チャーリーの青空トーク

60を過ぎた頑固ジジイが、ライフワークの「姓名判断」と「幸福に生きるには」を勝手に語るブログ。

死んじゃダメ! 死ななくても大丈夫だよ。

2020-06-09 10:29:20 | Life & Sex
高校生の拳銃自殺というショッキングなニュースが流れています。
アメリカのニュースか?と思ったくらい違和感を感じました。さらに、この拳銃自殺ばかりかSNSから発信される中学生・高校生が列車に飛び込む自殺の多い事に悲しさ、憤り、恐怖と言った重くネガティブな気分に包まれてしまいました。

チャーリーも中学生の時に不登校になりました。その時の閉塞感は、未だに心を暗くします。原因の本質は自分にあります。学校と家庭という双方の大人の創った枠に入った自分を造ることが出来ませんでした。その時の暗く重い日々は、同じ立場を経験した者しか解らないでしょう。「死んじゃおうか?」と本気で命を断ち、日々の生活がら逃れようとする気分がフッと頭をもたげます。当時チャーリーは6階建てのビルに住んで居ました。なん度、屋上の策を超えて空中に身を投げようとしたことか・・・でも実行出来ずに、屋上の片隅でうずくまっていた事はハッキリと覚えています。

自殺を回避出来たのは、第一に死の恐怖、第二に時間の経過、第三に周囲の大人が逃げ道のヒントを与えてくれた事。で、なんとか死なずに済みました。

今振り返ると、その原因は自分が弱かったんです。父親、母親が望むような自分を演じ、学校でも問題の無い生徒になる為に随分背伸びをしていたんです。つまり、周囲の大人の顔色を伺い、空気を読んで波風立てないようにと、自分で自分に嘘をついていた。その結果、本人の主体性を失い、家でも学校でも居場所が無くなり、思い詰めて、「もう、どうにもならない。」と・・・

簡単なことなんです。「オレはオレ」という、人が生きるための本質を知らなかった・・・

主体性っていかに大事なものか解かります。難しいですが、「我が侭」と「主体性」は全く次元の違う話です。「主体性」が存在する上には、「個」と「個」、「個」と「社会」がお互いを尊重し初めて成り立つものと理解します。

ところが、現在の日本の社会は(チャーリーの中学生当時も)この「主体性」を大切にしない傾向があるのではと・・・「個」を尊重しない、または「個」と「社会」の関係を断って判断する教育を推し進めているように感じます。コロナのロックダウンもその典型です。

話が逸れましたが、死んじゃダメなんです。 死ぬ必要なんて何処に無いんです。イジメを受けていて、学校に居場所がなければ、学校に行かなきゃいいじゃん。引きこもってしまう事も有りでしょ。そして時間の経過を味方にして、一年ダブって留年すりゃ良いんです。 そこで、またイジメられたら、開き直って、「オレはオレ」「私は私」と好きな事をやれば良いんです。

人を傷つけるたり殺めたりしなければ、どんな生き方でも有りです。

死ぬ事はありません。 生きていればなんとかなる。 笑える日も来る。 ってやつです。 自由に生きる。 ここに生まれて来た価値があり意味が存在します。 

空気を読まない。 顔色を伺わない。 自分のいる場所で出来なければ、そこから飛び出しなさい。 長い時間掛けて自分の居場所を見つける旅も素敵な人生だと思いますヨ。













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