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折登ひろしのGRAFFITI

日本人と英語と国際社会と、ちょっぴり料理について考える

藤井聡太六段、最速七段昇段おめでとう!

2018年05月19日 | Weblog

昨日、高校生プロ棋士藤井聡太六段が船江恒平六段に勝利し、規定によりプロ入りから最速で七段に昇段しました。

 ここで、私が高校生プロ棋士藤井聡太さんを称賛するのは、将棋だけではない理由からです。私自身も中学生の時に自宅近くにあった将棋会所に入会しようかと思ったくらい、かつては将棋愛好者でしたから、中学生であった藤井さんの快進撃には、対戦結果とともに大いに注目していました。

 テレビで放映される彼の一挙手一投足とまではいかないが、記者会見などで放映される藤井さんの言葉、言葉で、あることに気がつきました。彼の発言には、一貫して私が忌み嫌うカタカナ語 (「リニューアルオープン」か「新装開店」か?〈2008年12月13日〉参照) が出ないのです。このことが将棋以外で彼を称賛する理由です。藤井さんくらいの頭脳を持たなければ、カタカナ語から脱皮できない(日本人がバカになった〈2010年4月12日〉参照) のでしょうか?一度、意識しているのかしていないのか、なぜカタカナ語を使わないのか藤井さんに聞いてみたいです。

 数え上げれば切りがありませんが、「アップ」(上昇、上がる)「オープン」(開店、開館、開場)「リニューアル」(新装、改装、改修) 「グッズ」(商品、品物)等々。カタカナ語を使い、多大の費用をかけ英検やTOEICの成績に一喜一憂している日本人はバカになったのでしょうか?藤井さんを少しは見習ったらと慨嘆する私は間違っているのでしょうか(「オーナー様って、何これ?〈2012年7月17日〉参照)。

 今回も、またまた横道にそれてしまいました。お許しください。次回こそは、英友社ランゲージスクールについてこれまでの経緯と改めて始業する決意をお伝えします。

 

 


家に引きこもっていないで、外の空気を吸いに外出したら

2018年04月27日 | Weblog

お分かりでしょうが、家に引きこもる 「家」 とは日本のことで、外出というのは 「外国へ行く」 ということです。海外から訪日する外国人は、ご承知のように、ここ数年増加し続けていますが、一方、外国、特にアメリカの大学や研究所など高等教育・研究機関への日本人留学生の減少は甚だしく、国際競争力の点から将来が懸念されています。つまり、戦後、日本経済の伸長とともに外出する日本人は増え続けましたが、近ごろは逆の現象が生じているように思われるのです。

松下政経塾の不思議

 松下政経塾と言えば、大概の成人の日本人ならご存知でしょう。1979年に経営の神様と言われた松下幸之助氏が私財を投じて創立した政治・経済塾で、塾生からは政治家を中心に経営者やマスコミ関係者などを輩出しています。希望者が入塾を許可されると、毎月20万円給付され、政経に関わることの外いろいろなことを4年間研修するようですが、驚くことに、4年間日本国内に釘付けされることです。私から言えば、日本に滞在していて、世界を視野に入れた現実の政治経済を学べるなんてあり得ません。日本は今も昔も、どんなに抗弁しようとも、明治時代いや幕末に等しい閉鎖社会ですから、世界を俯瞰した知識や経験を得る環境はありません。

 松下電器産業は、松下幸之助氏が創業した企業ですが、商標を 「国民の」、「国家の」 という意味で英語の「ナショナル」としました。                

注:ちなみにドイツ車ならびに自動車会社名の Volkswargen は国民車の意。ドイツ語の Volk(s)=国民、民族 (英語の folk)、 Wargen=車 (英語の wagon)。ドイツ語と英語は言語学上ゲルマン語派に属するので類似しています。ドイツ語では名詞を大文字で表す。

 その後、海外向けの 「パナソニック」 の商標が加わりましたが、2008年には社名を海外で浸透している 「パナソニック」 に改称しました。そのパナソニックが、最近、私の主張を裏付けるかのように、アメリカのシリコンバレーに 「パナソニックβ (ベータ)」 という新組織を立ち上げました。理由は、大企業ゆえの弊害をシリコンバレーのスピード感で社内を改革イノベーションを生み出すために、30代前後の若手を在籍させるとあります。日本の経営の神様が残したものも国際化の波には及ばなかったようです。

可愛い子には旅をさせよ

 2018年は、明治維新から150年になるようですが、上記の下線を引いた部分は、日本人には150年たっても縁のない行動と意識ですから、海外に人も企業も「外出」して経験しなければ実現は不可能です。「可愛い子には旅をさせよ」 ということわざは、松下政経塾や最近の日本人に当てはめる必要があるでしょう。私なら、松下政経塾の塾生を、4年の研修の内、2年間は海外に旅をさせます。世界のどの国でもよいが、少なくとも2か国に2年間、例えば、アジア、アフリカ、北米、中南米、中東諸国の内、本人の希望する国へ 「外出させる」 のです。観光ではなく生活させるのです。絶対に、狭くて閉鎖的な日本社会に引きこもっているより視野が広がり、「机上の空論」に歯止めをかける事になるでしょう。

日本の杓子定規で世界は測れない

 以下は、茂木寿 (もてぎ・ひとし) 氏執筆による JBpress に掲載された (2015年6月29日) 文の一部を抜粋、要約したものです。

 民族、宗教、言語...不思議の国 「日本」

 仕事柄、日本企業の海外子会社の経営管理、リスク管理について、相談を受けることが多い。その中でよく聞く話として 「...国は日本と違って多種多様な民族がいるのでマーケティングに苦労している」 「...国は日本と違って宗教も多彩で労務管理が難しい」 「...国は日本と違って公用語も多いためコミュニケーションが大変である」といったものがある。

 これらに共通するのは、「海外の国は日本と違うことが多い」 という点である。しかしながら、海外にユニークな国が多いのではない。日本がユニークなのである。以下略。

 日本を中心に考える傾向が強くなった日本人

 日本は世界第3位の経済規模を誇り-中略-日本文化については、相撲、武術等のスポーツから日本食、アニメ、漫画、芸能、映画等にいたるまで、独自の地位を築いており、世界的にも関心が高まっている。

 また、日本は明治維新以降、欧米の技術・文化を先進的なものとして積極的に受け入れて来た。特に、第2次世界大戦後は米国の技術・制度・文化を無謬 (びゅう) のものとして受け入れ、高度経済成長の礎を築いた。

 一方、日本の急激な経済発展に伴い、敗戦国であった日本の発展は戦勝国をも凌駕することとなり、日本人としての誇りを回復することとなった。しかしながら、そのような状況の中で、いつしか日本を中心に考える傾向が強まったとの指摘もある。                       

注:茂木寿 (監査法人トーマツ、ディレクター) 。JBpressは会員限定 (無料・有料) の日本のウエッブメディア。

先進国の中の後進国

 茂木氏の文の題名に、 "民族、宗教、言語...不思議の国 「日本」" とありますが、前回の私の "積年の謎が..." の項も同様で、日本は世界の中でも非常に謎に満ちた国の一つです。世界第3位の経済大国でありながら、150年前の意識から抜け出せない、とは?先進国の中の後進国と私が言う、矛盾に満ちた国です。ヨーロッパ大陸から見て極東の島国ジパング、江戸時代の約200年以上に及ぶ鎖国政策が遠因しているのでしょうか?。もちろん、人間が営む社会=国ですから、矛盾だらけなのは当たり前ですが...人間のオスはそんなに利口ではありません (「人間のオス=暴力=破壊」〈2018年1月29日〉参照)。

 日本の社会の縮図として卑近な例は、ついこの前、騒がしかった相撲協会があります。相撲の社会は、それこそ私の言う幕末から明治にかけての状況を具現しています。刀は差していないがちょんまげに羽織袴が正装です。組織は、親方を頭にした部屋に弟子たちという徒弟制度を維持しています。国技としての伝統を守るためということで、表向きの体裁は保っていますが、普段の生活では、若い相撲取り (または力士) たちはトレーナーを着用し、横綱をはじめ上位の力士たちは輸入 (?) された外国人で占められています。

Double Standard

 『英語と日本人』でも触れた、日本のサラリーマン社会 (「社長の肩書は恒久的なのか?」〈2008年10月18日〉参照) と政治 (「地盤、看板、カバン」〈2009年3月29日〉参照) は、先進国の中の後進国の最たるものでしょう。

