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通小町

2020-01-21 18:07:29 | 詞章
『通小町』(検索キー 竹サポ)
※「:」は、節を表す記号の代用。
【僧の登場】
ワキ「これは八瀬の山里に
  一夏(いちげ)を送る僧にて候、
  ここにいづくとも知らず
  女性(にょしょう)一人(いちにん)、
  毎日木の実、爪木(つまぎ)を
  持ちて来たり候、
  今日も来たりて候はば、
  いかなる者ぞと
  名を尋ねばやと思ひ候

【里女の登場】
ツレ:拾ふ爪木(つまぎ)も
  炷物(たきもの)の、
  拾ふ爪木も炷物の、
  匂はぬ袖ぞ悲しき
ツレ:これは市原野のあたりに
  住む女にて候
  「さても八瀬の山里に
  尊き人のおん入り候ふほどに、
  いつも木の実、
  爪木(つまぎ)を持ちて参り候、
  今日もまた参らばやと思ひ候

【里女、僧の応対】
ツレ「いかに申し候、
  またこそ参りて候へ
ワキ「いつも来たれる人か、
  今日は木の実の数々、
  おん物語り候へ
ツレ:拾ふ木の実は
  何々(なになに)ぞ
地:拾ふ木の実は
  何々ぞ
ツレ:いにしへ見なれし
  車に似たるは、
  嵐にもろき落椎(おちじい)
地:歌人の家の木の実には
ツレ:人丸(ひとまる)の
  垣穂(かきほ)の柿、
  山の辺(やまのべ)の
  笹栗(ささぐり)
地:窓の梅
ツレ:園の桃
地:花の名にある桜麻(さくらあさ)の、
  苧生の浦(おおのうら)
  梨(なし)なほもあり、
  櫟(いちい)香椎(かしい)
  真手葉椎(まてばしい)、
  大小(だいしょう)柑子(かんじ)、
  金柑(きんかん)、
  あはれ昔の恋しきは、
  花橘(はなたちばな)の
  一枝(ひとえだ)、
  花橘の一枝

【里女の中入】
ワキ「木の実の数々は承はりぬ、
  さてさておん身は
  いかなる人ぞ、
  名をおん名乗り候へ
ツレ:恥づかしやおのが名を
地:小野とは言はじ、
  薄(すすき)生(お)ひたる
  市原野辺(のべ)に
  住む姥(うば)ぞ、
  跡弔(と)ひたまへお僧とて、
  かき消すやうに失せにけり、
  かき消すやうに失せにけり

【僧の独白】
ワキ「かかる不思議なることこそ
  候はね、
  ただいまの女の名を
  くはしく尋ねて候へば、
  小野とは言はじ、
  薄生ひたる市原野辺に
  住む姥ぞと申し、
  かき消すやうに失せて候、
  ここに思ひ合はすることの候、
  ある人市原野を通りしに、
  薄一叢(ひとむら)生ひたる
  蔭よりも
  :秋風の、
  吹くにつけても
  あなめあなめ
  「小野とは言はじ、
  薄生ひけりとあり、
  これ小野の小町の歌なり、
  さては疑ふところもなく、
  ただいまの女性は
  小野の小町の幽霊と
  思ひ候ふほどに、
  かの市原野に行き、
  小町の跡を
  弔はばやと思ひ候

【僧の待受】
ワキ:この草庵を立ち出でて、
  この草庵を立ち出でて、
  なほ草深く露しげき、
  市原野辺に尋ね行き、
  座具(ざぐ)をのべ香を焚き
ワキ:南無幽霊
  成等(じょうとう)正覚、
  出離(しゅつり)生死(しょうじ)
  頓証(とんしょう)菩提

