今年の2月に開かれた、左翼政治団体の大会報告が少し前に手に入ったので、その問題点を指摘する。
彼らの新聞によれば、「第二報告は、反帝・反スターリン主義の綱領的立場から現在の世界戦争情勢についての認識と基本任務を明らかにしたものとして重要である。」だから、全文を掲載する、と。この第二報告を見ていく。
Ⅰの(1)今日の世界戦争の原因は何であるのか
という見出しのところを見ると以下のような文言があるので、抜き出す。
「今日の世界戦争の原因は何であるかをはっきりとつかまなければならない」これは当然。
「結論的にいえば、今日の戦争の最大の原因は、圧倒的な軍事力・経済力を持って第2次世界大戦後の世界を支配し続けてきたアメリカ帝国主義の歴史的没落が決定的な段階まで行き着き、米帝がこの没落の危機からの脱出をかけて、中国スターリン主義に対する侵略戦争=世界戦争を開始しているということにある。」
この文言については、抽象的で具体性に欠ける。また、言葉が主観的である。その例は「アメリカ帝国主義の歴史的没落が決定的な段階まで行き着き」である。「歴史的没落」とはどのような状態を指しているのか書かれていない。それが「決定的な段階に行き着き」とあるが、それはどんな段階か。このまま進むとどうなるのか?書かれていない。
アメリカは第2次大戦終了時、圧倒的な軍事力と経済力を有し、また富も又莫大な量を保有していたのは事実。ただ、問題は、アメリカの巨大な工業生産力が生み出す生産物の消費地は、当時世界中のどこにあったのだろう。アメリカ資本主義・帝国主義にとって、消費地=市場の再建は喫緊の課題であった。アメリカは、ヨーロッパにマーシャルプランを提示し、復興を急がせたのは、自国の生産物の消費地の再建しなければならなかったからである。ヨーロッパの経済復興と又日本の経済復興は、次第にアメリカの圧倒的な経済な優位性を低める結果となり、ブレトンウッズ体制が崩壊することになる。固定為替制度は変動為替制度に代わり、金本位制は解体した。これは、アメリカの世界支配体制の崩壊の始まりを意味した。アメリカの絶対的支配力は相対的なものに変わった。それでも、アメリカは現在トップランナーである。それは、軍事力においてもアメリカの圧倒的な力は相対的にならざるを得なく、世界の警察官を自認していたが、今やそれを放棄しているが、軍事力はまだ、トップである。
アメリカの経済的・軍事的立場は、大きく低下していることを没落と呼んでいるのだろうか?物事は出来るだけ正確に具体的に表現することが重要である。アメリカの経済力の低下は、資本主義の論理から必然である。ヨーロッパや日本の経済復興は、アメリカが望んだことであり必然であった。経済力は軍事力の大きさに反映される。これも資本主義において必然性を有する事柄である。戦争が長期的になれば、兵器を含め物資の消耗戦となるので、経済力の大小が戦局を大きく左右することは、第2次大戦の日米戦を見れば明白であろう。中国の経済力は飛躍的に向上し、世界第二位の大国になり、それに伴って軍事力も飛躍的に強化され近代化された。アメリカが無視することが出来ない経済力・軍事力を持つようになった。これもある意味必然である。
「第2次世界大戦は、1917年ロシア革命をもって開始された<帝国主義から社会主義・共産主義への世界史的過渡期>と国際共産主義運動を一国社会主義論をもって変質させたスターリン主義が、世界革命を裏切り,国際階級闘争を敗北させ、その結果として延命した帝国主義がその基本矛盾を再び爆発させたものだった。」
ここで、世界革命闘争の指導部としての第三インターのことが何ら触れられていないのはどうしてなのだろうか。彼らは、インターナショナルを軽視しているのではないだろうか?第三インター即ちコミンテルンは、レーニンの世界革命戦略にとって核となる存在であった。この存在に触れないでロシア革命以降の世界革命を語ることは出来ない。スターリンが変質させたのはソ連邦だけでなく、コミンテルンも変質させ、そのコミンテルンの指導を通して各国の革命運動を失敗させていったのである。よく知られているドイツ革命や中国革命の国共合作やスペイン内戦、さらに日本の階級闘争もその一つである。こうした、各国の革命闘争の敗北の原因はコミンテルンの変質による。そしてそれを指導していたのがスターリンとそれに従う党官僚たちであった。