 英語で "double standard" という言葉がありますが、手元にある『ジーニアス英和・和英辞典』電子辞書版の訳では「二重基準」とあり、さらに「性行動について男より女に厳しい基準を設けるなど、相手によって扱い方を変える不公平なやり方」、「ご都合主義」とあります。

 日本は、「ご都合主義」 で満ちあふれています。前回述べた維新をはじめとして、和製英語、カタカナ語、和風西洋料理等々、数え上げれが切りがありません。切りがないので、この件はここまでとして、次回は、日本の英語における 「ご都合主義」 の本丸 「英検」 「TOEIC」「英友社ランゲージスクール」 の挫折についてです。本物が排除され、まがい物が横行する、このブロッグでたびたび指摘してきた日本の英語教育の異常さを象徴することについてです。

  ついでですが、冒頭の 「外出」 は、またの言葉で 「外遊」 とも言いますよね!また、この文を書いている最中に、アメリカの人気喜劇俳優、ビル・コスビー (Bill Cosby) 氏に性的暴行行為で有罪判決が下りました。この件についても次回少し触れたいと思います。

 


積年の謎がやっと解けました

2018年04月10日 | Weblog

アメリカに留学、大学院中退後、ニューヨーク市へ移住し就職、イタリアへ移住、50年前に帰国して 「しまった!」 ということを実感させられた、と前に述べました。なぜ 「しまった!」と思ったかというと、「とんでもない国に帰ってきたものだ!」ということです。ともかく規制だらけなのです。

明治時代から脱皮できない日本人

 現在の日本人の外国音痴 (無知) の度合いには、目を覆うばかりです。またの言葉で言うと、「今の日本は明治時代と変わらないのではないか」 と思わされます。私は、明治時代に生きていたわけではありませんから、実際の生活を知る由もありませんが、極論すれば、「鹿鳴館時代とそんなに変わらないのでは?」と思います。ちょんまげと帯刀を外した以外は、明治時代と変わりありません。

 表向きは、インターネットだの iT だの、見掛けは、近代社会を装っていますが、実態は、明治時代と変わらないようです。「維新の党」や「坂本龍馬」 が数年前、突然マスコミ上に出現しました。何事かと思って、維新や坂本龍馬についての知識に疎い私は、インターネット上で検索したところー『新説・明治維新』西鋭夫講演録(DVD版)ーを見つけたので購入しました。インターネット上で商品を購入したことで、その後 "PRIDE and HISTORY" という題名で発売元からWEBメールが毎日のように着信します。これまでの内容は、西鋭夫氏の日本の歴史上の事件 (特に戦後) の真実についての講演 (最近は複数人の) が主題となっていて、全ては是認できませんがなかなか史実と示唆に富んでいて参考になります。                                                               

注:西鋭夫氏は、ワシントン大学 (University of Washington)大学院、スタンフォード大学(Stanford University)・フーバー研究所 (Hoover Institution)の両学府で博士号取得、スタンフォード大学フーバー研究所教授。

鎖国指向が日本人の体質になっている

  本題に戻って、戦後、マッカーサー元帥率いるアメリカ軍の日本統治は、戦中の貧苦とアメリカ軍の空爆による都市の荒廃が少なくとも終焉し (「戦後始まった『ラジオ英語会話』の黎明期」〈2014年11月3日〉参照)、アメリカ文明が奔流のように日本全国を覆いました。同時に、暗くて窒息するような軍国主義から解放され、衣食住が困窮していたにもかかわらず、良くも悪くも、明るく自由な今まで経験したことのない生活がありました。

 軍国主義の影響で硬直した組織と社会構成から、これも良くも悪くも、戦後日本の解放された生活体験を背に、芸大卒業後(1957年)アメリカに旅立ちました。ところが、帰国すると(1971年)状況は一変していました。GDP=Gross Domestic Product (当時はGNP=Gross National Product) は世界2位の経済大国となっていましたが、日常社会は、首をかしげるような慣わしが蔓延していました (「『社長の肩書は恒久的なのか?」〈2008年10月18日〉参照)、(「卵が先か、鶏が先か?」〈2009年1月25日〉参照)。

 ここまで書いてきて、ここ1か月ほどの間に、日本あるいは日本人の英語に関わる看過できない記事4件が、WEBメールに立て続けに着信したので、急遽紹介します。以前述べた映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)』ではないが、私がやっと気が付いた信じられないほどタイムスリップ-和製英語 (time travel―英語) した明治時代のにっぽん は順延します。

 1. 英語を話すことが「国際化」なのか ー1億2500万人が熱病に取りつかれたかのように英会話の練習に励み、「英単語350個を覚えればネイティブと話ができる」といった餌に釣られー中略ー350語の日本語で会話なぞできないのではないかと正気に戻ればー中略ー金儲けをしている業者に騙されないのだが...。上記 "PRIDE and HISTORY" から引用:西鋭夫著『日米魂力戦』第4章「国の意識の」の違いー4 ー(2018年3月8日)

 2. 「伊達や推挙で言っているわけではない」 ー 河野太郎外相は2日午前、平成30年度入省式であいさつし、新人職員123人を前に「入省前に少なくともTOEFLで100点が取れるように...今や事実上、世界の共通語となっている英語の研鑽に励み、交渉力、発信力を高めてほしい。伊達や酔狂で言っているわけではない」ー(産経ニュース:2018年4月2日)             

注:河野外相は、ワシントンD.C.に在るジョージタウン大学(Georgetown University)で比較政治学専攻、1985年卒業。在学中に上・下院議員の下で政治活動に関わる。

 3. 英語を仕事で使う人の数は減少傾向という現実、むしろ必要な力とは ー 2020年東京オリンピックの「おもてなし」に向けて、”英語ファースト”の時代が訪れている。「いまの時代、英語ぐらいできないと」、「英語は早いうちから学んだ方がいいと」と言われるが、『その英語が子どもをだめにする』(青春出版社)の著者・榎本博明氏は、そんな思い込みが蔓延する英語”偏重”な教育現場に警鐘を鳴らす。ー 中略 ー 実際、仕事で英語は本当に必要?ー 中略 ー 就活で「コミュニケーション力」が重視されるワケとは?ー 中略 ー 英会話ができても、外国人と対等にはなれない ー 以下。ー(DIAMOND on line:2018年4月3日)               

注:榎本博明、心理学博士、MP人間科学研究所代表。                       

 4.  国の英語力目標:中高の生徒・教師ともに達成できず ー 文科省外国語教育推進室・金城太一室長:「生徒の英語力、また教師の英語力、いずれも目標に達成しなっかたことを厳しく受け止めたい」ー(テレ朝ニュース:2018年4月6日)

 皆さん、どう思われますか?私からすれば、上記 4. 「それ見たことか」 ということだけです。これまで、このブロッグと『英語と日本人』で口が酸っぱくなるほど説いてきたことの現実です。

1. の西氏の言葉は、『英語と日本人』(共著)で詳述済み。                 2. の河野外相の外交官を志望する人はTOEFLで少なくとも100点を取れというのは当然のことです。間違ってもTOEICではありません (「意思疎通コミュニケーションか?〈2015年6月23日〉参照)。河野外相の英語力は、テレビで視聴しましたが、アメリカの一流大学で比較政治学を専攻しただけに、外交官としての語彙力も発音も申し分なく、私の英語より上です(「私の英語は13歳」〈2008年7月21日〉参照)。                                   3. の榎本氏の項はもっと長い内容なので、残念ながら勝手に省略してしまいました。氏の各主張に興味のある方は、氏の著書を購入してください。大体は『英語と日本人』の内容と合致しているので意を強くしています。                               4. は、文科省と英語産業べったりの結果が生んだことで、別に驚くことではありませんし、私を含む上記の人々の提案・意見を真摯に受け止めない限り、今後も変わることはありません。このような結果にならないように「英友社ランゲージスクール」を発足するつもりで半世紀前から活動してきましたが、金儲けに走る連中や明治感覚の人ばかりで、いまさら言うのもばかばかしい。第一、英検TOEICのような英語力(?)は、近々、現在開発が進行している高度の翻訳機に取って代わられるのが日の目を見るより明らかです。

 先延ばしは毎度のことですが、次回には何がタイムスリップ (time travel) して明治時代なのか開示しましょう。信じられないほどたくさんありますから期待してください。

 

 