【小町、少将の応対】
ツレ:嬉しのお僧の弔ひやな、
  同じくは戒(かい)授けたまへ
  お僧
シテ:いや叶ふまじ、
  戒授けたまはば
  うらみ申すべし、
  はや帰りたまへ
  お僧
ツレ:こはいかに、
  たまたまかかる
  法(のり)に遇えば、
  なほその苦患(くげん)を
  見せんとや
シテ:二人(ふたり)見るだに
  悲しきに、
  おん身一人(いちにん)
  仏道成らば
  わが思ひ、
  重きが上の
  小夜衣(さよごろも)、
  かさねて憂き目を
  三瀬川(みつせがわ)に、
  沈み果てなばお僧の、
  授けたまへる
  かひもあるまじ、
  はや帰りたまへや、
  お僧たち
地:なほもその身は迷ふとも、
  なほもその身は迷ふとも、
  戒力(かいりき)に引かれば、
  などか仏道成らざらん、
  ただともに戒を
  受けたまへ
ツレ:人の心は白雲の、
  われは曇らじ心の月、
  出でてお僧に弔はれんと、
  薄(すすき)押し分け
  出でければ
シテ:包めどわれも穂に出でて、
  包めどわれも穂に出でて、
  尾花(おばな)招かば
  止まれかし
ツレ:思ひは山の鹿(かせき)にて、
  招くとさらに
  止まるまじ
シテ:さらば煩悩の犬となって、
  打たるると離れじ
ツレ:恐ろしの姿や
シテ:袂(たもと)を取って
  引き止むる
ツレ:引かかる袖も
シテ:ひかふる
地:わが袂も、
  ともに涙の露、
  深草の少将

【小町、少将の物語】
ワキ:さては小野の小町、
  四位(しい)の少将にて
  ましますかや、
  とてものことに
  車の榻(しじ)に、
  百夜(ももよ)通ひし所を
  学(まの)うでおん見せ候へ
ツレ:もとよりわれは白雲も、
  かかる迷ひのありけるとは
シテ:思ひも寄らぬ
  車の榻(しじ)に、
  百夜(ももよ)通へと偽りしを
  :まことと思ひ
  「暁ごとに忍び
  車の榻に行けば
ツレ:車の物見もつつましや、
  姿を変へよと言ひしかば
シテ「輿車(こしくるま)は
  言ふにおよばず
ツレ:いつか思ひは
地:山城(やましろ)の
  木幡(こはた)の里に
  馬はあれども
シテ:君を思へば
  徒歩(かち)跣足(はだし)
ツレ:さてその姿は
シテ:笠に蓑(みの)
ツレ:身の憂き世とや竹の杖
シテ:月には行くも暗からず
ツレ「さて雪には
シテ「袖をうち払い
ツレ:さて雨の夜(よ)は
シテ:目に見えぬ
  「鬼一口も恐ろしや
ツレ:たまたま曇らぬ時だにも
シテ:身一人(ひとり)に降る涙の雨か
《立廻り》
シテ:あら暗(くら)の夜(よ)や
ツレ:夕暮れは、
  ひとかたならぬ思ひかな
シテ:夕暮れは何と
地:ひとかたならぬ、思ひかな
シテ:月は待つらん月をば待つらん、
  われをば待たじ、虚言(そらごと)や
地:暁は、暁は、数々多き、思ひかな
シテ:わがためならば
地:鳥もよし鳴け、
  鐘もただ鳴れ、
  夜(よ)も明けよ、
  ただ独り寝ならば、辛からじ

【終曲】
シテ:かやうに心を、
  尽くし尽くして
地:かやうに心を、
  尽くし尽くして、榻(しじ)の数々、
  よみて見たれば、
  九十九夜(くじゅうくよ)なり、
  いまは一夜(ひとよ)よ、
  嬉しやとて、待つ日になりぬ、
  急ぎて行かん、姿はいかに
シテ:笠も見苦し
地:風折(かざおり)烏帽子
シテ:蓑をも脱ぎ捨て
地:花摺衣(はなすりごろも)の
シテ:藤袴(ふじばかま)
地:待つらんものを
シテ:あら忙しや、すははや今日も
地:紅(くれない)の狩衣(かりぎぬ)の、
  衣紋(えもん)けたかく
  引きつくろひ、
  飲酒(おんじゅ)はいかに、
  月の盃なりとても、
  戒(いまし)めならば保たんと、
  ただ一念の悟りにて、
  多くの罪を滅して、
  小野の小町も少将も、
  ともに仏道成りにけり、
  ともに仏道成りにけり

※『能楽名作選 上巻』より(本書は観世流を採用)


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