OUR(団)らのブログ β版

元予備校講師、現高校教諭の宮本晃吉とその関係者らが作るブログです。

迷子の眼 第二回

2008-11-25 13:04:01 | D小峰
第1回はこちら(携帯ではリンクできないかもしれません)

どんな旅も、好奇心からはじまると僕は考えている。
まずは、動く為に、ちょっと新しい、楽しいことからはじめてみよう。

僕はこんな場所を与えていただいて、えらそうなことを書いているけれど、旅のベテランなんかでは全然ない。僕がしたといえる旅は、2つ。
 自転車日本一周と、初海外でのアフリカ最高峰キリマンジャロの登山。
このくらいだけれど、この二つだって、もちろんいきなりできた訳じゃないし、かんたんだった訳でもないし、大学生になってからのことだ。

高校生の頃、僕が好きだったのは、
放課後、定期圏内の駅にでたらめに降りることだった。
目的は無い。
ただ、電車を降りて、みたことのない街をふらふらと歩いた。
おもしろいことと必ずあう訳ではないけれど、
気持ちのむくままに、見知らぬ街を歩いた。
時おりは、みたことのあるような道に出たりする。
ネコがいっぱいいる通りに出たり、古道具屋さんに入ったり、
古本屋さんのほこりっぽい空気に浸ったりしていた。
みたことのない、路地裏がいっぱいあって、そのさきにはみたことのない景色があるはずで、
なんだかそれが不思議だった。
毎日、毎日同じ通学路を通って、学校へ行くことが当たり前になりすぎていたからかもしれない。
駅から駅へ線路沿いに一駅分あるいてもいいし、でたらめに歩いても良かった。
なんとなく気に入った道を歩いて、迷って夕方にまでなってしまって、うんざりして帰ったこともある。
でもその帰りに買った、100円の焼き鳥のことを、なぜか今も僕は憶えている。
全ての定期圏内の駅を制覇したときにも、行ったことの無い道はまだ、たくさん残っていた。

辛いことがあると、僕は走る。
いつものランニングとは違って、どこかへ、でたらめに向かう。
ある日、自転車にのって、東京と山梨の県境くらいまで行ってみたりした。
帰ろうと思うそのときにも、僕の進行方向に道はまだ続いていた。
その先を、いつか見てみたいと思った。
その先に、何があるのか。その先に、何をみたいのか。
僕は美術館が好きだから、美術館をみてみたいな、と思った。
石川県の、21世紀美術館。東京からなら、ちょっと日本縦断っぽくてかっこいいかも。
でも、お金がない。自転車でいくとしたら、移動費はかからないけれど、宿泊費がとてもかかる。
野宿をすればいいのか。でも、怖い。それに野宿をするにも、装備を買うお金がかかる。
とりあえずの問題の逃避に、僕はお金を貯めることにした。
夏休み半分の時点で、お金はじゅうぶんに貯まってしまった。
自転車を買った。テントも買った。料理をするためのコンロや、バーナーみたいなものも買った。
自転車とテントにお金を使いすぎたから、父親から寝袋をもらった。
どきどきした。誰か、知り合いにみられたらどうしようと思った。今更退くのもかっこわるくてできない。
勇気からというよりは、不安からくる焦りによって訳がわからなくなった気持ちを振り払う為に、僕はベダルを踏んだ。

僕はよく考えたら野宿どころかテントを張ったことも無くて、初野宿のテントの中で震えたり、コンロでラーメンをつくったりして初日をなんとか終えることができた。
はじめて自分でテントを張って、中に入ったときはなんだかびっくりした。
なんでこんなことをしているんだろう。そう、思った。

この後、僕は群馬の美術館を堪能したあと、金沢への峠を越えようとしたときに警察に「その装備だと凍死するぞ」と言われ金沢行きを断念し、帰るのもかっこわるいので、新潟に向かって糸魚川に沿って北上。
新潟の夕日をみながらお酒を飲んで、野犬にテントの周りを回られたり、ルートをロクに調べなかったりしたせいで日本の国道最高峰の峠にぶちあたったりしながらも帰ってきた。

