
牧場には多くの子どもたちが修学旅行や研修旅行先として来ます。私はだちょうさんのお世話をしてもらったり、えさやりを楽しんでもらいながら様々なことをお話しします。特に、ふ卵器の説明、だちょうさんと触れあう雛の世話、と畜について一連の流れの説明することはこの牧場の営みがよく伝わるものです。
体験の最後や後日、子どもたちから感想をもらえます。
これからの人生の為になったとか、これからはご飯を大事に食べるといった感想がもらえて嬉しいことが多いですね。
その中で、印象に残った感想があり、今回ブログを書こうと思いました。

私はこの感想を夏に読んでから、いつか皆さんに発信したいなと思っていました。
この子どもが牧場体験にまっすぐ向き合ったこと、良い経験と気づきが短い牧場体験の中で得られたということがこの狭い感想欄いっぱいに感じられます。
きっと心の中に、やりきれない感情や割り切れない想いが渦巻いた状態で書かれたのでしょう。
私はこの子どもの感じた感情、思いがとても大切な学びだと思っていて、この感想が頂けたということに手ごたえを感じます。
体験では、だちょうさん達の生きている姿を見てもらいながら、牧場はこういうところで、こういうことをしていて、私はこう思っているということを出来るだけ伝えています。
体験の最後に、私の言っていることが正しいわけではなく、自分で考えるように子どもたちに伝えています。
割り切れない想いを正直に記してくれるまっすぐな子どもの心に比べると、とても鈍くなってしまった私の心にこの感想は響きました。
そして、自分の仕事を見つめなおすことやこれから来る子どもたちにどんなことを伝えたらよいかという学びになりました。
伝えるということを通して、何倍ものフィードバックを得られるのだなと思いますし、学ぶということは本当に奥が深いと思いました。
さて、改めて感想欄に記されていた子どもの想いはとても大切なものだと思っています。
到底心が受け入れられないということは、子どもの心の中でこの体験が、しばらくはくすぶり続ける火種となったということです
その中で一つどうしても注意しなくてはいけないことは、私や周囲の人、自分自身から心に対して安易に答えを与えてはいけないということです。
中途半端に分かったようなことを答えとして与えて、分かったように思えても、心の奥底は納得するわけがなく、心にひずみを生んでしまいますし、せっかくの経験がもったいないです。
人は心の揺らぎを感じてもそれを元に戻そうする力を持っています。
揺れが大きい人は感受性が強いともいわれます。ナイーブなひと、繊細な人とも。
そういう人の感性に頓着せずに強くあることが当然と強いる社会は、揺れが戻る前に大きく揺さぶり続けてしまうので、そういう人を傷つけてしまいがちですね。
ただ、揺らぐことのできる人は他の人の揺らぎや、自分の揺らぎを見つめることで大きな器を持ったり、人を不用意に傷つけない強い大きな人になったり、守ったりできる人になれたりする可能性があります。
逆に全く揺るがない人が多くの人を傷つけたり、誰かを気づかないうちに大きく傷つけていることが往々にしてあるように思われます。
学校教育というのはどうしても答えのある学問を教え、成績を上げることに焦点が当てられます。しかし、ただ答えのある問題が解けることだけで、社会は無事に渡っていけないものだと思います。
この牧場でだちょうさん達の姿から子どもたちに、大きく心を揺らすことや答えのない問い、心でくすぶり続ける火種を与えられます。
これらに向き合うことができれば、その子は強くなれると思います。
社会に出れば答えのない問い、地震のような心の揺れ、炎のように身を焦がす理不尽なことがたくさん与えられ、苦しむ経験をたくさんします。
そのことで、残念ながら命を絶ってしまう人もいます。
だから私はこの牧場で残酷なように思える事実を伝え、社会に出る前に子どもたちが答えのない問いに向き合ってもらうことが、これから社会で生きていく力を鍛えるために必ず役に立つと信じていますし、私が全力を尽くして少しでも伝えなければならない思っています。


一羽だけ発育が遅く、ずっと他の雛と離して飼ってきましたが、徐々に弱ってきている子。
このように手を尽くしても亡くなっていく雛たちを何度も何度も見送ってきました。
経済的な理由、労力的な理由で淘汰することも考えられますが、私はしません。
一度は辞めることも考えただちょうさんの卵を孵し、育てると決めた時から私は生まれてきた雛全てを、できる限り愛情をもって育てると誓っているからです。
経済的な利益のためだけにだちょうさんを育て、お肉にすることはもうしないと決めたこと、私が人として社会や生き物、自然、他者へどのような態度で生きたいのかを考え、問い続けていることが理由です。
この子は生きているだけで尊いと考えています。
その姿とその目は私に決して答えのない問いと自分の存在や信念について、目を背けてはいけないと教えてくれます。
鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬと坂村真民さんという方の詩にあります。
鳥は飛ばなくても良いと思いますが、人は生きねばならないと思っています。


元気に雪の中ではしゃぐ雛というには大きくなりすぎた子達。
いつも前を向いて、今を精一杯生きている、尊い存在です。
読んでいただいてありがとうございます。
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