働くという事はどういうことなのか。
生きるために働く。もちろんそうだろう
お金の為に働く。 なるほど。
家族の命を支える為に働く。それもありますね。
もう10年前の話になってしまうが。
ある日、私の勤め先の海産物加工の会社に掃除の仕事に老夫婦がやって来た。
中国から帰ってきた帰国子女、とっても70過ぎの老夫婦だから子女といってもちょっと違う気もするが、ひょうきんなそのご主人は金さんと言って非常に朗らかな老人だった。
平成も25年経ち、時代も終盤に差し掛かる時期は、私たち一般の日本人でさえ仕事を探すのが大変なご時世、
突然中国から帰ってきて2人に仕事などあるわけがない。
金さんは帰国後ほどなくして自分の住む団地の掃除や草むしりを始めた。
もちろん無償である。
1ヵ月2ヶ月と日にちが経つにつれ、じわじわとまるで見違えるように街がきれいになってきた。
雑草など1本も生えていない。
ゴミも1つ落ちていない。
そんなきれいな街になってきた。
地元の人達は、街の集会所に集まると、昼間あの中国から帰ってきたおじさんが掃除をしている。
と言うことを常々噂で話していた。
街を散歩する度に金さんがどこかの場所にうずくまり草抜きや掃除をしているのだ。
夏のある日、又、街の喫茶店でこの話が出ていた。
ちょうどコーヒーを飲みに来ていた近所の製鉄所の林社長さんがこの話を耳にした。
「ほう。そんな人がいるのか?じゃぁもしよかったら声をかけに行くから紹介してくれないか?」
と街の人に尋ねてきた。
街の人と団地に上っていくと、いつものようにその老人が小さくうずくまりながら、顔を土に汚しながら、一生懸命に汗をかきながら草むしりをしていた。
「おじさんおじさん。私ね下町の林鉄工所の林と申しますがもしよかったら週に何日でもいいのでうちの会社の掃除に来てくれないかね?」
と頼んでいました。
金さんは、ニコニコとした笑顔で私日本語があまりわからないのです。と言うので。
では早速来週の月曜日の朝頼むねと言ってその時は話は終りました。
そうやって林製鉄所で掃除を始めて、会社中をピカピカにする金さんの噂を聞いて、近所のいくつかの社長さん達から、
それなら火曜日は家に来てくれ。
じゃあ水曜日は家に来てくれ。
土曜日だけど来てくれるかなぁ?
などとたくさんの企業や商店などから声がかかるようになりました。
そうやって日々いろんな企業商店を変わり番に身を粉にして働く金さん。
彼が掃除をして回った企業や商店そして団地や住宅地の雑草はどんどんなくなりゴミ1つ落ちていないきれいな街に生まれ変わった。
それと同時に金さんの土日も構わず早朝暗い時間から日が落ちるまで、掃除をする姿を見た地域の住民たちも街をきれいにすると言う意識が高まったのであろうか、ゴミをポイ捨てなんてしない、一人一人が時間が開けば掃除をする街になったのだ。
またそのひょうきんな人柄から各企業の従業員や街の人に愛されるキャラの金さん、みんなに尊敬されニコニコと働く姿は地元の小学校の子供たちの模範にもなっていたと聞く。
3年ほど経ち。
そんな金さんとの別れは案外早くやってきた。
私が聞いたのは病院で胃がんの宣告をされたと言う話だった。
彼は医療の継続を拒み、そのまま働き続けると言う道を選んだ。
病院に入り抗がん剤を飲み始めてしまうと、寝たきりになってしまうかもしれない。と言うことから、彼はそのまま掃除をし続けて自宅で死にたいと言ったのだ。
病院の先生も、お年寄りだからそんなに急には悪くならないでしょ。と彼を励ますように言って彼の要求を受け入れた。
そんなこんなでがんの宣告を受けて3ヶ月後、奥さんから連絡が入り、金さんが自宅で血を吐いてそのままなくなってしまった。という。
僕は彼の身を粉にして働く姿を見て、自分の気持ちの中で心の師匠とまで思っていた金さん。
73歳でこの世を去ってしまった。
7月14日、通夜の夕方は、地元の葬祭センターの駐車場が手前から1キロメートル程渋滞になったそうだ。
タクシーの運転手さんが、「誰か議員さんでも亡くなったんですかね?」と噂するほどだったらしい。
あなたは、明日からどんな気持ちで働きますか?