International Women's Day

2018年03月22日 | Weblog

3月8日は、1975年国連が制定した International Women's Day を 「国際女性の日」 または 「国際婦人デー」 とか、日本語訳には少なくとも二通りあるようですが、イタリアでは、男性が女性にミモザの花を贈る決まりがあり、そのことから、別名 「ミモザの日」 とも呼ばれるようです。この日の制定の背後には、ロシアや欧米が絡む出来事が切っ掛けになっているようですが、詳しくはここでは省略します。

 今回は、英友社ランゲージスクールの挫折について話す予定でしたが、このことについては、先進国の中の後進国日本に対する積もり積もった悔しさと無念さが伴うので、次回に順延し、「国際女性の日」 にちなんで急きょ変更しました。男性の 「性的嫌がらせ」 に対し、嫌がらせを受けた女性について話をするのも順当なことでしょう。だが実は、この話には伏線があるのです。

いま女性が主役を演じるとき

 いま女性が主役を演じるとき ガールズ・ビー・アンビシャス』(池木清 1994年) という書名の本を、英友社ランゲージスクールの前身と言える英友社(出版社)から出版しました。著者、池木氏の意図は副題の 「長い長い男性支配の時代が終わりを告げようとしている」であるから、女性は野心を持って今こそ主役を演じるべき、と女性を鼓舞する内容で世に問いました。池木氏には、ある新聞の女性の社会進出を擁護するコラム記事を読んだことがきっかけで執筆をお願いし、社内の反対を押し切って出版しました。期待に反し、時代の先取りどころか、前回も前々回でも述べたように、今もって男性 (オス) が世界を支配しています。当然この本は売れませんでしたし話題にもなりませんでした。  

 なぜ私がこういう本を出版しようとしたのかというと、さかのぼって、アメリカに在住していた当時の経験からです (「やっと復帰しました」〈2013年7月23日〉参照)。ニュ-ヨーク市で就職・生活・結婚・空手道場を経営する中で、社会人として貴重な体験をしました。中でもアメリカ人女性との結婚生活は意義深いことでした。彼女とはニューヨークの Parsons School of Design の Fashion Design に在学中に知り合い結婚しました。アメリカ中西部出身の忍耐強い聡明な女性で、Fashion Design 科を首席で卒業しています。私は単身渡米、空手をやる血気盛んな未熟な若者でしたから苦労をかけた反面、日常の彼女との会話・議論は女性に対する尊敬の念を植え付けてくれました。残念ながら離婚に終わり (オスの私の責任) ましたが、今でも友人として交際しています。下のスケッチは紙の上下が茶色に変色していますが、彼女と知り合ったころ画いたものです。

   

女性は運動神経が鈍い?

 アメリカ社会でもまれ、生活が長くなるにつれ、アメリカは民主主義の自由と平等の国であるはずが、表向きは男女平等の社会のように見えるが、男性優位の社会であることが分かってきました (「Male and Female=雄と雌」〈2008年6月1日〉参照)。例えば、車社会のアメリカでは、女性の運転する車を、男性は "woman driver" と言って、当時は (今も?) 冷やかし軽蔑しました。大体、女性は法定速度より遅く走っているからです。女性は男性より運動神経が鈍いとみなされ、私もアメリカで運転していた当時は、高速道路を遅く走っている車を追い越して見ると、まず、間違いなく"woman driver" でした。そこで、交通事故は運動神経が鈍い (?) 女性の方が多いのかと思ったら、ある時アメリカで、圧倒的に男性の方が多いというデータの公表がありました。理由は簡単です。男性はスピードを出すので事故が多いのです。このことは万国共通でしょう。車の事故について、最近の 「あおり運転」 などは、ばかオスによる行為の典型的なものです。

人種は二種類

 あくまでも私見ですが、人間の人種は二種類です。つまり、「オスとメス」 または 「雄と雌」 です。一般に、男女とも、白、黒、茶、黄などのように皮膚の色または外見で人種を区別、差別しているようですが、私には、人種は、男と女の二種類に分別するのがふさわしい、と思っています。人間の男女または動物の雄と雌には、外見も肉体も根本的に違いがあるのは明らかです。人間の男女の絶対的な違いは、男性は妊娠する器官がないが、女性には生まれつき妊娠する器官があります。私は、生物あるいは生理学者ではないが、このことは男女間に決定的な違いを生じさせているというのが、私の主張の根拠です。前回述べた LGBT の表示が示すように、人間同士の差別をできるだけ回避するように世の中が変化してきていますが、男女の肉体の生・理物学的な違いは明白で、人間の一生を左右します。ただ、現代では男性に限られていたスポーツなどに、女性の進出が華々しいのは周知の事実です。

 上記の『いま女性が主役を演じるとき』に、女性は幼少のころ優秀な人が多かったのに、年齢を重ねるにつれ輝きを失い残念というような書き出しがあります。私自身も、どうしてだろうと思っていましたが、情けないことに最近やっと分かってきました。つまり、女性は成長するにつれ生まれつき男性と違う生殖器官の発達が顕著になるからです。それを象徴するのは生理です。私は女性でも学者でもないので、以上並びに以下の記述に不正確な点があればお許しいただくとして、成人女性には毎月のように生理現象があります。このことは、男性には理解しがたい肉体的精神的な負担が生じます。女性は生まれつきのものと自然 (?) に受け入られているのかもしれませんが、もし、男である私が、若い時に同様の身体内の変化を経験したら耐えられないでしょう。つまり、女性は身体的・精神的に、生まれつきのたくましさを備えていると思います。一般に女性の方が男性より長寿なのはその証拠でしょう。

母性の偉大さ

 先に、女性は運動神経が鈍い、のではないかと述べましが、私から言えば、ある程度の鈍さがなければ、毎月毎月の痛みを伴う生理の負担に耐えられないでしょう。その上、妊娠出産という難行 (?) もあります。女性が成長するにつれ、一時的に一種の輝きを失うのは、新しい生命を生み育てる使命を、肉体並びに心が負うことになるからです。いわゆる母性です。これまで、今でも日本をはじめ世の中の男はその負担を分かち合うことなく、「ばかオス」 ぶりを発揮し、世界中で相変わらず縄張り争いと殺戮・破壊を繰り返しています。「人間のオス=暴力=破壊」〈2008年6月1日〉で述べましたが、主だった人物は、1.-ロシアのプーチン大統領 (今回大統領選挙で再、再選) 2.-中国の周主席 (今回その地位を永ごう不動にする)です。縄張り争いをしてはいないが、別の二大ボスもいます。1.-アメリカのトランプ大統領 2.-北朝鮮の金正恩主席です。今回、以上のばかオスに加えるのにシリアのアサド大統領がいます。

 国家や民族の上に立つ、あるいは歴史に名を残すのことは、そんなにうれしいことなのでしょうか? 私には安っぽい男の虚栄心をくすぐる時代錯誤としか思えませんが... この状況を根本的に変えるのは、男性と同等の女性の社会進出しかありません。それにはまず、女性の雇用並びに報酬の均等が不可欠であることは言うまでもありません。

 次回は、映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)』ではないが、私がやっと気が付いた信じられないほどタイムスリップ (time travel) した「にっぽん」 についてです。それは、「日本人と英語」さらには「英友社ランゲージスクール」にまつわる私にとってはむなしくも残念な話です

 

 

 


"MeToo"に見られる性的嫌がらせ

2018年02月26日 | Weblog

前回、世界で縄張り争いを執拗に実行に移しているあるいは移そうとしている 「ばかオス」 の暴力行為について書きましたが、またまた、アメリカのフロリダ州のハイスクールで、退学処分された男子の銃の乱射により先生三人を含む高校生17人の犠牲者が出ました。

 アメリカのメディアの一部は 「世界の先進国の中でこんな事件が毎月のように起こるのはこの国でしかない」 と報じています。その通りで、アメリカの憲法に、個人の銃の所有を認める、という一文だけで、銃規制に反対するNRA (National Rifle Association=全米ライフル協会) は、その資金力を背景に、ワシントンの上下院議員にロビー活動で圧力をかけ、銃規制をざる法にして守り続けるばかオスどもに付ける薬は無いようです。儲かる武器製造は人類 (またはオス) の滅亡まで続くのでしょう。この件について、ばかオス旗手の一人、トランプ大統領は、アメリカ国民に向けて弔辞を述べましたが、銃規制については一言も触れませんでした。(この記事を書いている最中に、状況が少し変わってきました。上記高校の生存者と犠牲者の保護者の一部が、銃規制のざる法を容認する政治家に対し抗議運動を起こし、世論が動き出したのです)

