次は歌う会を設定してあり、「ナビオス横浜」に移動、3階ラウンジ横のカラオケルーム。
ここのロビーで珍しいもの発見? ロープの結び方の標本額が掛けてある。
海の街だ!
皆が順に唄う。
ウクライナの女性のルームサービスで予約していた時間いっぱい唄う。
「新しい歌は知らない・・・声が出ないのはマイクが悪いのじゃないか・・・」
と振ったりする。
高齢者のよくやる行動・・・
”田舎の羊”は、ひろい牧場で毎日遠慮なく大声で歌いもするし、話し声も自然と大きい。
皆とはひとつ位しか歳は違わないのに?
次第と古い歌となり「誰か故郷を思わざる」の合唱でお開きとして、
ラウンジでグラスを揺らしながら語らう。
ジャズピアノの生演奏があり、
「演奏している女性は?」とバーテンに聞くと、
「石田モモコさんです、石田純一の妹さん」という。
純一に妹がいたっけ? 誰か教えて!
予定の通り全て終了してホテルに帰る。
汽車道を通り観覧車などのネオンを眺めながら!
ホテルでも、ワインを飲むとまた話がはずむ。 友とはこんなものなんだ!
”初回の琵琶湖では、
クラス全員の写真を前に名前を思い出ながら皆で確認して、
どうしても思い出せない者が3名になたときは、午前3時を過ぎていた。”
O君と同室となる。彼はS県の部長で退職、設計事務所に数年以上勤めたそうだ。
県職時代に胃の全摘出をしたそうで、痩せてはいるが調子はいいと言う。
今は菊つくりで忙しいようだ。
家がわりと近かったので遊びに行った記憶があり、
当時女学生の姉が今は、寝たきりのような容態という。
「今はただ一人の身内だよ・・・」という。
MU君が来て3人で話し込む。
彼は親の転勤で終戦の1年ほど前に帰国したので、引揚げの苦しみは知らない。
クラスの写真も彼が持っていたものだ。
k電力退職後は地元の活動に加わっていたが、母親の介護を10数年、
「その母が亡くなった年に、続いて妻も逝ってしまってね・・・」と寂しくいう。
今は独り暮らし。5年前に舌癌の手術で言葉が少し不明瞭なときがあるが・・・。
12時前に就寝。ガラス越しに港の灯見える。 横浜だな・・・・!