最近、ふとした瞬間に「わかり合えない」と感じることがあります。
例えば、犬猿の仲とも言える相性の悪い兄弟姉妹がいる家庭の話や、毒親から苦しめられていたという知人の遺体の発見があったり、孤独死を遂げたと言う人の話を聞くと、その人が抱えていた孤独や苦しみが、想像を超えてきて胸が苦しくなります。
中の人は数年前に、警察から歳の離れた姉が遺体で見つかったと言う話を聞いて、その衝撃は今もなお忘れられません。
中の人と長年、シングルマザーだった姉が甥っ子を残して家出し、行方不明になり疎遠だったそうで、最後に会ったのは十年以上前のことだったそうです。
亡くなった姉が見つかった生活保護受給者向けのアパートの部屋には、普段の暮らしの名残(躁鬱病の薬やコンドーム日本タバコ)が残されていましたが、家族の気配はなかったそうです。
病気で部屋の中で倒れたままになり、そのまま餓死したそうでした。
遺体の状態が良くなかったのでDNA鑑定になり、結果が出るまで2ヶ月ほどかかったそうで、遺体の引き渡しの時に警察から戻ってきたスマホのパスワードを解除したのですが、LINEでネットでできた友達とやりとりしているのを見たら、中の人が知らない架空の兄弟の話をしていて戦慄したそうです。
登録されていた電話番号を検索してみると、それはソープランドだったのですが、そのことは両親にも甥っ子にも言ってないそうです。
思いがけない事件や状況が、人とのつながりを断ち切ってしまうことがあるのは、本当に悲しいことだと思います。
たとえ兄弟姉妹や親子といえども、お互いの気持ちを理解し合うことは簡単ではありません。
時には、それぞれの立場や状況、価値観の違いが、わかり合えない壁を作ってしまうこともあるでしょう。
でも、そんな中でも諦めずに向き合い、話し合い、または寄り添うことができれば、少しでも心に余裕を持ちながら日々を過ごすことができるのかもしれません。
その労力は逃げ出すほど膨大ですが。
もちろん、どうにもならない場合もあります。
時には、晩餐を囲みながら、笑いや涙を共有することで、心の距離を縮めることができるのかもしれません。
「わかり合えない」ことがあるからこそ、エモーショナルなつながりが大切だと感じます。
直接的に理解しあうのは難しいかもしれませんが、お互いを受け入れ、尊重し合うことで、少しずつでも心の中の距離を縮めていけるのではないでしょうか。
それが難しいのですけどね。
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