 話は変わって、私は、前回 "sexual harassment" を性的暴力のように表現しましたが、英語で "sexual harassment" を日本語に訳すと 「性的嫌がらせ」 あるいは 今式では 「セクハラ」 のようです。私の手元にある 電子辞書の 「OXFORD現代英英辞典」では to harass=to annoy or worry somebody by putting pressure on them or saying or doing things to them のように記載しています。

 今、アメリカで、女性を中心にした "sexual harassment" を受けた "MeToo"または"#MeToo"=「私も」、という運動が広がっていますが、私から言えば、何を 「今さら」 という思いです。日本も例外ではありませんが、アメリカは 「セクハラ大国」で、特にハリウッドはかねてからその点で知られています。やっと、今頃になってハリウッド女優が、恥ずかしさを乗り越えて "MeToo" と名乗り出て、上記の銃規制の運動同様、状況が変わってきました。積極的に世論に働き掛けないと、泣き寝入りすることになってしまいます。このブロッグを読まれている皆さんの中には、男女関係では、アメリカは先進国のように考えておられた人がいるかもしれませんが、男性優位の社会ではそのようにいきません。現代社会では、前回述べた「暴力=破壊」を人生の使命のように行動しているばかオスどもに、権力闘争や 「セクハラ」を抑止させる効き薬はありません。

 一般に "sexual harassment" は、男性優位のアメリカや日本の社会を含む世界の各地で起きている現象または実態 (?) なのでしょう、ということは、男性が女性に対して行う 「性的嫌がらせ」 ということになるようです。その逆つまり女性から男性に 「性的嫌がらせ」 もなきしもあらずかもしれません。しかし同性同士でもあります。つまり 「男性から男性」 または 「女性から女性」 です。なぜ私がこういうことを言うかというと、私はかつて、その被害者になりかけました。 

 私のアメリカでの留学先は、ミシガン州の Cranbrook Academy of Art の大学院 (「GMの破たん」〈2009年6月20日〉参照) の  "Oil Painting=油絵科" に籍を置いていました。油絵科では、各学生に板で仕切られただけでしたが、個室 (スタジオ) が与えられ、真夜中まで制作に没頭する (奨励される) ことができました。その点では恵まれた環境を与えられたのでしたが、問題は油絵科担当の教授でした。彼は、当時はやりの幾何学模様の抽象画を専門にしていましたので、19世紀のヨーロッパを中心とした写実主義的な絵を描く私の画風とは全く相いれませんでした。
 
 本来ならば、私のような絵を描く者はフランスに留学するのが正解のはずでしたが、当時、戦後間もない1957年には、フランス留学など不可能に近い時代でしたから、(ただ、裕福な家庭出の芸大の同級生はパリ留学を果たしています) 父のかつての留学先のアメリカを選びました。またこの決断には、私の将来を見据えた考えがあったこともあります。
 
1945年には「Educational exchange can turn nations into people, contributing as no other form of communication can to the humanizing of international relations…(世界平和を達成するためには人と人との交流が最も有効である…)」の信念のもとに、アメリカの William Fullbright 上院議員が上院議会に提出した法案に基づいて、アメリカと諸外国との人物交流を目指す留学制度が発足しました。この留学制度で、日本からノーベル賞受賞者の利根川氏、小柴氏、国連事務次長だった明石氏等々世界でも注目される人物を多数輩出しています。
 
 話は、担当教授に戻りますが、彼は同性愛者だったのです。一口に同性愛者と言いますが、男女ともに同性愛者には、男性指向者 と女性指向者 がいて、片方が男性で一方が女性の関係を保ち(?)ます。彼の場合は、男性指向で、私は、空手や柔道をやっていたにもかかわらず、女性的と見なされたようです。一般に、東洋人は西洋人に比べ肉体的に華奢ですから、彼は、私のスタジオに指導に来るのではなく、大体性的誘惑にやって来るのでした。このょうな事実は学生も教授らも認識していて、つまりアメリカでは、このような性的指向に対しおおっぴらで、学生の中には私のスタジオに冷やかしに来る者もいました。残念ながら、当時の私の英語力では、気の利いた言葉でやり返すことが出来ず悔しい思いをしました。
 
 幸か不幸か、私は東京にいたとき、英語の勉強のため、アメリカ人兵士や軍属と機会を見つけては積極的に交際していましたが、その結果、彼らの間に同性愛者が多いことを周知することになりました。男性指向の同性愛者は、外見や行動は全く通常の男性と変わりませんが、誘惑してくる手口で分かります。ここではその手口を記しませんが、上記の経験から、残念ながら教授が同性愛者であることを見抜くことはいとも簡単でした。
 
 同性愛者は、人種に関わりなく世界中で見られることで、かつては、排他される存在でしたが、LGBT の表示で見られるように、1980年代あたりから性的差別を排し、常人として接するように世間の在り方が変わってきました(LGBTとは、L=Lesbian=女性同性愛者、G=Gay=男性同性愛者、B=Bisexual=両性同性愛者、T=Transgender=トランスジェンダー)。トランスジェンダーには日本語の訳語は無いようです。
 
 私は、幼少の頃から女子が大好きで、教授の執拗な誘惑には関心を持てるわけなく、拒絶し続けた結果は、えらく高いものにつきました。その結果とは、大学院の卒業を見送られ、つまり修士の学位を与えられませんでした。この不快な経験から、私自身嫌な思いをした行為を女性に対し、つまり執拗な誘惑行為を絶対にしないと心に誓いました。現代では世間は、同性愛者あるいはLGBTで表される人たちに寛容になってきています。私は上記の不快並びに一生を台無しにするような事態を被りましたが、今の私は容認しています。
 
 英友社ランゲージスクールの挫折についての説明は次回に譲ります。先進国の中の後進国の日本と日本人に対する認識の未熟さに今になって気が付く私に、ただ、ただ腹が立つ今日この頃です。『英語と日本人』の共著の著書は、その最たるもので、今になっては恥ずかしい限りです。
 
 
 
 
 

人間のオス=暴力=破壊

2018年01月29日 | Weblog

以前、「Male and Female=雄と雌」 の題でここに投稿しました。ついこの前のような気がしていましたが、調べてみると、何と2008年6月1日のことでした。ここ数年、手をつけられないほど、Male=雄 (人間の男) どもが世界を揺るがしています。そこで、ここに 「Male and Female」 に再登場してもらうことにしましたが、今回は 「Female」 には遠慮していただいて 「Male」 のみに登場してもらいます。しかも、「Male=雄」ではなく表題にあるように「人間のオス=暴力=破壊」としてです。

 最近のテロを含む世界に蔓延(?) する暴力事件には言い知れぬ憤りを感じます(「Prejudice, Discrimination,Terror and Assination」〈2008年1月13日〉参照 )。テレビにネット上に毎日のように報道される数々の事件のほとんどは、人間のオスどもの仕業です、とここまで書いてきたら、忌まわしいアメリカ・ネヴァダ(Nevada)州・ラスベガス(Las Vegas)で起きた銃撃事件です。死者58人、負傷者5百人以上に上る大惨事です。

 アメリカでは、現在、アメリカの人口を上回るほどの大量の銃が出回っていると言われています。つまり一人に一丁ではなく一人が数字上は数丁所有しているということになります。所有者のほとんどは成人のオスです。ここではアメリカの銃に関する細かい数字的なことはすでにいろいろ報道されているので割愛しますが、ともかく、現代地球上で起きている数々の殺人事件は、オスどもによって起こされています。私は、こういった無謀な暴力をオスの特権であるかのように振る舞う愚かなオスどもを 「ばかオス」 と呼んでいます。何かテロのような残酷なあるいは殺人事件が起きるたびに、私は、妻に、「またばかオスどもがやっているよ」と言います。

 人間に限らず動物のオスは、ご承知のように、種の保存または生存のために生殖活動を活発にします。動物学者でない私には正確なところ分かりませんが、私が理解するところでは、殆どの地球上の生物は季節や時期によって発情期があって、それによって生殖活動あるいは行為ががあり、つまり雄と雌が交わって新しい生命を誕生させますが、幸か不幸か人間のオスは、365日昼夜を問わず発情(?)し性行為が行えます。

 オスの本能として、自己または妻子に有利で安全な状況あるいは地域を確保するために、いわゆる縄張り争いをします。それは、やくざや暴力団だけに見られるのだと思われる方がいらっしゃったら、日本国内のいわゆる猿山に行かれることをお勧めします。そこには、必ずボス猿が頂点にいて猿の集団を取り仕切っています。私から見れば、人間も同様で、今、世界を取り仕切ろうまたは取り仕切っている、2大ボスがいます。1.-ロシアのプーチン大統領 2.-中国の習主席。縄張り争いをしてはいないが、別の2大ボスもいます。1.-アメリカのトランプ大統領 2.-北朝鮮の金正恩主席。形はそれぞれ異なりますが、いわゆるばかオスに見られる権力志向が顕著です。

 これも、オスの本能であると片づけてしまえばそれまでですが、そこには、必ず表題にある 「暴力=破壊」 が伴います。被害を受けるのは、暴力的でない男性と女子供です。しかも厄介なのは、このばかオスどもは、多数の殺戮または大量に破壊可能な武器の使用をいとわないことです。権力と財力を握ったオスは、猿山のボス同様、威嚇と暴力と金の力(猿の場合はエサ)でもって反対勢力を抑え込みます。上記の 4大ボスには、動物園に行って 「猿山をよく観察して自分と比較してごらん」 と言いたいですね!

