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ぱげぺ~じ と読むと良いかもです。

ボウリングのお勉強!#02 日本のボウリング

2009-09-11 23:06:19 | ボウリング
おはござます。
今回は日本におけるボウリングについて書いてみます。


●日本のボウリングの歴史
1861年6月22日、日本では長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場である
『インターナショナル・ボウリング・サロン』が開設されました。
これを記念して、現在6月22日はボウリングの日とされており、
その日限定で割引サービス等をやっているボウリング場もあるそうです。
(残念ながら俺はそのサービスに出会った事はありません・・。今知ったし。)

1970年前後には、スター・プレイヤーである須田開代子氏・中山律子氏らの出現等がきっかけとなって、
当時は数百メートル毎にボウリング場があった程のボウリング・ブームと呼ばれる流行ぶりを示されました。
このブームは1973年の石油危機により一旦終息致しますが、
1979年頃から人気が再燃し、当初のブームには至らないものの、現在でも安定した人気を得ております。

尚、開設当時、坂本龍馬氏が長崎に居留していた英国人貿易商グラバー氏と交流があった事から、
日本ボウリング資料館の開館を報じるボウリングマガジン誌において、
龍馬氏が日本人初のボウリングプレイヤーであるかも知れないと言う願望を含んだ記事が掲載されたが、
そのような事実があったという確たる証拠が存在している訳では無いようです。


●日本のボウリング年表
・1861年(文久元年)
長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場がオープン。地元新聞に広告が掲載される。

・1952年(昭和27年)
東京・青山に初の民間ボウリング場がオープンしたが、当時ボウリングはまだ珍しいもので、
上流階級の人たちだけが出入りする特別な場所だった。

・1955年(昭和30年)
現在の全日本ボウリング協会の前身『日本ボウリング連盟』設立。初代会長は、安西正夫氏。

・1961年(昭和36年)
日本がボウリングの世界組織であるFIQに加盟する。
ここから日本のボウリング界は世界へと道を開いてゆく。
また、この頃からボウリングの機械化が進み始める。
それまでは、ピンボーイと呼ばれる人が倒れたピンを元通りにすると言う人力に頼ったものだった。

・1964年(昭和39年)
現在の全日本ボウリング協会JBC (Japan Bowling Congress) 設立。

・1970年の終わり頃
スコアをボウラーが計算しなくても済む、計算機能を持った機械が実用化され始める。
この頃から、日本ではボウリングのブームが始まる。
当時ボウリング場は全国に3880センターを超えていたが、現在は約1000センターまでに減っている。

・1978年(昭和48年)
JBC、財団法人になる。

・1983年(昭和58年)
JBCが日本体育協会の加盟団体となる。

・1986年(昭和61年)
アジア競技大会で(ソウルで開催)日本は12種目中6個もの金メダルを獲得する。

・1988年(昭和63年)
ソウルオリンピックでエキシビジョンゲームに採択される。


●スポーツとしてのボウリング
ボウリングは勿論競技だけではございません。
現在もスポーツ人口が増えており、体操と並んで国民に最も馴染みの深いスポーツの一つです。
また、スポーツ競技と定義されていますが、老若男女問わず手軽な集団レクリエーション・ゲームとしても浸透しており、
あまり経験の無い人も参加しやすい性質を持つと言えます。
コレがボウリングの人気の理由の一つだとワタクシは思います。

ちなみに某DVDにて、『ボウリング3ゲームで約1時間のウォーキング効果がある』と言われておりました。
ラウンドワンにて6ゲーム投げ放題パックを利用すれば、
約2時間のウォーキング効果が得られ、更にボウリングを楽しめ、
更に更に番長にも参加する事が出来ると言う素晴らしさ!

皆様、運動ついでに番長やってみましょう!


余談ですが、約1年前から毎週のようにこんな事をしている俺達。
そのせいか先日、体脂肪率も量れる体重計に乗ったら・・。

いや、これ以上は言いますまい。

(参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)



では今回はコレにて!
明日(明後日)番長出来るか心配しつつまた次回~♪