第1回はこちら(携帯ではリンクできないかもしれません)
どんな旅も、好奇心からはじまると僕は考えている。
まずは、動く為に、ちょっと新しい、楽しいことからはじめてみよう。
僕はこんな場所を与えていただいて、えらそうなことを書いているけれど、旅のベテランなんかでは全然ない。僕がしたといえる旅は、2つ。
自転車日本一周と、初海外でのアフリカ最高峰キリマンジャロの登山。
このくらいだけれど、この二つだって、もちろんいきなりできた訳じゃないし、かんたんだった訳でもないし、大学生になってからのことだ。
高校生の頃、僕が好きだったのは、
放課後、定期圏内の駅にでたらめに降りることだった。
目的は無い。
ただ、電車を降りて、みたことのない街をふらふらと歩いた。
おもしろいことと必ずあう訳ではないけれど、
気持ちのむくままに、見知らぬ街を歩いた。
時おりは、みたことのあるような道に出たりする。
ネコがいっぱいいる通りに出たり、古道具屋さんに入ったり、
古本屋さんのほこりっぽい空気に浸ったりしていた。
みたことのない、路地裏がいっぱいあって、そのさきにはみたことのない景色があるはずで、
なんだかそれが不思議だった。
毎日、毎日同じ通学路を通って、学校へ行くことが当たり前になりすぎていたからかもしれない。
駅から駅へ線路沿いに一駅分あるいてもいいし、でたらめに歩いても良かった。
なんとなく気に入った道を歩いて、迷って夕方にまでなってしまって、うんざりして帰ったこともある。
でもその帰りに買った、100円の焼き鳥のことを、なぜか今も僕は憶えている。
全ての定期圏内の駅を制覇したときにも、行ったことの無い道はまだ、たくさん残っていた。
辛いことがあると、僕は走る。
いつものランニングとは違って、どこかへ、でたらめに向かう。
ある日、自転車にのって、東京と山梨の県境くらいまで行ってみたりした。
帰ろうと思うそのときにも、僕の進行方向に道はまだ続いていた。
その先を、いつか見てみたいと思った。
その先に、何があるのか。その先に、何をみたいのか。
僕は美術館が好きだから、美術館をみてみたいな、と思った。
石川県の、21世紀美術館。東京からなら、ちょっと日本縦断っぽくてかっこいいかも。
でも、お金がない。自転車でいくとしたら、移動費はかからないけれど、宿泊費がとてもかかる。
野宿をすればいいのか。でも、怖い。それに野宿をするにも、装備を買うお金がかかる。
とりあえずの問題の逃避に、僕はお金を貯めることにした。
夏休み半分の時点で、お金はじゅうぶんに貯まってしまった。
自転車を買った。テントも買った。料理をするためのコンロや、バーナーみたいなものも買った。
自転車とテントにお金を使いすぎたから、父親から寝袋をもらった。
どきどきした。誰か、知り合いにみられたらどうしようと思った。今更退くのもかっこわるくてできない。
勇気からというよりは、不安からくる焦りによって訳がわからなくなった気持ちを振り払う為に、僕はベダルを踏んだ。
僕はよく考えたら野宿どころかテントを張ったことも無くて、初野宿のテントの中で震えたり、コンロでラーメンをつくったりして初日をなんとか終えることができた。
はじめて自分でテントを張って、中に入ったときはなんだかびっくりした。
なんでこんなことをしているんだろう。そう、思った。
この後、僕は群馬の美術館を堪能したあと、金沢への峠を越えようとしたときに警察に「その装備だと凍死するぞ」と言われ金沢行きを断念し、帰るのもかっこわるいので、新潟に向かって糸魚川に沿って北上。
新潟の夕日をみながらお酒を飲んで、野犬にテントの周りを回られたり、ルートをロクに調べなかったりしたせいで日本の国道最高峰の峠にぶちあたったりしながらも帰ってきた。
技術も、知識も無かった。
ただ、誰もやってくれる人がいないと、不思議と身体は動いた。
「だいたいのことはなんとかなる」僕がはじめての自転車旅行で学んだのはこれだと思う。
行ったことの無い道や、やったことのないことに、自分から一歩踏み込んでみる。
その自分で動かした一歩が、こんどは自分を動かすのだと思う。
この翌年、僕は自転車で日本一周をし、さらに翌年、キリマンジャロに登頂する。