 ただ、猿の場合は、人間のオスのように大量の破壊行動をしないだけましです。この創世記以来変わらない人類の宿命を変えることはできないのでしょうか?いや、変えれます。それはオスに対して女性の平等な重用です。今、アメリカで急激に表面化している男性による女性に対する性暴力反対運動、同性同士による性暴力などについては次回に譲ります。

 さて、お待たせしました。長らく当ブロッグをお休みして申し訳ありません。理由は、残念ながら、ご承知の…懸案の...長年にわたる 「英友社ランゲージスクール」 の開校に向けて全精力を注ぎましたが不調に終わったことです。

 いやいや、とんでもない国に私は足を踏み入れたものだと、今更後悔しても追いつきませんが、50年前にイタリアから帰国した時の「しまった!」という実感がよみがえっています。日本は欧米から見て極東 (Far East) のように表現されることがありますが、まさに地球の (欧米から見た) 東の果てを実感させられた昨年でした。そもそもこの極東の果ての国で英語を学ぶ、教えるなど「無理~」ということを肝に銘じさせられました。

 日本人は表面上は国際化を掲げていますが、実際は鎖国状態を好み物造りに特化する民族なのだ、ということも改めて学ばされました。「やれやれ」です。

 次回は、上記の問題と 「英友社ランゲージスクール」の運用方法が日本で理解されなかったことについて話しましょう。


NHKは 「公共放送」と「民間放送」とに分割すべき

2017年07月07日 | Weblog

長いアメリカ大統領選も終わり、本来なら、オバマ前大統領が選出された時のように(2008年11月23日参照) 、このブロッグ で、"Congratulations, Mr Trump! "  と言えればよかったのですが、残念ながら今回はとても、「おめでとう」の言葉は、お世辞にも言えません。下品で自己顕示欲の強い、いやいや何と、とんでもないがアメリカ大統領になったもので、これは残念ながらアメリカという国が劣化したことの表れで、前オバマ大統領の前のブッシュ政権の失政が遠因しています。トランプ大統領の出現で、またもや、アメリカ初の女性大統領の誕生が見送られました (「雄と雌」〈2008年6月1日〉参照) 。このことについては、オバマ前大統領の評価を含め、次回に譲りたいと思います。トランプ氏は、"America First!" をスローガンに大統領選を勝ち抜きましたが、私には "I am First!" と叫んでいるのとしか思えず、大統領職を私物化しています。

 さて、本題に戻って、以前から、NHKの受信料と放送内容に異議を唱えてきた私ですが、やっと今回、その問題に挑戦することになりました。公共放送としてのNHKは、現日本の社会において、多くの矛盾を抱えているにもかかわらず、改善する努力を怠り (改善する気がない、それとも改善できない?)、民放と視聴率を競うような時代遅れの感覚に呆れ果てています。NHKに関しては、これまで徹底的に調べました。インターネットのおかげで、情報収集がかつてより容易になったからです。NHKに関する情報は、かなりの量になるので、今後、それぞれ内容や項目に応じて、時代遅れの放送と経営方針を固持し、民意を完全に無視したNHKに対する私の主張と抗議内容を逐次展開し、日本放送協会という巨大組織の矛盾を究明したいと思います。

 日本放送協会(NHK)は全組織を「民営化せよ」と、野暮なことは言わないが、設立以来の歴史と日本国民の「慣れと親しみ」を考慮し、表題のように、NHKを分割するのが、私には最上の解決策と思われます。

  なぜ、分割する必要があるのか、と言うと、これまでこのブロッグで、問題点の一部をたびたび指摘してきたことですが...、以下にそれらを列挙しました。この内容のおおよそは、かつてNHKにメールで抗議したものですが、もちろん、ナシのつぶてです。公共放送として高額の受信料を徴収していながら、視聴者への返信義務の意識や対応は全くおざなりです。

  1. 受信料が放送内容と公共という目的に比し高額すぎる。
  2. 徴収方法が、暴力団の「みかじめ料」に似て不適切。
  3. 芸能人」と「タレント」のたまり場のようになっている。
  4. 公共放送とは名ばかり、「エンタメ」番組だらけ。
  5. NHKの新社屋の建設費用に充てるために高額の受信料を徴収している。

  以前は、「エンタメ」 番組と「料理」 番組だらけの民放から逃げるために、教育テレビ (現在のEテレ) をよく視聴していましたが、ある日、「高校講座」 を見たら、「桃太郎侍」(高橋英樹氏) が高校生を相手に、司会役をやっているのにはびっくりしました。氏は、NHKの総合番組に以前から出演しているので以外なことではないが、「高校講座」にまで出演しているように、近年、芸能人・タレントだらけの番組になったのはなぜだろうと思い、調べてみたら、どうも、ある関西の大手芸能プロダクションがNHK内部に事務所を構えることになったのが原因しているようです。道理で、NHKの放送番組に民放のように、タレントや芸能人がやたらに顔を出しているのかが吞み込めました。

  何年も前の話ですが、ある時、英友社の若い社員が「折登さん、NHKの大河ドラマを見ますか」と私に聞きました。「いや、殆ど見たことないね」と私。「あれ、全然面白くないですよね」。「うん、僕もそう思う」。「でも、私の弟は大好きなんですよ」。「...」 と返答に詰まったのが私です。人にはいろいろあるからなぁ…と、その時、改めて思いました。例えば、私ども夫婦は年末の「紅白歌合戦」も殆ど見たことがありません。なぜかって?低俗だからです。今年に入って、民放のある番組を見ていると、「紅白歌合戦」の話になり、若い出演者の一人が、同席の重鎮の俳優さんに「Nさんも紅白を見ますか?」と、問いかけたところ、N氏は、むっとした表情で「俺は見ない!」と、彼の知性を否定された質問に、ばかなことを聞くな、と吐き捨てるように言ったのが印象的でした。日常のNHKの番組も、タレントや芸能人の出演が激しくなった近年はほとんど視聴しません。しかし、こちらの意思に反し高額な受信料が容赦なく追っかけてきます。

 かつてNHKは、イギリスの国営放送のBBC (British Broadcasting Company) を模して設立されたそうですが、例えば、本家のBBCの受信料は、今回、Wikipediaで調べた限り、年額、日本円にして約2万円(現為替レート)、75歳以上は無料とありました。

 この、公共放送と称するNHKに関しては、初頭に述べたように、民放が参入した現状では、公共放送としての目的と使命はとっくに終わっているにもかかわらず、公共放送を錦の御旗のように掲げ、時代錯誤の総務省の威を借り、受信料を無知で善良な視聴者からむしり取ります。

 しかし、面白いことに、NHKを国営にすることには、NHKの経営委員達は徹底して反対しています。国営になると、政府からの圧力が一層掛かり、現在のように高額の受信料を徴収して甘い汁を吸いながら民間まがいの自由をおう歌できなくなるからでしょう。また、NHKは、受信料を貯め込み、現放送センターが老朽化 (箱もの大好きな国、日本の常套句) したとして、民放は自前で局の建物を建設したにもかかわらず、協会の新築費用に充てるようです。しかも、先日、資産が1兆円を超えたという途方もない額の報告を誇示しています。また、十何社もある子会社からの何十億という配当金の収入もあるという、かつて、コングロマリット(conglomerate=複合企業)という言葉が流行りましたが、これが公共放送局と言われる、複合企業=NHKの実態です。

