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折登ひろしのGRAFFITI

日本人と英語と国際社会と、ちょっぴり料理について考える

President Trump is a Pugnacious Wheeler-dealer

2018年09月07日 | Weblog

Do you know what pugnacious mean?

What about wheeler-dealer?

pugnacious means = 喧嘩っ早い

wheeler-dealer means = 頭の回転が早い巧妙な取引をするやり手

I think President Trump is this kind of a person. Do you think of him suitable as the Presidnt of the United States?

Americans did. That is why he was elected as the President of the United States.

Decades ago Junichiro Koizumi was chosen as the Prime Minister of Japan.

Did you think of him suitable as the Prime Minister of Japan at that time?

That is all for today fellows.

 

 

 

 


チーズの話アメリカに渡る (続)

2018年09月03日 | Weblog

前回の「チーズの話アメリカに渡る(序)」(2014年08月05日)を投稿して後、大好きなチーズについて、皆さんに伝えたいことがいっぱいで、時を移さず続編が書けるとわくわくしていました。それで、「序」としたのですが、その間、ELSの設立に全く予想外の障害に直面し、当ブロッグに投稿する余裕がなくなりました。

 これまで長々とお話ししてきたように、障害は日本そのものでした。私の日本と日本人に対する認識の甘さ、無知にすべて責任があることを知り、共著とはいえ『英語と日本人』の発行人として恥じ入っています。書名も不適切であったと反省するとともに、本書の帯や内容の一部には、惑わされ、だまされている日本人、と説いていますが、だまされていたのは、実は私なのでした(「積年の謎がやっと解けました」〈2018年04月10日〉参照)。

 それほど、この国の異様さは前回お伝えしましたが、特異でもあることを肝に銘じました。それほどこの国では、国際的視野で常識と思っていることが通用しないのです。考えてもみてください。かつて、この国の指導層は、小学生に竹やりを持たせ、機関銃や火炎放射器で装備されたアメリカ兵に立ち向かえなどと、常軌を逸したようなことを自国民に強要していたのです。善良な国民の指導層に対する盲目の服従は(家畜に等しい?)、英検・TOEICにも通じるというのは言い過ぎでしょうか?現在、中東で子供に爆発物を巻き付け遠隔操作で自爆させるようなことも現実に起きていますから、オスバカの脳みそには歯止めが掛からないのは、古今東西変わりありません(「終戦と敗戦?進駐軍と占領軍どっちでしょう?それとも Fake Newsでしょうか?」〈2018年08月18日〉参照)。

 お待たせしました。話をチーズに変えましょう。前回、最もお伝えしたかったのは、エメンタール(ementarl)というスイスチーズです。日本でも、今はスーパーマーケットなどで購入できますから、別に驚くことではありませんが、私にとっては特別なのです。初めて口にする方は、どのような印象を持たれたか分かりませんが、ニューヨークで働いていた時、昼食を取るためにCoffee ShopやRestaurantで昼食を済ますか Delicatessen (日本ではデリまたはデリカと称されているようです。この項に関しては、ELSが立ち上げようとしてる Café と関連するので、改めて当ブロッグで取り上げるつもりです。現在のアメリカでは Starbucks などに取って代わられています) などでサンドイッチを購入し、社内で食べたり、天候に恵まれているときは公園など戸外で食べたりしていました。

 日本では、サンドイッチなどの食品は、出来上がったものをラップで包装したり、パックなどに入れたりして販売されていますが、大体、アメリカやヨーロッパでは、それぞれ個人の好みに応じて販売されることが一般的なので、日本的な小売りの仕方は、少ないと言えます。

 なぜ、エメンタールかと言うと、Deli(アメリカでも省略) でサンドイッチを注文する人のほとんどが、挟む中身にエメンタールを注文するのです。アメリカ人はエメンタールと言わずスイスチーズと言います。アメリカではそれぞれ自分の好みの食材をカウンター越しに店員に言って買います。パンも基本的には二種類ライ(rye=黒パン)かホワイト(white=食パン)かどちらかを注文し、次に中に挟む食材を注文します。

