とやま文化財百選事業の 「とやまの歴史的まちなみ」百選 に
◆埴生地区<北陸街道沿いの加宿で、古社の参道に家屋が建ち並ぶ町並み>が選定されました。
古社とは、平安時代末期、木曽義仲が倶利伽羅合戦(1183)の戦勝を祈願した埴生護国八幡宮のことです。
埴生護国八幡宮は、義仲が「火牛の計」により合戦に大勝したことから武士から弓矢の神として信仰を集めました。
埴生護国八幡宮
さらに、埴生護国八幡宮は
<戦国時代には、佐々成政・武田信玄・前田利家らの部将の信仰篤く、多くの寄進を受けた。江戸時代には、同社祈誓の霊験により加賀第二代藩主前田利長より護国の尊称を受け、手厚く保護されて来た。>ふるさとガイドおやべ 発行:小矢部市 より
こうして参道に門前町がつくられ、江戸時代になると加賀藩の参勤交代の為に整備された旧北陸道の宿場町として多くの茶屋や商家で賑わいました。
江戸時代の俳人であり、義仲を敬愛した松尾芭蕉も「奥の細道」の旅で、埴生護国八幡宮を参拝し倶利伽羅峠を越え金沢に向いました。
旧街道と旧宿場町の面影をたどりながら通りを歩いていると、
社会科見学でしょうか?
地元の小学生たちとすれ違いました。
左は、埴生護国八幡宮から150メートル程にある医王院です。裏手には弥生時代の古墳、若宮古墳があります。
医王院 若宮古墳
小学生たちは、200メートル程先にある小矢部ふるさと歴史館の方へ向って行きました。