そんなことを真剣に考えさせる人との出逢いだった。
了
生きるために働く。もちろんそうだろう
お金の為に働く。 なるほど。
家族の命を支える為に働く。それもありますね。
もう10年前の話になってしまうが。
ある日、私の勤め先の海産物加工の会社に掃除の仕事に老夫婦がやって来た。
中国から帰ってきた帰国子女、とっても70過ぎの老夫婦だから子女といってもちょっと違う気もするが、ひょうきんなそのご主人は金さんと言って非常に朗らかな老人だった。
平成も25年経ち、時代も終盤に差し掛かる時期は、私たち一般の日本人でさえ仕事を探すのが大変なご時世、
突然中国から帰ってきて2人に仕事などあるわけがない。
金さんは帰国後ほどなくして自分の住む団地の掃除や草むしりを始めた。
もちろん無償である。
1ヵ月2ヶ月と日にちが経つにつれ、じわじわとまるで見違えるように街がきれいになってきた。
雑草など1本も生えていない。
ゴミも1つ落ちていない。
そんなきれいな街になってきた。
地元の人達は、街の集会所に集まると、昼間あの中国から帰ってきたおじさんが掃除をしている。
と言うことを常々噂で話していた。
街を散歩する度に金さんがどこかの場所にうずくまり草抜きや掃除をしているのだ。
夏のある日、又、街の喫茶店でこの話が出ていた。
ちょうどコーヒーを飲みに来ていた近所の製鉄所の林社長さんがこの話を耳にした。
「ほう。そんな人がいるのか?じゃぁもしよかったら声をかけに行くから紹介してくれないか?」
と街の人に尋ねてきた。
街の人と団地に上っていくと、いつものようにその老人が小さくうずくまりながら、顔を土に汚しながら、一生懸命に汗をかきながら草むしりをしていた。
「おじさんおじさん。私ね下町の林鉄工所の林と申しますがもしよかったら週に何日でもいいのでうちの会社の掃除に来てくれないかね?」
と頼んでいました。
金さんは、ニコニコとした笑顔で私日本語があまりわからないのです。と言うので。
では早速来週の月曜日の朝頼むねと言ってその時は話は終りました。
そうやって林製鉄所で掃除を始めて、会社中をピカピカにする金さんの噂を聞いて、近所のいくつかの社長さん達から、
それなら火曜日は家に来てくれ。
じゃあ水曜日は家に来てくれ。
土曜日だけど来てくれるかなぁ?
などとたくさんの企業や商店などから声がかかるようになりました。
そうやって日々いろんな企業商店を変わり番に身を粉にして働く金さん。
彼が掃除をして回った企業や商店そして団地や住宅地の雑草はどんどんなくなりゴミ1つ落ちていないきれいな街に生まれ変わった。
それと同時に金さんの土日も構わず早朝暗い時間から日が落ちるまで、掃除をする姿を見た地域の住民たちも街をきれいにすると言う意識が高まったのであろうか、ゴミをポイ捨てなんてしない、一人一人が時間が開けば掃除をする街になったのだ。
またそのひょうきんな人柄から各企業の従業員や街の人に愛されるキャラの金さん、みんなに尊敬されニコニコと働く姿は地元の小学校の子供たちの模範にもなっていたと聞く。
3年ほど経ち。
そんな金さんとの別れは案外早くやってきた。
私が聞いたのは病院で胃がんの宣告をされたと言う話だった。
彼は医療の継続を拒み、そのまま働き続けると言う道を選んだ。
病院に入り抗がん剤を飲み始めてしまうと、寝たきりになってしまうかもしれない。と言うことから、彼はそのまま掃除をし続けて自宅で死にたいと言ったのだ。
病院の先生も、お年寄りだからそんなに急には悪くならないでしょ。と彼を励ますように言って彼の要求を受け入れた。
そんなこんなでがんの宣告を受けて3ヶ月後、奥さんから連絡が入り、金さんが自宅で血を吐いてそのままなくなってしまった。という。
僕は彼の身を粉にして働く姿を見て、自分の気持ちの中で心の師匠とまで思っていた金さん。
73歳でこの世を去ってしまった。
7月14日、通夜の夕方は、地元の葬祭センターの駐車場が手前から1キロメートル程渋滞になったそうだ。
タクシーの運転手さんが、「誰か議員さんでも亡くなったんですかね?」と噂するほどだったらしい。
あなたは、明日からどんな気持ちで働きますか?
そんなことを真剣に考えさせる人との出逢いだった。
了