 「英友社ランゲージスクール」の開校は、何とか道中半ば (あるいは三分の二) までたどり着いたようです。今後は、ELS(英友社ランゲージスクールは、名称が長たらしいので省略)として紹介します。次回には、現トランプ政権とNHKの分割に対する私見と併せて、開校の朗報が伝えられるよう努力しています。


アメリカ最大のショー(Show)

2016年09月29日 | Weblog

とうとう、一年以上に及ぶご無沙汰で誠に失礼しました。気になってはいても、なかなかキーボードに向かうことができなくて...。もちろん理由はあるんですが...。病に倒れたわけでもないし...以前のょうに腰を痛めたわけでもないし...。だが、このブロッグを2007年10月から始めて、我ながらよくここまで続いたな、と自画自賛しています。もちろんやめるつもりはさらさらないので、また戻って来ましたから、今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、表題に戻って、アメリカでの最大のショー(show)とは、毎年新年の2月に行われるプロのアメリカンフットボールの 2 Conferences (NFL: National Football LeagueAFL: American Football League の2団体 ) の勝者が アメリカ1を決めるスーパーボウル (Super Bowl) のことで、ご存じの方もおられるでしょう。試合はテレビで全世界に放映され、アメリカでの視聴率は、全世帯の半数近くに上り、全米が沸き立つスポーツの年一度の祭典です。しかし、現在アメリカの4年に一度の大統領選もアメリカ最大のショーと言えるでしょう。ただ今回の選挙では、不人気同士 (共和党の Donald Trump氏と民主党の Hillary Clinton氏) の大統領選は前例がないということで、非常に冷めた見方をしている米国民がいることも確かです。

 しかし、4年に一度とは言え、一年以上かけて大統領を選出するアメリカの選挙方式は複雑でなかなか理解し難いことです。Trump氏は、複数の有力対立候補を侮辱し暴言を浴びせ続け、共和党の本流 (Establishment) を蹴散らして、大方の (私を含め) 予想を覆して同党の大統領候補者 (Presidential Nominee) となりました。このTrump氏の言動は、派手で、大統領選挙運動と言うよりショーの中心人物のような派手な振る舞いを続けています。大衆迎合 (英語でpopulism) を絵に描いたような言動で、前ブッシュ政権から現オバマ政権に至るまでに、経済的不遇と疎外感を実感した白人の中・低所得者層に絶大な人気を得ています。

 わが日本でもそっくりの状況がかつてありました。「自民党をぶっ壊す」と高らかに宣言して絶大な人気を博した小泉純一郎元首相です。ところが、自民党をぶっ壊すどころか日本をぶっ壊してしまいました (「卵が先か、鶏が先か?」〈2009年1月25日〉参照)、(「GMの破たん」〈2009年6月20日〉参照)、(「オリンピック東京招致落選は暴走の報い!」)〈2009年10月9日〉ほか参照) 。大衆迎合と群集心理の現象は古代から見られることで、群れをなす動物の集団行動あるいは心理現象の一環なのでしょうが、心理学者でもないし動物学者でもない私には推測の域を出ませんが (「衆愚と猿芝居」〈2011年6月3日〉参照)、現在紛糾している築地市場の移転先・豊洲での問題は、石原慎太郎元都知事が現職時に遠因する問題で、原因究明以前に、東京都の税金の使われかたも問題です。

 Trump氏の人気も、大衆迎合と群集心理を煽る、通俗的な言葉で言うと「はったりをかます」ことで、衆愚の支持を得るやり方で、私から言うと陳腐な見え透いた方式ですが、大衆はそれが大好きです。上述の小泉氏や石原氏のぶち上げ方もその例に漏れません。もし Trump氏が米国大統領になれば、「Bush 前政権」がアメリカをぶっ壊しかけた以上の世界恐慌を起こしかねません。このような大衆迎合は底が浅いので、結局は自分に跳ね返ってくるのですが、大衆は刹那的な人気取りに心を簡単に奪われます。昔から変わらぬ群集心理の常です。

 以前、2012年12月11日付きで「オバマ大統領の再選で分かるアメリカの今」を投稿しました。その動機は、現在、民放で大活躍の元NHKアナウンサー、池上彰氏が、アメリカで前回の大統領選を取材したのが民放で放映されたことが発端です。氏は、今でこそ引く手数多で、取材範囲も幅広く、書籍も多数執筆しておられ、もう私など出る幕はありませんが、氏は特派員などアメリカで生活した経験がないことから、当時の現地報道はいまいちであったことと、アメリカの政情も様変わりしたように推測され、予測も含めて私心を述べました。

 いやいや、政治の世界は一寸先は闇と言われますが、まさにその通りで、政治記者のような経験のない私には危険な試みであったことを思い知らされました。

 一番驚いたことは、アメリカではなくイギリスです。2010年の総選挙では2大政党から3大政党に移行するのではないかと思われましたが、何と昨年の選挙では、保守党と民主党の2大政党にしっかりと戻っていました。イギリスの民主主義の伝統の強固さを見せつけられた思いです。2大政党制を理想とする日本ですが、いまだに「地盤、看板、カバン」(2009年3月29日参照) の構図から抜け出せません。かつては、イギリスでも日本のように地盤を守りカバンの使用も多々あったようですが、2大政党制は一朝一夕には成し遂げられないようです。

 アメリカの2大政党も Trump氏の出現で、共和党が分断されるような危機にさらされ、民主党も、自らを民主社会主義者(Democtatic Socialist)を名乗る Bernie Sanders氏の立候補で、民主党大統領候補として楽勝すると思われていた Clinton氏を窮地に陥れるなど、政治の世界は一筋縄ではいかぬようです。 

 昨日、Clinton氏とTrump氏がディベートで初めて直接対決したので、急きょ投稿することにしました。ケーブルテレビで、CNNのディベートの中継放送90分間を全て視聴しましたが、私が長年支持してきた Clinton氏が第一回目のディベートで優勢を勝ち取ったのでほっとしています。日本同様、男性優位のアメリカ社会 (「Male and Female=雄と雌」〈2008年6月1日〉参照)で、有能な女性が大統領になることは黒人が大統領になると同様に重大なことなのです。ディベートについては、私から見ると、世界最強国の大統領候補者を選ぶための内容としては低調でした。理由は、やはりTrump氏の政治家としての資質にあると思います。

 次回こそは、NHKについてです。英友社ランゲージスクールの事業は、正直なところ悪戦苦闘を強いられています。日本における日本人の英語に対する理解度と壁の厚さは前項でも述べましたが、残念ながら想像を絶するものがあります。


「意思疎通」か「コミュニケーション」か?

2015年06月23日 | Weblog

"Taxpayer's Money" に次いで、公共放送とは名ばかり、肥大化し、法外な受信料を徴収するNHKについて書くと、前回言いましたが、これらの日本の社会的問題同様、このブロッグの表題になっている、もう一つの問題を今回優先することにしました。「英友社」の話は、また先延ばしにしますが、この話は、「英友社」の話以上に先延ばしになっている「英友社ランゲージスクール」の開校が日の目を見た時の記念に取っておこうかなとも思っています。

  これまで、日本人の英語に対する認識についての書、『英語と日本人 なぜ英語ができない』 (英友社、2007年)を、名城大学教授、船田先生との共著によって出版することができたと、たびたび紹介してきました。また私は私なりに、当ブロッグで、この国の英語教育についていろいろ書き、また批判してきました。しかし、相変わらず堂々巡りに終わっています。

                             

  ここ20年間のデフレと経済の低迷(『 「10年一昔」、「20年二昔」 以上でした』〈2013年12月20日〉参照)で、日本の世界での影響力の低下を憂うことから、今や国中で、改革だ!変革だ!という言葉がマスコミ挙げて飛び交っていますが、英語教育は微動だにしません。私がイタリアから帰国して日本の英語教育の惨状を目にしたのは、実に40年以上も前のことです。受験用英文法中心、大学の英文学教授による学術論文のような難しい教材や英米文学の著書の抜粋が、中・高校生に与えられていました。             

  この状況を何とかしなければと、私は、「英友社」から英語学習参考書として、松本亨氏の著書の他に、以下の書籍を出版しました。この中で、最も市場に受け入れられたのは、3.の『アメリカ口語英語〈発音とヒヤリングの演習〉正編でした。

