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隅田川

2020-03-19 16:12:48 | 詞章
『隅田川』 Bingにて 隅田川 竹サポ 能を で検索を推奨。
※「:」は、節を表す記号の代用。

【渡守の登場】
ワキ「これは武蔵の国隅田川の
  渡守(わたしもり)にて候、
  今日(こんにった)は舟を急ぎ
  人々を渡さばやと存じ候、
  またこの在所(ざいしょ)に
  さる子細あって、
  大念仏(だいねんぶつ)を
  申すことの候ふあひだ、
  僧俗を嫌はず
  人数(にんじゅ)を集め候、
  そのよし
  みなみな心得候へ

【都人の登場】
ワキヅレ:末も東(あずま)の旅衣、
  末も東の旅衣、
  日もはるばるの心かな
ワキヅレ「かやうに候ふ者は
  都の者にて候、
  われ東に知る人の
  候ふほどに、
  かの者を尋ねて
  ただいま
  まかり下り候
ワキヅレ:雲霞(くもかすみ)、
  あと遠山(とおやま)に
  越えなして、
  あと遠山に越えなして、
  幾(いく)関々の道すがら、
  国々過ぎて行くほどに、
  ここぞ名に負ふ隅田川、
  渡りに早く着きにけり、
  渡りに早く着きにけり
ワキヅレ「急ぎ候ふほどに、
  これははや
  隅田川の渡りにて候、
  またあれを見れば
  舟が出で候、
  急ぎ乗らばやと存じ候

【渡守、都人の応対】
ワキヅレ「いかに船頭殿、
  舟に乗らうずるにて候
ワキ「なかなかのこと
  召され候へ、
  まづまづおん出(に)で
  候ふあとの、
  けしからず
  物忩(ぶっそう)に候ふは
  なにごとにて候ふぞ
ワキヅレ「さん候(ぞうろう)、
  都より女物狂の下り候ふが、
  是非もなく
  面白う狂ひ候ふを
  見候ふよ
ワキ「さやうに候はば、
  しばらく船をとどめて、
  かの物狂を
  待たうずるにて候

【狂女の登場】
シテ:げにや人の親の心は
  闇にあらねども、
  子を思ふ道に迷ふとは、
  いまこそ思ひ白雪の、
  道行き人に
  言伝(ことづ)てて、
  行方をなにと尋ぬらん
シテ:聞くやいかに、
  上(うわ)の空なる風だにも
地:松に音するならひあり

《カケリ》

シテ:真葛(まくず)が原の
  露の世に
地:身を恨みてや
  明け暮れん
シテ:これは都北白川に、
  年経て住める女なるが、
  思はざるほかに
  一人子(ひとりご)を、
  人商人(ひとあきびと)に
  誘はれて、
  行方を聞けば逢坂の、
  関の東(ひがし)の国遠き、
  東(あずま)とかやに下りぬと、
  聞くより心乱れつつ、
  そなたとばかり思ひ子(ご)の、
  跡を尋ねて迷ふなり
地:千里(ちさと)を行くも親心、
  子を忘れぬと聞くものを
地:もとよりも、
  契り仮なる一つ世の、
  契り仮なる一つ世の、
  そのうちをだに添ひもせで、
  ここやかしこに親と子の、
  四鳥(しちょう)の別れ
  これなれや、
  尋ぬる心の果てやらん、
  武蔵の国と、
  下総(しもつさ)の中にある、
  隅田川にも着きにけり、
  隅田川にも着きにけり

【狂女、渡守の応対】
シテ「のうのうわれをも舟に
  乗せてたまはり候へ
ワキ「おことはいづくより
  いづかたへ下る人ぞ
シテ「これは都より人を尋ねて
  下る者にて候
ワキ「都の人といひ
  狂人(きょうじん)といひ、
  面白う狂うて見せ候へ、
  狂はずは
  この舟には乗せまじいぞとよ
シテ「うたてやな
  隅田川の渡守ならば、
  日も暮れぬ、
  舟に乗れとこそ
  承はるべけれ
  :形(かた)のごとくも
  都の者を、
  舟に乗るなと承はるは、
  隅田川の渡守とも、
  覚えぬことな
  のたまひそよ
ワキ「げにげに
  都の人とて
  名にし負ひたる優しさよ
シテ「のう
  その言葉はこなたも
  耳にとまるものを、
  かの業平もこの渡りにて
シテ:名にし負はば、
  いざ言(こと)問はん
  都鳥(みやこどり)、
  わが思ふ人は、
  ありやなしやと
シテ「のう
  舟人(ふなびと)、
  あれに白き鳥の見えたるは、
  都にては見馴(な)れぬ鳥なり、
  あれをば何と申し候ふぞ
ワキ「あれこそ沖の
  鷗(かもめ)候(ぞうろ)ふよ
シテ「うたてやな
  浦にては千鳥(ちどり)ともいへ
  鷗(かもめ)ともいへ、
  などこの隅田川にて
  白き鳥をば、
  都鳥とは答へたまはぬ
ワキ:げにげに
  誤り申したり、
  名所には住めども心なくて、
  都鳥とは答へ申さで
シテ:沖の鷗と夕波の
ワキ:昔に帰る業平も
シテ:ありやなしやと
  言(こと)問ひしも
ワキ:都の人を思ひ妻
シテ:わらはも東(あずま)に
  思ひ子(ご)の、
  行方を問ふは同じ心の
ワキ:妻を忍び
シテ:子を尋ぬるも
ワキ:思ひは同じ
シテ:恋路なれば
地:われもまた、
  いざ言問はん都鳥(みやこどり)、
  いざ言問はん都鳥、
  わが思ひ子は東路(あずまじ)に、
  ありやなしやと、
  問へども問へども、
  答へぬはうたて都鳥、
  鄙(ひな)の鳥とや言ひてまし、
  げにや船競(ふなぎお)ふ、
  堀江の川の水際(みなぎわ)に、
  来居つつ鳴くは都鳥、
  それは難波江(なにわえ)
  これはまた、
  隅田川の東(あずま)まで、
  思へば限りなく、
  遠くも来ぬるものかな、
  さりとては渡守、
  舟こぞりてせばくとも、
  乗せさせたまへ渡守、
  さりとては
  乗せてたびたまへ

