私は,ほんとに映画をみない人です。いっとき10年近く映画館に脚を運ばなかったくらい。結局、2時間近く他に何もできないという状態が嫌いなのでしょう。
とはいえ、好きな映画はあります。何度でも見てしまう,テレビで上映されれば筋がわかっていても「やはり見てしまう」っていう作品ですね。
映画好きではありませんから,そう何本もありませんが,
まぁ,はずせない三本がある。
それは,「燃えよドラゴン」,「十二人の怒れる男」,そして「オズの魔法使い」です。
(見事に不統一ではありませんか。笑)
先日,その「オズの魔法使い」がBSで流れたので,やはり「かけ流し」ていました。筋は大体(この「大体」というあたり、映画好きではない証ですが・・)わかっているので,消音でインターネットをしながら。
しかし,何度見ても,あのモノクロからテクニカラーに変わる瞬間は、夢見心地の気分にさせられます。私は,『別世界のようだ』ということを例証せよと言われれば,このオズの国(の夢の世界)を挙げます。
とはいえ、あの三人組がでてくると、やはり音を消しておくわけにはいかなくなってしまいました。
さて,ドロシーに付き従う「脳味噌のないかかし男」「心を持たないブリキ男」
「弱虫のライオン」
彼らは,ドロシーと艱難辛苦を共にしてオズの魔法使いに会いに行きます。
そして、その過程で知らず知らずに,自分の望みを手にしている・・それが、観客には
わかるようにできている。小学生にもわかるようになっている。
すなわち,自分の夢や希望は他人の力や魔法の力ではなく、自分自身の力でかなえるもの。という教訓を説教じみずに感じさせてくれるのです。
しかし、うかつなことに、この度、ようやく気付いたことがあります。
彼らを,他者というよりは,異空間から眺めおろしている私たちは、
彼らが、ないものねだりではなく、いわば「あるものねだり」をしていることは気づいているのです。
それでも、しかし・・彼ら自身は
案山子は, 賞状を、
ブリキ男には、心の印として、記念品を、
ライオンには、勲章を
オズの魔法使いからもらって、それで、初めて納得するのです。古い言葉で言えば「得心する」のです。彼らの半信半疑の表情が、・・ほっとして、腑に落ちていくことから見て取れます。
やはり、自分のありようは他者の認証,認容が必要であるということをはからずも示しているのですね。すぐれて、古典的でもあり、現代的なテーマを活写しているのですね。
時代不詳のオズの国の登場人物の中に,ただひとり現代風(1940年台?)のオズの魔法使いが紛れ込んでることが,いっそうそんな気にさせる。
でも,ちょっぴり切ないな。とりわけ,ブリキ男よ。お前がもらった心は,赤色のペンダントのような記念品に過ぎない。。お前はそんなにうれしいのに,見ているこちらは、むしろ哀しく思えてくる。
しかしながら、ドロシーひとりは,終始
「There's no place like home.」と終始,つぶやき,時には叫びます。
無形の「お家,家庭」を恋しがり,求めるのです,
それは,誰も与えられ,植えつけられることできないものではありますまいか。
今後、この映画は、素直に気持ちが動く,感動するとはいえなくなりそうです。小学生のように,無邪気に感動していたのに・・・今まで。笑
でもね,ドロシーが夢からさめる場面も,とても忘れがたいです。
ドロシーを見つめる劇中の案山子,ブリキ男,ライオン,そしてオズの魔法使いであった男たち。
やさしい笑顔で慈しみながらドロシーを見つめます。なんてすばらしい表情でしょうか。
素直に感動します。笑
うん,やっぱりマイベスト3は,譲れないな
秋去れど貴方を辿る煉瓦路銀杏敷きつめ黄に装へば
(映画通ではないので,エルトン・ジョンの「good-bye yellow blick road」を先に知ってしまった私でした。)
とはいえ、好きな映画はあります。何度でも見てしまう,テレビで上映されれば筋がわかっていても「やはり見てしまう」っていう作品ですね。
映画好きではありませんから,そう何本もありませんが,
まぁ,はずせない三本がある。
それは,「燃えよドラゴン」,「十二人の怒れる男」,そして「オズの魔法使い」です。
(見事に不統一ではありませんか。笑)
先日,その「オズの魔法使い」がBSで流れたので,やはり「かけ流し」ていました。筋は大体(この「大体」というあたり、映画好きではない証ですが・・)わかっているので,消音でインターネットをしながら。
しかし,何度見ても,あのモノクロからテクニカラーに変わる瞬間は、夢見心地の気分にさせられます。私は,『別世界のようだ』ということを例証せよと言われれば,このオズの国(の夢の世界)を挙げます。
とはいえ、あの三人組がでてくると、やはり音を消しておくわけにはいかなくなってしまいました。
さて,ドロシーに付き従う「脳味噌のないかかし男」「心を持たないブリキ男」
「弱虫のライオン」
彼らは,ドロシーと艱難辛苦を共にしてオズの魔法使いに会いに行きます。
そして、その過程で知らず知らずに,自分の望みを手にしている・・それが、観客には
わかるようにできている。小学生にもわかるようになっている。
すなわち,自分の夢や希望は他人の力や魔法の力ではなく、自分自身の力でかなえるもの。という教訓を説教じみずに感じさせてくれるのです。
しかし、うかつなことに、この度、ようやく気付いたことがあります。
彼らを,他者というよりは,異空間から眺めおろしている私たちは、
彼らが、ないものねだりではなく、いわば「あるものねだり」をしていることは気づいているのです。
それでも、しかし・・彼ら自身は
案山子は, 賞状を、
ブリキ男には、心の印として、記念品を、
ライオンには、勲章を
オズの魔法使いからもらって、それで、初めて納得するのです。古い言葉で言えば「得心する」のです。彼らの半信半疑の表情が、・・ほっとして、腑に落ちていくことから見て取れます。
やはり、自分のありようは他者の認証,認容が必要であるということをはからずも示しているのですね。すぐれて、古典的でもあり、現代的なテーマを活写しているのですね。
時代不詳のオズの国の登場人物の中に,ただひとり現代風(1940年台?)のオズの魔法使いが紛れ込んでることが,いっそうそんな気にさせる。
でも,ちょっぴり切ないな。とりわけ,ブリキ男よ。お前がもらった心は,赤色のペンダントのような記念品に過ぎない。。お前はそんなにうれしいのに,見ているこちらは、むしろ哀しく思えてくる。
しかしながら、ドロシーひとりは,終始
「There's no place like home.」と終始,つぶやき,時には叫びます。
無形の「お家,家庭」を恋しがり,求めるのです,
それは,誰も与えられ,植えつけられることできないものではありますまいか。
今後、この映画は、素直に気持ちが動く,感動するとはいえなくなりそうです。小学生のように,無邪気に感動していたのに・・・今まで。笑
でもね,ドロシーが夢からさめる場面も,とても忘れがたいです。
ドロシーを見つめる劇中の案山子,ブリキ男,ライオン,そしてオズの魔法使いであった男たち。
やさしい笑顔で慈しみながらドロシーを見つめます。なんてすばらしい表情でしょうか。
素直に感動します。笑
うん,やっぱりマイベスト3は,譲れないな
秋去れど貴方を辿る煉瓦路銀杏敷きつめ黄に装へば
(映画通ではないので,エルトン・ジョンの「good-bye yellow blick road」を先に知ってしまった私でした。)
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