 エメンタール・チーズの特徴は、ご承知のようにチーズのあちこちに丸い穴が空いていることです。大きなチーズの固まりがガラスのケースに入っているのを取り出し、何枚かスライサーで注文に応じて切り分けます。来る客来る客のほとんどがスイスチーズを注文するので、ニューヨークでの生活もかなりたってから、一度、好奇心から少々値段は高いが注文してみました。初めて味わったエメンタール・チーズは、「ええつ!」というものでした。

 何か草っぽい味のする、食べなれた安いプロセスチーズの味とはかけ離れたもので、何でニューヨーカーの間で人気があるのか理解できませんでした。これも、前に話した黒いオリーブと同様、食べなれるとくせになります。今では大好物となりましたが、日本でエメンタール・チーズは、安くはないので残念です。

 この前アメリカへ行った時、スーパーでチーズの値段を調べてみました。すると、エメンタール・チーズはアメリカでも輸入品ですから相変わらず値段が張るのが分かりました。ところが、もっと安いエメンタール・チーズがあるのです。輸入品のエメンタール・チーズの三分の二くらいなのです。不思議に思って、よく調べてみるとアメリカ産なのです。これも「ええつ!」と驚き、その後調べてみたら、あの草っぽい味と丸い穴は、スイスの牧場の牧草が原因しているそうで、何と、アメリカはそのスイスの牧草の種を輸入(?)、栽培して牧牛に与え、アメリカ産エメンタールを製造しているのだそうです。購入しなかったので味のほどは分かりませんでしたが...。

 次回は、クリームチーズとブルーチーズ、そしていよいよチーズの話はチーズの本場、ヨーロッパに渡ることになる予定です。同時に食前酒 (アペリティフ=aperitif) などについても話したいと思います。クラウドファンディングに協力していただくために、これから私も、以前同様必死になってELSと "the Gallery" の事業内容を紹介します。

 とにもかくにも、高学歴者のほとんどが外国へ行ったことがないのを知り、驚きを隠せません。先日、2012年のノーベル医学・生理学賞の受賞者である山中伸弥教授がテレビ東京の夜の番組WBSに出演、毎月一回アメリカ西海岸のサンフランシスコと京都の間を行ったり来たりしているそうですが、アメリカの研究所と日本の研究所の研究員の働き方の違いを話されていました。日本の研究員は毎日目いっぱい働いているが、アメリカの研究員のそれには、ずっとゆとりがあるということです。その理由として、民間の寄付による研究資金の潤沢さにあると控えめに語っていました。毎月一回アメリカと日本を往復しているとは、職務とはいえ驚きです。

 日本人が海外では存在感に欠ける(「家畜化された日本人」〈2018年05月27日〉参照)という、テレビ東京の女性キャスター小谷氏の話からも、日本人は海外への発信力に欠けることは、私の長い海外生活と外国人との交流経験からも認識できる残念な事実で、その内向きの委縮した日本人の性向をもっと表向きにし、伸び伸びと夢を持ち、活力と想像力に富んだ男女を、小さな活動の中にも ELSは育てたいという野心を持っています。これは、次回のチーズの話と併せて発信したいと思っています。

 

 

 


ELS が立ち上げる国際感覚の "Café the Gallery" を紹介します

2018年09月01日 | Weblog

 

ELSに併設する "Café the Gallery"は、上部に表示する世界地図に象徴されるように、世界を見渡す国際感覚をもって、お客さん同士が楽しく交流できる Caféです。交わす言葉は英語を基本に国際的な社交の場にします。巷に散在する 「スポーツバー」 や 「パブ」 や 「バル」ではありません。

 ELSはご承知のように、英友社ランゲージスクールの略称ですが、本来ならば、50年にわたって、主に英語参考書を専門に出版活動をしてきた「英友社」が母体なので、英友社イングリッシュスクールとすべきなのですが、私のこれまでの体験から、イングリッシュだけを国際語とするのには抵抗を感じます。独・伊・西・中国語をかじった私ですが、ものにできなかった悔しい思いから、英語以外の言語でも交流できる場を提供できたら、という長年の思いがあるので、ランゲージスクールとしました。