スターリンの理論の中心は、一国社会主義論であるのは、指摘の通りであるが、国際革命を敗北に導いたのはそれだけではなく、社会ファシズム論(後に何の反省もなく変更したが)であり、反ファッショ人民戦線論であった。一国社会主義論は、一国でも社会主義社会を建設できるというものであるから、国際革命に頼らなくてもソ連は社会主義社会を実現できると。一方で、帝国主義諸国は、労働者国家ソ連邦の存在が、自国労働者階級の闘争を後押しし元気や希望を与え革命闘争をすすめているので、ソ連邦の解体をチャンスがあればやろうとしていた。その事を最も露骨に示していたのはヒットラーのナチスドイツであった。ソ連侵略の意図を明らかにしていた。この意図にスターリンは警戒をし、もしソ連が攻撃されたら、世界各国労働者の任務はソ連防衛であると。これが、コミンテルンの方針となっていく。「自国帝国主義打倒」これこそが、各国労働者・共産主義者の任務でなければならなかった。この方針は、ソ連邦防衛の任務に従属させられた。「自国帝国主義打倒」の任務こそ、ソ連防衛を果たすことになるという、当然の論理をスターリンは踏みにじり世界革命を敗北に導いた。それは、単なる理論の問題ではなく、スターリンの権力支配を優先させた政治が、ロシア共産党をソ連邦共産党をコミンテルンを堕落させ、従って誤った情勢認識や方針を提起している。その一つが、「社会ファシズム論」である。当時の社会民主主義勢力を共産主義の主要な敵=資本主義を補完する役割を果たしていると、攻撃することをコミンテルンを通して世界各国共産党に指示した。1920年代後半、29年の世界恐慌のもと世界的不況となり、失業者があふれ、世情は不安定となり、又民主的ブルジョア政治も将来を展望することの出来ない情勢となり、左右の対立が激化した。情勢は、左か右か、どちらが将来の展望を提起できるか、労働者民衆の支持がえられるか、と。ヨーロッパでは社会民主主義のもとにも多くの労働者が組織されていた。この労働者達を左が獲得するか右が獲得するかが、争点であった。「社会ファシズム論」は、彼らを右に押しやった、という犯罪的政策であった。そして、その後、ドイツにおいてファシストヒトラーが権力を握りドイツ共産党は非合法化され敗北した。スターリンは、それを見て「社会ファシズム論」の誤りに気がついたのだろう、その後、その路線を修正し「反ファッショ人民戦線論」を提起する。
この「反ファッショ人民戦線論」もまた、犯罪的である。これは、ファシズムに対抗するために民主的ブルジョアと手を組むというものである。これは、革命の放棄である。スターリンは公然と革命的労働者・共産主義者に民主的ブルジョアと手をつなぎファシズムを倒せと要求する。ファシズムを倒した後、ブルジョアを倒せという方針を提起したのか。提起していない。民主的ブルジョへの階級的武装解除を意味する。こうした方針がスターリンの本質であった。この点を暴露することが必要。
「この世界戦争(注:第2次のこと)の結果、帝国主義はアメリカを除いては総崩壊的な危機に陥った。欧日の帝国主義各国では労働者人民の憤激が戦後革命情勢を作りだし、帝国主義の支配下にあった植民地体制諸国では、民族解放を求める闘いうねりが中国革命を先頭に民族解放・革命戦争となって爆発していった。これらの帝国主義国のプロレタリア革命と植民地体制諸国における民族解放・革命戦争は,帝国主義の世界支配を覆す一つのプロレタリア世界革命として結合し、勝利を勝ち取るべきものだった。しかしスターリン主義は帝国主義との世界分割=「平和共存」を求め、戦後革命情勢を終息させていった。」
この文言では、スターリンがどのようなロジックを用いて「戦後革命情勢を終焉」させたのか、全く解らない。戦後革命情勢を労働者・植民地諸国の民族解放闘争は、世界革命へと進まなかったのは「スターリンの裏切り」という言葉だけで終わらせているが、何をどう裏切ったというのか具体的に明らかにすべきである。
「スターリン主義」が帝国主義と世界分割した、と主張しているが、帝国主義は何故それを認めたのか。
「スターリンの裏切り」は、どうして可能だったのか?世界の労働者は共産主義者は、スターリンに何を期待したのか?期待したとしたら「世界革命」か。何故期待したのか?彼はレーニンではないし、彼の代わりをすることも出来ない。何故期待したのか?それは、10月革命の成功という、栄光・権威をロシア共産党・ソ連邦が保持していたからであり、その栄光・権威をスターリンは反対派や批判派を排除して自己の物としたからである。世界の労働者・共産主義者は、10月革命の栄光・権威を否定することは、この当時極めて難しかった。しかし、スターリンの「一国社会主義論」と党支配のやり方を批判する勢力もロシア共産党内部に存在した。当初は、トロツキーであり、後にジュノヴィエフやカーメネフ、その後にブハーリンという、政治局メンバーたちである。そしてその同調者達が粛清されていった。スターリン支配の過程に、ロシア10月革命と労働者国家が直面した困難さが存在し影を落としていた。その一つが民族問題である。また、一党独裁や、党内論争を外部に発表できない縛りなど、一時的な措置が永続した問題などがあることも指摘できる。しかし、現実の闘争の困難な進行にたいして常に正解を出すことは難しい。一度の失敗や不正解が取り返しのつかない結果になることもある。これらの問題について,より深く考察しその問題点を明らかにすることが共産主義に対する信頼回復につながると確信している。時間の関係で、今は出来ないが、時間ができ次第取り組むつもりである。
大会の第二報告の問題点は他にもあるが、今回はここまでにする。