上州の聖典、若しくは禁書、上毛かるたに「太田金山子育て呑龍」と詠まれた呑龍上人。江戸初期に子どもを寺で引き取り育てたことから子育て呑龍と呼ばれ慕われている。
江戸時代とか、農村部ではいわゆる間引きやら子どもの身売りやら姥捨て(柳田國男の遠野物語で言うデンデラ野)やら普通にあって、命の価値が今とは違った時代。そんな時代に子どもたちを育んだことが希有なことだったのでしょうな。
で、呑龍上人が開山の大光院。正式には義重山大光院新田寺。義重は新田始祖新田義重に由来かね?新田寺は新田氏?
自転車て訪ねたのだけども、実は初参拝。近くまでは行っておったのにね。

開山堂。堂々としているため、此方が本堂と思われがち。


此方が本堂。建築様式が開山堂とは異なる。


鐘楼。
境内は広く、建物は大きく、〝巨刹〟と言った感じでした。
さて、呑龍上人。上毛かるたの読み札では呑龍と読まれているので、ちびっこの頃は龍(ドラゴン)が子育てをした民話でもあったのか、と思っていたのは内緒の話。
おじそ、北毛の出で、東毛には援護なかったのですよ…