
私は精神科病院のソーシャルワーカーでした。
自分たちの意思では退院出来ない患者さんや通院している患者さん達との関わりは本当に多くの学びを与えてくれました。
病院の倉庫から患者さんの数十年に及ぶ記録を引っ張り出して読み、関わりながら、患者さんのことを知ろうとした日々。
大学で学び、理想として考えていたソーシャルワークと病院という組織や社会の現実に学ぶことの多い日々。
今でも社会にはまだまだ解決されていない課題が多いことを実感しました。
きっとこのコロナ禍の中、今まで以上に様々なことが制限され、病院にいる方々が大変な緊張を強いられているのだろうと想像できて、胸が痛みます。
病院中に染みついているように感じられた鬱屈とさせる空気から逃れたくて、私は閉鎖病棟を抜けだして、たびたび屋上から外を眺めていました。
屋上から外を眺めると、少し田舎じみた街並みと街を囲む防風林が見えました。
私は鍵を持ち、病院から自由なようでいて、どこか囚われているような錯覚を覚えたものでした。
今にして思うと、もっとすがすがしい風を感じながら、青空を楽しめば良かったですね。
どこか囚われたような錯覚が、今の世の中には蔓延しているように思えます。
もちろん人を傷つけてはいけないですし、人を慮ることは大切で、移動を自粛することは必要なことです。
ただし、心まで囚われてはいけません。
たとえ開かない窓の中からしか、外を見れなかったとしても、下ばかり見るのではなく、空や星を見なくてはなりません。
牧場の柵の中ですが、それでも元気一杯に走り回り、生き生きとした目を私に向けてくれるだちょうさん。
羊蹄山やニセコ連峰、牧場の風景を眺めながら、あの日々に与えられた学びを胸に、日々を大切に過ごさなくてはならないと思います。
いつか出会う誰かや何かの為に、自分の力を蓄える日々としたいですね。
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