技術も、知識も無かった。
ただ、誰もやってくれる人がいないと、不思議と身体は動いた。
「だいたいのことはなんとかなる」僕がはじめての自転車旅行で学んだのはこれだと思う。
行ったことの無い道や、やったことのないことに、自分から一歩踏み込んでみる。
その自分で動かした一歩が、こんどは自分を動かすのだと思う。
この翌年、僕は自転車で日本一周をし、さらに翌年、キリマンジャロに登頂する。

迷子の眼

2008-10-22 08:32:59 | D小峰
D小峰氏は小生の元教え子で非常にユニークで、才能のある大学生である。無理を言って連載を承知していただいた。感謝、感謝である。


僕の目的は、君を迷子にすることにある。

この文章を読んでくれている君は、
君の住む街の道を全て知っているだろうか。
隣街に自転車で行ったことは?

誰しも、迷子になったことがあると思う。
僕は小さいころ、祖母の家のまわりで遊んでいて迷子になった。
それはぞっとする経験だった。
泣きそうになりながらでたらめにぐるぐるとふらついたあげく、
祖母に発見されて終わりを迎えるのだけれど、いま思い返すとそのときみていた景色って面白いように思う。
迷子の眼は、全ての見知らぬ景色をつかまえて、全部不安にして取り込んでしまう。
だけどそれは強烈で、新鮮で、僕は今でもそれを憶えている。

知らない風景をみる機会は結構あると思う。
たとえば、修学旅行や新しい友達の家へいくとき。

でも、そのとき。
誰かに手を引かれて歩いているとき。君は見知らぬ風景を恐れるだろうか。
そして、それを記憶に留めるだろうか。

恐れた風景は記憶に焼き付く。
もし、迷子になった君が開き直って自分の好きな方向へ行けるようになったなら、どうだろう。
不安はきっと消えない。
だけど、それを楽しめるようになる。
新しい不安を飲み込むと、それは新鮮さに変わり、おもしろさに変わっていく。
旅に出ることは迷子になることに似ていると僕は思う。
不安を自分で飲み込んで、自分自身を迷子にするのだ。

北海道の山中で自転車のタイヤを破損して突っ立っているとき
初めての海外で訪れたアフリカでお金が足りなくなりそうになったとき。

どちらも僕は怖かった。
だけど、そんな状況を楽しんでもいた

やりたいことがない、何かをしたいけれどその何かがわからない。努力もできない。
そんな僕みたいな君のために、僕のアホ話をさせてもらいたい。
僕は、高校生の時、やりたいことはあったけれど勇気が無くて、それを為し遂げるための努力もしないで逃げた。努力しても、すぐに上達しないとそのいらだちですぐにあきらめてしまうのだ。
僕が求めたのは、「今、すぐに」自分を肯定してくれる都合の良いものだったから。
ただ、ひたすらに本を読んで、心を閉ざしていじけていた。
そんな僕が、一年浪人して大学に入る。
人間はそう変わるものでもなく、同じような日々を過ごしていた。

日々の虚しさに潰されてしまわないために、大学二年。
僕は大学から逃げた。
百日オーバーの自転車日本一周の、派手な現実逃避だ。
能力もない、努力もしていない。そんな僕でも、自転車はこぐことができた。
旅は、何も無い僕に意味を与えてくれた。
最初からこんなことができた訳じゃない。
やっぱり現実逃避に、「通学定期範囲内の駅を片っ端から降りて意味もなく散歩する」ことから
少しずつ、こんなことをしようと思えるようになった。

自分で自分をつぶしてしまわないために。ちいさな旅で良い。
ちいさな旅を、こころにひとつもとう。
技術はいらない。勇気を持って、旅に出れば、まわりが君を無理矢理動かす。
それは不安を飲み込んで、楽しみにしてくれる迷子の眼を与えてくれる。
「地元の街の道をすべてランニングしてみる」、「自転車でとなり街の知らない道をうろうろしてみる」、
「地元の山に登ってみる」、「降りたことのない電車の駅で降りてみる」。
みんなみんな旅だ。
知らない道を、街を、迷子になって歩くことはもういちど日常へ向かう勇気を与えてくれる。
日々の中で、息苦しく感じることがあったなら、それをずっと無理してため込むことはない。
逃げよう。

そのために、くだらない僕の旅の馬鹿話をしてみたいと思う。