【渡守の物語】
ワキ「かかる優しき
  狂女こそ候はね、
  急いで船に乗り候へ、
  この渡りは大事の渡りにて候、
  かまへて静かに召され候へ、
  さいぜんの人も舟に召され候へ
ワキヅレ「のう
  あの向かひの柳のもとに、
  人の多く集まりて候ふは
  なにごとにて候ふぞ
ワキ「さん候(ぞうろう)、
  あれは大念仏(だいねんぶつ)にて候、
  それにつきて
  あはれなる物語の候、
  この舟の向かひへ
  着き候はんほどに
  語って聞かせ申さうずるにて候
ワキ「さても去年
  三月(さんがち)十五(じうご)日、
  しかも今日(こんにち)にあひ
  当たりて候、
  人商人(ひとあきびと)の都より、
  年のほど十二三ばかりなる
  幼き者を買ひ取って
  奥へ下り候ふが、
  この幼き者いまだならはぬ
  旅の疲れにや、
  もってのほかに違例(いれい)し、
  いまは一足(ひとあし)も
  引かれずとて、
  この川岸にひれ伏し候ふを、
  なんぼう世には
  情けなき者の候ふぞ、
  この幼き者をば
  そのまま路次(ろし)に捨てて、
  商人(あきびと)は奥へ下って候、
  さるあひだ
  この辺(へん)の人々、
  この幼き者の姿を見候ふに、
  よしありげに見え候ふほどに、
  さまざまにいたはりて候へども、
  前世(ぜんぜ)のことにてもや
  候ひけん、
  たんだ弱りに弱り、
  すでに末期(まつご)と見えし時、
  おことはいづくいかなる人ぞと、
  父の名字(みょうじ)をも
  国をも尋ねて候へば、
  われは都北白川(きたしらかわ)に、
  吉田の何某(なにがし)と
  申しし人の
  ただ一人子(ひとりご)にて候ふが、
  父には後れ
  母(はわ)ばかりに
  添ひ参らせ候ひしを、
  人商人に拐(かど)はされて
  かやうになり行き候、
  都の人の足(あし)手(て)影(かげ)も
  懐かしう候へば、
  この道のほとりに
  築(つ)きこめて、
  標(しるし)に柳を
  植ゑてたまはれと、
  おとなしやかに申し、
  念仏四五返唱へ、
  つひにこと終はって候、
  なんぼうあはれなる
  物語にて候ふぞ
ワキ「見申せば舟中(せんちう)にも
  少々(しょうしょう)都の人も
  御座ありげに候、
  逆縁(ぎやくえん)ながら
  念仏をおん申し候ひて
  おん弔ひ候へ、
  よしなき長物語(ながものがた)りに
  舟が着いて候、
  とうとうおん上がり候へ
ワキヅレ「いかさま
  今日(こんにった)は
  この所に
  逗留(とうりう)つかまつり候ひて、
  逆縁ながら
  念仏を申さうずるにて候
ワキ「それがしも
  船をとどめ、
  おん後より参らうずるにて候

【狂女、渡守の応対】
ワキ「いかにこれなる狂女、
  なにとて舟よりは下りぬぞ
  急いで上がり候へ、
  あら優しや
  いまの物語を聞き候ひて
  落涙し候ふよ、
  のう
  急いで船より上がり候へ
シテ「のう
  船人、
  いまの物語は
  いつのことにて候ふぞ
ワキ「去年三月(さんがち)
  今日のことにて候
シテ「さてその児(ちご)の年は
ワキ「十二歳
シテ「主(ぬし)の名は
ワキ「梅若丸
シテ「父の名字は
ワキ「吉田の何某(なにがし)
シテ「さてそののちは
  親とても尋ねず
ワキ「親類とても尋ね来ず
シテ「まして母(はわ)とても
  尋ねぬよのう
ワキ「思ひも寄らぬこと
シテ:のう
  親類とても親とても、
  尋ねぬこそ理(ことわり)なれ、
  その幼き者こそ、
  この物狂が
  尋ぬる子にてはさむらへとよ、
  のう
  これは夢かや
  あらあさましや候(ぞうろう)
ワキ「言語道断のことにて
  候ふものかな、
  いままではよそのこととこそ
  存じて候へ、
  さてはおん身の子にて
  候ひけるぞや、
  あらいたはしや候(ぞうろう)、
  かの人の墓所(むしょ)を
  見せ申し候ふべし、
  こなたへおん出(に)で候へ

