ニセコのダチョウ牧場(第2有島だちょう牧場)

ダチョウの孵化から解体まで行い、命を頂く事、牧場を営む事で得た、学びや気づきを記録しています。

命をいただくことについて

2017年08月28日 | 命を頂く事について
牧場では、卵からダチョウを孵して育てます。そしてそのダチョウさんのお肉をウインナーなどにして販売しています。
卵のころから育てているので、ダチョウさんたちは私のことをとても慕ってくれています。
しかし、育てながらいつかはこの子たちの命を奪わなくてはならないと考えています。
なぜなら、ダチョウさんを精肉にする処理場は北海道には我々のところしかありません。
私は自らの手で命を奪うために卵から孵しているとも言えます。
ダチョウさんの命を初めていただいた時から、今まで、多くの葛藤がありました。
ダチョウさんには個性があり、顔の違いもあります。
昨日まで元気だった子の命を今日いただき、明日からはどこにもいなくなる。
とてつもなくむなしいです。
また、どうしても忘れられない子たちばかりなのです。
動物を家畜として飼う方たちの中には、名前なんか付けてはいけないという方もいます。
しかし、私はたまに名前を付けてしまいます。姿や顔、性格の特徴から他の子たちとの違いが思い浮かんでしまうからです。
また、どうしても経済動物として割り切る気持ちにもなれません。
割り切れないこの葛藤こそが、彼らの生きていた証しであり、私の背負っていく責任なのだと、いまでは考えています。
生きるということは、何かの命を奪っているということなのだと自分に言い聞かせながら、今日も彼らと向き合っています。
そして、できればこの葛藤を多くの人たちにも伝えていければいいなと思っています。
私たちが生きるということが、どれくらいの命の上に成り立っているのか。
自分が生まれてきて、今生きていることがどういう意味を持っているのか。
思い悩むのではなく、自然にスッと入っていくような学びが皆さんに提供できれば、ダチョウさんたちの命をいただく責任を少しでも果たしていけると思います。
どうすればよいのかはまだまだ葛藤中ですが…

コメント
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