goo blog サービス終了のお知らせ 

おもむくままに * 白梅の道

辿ってきた道
創っていく未来
我が道を行く

重陽の節句

2014-09-09 07:01:24 | 日記



九月九日 重陽の節句。

五節供のひとつ。「菊の節句」ともいわれる。


    古来より、奇数は縁起の良い陽数、偶数は縁起の悪い陰数と考え、

    その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まりで、

    めでたい反面悪いことにも転じやすいと考え、お祝いとともに厄祓いもしていました。

    中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節句」と定め、

    不老長寿や繁栄を願う行事をしてきました。

    菊のおかげで少年のまま700年も生きたという「菊慈童(きくじどう)」伝説もあります。

    今では五節句の中でも影が薄くなりましたが、

    五節句を締めくくる行事として、昔は最も盛んだったといわれています。




そう。

くくりの神。

白山菊理媛様の日なんだそうです。

なるほど。

赤白二龍  箱根・伊豆山 2

2014-09-09 06:07:12 | 日記
伊豆山神社・白山神社から箱根に向かいます。


箱根神社

古代山岳信仰の霊場として開かれ、歴史のある神社。

参拝を済ませ

向かうところは


九頭龍神社 本宮

 万巻上人が調伏した九頭龍大神を奉る、箱根神社の摂社。
 
物事を実現化させる、九頭龍大神の「荒魂」のパワーをもたらす神社です。

荒魂(あらみたま)は、神の魂のより始原的な「荒ぶる魂」そのもの。
 
 その荒々しさから、新しい物事を生み出すエネルギーや強い生命力を内包している魂です。
 
 人生の開運に必要な、「現実行動」を後押ししてくれます。




箱根プリンスから続く湖岸の遊歩道を20分余り。

“箱根九頭龍の森”の中にあります。



ここでのお参りには、いつも査定されているような厳しいものを感じます。

気を許していただけるか、気配を消されてしまうか・・のような感じです。

湖面に浮かぶ赤鳥居に向かい石段を三段ほど降りると

湖水に触れられる場所がありますが、

湖面にわかに音を立てるほど波立ち

手をつけたわたしの体を通り

芦ノ湖の龍が空高く舞い上がり、散ってゆきました。


龍神様とのご縁は一層深くなっていったのも

このころからだったかもしれません。

とは言え

日本の形そのものが龍型

この日本国土のご神体が国常立尊様なのですから

龍神ご発動は当然のことでしたね。


龍神様への参拝には

卵とお酒を必ずお供えします。

おもしろいことに

お供えした後の卵とお酒は、味もそっけもない

かの抜けた・・気の抜けた物になっているようです。

 (龍神様が味わって下さったのだな・・と思いたい私の欲でもありますが)


船着き場近くには

白龍神社があります。合わせてお参りさせていただきましょう。



伊豆山神社から箱根九頭竜神社への陰陽、火(か)と水(み)、

(かみ)神の道を辿らせていただく一日が無事に終わりとなります。





神道の名言「御成敗式目」

  神は人の敬によりて威を増し
  
  人は神の徳によりて運を添ふ


   * いかなる神も人間の尊敬をうけてこそ、そのご威光を輝かすのであり、
   
     ご神意を高めるのは人の敬の力である。

     その人が人としての運、人としての生命を与えられるのは、
 
     神の徳によってである。という意味です。
 
     神道の立場での神と人との密接な関係が的確に述べられている言葉です。



赤白二龍 箱根・伊豆山

2014-09-07 09:50:00 | 日記




赤白二龍

走湯山縁起に拠れば

伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。

その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、

温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり。

赤龍は火、白龍は水の力を掌り、

二龍の力を合わせて温泉を生み出すという最強の守護神であります。

               (関八州総鎮護 伊豆山神社より)