 "Café" と公称する以上、店内は欧米式内装にし、提供する飲食の内容は、基本的に欧米で提供される物になります。食事は buffet 形式ですが立食にしません。食事をするための silverware は knives and forks で箸は置きません。店内での使用言語は英語を基本にし、日本語は禁止です。

 Inside the cafe, we serve basically western type of food and drinks and as for eating, we provide you silverwares that are knives, forks and spoons but not chopsticks=hashi. This is I consider very important for the Japanese to get used to handle knives and forks when you eat.

 なぜ "the Gallery"=画廊、かというと、これも私の経験が背景にあります。芸大で美術を学び、アメリカで "Art direction" を学び職業としたことから、その経験を活かして店内に、私の作品を含む Art Works を常時展示するつもりです。店が軌道に乗れば、お客の作品も陳列・即売することも可能かとも思っています。

 日本には、良質の男女の国際交流の場が少ないというか、社交の場がありません。男性優位社会がもたらした結果です。これまで料亭や花柳街が日本の高級な社交の場となってきましたが、女性が男性をもてなす場で、銀座などのいわゆる高級バーも同様です。かつてイギリスでは会員制の男性専用のクラブがありました(今も?)。アメリカでもカントリークラブ (日本ではゴルフクラブ) には、バーは男性専用になっていたクラブもあったような記憶がありますが間違っていたらごめんなさい。

 英語学習に関しては、Lesson は一時間とし、デスクトップ・パソコンに向き合い 、ELSが用意する英語の字幕なしDVDを30分視聴し、実社会での英語に慣れるようにします。後の30分は、質疑応答に使います。この間全て英語のみで行われます。

 ここまで書いてきて、日本という男性優位の、外国と断絶した異常ではないが異様な社会に慣れ親しんできた人々に、たかが英語の学習にここまで説明しなければならないことに疲れ果てました。

 NHKの 「ボッタクリ」 に反発も抗議もせず(NHKは公共放送民間放送とに分割すべき〈2017年07月07日〉参照)、池上彰氏のタレント連中を集めたテレビの講義にもおとなしく聞いている様に、あきれ果てています。おい、日本人、家畜から脱出しなさい!

 次回は、Café "the Gallery" で提供する日本人にあまりなじみのないチーズの話の続編にするつもりです。

 

 

 


続・予告の臨時変更

2018年08月29日 | Weblog

「上部に表示する世界地図は、ELSの一時のロゴマークとして今後も表示します」

 さて、前回予告を臨時変更した時は、2008年8月31日の投稿で、今回の変更は、実に10年の年月を経たことになります。前回はアメリカ大統領選挙戦の結果についての内容でしたが、今回の理由は、前回の「TOEIC・英検が量産する英語難民を救出するELSの挑戦」で告知した"the Gallery"とELSの基本となる英語指導のカリキュラムの内容の公表には慎重を期さなければいけない、と危機感を持ったからです。

 なぜならば "Café"のような外国生活文化に限らず英語学習に関して、外国を知らない一般の日本人は、大変残念な事ですが、既成観念にとらわれた認識でしか想像または受け止められないからです。その象徴的な例は、英語で言えば、カタカナ語や和製英語です。最もひどい例がTOEICと英検です。

命名の妙ナポリタン

 また 「カフェ= Café」 ですが、スパゲッティ料理の命名の妙 「ナポリタン」 のように、巷に見られる店の名称は表向きは 「バル」、「パブ」 あるいは 「スポーツバー」 と洋式ですが、経営の中身は和風の 「バル」、「パブ」、「スポーツバー」 といった認識で一般の日本人は考えますから、公表は慎重にしなければいけないと確信した次第です。「ビストロ」は大体フランス語圏で見られる飲食店ですが、「ビストロ」の名称はあまり日本では流行らないようです。「バル」や「パブ」に比べ長いからでしょうか?長いのは日本人には合わないのでしょう。その典型的な例は、ドイツ製自動車の車名「メルセデス・ベンツ=Mercedes-Benz」です。欧米では「メルセデス」または「メルセデス・ベンツ」が一般的な呼称ですが、日本では圧倒的に「ベンツ」です。

