escapeする
ファンタジーの仕組みから
思考のツールは言語の組み合わせ
脱出しよう
人は闘争を好むから思想すら剣や盾に変えた
それは全くファンタジーではあるが人間の苦しみの根源である
”それ”を武具たらしめるには前提が必要で
刷り込まれた価値観がある
人を侮辱するには少なくとも相手に自尊心がなければ話しにならない
その自尊心がどこから来たのかを理解する必要がある
冷笑が流行るのは見聞きしたものの中に本質がない事を潜在的に理解していて、それが顕在化された結果ではないか?と考える
マインドフルネスに疑問を感じるのは、思考から出たものをいわば糸が絡まったままで放置するのだから、問題は残ったままだから
認識が我々にとって救済の道だとすればその信念に従おうと思う
誤った思考の定義は思考の結果苦悩が残る事としてる
論に論を掛け合わせて一見もっともらしいと理屈で思っても不快が残るものは誤りで腑に落ちて精神が楽になる事を正しさとしてる
それは言語の他に意識も使う
すべてを使って自分の心身に安らぎがもたらされた考えを正しい思考とする
少し乱暴な言い方をすれば、その結果が間違えていたとしても全く問題はない
思考から生じたねじれを思考で正せたのならば自分にとっては何ら問題はない
それはおそらく直感と言えるものだから
言語を超えて正しさからこっちに向かう?感覚が確かにある
認識とは救済であるのだ
苦しいのはその認識の結末に何か誤解がある気がするのだ