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2025-05-31 17:04:00 | 日記
人の怒りとは山火事のやうなうーだ
きっかけはちいさい火だとしても一度火がついたら最後、次から次へと燃え移り大切な地球の資源を炭にしてしまう

ただ一つ違うとこを敢えて言うとしたらば
山火事は100%外部の要因によってもたらされるが、人の場合には外部の要因を通じて、内部の要因に作用した場合に初めて火がつくのらな

つまり心の問題、脳の回路がどのようにプログラムされているか?

人はゴキブリや蛇を見た時にギャァって言うのは遺伝的な要素というよりも、幼児期に環境が親やテレビやUm…なんかわかんないけど、ギャァっていっとうの見てギャァっていわなければならない脳になったなこれは…とほほのほだよ 💢マーク🍴

明らかに自分に対して攻撃をするような人間は無礼だの余裕がない人だの、場合によっては下等だと。人非人だと。
色々あるけど、仮に1万人に1人くらい聖人がおってさ、煮てさ、焼いてさ、食ってさ

大変気の毒な人だ!こういう人にこそ助けが必要なんだ!と自分に噛みついたペットの猫に対するに似た愛情を持つ人がいたらどうだろう?

この場合、この場合、この場合
火事は起こるのか!?
そーいう脳内プログラムの性人ならば
“ASAP”
早く消さなきゃ 人はそれを消火と呼ぶ🧯

だけど自分の内部プログラムから発動したものに関しては結局のところ自分が消すか内部プログラムを書き換える以外に対処の方法がなく候
ちゃっかりコインを拾って磨いたところ光って候

なんだっけ?まおもうすって…
八百万の神達共にきこしめせと かしこみかしこみ まおもーすだっけ?

たか〜まの〜はら〜にー
かみづまりまします
すめらが〜むつかむろぎ〜かむろみン
みことをもちて。
やほよろずの神等を……

まおもーーす🥵 


2025-05-30 16:56:00 | 日記
そらみつ大和の國は
言靈の幸う國 by 万葉集

我々の國では古来より
言葉には天地を動かす力がある
と考えられてきた

by the way…
少年。
あの空をごらんなさい
雲で濁った空色を

What that?
それは嘆き言
恨み言、悲しみ言
そんな言靈が悪い、とっても悪い悪霊となって空を舞っているのだよ

我が愛しのsheep🐏
Sleepするには君の命の蝋を削りながらsheepを数えなければいけないよ?

でも僕はまだ眠りたくない…。

少年。ワガママを言うもんじゃありませんよ?
さあ、出したまえ君の命の蝋燭に火を灯してあげよう🕯️

いやだぁ!だずげでーーー🏃‍♂️

少年。この世界に逃げ場所など存在しないのだよ?さぁお母さんに言いつけられる前に観念しなさい!

その瞬間、天が開けゼウスの操る雷が彼を打った⚡️
ずどーーん とものすごい音がして目を開けたら少年はsheepになっていた🐏

〜完〜

2025-05-27 20:30:00 | 日記
被造物は様々な要素の複合なり
複合であるので不調和である

ゆえに在りし在るものは、存在と本質の複合ではありえない

「在る」は可能態ではない
「在る」は現実性に准えることができる

ゆえに在りし在るものは純粋なる一(いち)

アガペーによる”esse”なり

本質と存在とが異なるものにおいては単に「ある」というだけではそのものの何であるかは規定されない。
その「ある」に更に本質的規定を俯加しなければならない。
たとえばこのものが人間であるとすれば
このものを示すのに、ただ「これはある」というだけでは足りない。
「これは人間である」といわなければならない
このことは「ある」に「人間」という本質規定が俯瞰されたことに他ならない

ところがもし神において本質と存在とが同じであるとすれば、神の「ある」を規定すべき本質が別にあるわけではないから、「神のある」には、なんらの規定も俯瞰されないはずだ

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2025-05-26 19:10:00 | 日記
合気道創始者の植芝盛平先生の武道に対する考え方に感銘を受けた

合気とは愛の道であり和合の考えだと
相手を傷つける事を目的とした武道ではない

それは武道という一つのカテゴリーに限るものじゃないっていっとる

誰かに悪口を言われたり、何かしら攻撃をされた時に普通は腹を立ててやり返したり特に自分は感情の制御が効かなくなって10倍くらいに報復して後悔する事が思えばたくさんあった

なんにも残らない 後悔と損と恥ずかしさだけ残るんだよ

そういう時にいつも自分に負けた気分になるんだよね
野の獣と同じだなーって

でも植芝さんの言葉を聞いたときに、そういう自分の怒りだとか敵意というものに打ち勝つ事こそが勝利だって

本当の武器は拳や口じゃなくて愛なんだなぁーって思った

そして人は獣の道ではなく人の中にある動物性を省いた所にある純粋現実態のような領域下で生活する事がやっぱり大切なんだろうと改めて思い知らされました。