連邦の崩壊は、ソ連邦が持っていた階級性=労働者階級の権力(堕落したとは言え)を消滅させたのである。その時誕生したロシアの階級性は、労働者階級ではなく資本主義なのである。だから、第二次大戦の対独戦勝利の栄光はプーチンのロシアのものではない。プーチンに戦勝を祝う権利や資格は断じてない。プーチンは、この違いが分からない。

ただ、私たち労働者階級に属する者は、ソ連邦の対独戦勝利は、誰が誰に勝利したのかを大いに疑問に思わなければならない。

これは、スターリンの勝利であり、民主的ブルジョア国家連合の勝利であり、敗北したのはファシズムであるが、その過程で労働者階級の闘争が敗北したことをどれだけの左翼が認識しているのだろうか?この点を理解することが、現在の世界的危機を克服する道である。

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