 これまで当ブロッグでたびたび指摘してきた事ですが、一般日本人は、上記の世界地図的世界観 (東の果ての太平洋に面した小さな島国の意識) に欠けています。外国かぶれもいいが、地図上で分かるように、もっと現実を見据えた意識を持ってほしいと願うのは私だけなのでしょうか。傑作なのは、「バル=Bar」 で、イタリア語 (「言葉によって違う『R』の発音」〈2007年11月23日〉参照) の「R」の発音を日本語で表すには「」しか無い苦肉の策でしょうか?私から言えば、英語の「バー=Bar」とスペルも意味も同じですから「バー」で十分だと思いますが...。イタリア風にしたいのか、それとも、かっこ付けしたいのでしょうかね!何ともいじらしい努力です(「英語もどきの英語とは?〈2008年10月9日〉参照)。

国内に引きこもる日本人

 この3年間で、ELSの立ち上げに失敗した最大の原因は、まさに上に述べた理由からです。3年間に交信または会った投資家、金融機関の担当者、役所・自治体の公務員、英語学校経営者及び担当者等々いずれの方々も上記の日本的慣習の枠にきっちりはまった人達でした。また驚いたことに、これらの人達のほとんどは外国へ行ったことがないことで、当然英語もできないし話せないことでした。『地球の歩き方』という本までかつて出版されましたが、外国旅行をする日本人の減少に歯止めがかからない (「家に引きこもっていないで、外の空気を吸いに外出したら」〈2018年4月27日〉参照) ことが実証されることになりました。

 これらの人達は、大学を卒業した高学歴者のはずですから、私の言う先進国の中の後進国という指摘は、残念ながら実証されるのではないでしょうか。もちろん、高学歴者が外国生活を体験することと英語が話せることが先進国としての条件ということではありませんが、当ブロッグの最上部に表示した世界地図を見て日本の位置を改めて確認してください。ご承知のように、日本は200年余に及ぶ鎖国を解いてから、先進国としての欧米に追い付け追い越せと必死になって努力してきました。無謀な先の戦争の落ち込みから驚異的と言われるような復興も遂げました。

 しかし、本当に残念なことに、日本人はまた、東の果ての太平洋に面した小さな島国に閉じこもり、全てを和風にしてしまう日本病にかかってしまったようです。日本は、好むと好まないにかかわらず、外国と人的交流また交易をしなければ生きていけない、ということを改めて認識すべきです。ですから、もっと積極的に外国へ出ていかなければいけません。商社だけに任せていてはいけないのです。

アジア諸国は外国ではない? 

 この事実は、ELSの立ち上げに重大な支障となりました。最近の観光統計によると、日本人の渡航先は、台湾、韓国、香港、タイ、シンガポール、グアム、中国、ハワイなどで、ハワイは、唯一アジア諸国以外の国です。また、面白いことに、わずかでも外国へ行ったことがあると答えた人達に 「どこへ行ったのですか?」 と尋ねると 「...」 押し黙ってしまいます。アジアの諸国は外国旅行のうちに入らないようで、しつこく聞くと渡航先はアジアの国です。

 ここまで書いてきて、テレビで驚きのニュースが入ってきました。東京の江東区に、TOKYO GLOBAL GATEWAY という東京都の肝いりで、体験型英語学習施設が9月に開設 (間違っても「オープン」ではありません) されることになったということです。東京都が何十億という資金を投じて開設する施設です。東京都教育委員会と(株)TOKYO GLOBAL GATEWAYが共同で開業するもので、当然、日本のこのような事業の常として、数々の民間会社が協力しています。