どんな旅も、好奇心からはじまると僕は考えている。
まずは、動く為に、ちょっと新しい、楽しいことからはじめてみよう。
僕はこんな場所を与えていただいて、えらそうなことを書いているけれど、旅のベテランなんかでは全然ない。僕がしたといえる旅は、2つ。
自転車日本一周と、初海外でのアフリカ最高峰キリマンジャロの登山。
このくらいだけれど、この二つだって、もちろんいきなりできた訳じゃないし、かんたんだった訳でもないし、大学生になってからのことだ。
高校生の頃、僕が好きだったのは、
放課後、定期圏内の駅にでたらめに降りることだった。
目的は無い。
ただ、電車を降りて、みたことのない街をふらふらと歩いた。
おもしろいことと必ずあう訳ではないけれど、
気持ちのむくままに、見知らぬ街を歩いた。
時おりは、みたことのあるような道に出たりする。
ネコがいっぱいいる通りに出たり、古道具屋さんに入ったり、
古本屋さんのほこりっぽい空気に浸ったりしていた。
みたことのない、路地裏がいっぱいあって、そのさきにはみたことのない景色があるはずで、
なんだかそれが不思議だった。
毎日、毎日同じ通学路を通って、学校へ行くことが当たり前になりすぎていたからかもしれない。
駅から駅へ線路沿いに一駅分あるいてもいいし、でたらめに歩いても良かった。
なんとなく気に入った道を歩いて、迷って夕方にまでなってしまって、うんざりして帰ったこともある。
でもその帰りに買った、100円の焼き鳥のことを、なぜか今も僕は憶えている。
全ての定期圏内の駅を制覇したときにも、行ったことの無い道はまだ、たくさん残っていた。
辛いことがあると、僕は走る。
いつものランニングとは違って、どこかへ、でたらめに向かう。
ある日、自転車にのって、東京と山梨の県境くらいまで行ってみたりした。
帰ろうと思うそのときにも、僕の進行方向に道はまだ続いていた。
その先を、いつか見てみたいと思った。
その先に、何があるのか。その先に、何をみたいのか。
僕は美術館が好きだから、美術館をみてみたいな、と思った。
石川県の、21世紀美術館。東京からなら、ちょっと日本縦断っぽくてかっこいいかも。
でも、お金がない。自転車でいくとしたら、移動費はかからないけれど、宿泊費がとてもかかる。
野宿をすればいいのか。でも、怖い。それに野宿をするにも、装備を買うお金がかかる。
とりあえずの問題の逃避に、僕はお金を貯めることにした。
夏休み半分の時点で、お金はじゅうぶんに貯まってしまった。
自転車を買った。テントも買った。料理をするためのコンロや、バーナーみたいなものも買った。
自転車とテントにお金を使いすぎたから、父親から寝袋をもらった。
どきどきした。誰か、知り合いにみられたらどうしようと思った。今更退くのもかっこわるくてできない。
勇気からというよりは、不安からくる焦りによって訳がわからなくなった気持ちを振り払う為に、僕はベダルを踏んだ。
僕はよく考えたら野宿どころかテントを張ったことも無くて、初野宿のテントの中で震えたり、コンロでラーメンをつくったりして初日をなんとか終えることができた。
はじめて自分でテントを張って、中に入ったときはなんだかびっくりした。
なんでこんなことをしているんだろう。そう、思った。
この後、僕は群馬の美術館を堪能したあと、金沢への峠を越えようとしたときに警察に「その装備だと凍死するぞ」と言われ金沢行きを断念し、帰るのもかっこわるいので、新潟に向かって糸魚川に沿って北上。
新潟の夕日をみながらお酒を飲んで、野犬にテントの周りを回られたり、ルートをロクに調べなかったりしたせいで日本の国道最高峰の峠にぶちあたったりしながらも帰ってきた。
技術も、知識も無かった。
ただ、誰もやってくれる人がいないと、不思議と身体は動いた。
「だいたいのことはなんとかなる」僕がはじめての自転車旅行で学んだのはこれだと思う。
行ったことの無い道や、やったことのないことに、自分から一歩踏み込んでみる。
その自分で動かした一歩が、こんどは自分を動かすのだと思う。
この翌年、僕は自転車で日本一周をし、さらに翌年、キリマンジャロに登頂する。