  1. 『私が採点する日本の英語English: A National Disaster1974年、Donald Harrington著)
  2. 『なぜ英語が聞きとれない、話せない』1979年、Gregory Stricherz著)
  3. 『アメリカ口語英語〈発音とヒヤリングの演習〉・正編 (Real American Pronunciation)(1980年、Gregory Stricherz著)

  近年、使える英語の教育ということで、かなり改善されてきたものの、机上の空論の域を出ず、小学生英語と検定英語(英検、TOEIC)を偏重することでお茶を濁しています。その実態は大型書店に行って英語関連の書棚を見れば一目瞭然です。また、それを助長する一般企業の動き(「英語が社内公用英語になるという怖~い話」2010年8月26日〉参照)が、「グローバル人材の育成」などという錯覚にすり替えられ、英語という外国語が、外国を知らない日本人の思考を汚染しています。

  帰国後、教材の不備とは別に、日本人の英語下手は何が起因しているのかずっと自問自答してきました。その答えを引き出すために、かつて、東京で英語教師をしていたストリカーズ氏に相談、彼の私見を著したのが、上記のなぜ英語が聞きとれない、話せない でした。今、振り返ってみると、本書の最終章に、氏が述べた一節が当を得ていることに改めて思いを致しています。それは、日本人自体に主因があると、氏は洞察していたのです(「口下手で社交下手な日本人が英語を話すとき」2010年10月11日〉参照)。

  その後も、日本人の英語に対する「不可思議な意識」について、頭がくらくらするぐらい自問自答を繰り返してきた結果、日本人の「コミュニケーション能力の欠落」にあることに、最近やっと気が付きました。日本人が英語のみならず外国語(外国人との交流)を苦手とするのは、長年培ってきた(?)閉鎖社会、村社会の産物である、日本の文化に欠ける、生の人間と人間との交流方法、つまり、コミュニケーション(日本語に訳せない)の術(すべ)を知らないのです。これまで、「意思疎通」 という表現が日本社会に於ける 「人と人同士の言葉による交流」 を代弁している、と思っていたら、辞書を引いて見て驚きました。

  「意思疎通」とは、「意思の疎通を図る」、つまり相手に自らの意思を伝えることを言い、「自身と相手の考えとの交流または互いに伝え合う」 意味ではないことを、恥ずかしながら初めて認識したのです。 

「意思の疎通」と「コミュニケーション」は同義語ではない

   これまで述べたように、近年やっと、技術的なことより、コミュニケーション能力の育成が英語の習得に必要であるということが認識されてきましたが、「コミュニケーション(communication)=名詞というカタカナ語と同義語の日本語は有りません。「コミュニケーション」 は、「伝達」 「連絡」 のように和訳されていますが、実は「考え、感情を伝える作業」が本来の英語の意味なのです。また、英語の「コミュニケート(communicate)=動詞の意味は(先方と)情報を交換する」(to exchange information, news, ideas, etc. with somebody=Oxford 現代英英辞典) が、第一の意味ですが、この言葉に相当する日本語も有りません。日本語で「コミュニケーション」に最も近い言葉は「意思の疎通」ですが、この意味は、上記の「自分の意思を先方に理解させる」「自分の意思が支障なく相手に通じる」で、「先方と情報を交換する」というのとは、全く違います。ですから、カタカナ語で代替しても本来の意味を伝えきっていません。

   日本人が英語をはじめ欧米語の習得が苦手なのは、語順の違いという文法や日本語に無い発音の問題などがありますが、それよりも、下に述べる日本の特異な言語文化が影響しています。その典型的な例に、最近、日本の大手製薬会社の社長が会長に退いて、外国人(イギリス人)を社長に迎えたのですが、某経済誌のインタビューに、「彼(社長)は、コミュニケーションを(社員に対し)非常に重視する人ですが、私は、日本人の以心伝心に甘えていたところがある」のように述べていました。つまり、「意思の疎通」「以心伝心」「腹芸」などは、日本的な人間関係を表す言葉で、英語で表わす人間関係と同等ではありません。

 注:上記の説明でお分かりでしょうが、一般に使われている「コミュニケーション能力」よりも「コミュニケートする能力」と、動詞用法を使う方が正しいでしょう。皮肉なことに、TOEIC (Test of English for International Communication) は、和訳すると「国際間での意思疎通(交流)のための英語(能力)試験」ということでしょうが、ここでのコミュニケーションは、私には「交流」としか訳せません。国際交流するために英語の試験をするというのは、何か変ではありませんか?TOEIC とは、「日本で、日本人が、日本人のために(どこかで聞いたことがあるような…)考案した英語の試験」としか私には考えれないのですが、いかがでしょう。言い換えれば、日本人用の英語試験、つまり、日本人だけに通用する英語の試験、さらに言えば、金儲けのための試験です。TOEFL (Test of English as a Foreign Language) は、英語圏(主にアメリカとカナダ)の大学・大学院に入学して学業を修めるだけの英語力があるかどうか認定する試験です。難易度は、当然、前者よりもこちらの方がずっと難しいようです。世界180カ国での日本人の平均点は、下から数えた方が早いという結果になっています。TOEIC については、日を改めて話したいと思います。

なぜ日本には「情報を交換する」という言葉が存在しないのか?

  1. 日本は四方を海に囲まれた島国で、他国・他民族から侵略されず、その必要がなかった。
  2. ヨーロッパ大陸のような異文化・異民族・異宗教との紛争・抗争を経験していないので必然性がなかった。
  3. 日本人同士の紛争・抗争は身内の出来事で、異文化・異民族・異宗教同士のそれとは違うのでその必要がなかった。

 つまり、島国ゆえに身内同士が分かり合えることで事足りたのです。

  「情報を交換する」ということは、情報をやり取りすることで、情報を発信する側と受ける側があり、転じて受ける側が発信する側になり、一方通行にならないことですが、残念ながら、日本では言葉でのやり取りよりも、上に述べた事情から「以心伝心」または「意思の疎通」で物事を処理する伝統文化が発達しました。この文化の最大の弱点は、言葉で互いに交信する能力が極端に劣る事です。さらに重大な問題は、日本人がその事実を自覚していないことです

英語難民を量産し続ける日本の英語教育

  英語検定試験に汚染された日本の英語を、私は「張りぼて英語」と呼んでいます。なぜならば、中身がない英語だからです。英検の等級やTOEICの得点を競うだけで、受験者が実際に、不特定多数の外国人に対し、英語で意見や意思の交換をする能力は試されていないからです。

  今年の3月17日に、以下のような調査結果が文部科学省によって公表されました。

 国公立の高校3年生約7万人を対象に英語の実力を調査した結果、その実力は中学卒並みであると判明。また英語が嫌いな生徒は全体の60%近くに上る。

  日本の英語教育は、毎年、私の言うところの「張りぼて英語」「英語難民」を量産している上、副産物に大量の「英語嫌い」を生じさせています。このみじめな状況から「英語難民」を救出するために、「英友社」は、40年間奮闘してきましたが、書籍の出版で目的を達成させるには限界があり、やっと「英友社ランゲージスクール」で、結果を出せると確信するまでに至りました。

 無策な英語教育の垂れ流しは「国家的損失」

  日本人が言葉で発信・交信する能力の低い事が、日本に詐欺まがいの英語産業を蔓延させています。「聞き流すだけで英語が上達」などの宣伝文句は、ちょっと理性を働かせば、あり得ない事ですが、儲かるのでしょう、毎日のようにマスメディアをにぎわせています。その一方で、NOVA のような英語学校の破たんがありました。日本の英語産業は、まるで振り込み詐欺のような社会現象を生んでいます。

  このような事態は、日本の 「国家的損失」であると、私は見ています。文部科学省は、上に述べた、日本の文化的背景の深層や実態を把握しようとしないために、先に述べた 「英語難民」 「英語嫌い」 を量産しています。

  日本は「能」や「浄瑠璃」のように抑圧した言語表現を伝統文化とするのに対し、「オペラ」や「ミュージカル」のように最大限の、時には誇張した言語表現を売り物にするのが欧米の文化です。英語検定試験が英語上達の道のように国を挙げて推奨するのは、「英語亡国」への道です。