海外での日本人の存在感 

 2020年の東京オリンピックを視野に入れた事業の一環だそうで、英語に関して救われるのは、やっとTOEICと英検の姿が消え、代わりにTOEFLとコミュニケーション能力が表舞台に出てきたことです(「意思疎通コミュニケーションか?〈2015年6月23日〉参照)。日本人の上記の世界地図的世界観の認識に欠けていることから、英語という一外国語のために、何十億円も掛けて(「口下手で社交下手な日本人が英語を話すとき」〈2010年10月11日〉参照) 設備投資をする日本の行政の愚かさにあきれ果てます。教育委員会の施策だそうです。

 最後に付け加えておきたいことは、先日「テレビ東京」の女性キャスター小谷氏が 「外国へ行って感じることは日本人の存在感が無い」 と漏らした一言です。長年世界中を取材しテレビで活躍しているキャスターですから、当然、外国人記者・政財界の人々の集まりでの印象を述べたのでしょう。他の同席していた人達も同調していました。残念ながら私も全くもって同感です。外国で「日本人の存在感が無い」という意味が分かりますか?分かるかな?日本に閉じこもっているので分からないですよね!

 


TOEIC・英検が量産する英語難民を救出するELSの挑戦

2018年08月20日 | Weblog

このブロッグの『「意思疎通」 か 「コミュニケーション」 か』 (2015年6月23日) で、日本の英語難民の救出には、「ELS (英友社ランゲージスクール)」 の開校によって結果を出すと投稿しました。しかし3年かけてELSを立ち上げる努力をしましたが、ELSを立ち上げの障害となった現実とは、「積年の謎がやっと解けました」(2018年4月10日)でした。

 さて、3年後の今、勇気を振り絞って (本当は悔しさと敗北感でいっぱいの中に) 、戦後、張りぼて英語を蔓延させている日本の英語教育ならびに金儲け主義の英語産業から、英語難民化している日本人英語学習者を救済するために、ELSの立ち上げに再挑戦することにしました。どんげんかせないかんのですよ!

 以下は、このブロッグを始めた初回 (2007年10月10日) と2回目 (2007年10月15日) に当たる 2007年10月15日に投稿した記事ですが、改めてここに掲載します。「なぜ?」 かと言うと、ELSの立ち上げの原動力となっているからです。

何で英語やるの?

何しろ「英語、英語」とちまたで言う割に、日本人は英語ができません。何かがおかしい。そういった想いから、右記の本を出版しました(『英語と日本人-なぜ英語ができない』船田秀佳・折登洋共著)。まあ、日本人の90パーセントは、英語を日常的に使う機会も必要性もないでしょう。それなのに、「英語、英語」と大騒ぎです。文部科学省は、日本国民のすべてに英語を小学生から必修させようとしています。私は、とんでもないことだと思っているのですけれど...。 
   繰り返しますが、私たちが日常使う必要のない英語を、小・中・高・大学で必修させるというのです。一体、何のために、強制的に英語をやらせるのでしょうかね!教養や知識のためなら中学英語で十分です。本当に英語をやりたい人、使う必要のある人には、効率的な英語教育のカリキュラムを確立して、選択科目として徹底的に学ばせる方が、ずっと効果的である、ということを考えつかないのでしょうか?(以下省略)

 独学のすすめ

初っぱなから 「英語は独学でやりなさい!」 と言われたら、「無理なことを言う人だな」 と考えるかもしれません。しかし、例えば、もし突如、あなたが勤務している会社から辞令が下りて、外国に赴任することになるとか、親の外国への転勤によって、一家ともども移住する、といった場合を想像してください。
 そして、その国で日常生活を送るとなると、現地の言葉を話し、読めるようにならなければならないでしょう。そうでなければ、買い物もままならぬことになります。そうすると、自分で現地の言語を学ぶ努力をするしかありません。 
 つまり、「独学のすすめ」 とはこの事を言うのです。英語を独学するというのは、日本に居ても、あたかも英語圏の国で生活しているかのように想定して学ぶ、ということです。その国で生活をしていれば、毎日いや応なしに英語を見聞きしますが、日本ではそうはいきませんから、毎日コツコツといろいろな英語を自分の脳に記憶させていくのです。そして、記憶した英語を英語圏で生活しているかのように自ら使うのです。そうしないと忘れてしまいますから。
  この行為を「音読」 と言って、学んでいる単語でも文章でも声に出すのです。話す相手が居れば、それに越したことはありませんが、そうでなければ、一人芝居をするように感情を込めて話すのです。恥ずかしいなどと言ってはいけません。この行為を続ければ結果はついてきます。

