秋に「旭日小綬賞」受賞の祝宴に臨んだ。
受賞者本人は、派手な祝宴は断るといわれていたので、極く限られた少人数の宴であった。
職務上とはいえ、人と人の関わりから生じる絆のようなもで人間社会はあるのだ。
時間がそれを深め、そして懐かしさに変って行くもの。
どのようなことでも、継続して高く深く究めたことそのことは、賞賛に値することだ。
秋に「旭日小綬賞」受賞の祝宴に臨んだ。
受賞者本人は、派手な祝宴は断るといわれていたので、極く限られた少人数の宴であった。
職務上とはいえ、人と人の関わりから生じる絆のようなもで人間社会はあるのだ。
時間がそれを深め、そして懐かしさに変って行くもの。
どのようなことでも、継続して高く深く究めたことそのことは、賞賛に値することだ。
声楽家 バリトンの河野克典さんの独唱を聴いた。
日本の歌曲 「荒城の月」。 滝廉太郎はマーチ風の曲で、現在は山田耕筰が編曲した
ものが歌われているという。「砂山」も中山新平でなく、山田耕筰の曲である。
シューベルトの{ます」「菩提樹」をドイツ語で歌う。
「演奏会というものは、如何にお客様をハッピーな気持で帰らせるかということで、
明るく、浮き浮きした気持にさせるような曲で終わらせるもだ」と河野さんの弁。
ヨーロッパの王侯貴族の前では、そんな配慮もあったのかと、
映画のシーンを想い出したひと時であった。
旧年暮れに、この映画の原作者である作家 百田尚樹の対談をラジオで聞いた。
その中で自分の祖父や父母、兄弟が何をしていたのか、どのように生き、
何があったのかを、後を生きていく者は知らなくてはならないのではと考え作品を書いたと
話していた。
「そこで、何も知らない自分は、調べはじめるのだが、意外な展開になっていくのが
映画のはじまりである。
先の戦争末期の海軍の零式戦闘機の優秀な教官と特攻隊員との物語ある。
悲愴な思いで死んでいった者、痛嘆な日々を生きている者の葛藤は
心にグッと来るものがあった。
残った者は、それがどれほど悲傷であっても、当時は云ってはならぬ事でも、
家の者には伝えておかねば・・・。国のため、国民のため、妻子のために死んで
いったことを話さねばならないと・・・。
臆病者、ひきょう者と言われていても、国・親・妻子を想い生きぬかねばと帰って
きたことを、話さなくては死ねない。
そして話したあとベットの上で、「これを話すために今日まで生かされてきたのだ」と
号泣する元特攻隊員。」 映画は、このような場面の展開で、涙は絞られた。
敗戦から70年経ったいま、話せる人も、聞いて解る人も少なくなっていく。
伝えることで歴史は作られるのだから、ゆっくりしてはいられないのだ。
このブログの「一代記」を2年前に書こうと思い立ったときの心境と、
似たところがあるなと述懐している。