  上記 1. の 私が採点する日本の英語English: A National Disaster)』 は、「Japan Times社」出版の「Student Times」紙に連載された、ハリントン氏の日本の英語教育を批判したコラム記事を、同社の許可を得て1974年に再編出版したものですが、この本の英語の表題 "English: A National Disaster" (英語:国家の大惨事)は、40年前も今も、膨大な時間と金を、一外国語の英語の習得に費やしているのは、まさしく「国家的大惨事」であることを文部科学省も英語教育界も肝に銘ずべきです。しかし残念ながら、それを望むことはまず無理でしょう。英語ができれば、グローバルな人材になれるなど、おかしな考えが広まっている国ですから。

 寡黙対冗舌(饒舌)

  寡黙を美徳とし冗舌を良しとしない文化は、日本に長い間にわたって根付いた文化です。民族性ともなっているこの文化的特性は、今も変わらず受け継がれています。戦後、アメリカの影響で学校教育などにいくらか変化が見られるものの、前述したように、発信する側(教師)と受信する側(生徒)との関係は、伝統的な状況が続いているのではないでしょうか。つまり 「意思疎通」 です。

  「ものづくり」文化は、日本を世界第2位の経済大国にし、この事実は、大いに讃えられてよいことですが、これは日本人の「勤勉さ」と「真面目さ」によるものです。しかし、職人気質とも言える寡黙の美徳そのものが「コミュニケートする能力」を妨げていることも事実です。残念ながら「寡黙の文化」「コミュニケートする文化」は両立しません。

バイカルチュラルの推奨

  上記 『英語と日本人 なぜ英語ができない』の「第1部」、「第2章」の 6.「バイリンガルよりバイカルチュラル」(77頁)で、日本人にとって、英語並びに外国語の習得にその必要性を詳述してあります。ここでは長くなるので、割愛しますが、日本という閉鎖社会の人間関係、例えば、サラリーマン社会における言葉の交流は、日本特有であると言っても過言ではありません(「英語を話すときは英語の生活感覚で」2008年07月25日〉参照) 。

  このたび 「英友社ランゲージスクール」を立ち上げるに当たり、その指導内容の心臓部となる方針に心を砕きました。その根幹を形成するものは、バイカルチュラルの指導です。バイカルチュラルは、英語で biculturalと書き、2文化の、2文化併存の、といった意味があります。

  私自身がバイカルチュラルな人間なので、卑近な言葉で言うと「アメリカかぶれ」なので、バイカルチュラルとはどういうことか、実体験者として 「英友社ランゲージスクール」 を開校すれば、効果的な指導ができるのではないかと自負しています。今年中に実現できれば、と奮闘しています。

  長くなりましたが、私としては、上記した書籍で言い足りなかったことを、皆さんにどうしても伝えたかったのです。

  次回は、モンスター化したNHKです。


Taxpayer's Money

2015年01月22日 | Weblog

新年早々からこういう話はしたくないのですが、「以前から」と言うより、私が「帰国して以来」腹に据えかねる事態が、相も変わらず年末に向け公表されました。それは、上記、英語の表題にかかわることです。つまり、"taxpayer"「納税者」、また、"taxpayer's money"「納税者のお金」の事です。

  なぜ税金で、国会議員(総理大臣を含む)、最高裁判事等々国家公務員、知事をはじめ市長等の地方公務員に、年2回ボーナスつまり賞与が支給されるのか(「日本人がバカになった?」〈2010年4月12日〉参照)理解に苦しむ、と言うよりこんな理不尽な悪習が相も変わらず横行しているのに、納税者は抗議はおろか反対もしません。こんな日本人納税者の脳味噌の中身に疑問を感じるのは私だけ...なのでしょうか。そうあってほしくないですね...。日本中にごまん、と在る中小企業では、この不況の中、ボーナスを支給できる会社はそうあるものではありません。大声を挙げて抗議すべきです。しかも、今回は支給額が増額されているのです。私は怒り心頭に発しているにもかかわらず、誰も怒らない日本人が異常なのか、それとも私なのか...どちらでしょう?

  日本語では「既得権益」と言うようですが、面白いことに、「既得権益」を「広辞苑・第六版」で引いてみたら、「既得」と「権益」または「既得権」でしか辞書に出ていないのです。他の辞書でも同様でした。そこで、ネットで調べてみたら、goo辞書では「過去の経緯において、取得している利益を伴う権利」とあり、Weblio辞書では「過去の経緯において取得し、維持している利益を伴う権利」」とあります。どうも「既得権益」という4字熟語は、新語であるようです。

税金は納める(払う)ものか、徴収されるものか?

  それはさておき、英語での taxpayer's money を、直訳すると、「税を払う人のお金」、つまり、私たちが国や地方公共団体に納めた(払った)お金で、元は、私たちが稼いだお金です。納税したお金は、税金と呼ばれ、「税金」「租税」「国または地方公共団体がその必要な経費をまかなうために法律に基づいて国民・住民から徴収する収入」のように、おおよその辞書が表記しています。

  なぜ私がわざわざ英語の taxpayer's money を持ち出したかと言うと、少なくともアメリカでは、国や地方の議員達は、税金を、常に、ではないが taxpayer's money のように言います。払われたお金は、元は、払った人のお金であるという表現をするのです。それは表向きの言葉かもしれませんが、常に気持の上で意識していることにつながります。「国または地方公共団体がその必要な経費をまかなうために法律に基づいて国民・住民から徴収する収入」という感じにはならないと思うのですが...。

  ご承知でしょうが、税金には様々な種類があり、国や地方公共団体は、「直接税」「間接税」「目的税」等、あちらこちらからあの手この手で、私たちから徴収します。これを、たまに言われる「血税」「血をしぼられるような苦労をして納めるような重い税金」と言い換えたらどうでしょう。今、問題になっている「消費税」は、「間接税」に分類されます。

  taxpayer's money の意識が、日本の国家・地方公務員の間に浸透すれば... ①民間企業でのみ可能な、年2回の賞与支給の廃止。 ②兵庫県の県会議員の大泣き記者会見で発覚した、政務活動費の不正使用の抑止。 ③積み立て金以外、退職金の廃止。特に管理職に対し...等々。公務員を公僕(公衆に奉仕する者の意)と言うくらいですから。この言葉は、多分、英語の civil (public) servant の訳語ではないかと思われますけれど...。国家も地方も公務員は公僕であることに徹してほしいですよ。日本では、政府関係者は往々にして、お上に格上げされますから。封建制度の名残りと言うより、未だに日本の社会に根強く生き延びていますからね(『「衆愚」と「猿芝居」』〈2011年6月3日〉参照)。

健康に悪いのは何?

  帰国したときに驚いたことのもう一つに、英友社が営業していた文京区では、当時の区の居住者は18万人くらいだったと思いましたが、何と、区会議員の定数が40名(現在34名)ほどで、しかも、議員の給料が月40万円くらい、という、私から言えば途方もない額であきれたことを思い出します。ほとんどの議員は、自営者や職のある人で、別収入があるにもかかわらずです。その後、区民20万人に対し、報酬も月20万円くらいに下げた、と思いましたが現在どうなっているのかは不明です。

  国会議員にしても、定数が多いということで(他の先進国と比較し、人口に対して多くはない)、定数を削減することで与野党が合意したようですが、実現していません。それよりも、国家公務員の給料と国会議員の歳費を抑えることが先決であると思われるが、いかがでしょう。あれもこれも、元は taxpayer's money なのですよ...。

  商売をやっていて、一番大変なのは、人件費なのです(経験者には異論が無いでしょう)。経営が悪化して利益が上がらないときでも、従業員に給料を払わないわけにはいきません。経営者は無報酬で我慢しても、従業員には給料を払わねばなりません。海外の超一流企業のCOO(Chief Operating Officer)=最高執行責任者などは、何億あるいは何十億という年収プラス成功報酬を取っているが、しがない日本の零細企業では、利益が通常以上に出なければ、ボーナスを払うことなどあり得ません。ところが、景気のいかんにかかわらず、日本の地方・国家公務員には払われるのです。お手盛りで、今回のように増額まで出来ます。こんな良い商売は、一度やったら辞められません(「地盤、看板、カバン」〈2009年3月29日〉参照)。だから、世襲議員が増えるのです。

  もっと言いたいことがありますが、書いているうちにだんだん腹が立ってきて、私の健康に良くないのでこれぐらいにしておきます。次回は、もっと不条理な存在、今の時代とかけ離れた、肥大化した公共放送局というNHKと受信料の在り方です。もっと腹が立つ存在です。

  「英友社」の話は、先延ばしです。