【狂女の慨嘆】
ワキ「これこそ亡き人の
  標(しるし)にて候よ、
  よくよくおん弔ひ候へ
シテ:いままでは
  さりとも逢はんを頼みにこそ、
  知らぬ東(あずま)に下りたるに、
  いまはこの世に亡き跡の、
  標(しるし)ばかりを見ることよ、
  さても無残や死の縁とて、
  生所(しょうじょ)を去って
  東(あずま)の果ての、
  道のほとりの土となりて、
  春の草のみ生ひ茂りたる、
  この下にこそあるらめや
地:さりとては人々、
  この土を返していま一度、
  この世の姿を、
  母(はわ)に見せさせたまへや
地:残りても、
  かひあるべきは空しくて、
  かひあるべきは空しくて、
  あるはかひなき菷木(はわきぎ)の、
  見えつ隠れつ面影の、
  定めなき世のならひ、
  人間愁ひの花盛り、
  無常の嵐音添ひ、
  生死(しょうじ)長夜(じょうや)の
  月の影、
  不定(ふじょう)の雲覆へり、
  げに目の前の憂き世かな、
  げに目の前の憂き世かな

【狂女、渡守の念仏】
ワキ「いまは何と
  おん歎き候ひても
  かひなきこと、
  ただ念仏をおん申し候ひて
  後世(ごせ)をおん弔ひ候へ
ワキ:すでに月出で川風も、
  はや更け過ぐる夜念仏(よねぶつ)の、
  時節なればと面々に、
  鉦鼓(しょうご)を鳴らし勧むれば
シテ:母(はわ)はあまりの悲しさに、
  念仏をさへ申さずして、
  ただひれ伏して泣き居たり
ワキ「うたてやな
  余(よ)の人多くましますとも、
  母(はわ)の弔ひたまはんをこそ、
  亡者(もうじゃ)も
  喜びたまふべけれと
  :鉦鼓を母に参らすれば
シテ:わが子のためと聞けばげに、
  この身も鳬鐘(ふしょう)を
  取り上げて
ワキ:歎きを止(とど)め声澄むや
シテ:月の夜念仏(よねぶつ)
  もろともに
ワキ:心は西へと一筋に
シテ、ワキ:南無や
  西方(さいほう)極楽世界、
  三十六(さんじうろく)万億(まんのく)、
  同号(どうごう)同名(どうみょう)
  阿弥陀仏(あみだぶつ)
地:南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、
  南無阿弥陀仏(ぶつ)、
  南無阿弥陀仏(ぶつ)、
  南無阿弥陀仏(なむあみだぶ)
シテ:隅田川原の、
  波風も、
  声立て添へて
地:南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、
  南無阿弥陀仏(ぶつ)、
  南無阿弥陀仏(ぶつ)
シテ:名にし負はば、
  都鳥も音(ね)を添へて
地、子方:南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、
  南無阿弥陀仏(ぶつ)、
  南無阿弥陀仏(ぶつ)

【終曲】
シテ「のうのう
  いまの念仏(ねぶつ)のうちに、
  まさしくわが子の
  声の聞こえ候、
  この塚の内にて
  ありげに候ふよ
ワキ「われらも
  さやうに聞きて候、
  所詮こなたの念仏をば
  止(とど)め候ふべし、
  母(はわ)御一人(ごいちにん)
  おん申し候へ
シテ:いま一声(ひとこえ)こそ
  聞かまほしけれ
シテ:南無阿弥陀仏(なむあみだぶ)
子方:南無阿弥陀仏(ぶつ)、
  南無阿弥陀仏(ぶ)と
地:声のうちより、
  幻に見えければ
シテ:あれはわが子か
子方:母(はわ)にてましますかと
地:たがひに、
  手に手を取り交はせばまた、
  消(き)え消(き)えとなり行けば、
  いよいよ思ひは
  真澄(ます)鏡(かがみ)、
  面影も幻も、
  見えつ隠れつするほどに、
  東雲(しののめ)の空もほのぼのと、
  明け行けば跡絶えて、
  わが子と見えしは塚の上の、
  草茫々(ぼうぼう)としてただ、
  標(しるし)ばかりの
  浅茅(あさじ)が原と、
  なるこそあはれなりけれ、
  なるこそあはれなりけれ

※出典『能を読むⅢ』(本書は観世流を採用)


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