年頃の娘と熱海に旅行した際

最強の恋愛パワースポットといわれる

伊豆山神社に詣でました。





なぎの葉は、葉脈が硬く横に千切ることが難しいため、

昔から縁結びのお守りとされていたそうです。


伊豆山神社の「梛の葉守」は境内にある、なぎ(梛)の木の葉っぱをお守りにしたもの。

葉っぱや石をお守りにするのは、お守りの中でも最古のスタイルだそうです。

「め梛の葉」と「男梛の葉」。

ひとりで持つと、良縁にめぐまれ、

カップルで持つ時は、男性がめ梛、女性が男梛を持つと良いそうです。

北条 政子は源頼朝との恋を成就させるため、

鏡の裏になぎの葉っぱを敷き、祈っていたということです。


娘は、このお守りが欲しかったようです。


お参りが済んで

「裏へ・・奥へ・・」の声がいうままに。

白い鳥居が、お山の入口になっていました。

ハイキングで20~30分程でしょうか。

済んだ空気を吸いながら、程よい汗をかきながら登って

小さな鳥居をくぐると

そこにはドームのような空間があります。





この中心に立って、茂る木々の葉の隙間から空を仰ぐと

まるで宇宙の一点にいるかのような感覚になります。

ここには、塩と米が置かれ

どなたかが、毎日毎日、大事に大切にこの場所を

護ってくださっていることがわかります。

一段上の拝殿でお参りし、ここでまた

「裏へ・・奥へ・・」

失礼ながら、登っていくと

磐座と大きな木の後ろ側に「白山大明神」の石の祠がありました。

白山菊理媛さま

「ようやく、逢えましたね」

「ここまで、ずいぶん時間がかかりましたこと」

はい。25年も費やしてしまいました。


穏やかに清々しく、しばし時間を忘れ

この空間を味わい

また、先に進む戒めもいただきましたことを思い出します。


あれから、数年。

ここへは

菊理媛さまにご縁のある方を、幾度もご案内しました。

「あなたが護ると決めた方は、わたしが護ります」

お連れした方々は

まさしく『地涌の菩薩』

それぞれのお役目に目覚め、奔走しています。



たまたま・・も、偶然も・・

仕組まれた中のひとつ。

娘の恋愛成就のお参りが

私にとっての、縁を太く強くしていただく大きな縁結びとなりました。

感謝。




伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。

その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり
    


幸いにも

龍神様の頭から尾までを・・おからだを

一日の中でお訪ねできる土地に住んでいますので

更に

箱根に向かって参りましょう。

       
          つづきは また今度           


仕組み

2014-08-28 06:50:56 | 日記



方程式を解くためには

その仕組みを知らずに、やみくもに取り組んだところで

正しい(数字という)答えは出せない。

仕組みを教わって、何度も何度もやってみて

間違いや失敗を味わって

仕組みのガイドを見なくてもできるようになって

初めて、理解した。


ということだろうか。


洋服を仕立てることにしても

本を見て、たどたどしく完成させることはできる。

けれども、

プロとの違いは

学んで、数をこなして、美しく仕立てるコツを覚え

ミスしなくなることではなく、そのミスを

ミスしなかったよりも美しく終えることができる。



仕組みを知ることが

断片を語るより

何よりも大事で、優先順位の一番におきたいところである。



幸せなことに

相模原の伊東よしこ先生  天界という大きな宇宙の法則と「日月神示」

愛知の爺様     神の世界と水晶珠による高次との関わり

磐田の先生      仏の世界と「観音経」

鎌倉のkukuriさん     菊理媛さまからの自身へのこれからの言葉を伝えていただく


その都度その都度

私を鍛え、見守り続けてくださった方々がいたからこそ

そして、

その身の死をもってまでみせていただいたこと

仕える身でありながら、人の我欲によって果てていく姿であったり

老いていく自然の摂理に沿えない身の見苦しさであったり

多くを教えていただいた。



ただ、手を合わせ

自分の内側の探求にいそしんでみても

やはり

人との関わりの中でしか

学ぶことも教えを頂くこともなかったであろう

と、振り返ると

出逢いを疎かにはできないのである。

していただいたことを、ご本人に返すことができない今となっては

このような関わりを

わたしの今の関わりのなかで

繋げていくことが

わたしにできることなのだと思う。




バランス

2014-08-23 07:00:44 | 日記



魂と

その器の肉体が持つ人間力が

等しくなるまでは

ツカワレテいると言ってはいけない。

ツカワレテいる気になっていたかった

わたしの、これもまた欲。







旅の計画をたてる。

目的地を決めると

私の魂は、即座にそこへ飛んで行く。

もうすでに行ってしまったので

旅の前日まで

たいして浮かれることもなく

時折、「何をしにいくんだ?」とさえ思う。

肉体はどうかというと

旅をするには

旅費を捻出するために、働く。

旅の時間を確保する。ための算段をする。

時刻表と地図を見て効率の良い道程を考える。

あれこれ・・・。


行く・・という魂の目的はすでに果たされているのだけれど

その道程で味わうこと

草萌ゆる香り、潮の香り・・

凛とした空気の冷たさ、体を包む湯の温かさ・・

友との語らい

そして、そこに行ったから頂けた天からの声

結局

思うようでばかりない道程をぐんぐん進んで行ったのは

この疎かにし続けた肉体の方で。

肉体を動かし、肉体が目的地にたどり着くことをしなかったら

魂だけの旅には、色も香りも汗も涙もないわけで。

泣いたり笑ったりの

体感こそが人間力を創るのだと思う。






私は、絶対、もう生まれてこない!

神様のおひざで・・魂だけの世界にいるんだ!

と、念じてきたけれど

あ~、なんだかもっと楽しんでおかなくちゃ!

と、

思えるまでになった自分を

褒めてやりたい!



いやいや、そういうことを言いたかったのではなく

スピリチュアルを机上だけで学んでいたら

本を読んで、知る事は出来ても

疑似体験でしかなく、自分の血肉にはなり得ない。

魂と分かった気になった肉体の分離は一層大きくなる。

魂とそれに見合う肉体の体験(生きるという事)の

バランスがとれてこそ

○にゝ。

日月神示の「 ○にゝ 」