 さらに、次にここで述べたいことは、「英語が社内公用語になるという怖~い話」〈2010年8月26日〉から抜粋した以下の文です。

 しかし、私は、言葉の習得というものは、そろばんをはじくような、技術の習熟とは異なると思います。ここに、やはり先の毎日新聞に載っていた、東京外国語大学教授で同時通訳者ならびにフランス語、イタリア語の話者でもあるという、鶴田知佳子氏の談を紹介しておきます。「言葉を変えるということは、考え方や文化など背景にあるものも変えてしまうということ。道具を取り換えるようにはいかない」と、述べておられます。鶴田教授の言っておられることは、前述のヨーロッパ文化と日本文化との落差や格差を認識できていないことなのです。つまり、言葉の習得は、技術や道具によるのではなく、文化を理解する力」なのです。

文化を理解する力とは?

 多文化を理解する力がどこの国の言語を学ぶにしても、外国語を習得する際、アメリカからイタリアに移住したときの私の経験からも最も重要なことなのです。イタリアは移住以前に一か月ほど旅行していたので、イタリアという国に対しての予備知識はありましたが、ミラノ市に居住し、午前に広告代理店に勤務、午後には鉄道で移動して、ミラノ市 (Lombardia州) の隣、ピエモンテ (Piemonte州)、ヴェルチェリ (Vercelli県) を中心に空手の指導をしました。

 イタリア語に関しての知識は殆どゼロでしたから、無謀と言えば無謀で、広告代理店では広告コピーの内容を把握し視覚・映像化するにも、空手の道場では指導をイタリア語でするにしても苦労の連続でした。特に空手の指導は、英語ができる会員は皆無で、殆ど手探りで、初めは動作だけで指導する羽目になりました。「じゃ、何でイタリアに移住したの?」という当然すぎるにも当然すぎる疑問が生じるでしょう。実は、ミラノ市にヨーロッパ人の結婚する相手がいたのです。初婚のアメリカ人妻と別れたのはこのことが原因です (「International Women's Day」〈2018年4月10日〉参照)。彼女はドイツ・スイス系イタリア人で、彼女との会話は英語でした。イタリア人から、なぜイタリア語で会話しないのかと聞かれましたが、英語を忘れないためというのが私の言い訳でした。まさか日本語を忘れていることには気づきませんでした。

 でも苦労しながらも、少しずつイタリア語で広告代理店でアートディレクターとしての仕事 (主な広告主はドイツの女性ヘアケア商品 "Wella" とガソリン元売り会社) も、空手の指導もこなすようになりました。そのころの私のお尻のポッケトには、小さなポッケトサイズの 「Italian/English・English/Italian」 の辞書を常時携帯し利用していました (「言葉によって違う『R』の発音」〈2007年11月23日〉参照) 。イタリア語で空手の指導しながら驚いたのには、私たちから言う音楽に関する単語がいっぱいあることでした。ほとんど忘れてしまいましたが、例えば、早く=veloce、ゆっくり=piano または lentamente、 強く=forte 楽器のピアノは pianoforte、小さい=piccolo 等々。文化を理解する力とは、このように、言語が成立した背後にある文化を理解するということです。

 上記、鶴田千佳子教授が唱える意見を心に留めて、中身のない、つまり文化の香りのない、張りぼての 「英検」 や 「TOEIC」 ではない英語を自分自身で模索して身につけるよう実践してください。漢検でいくら高得点を取っても、日本語の達人にならないのと同じことです。夏目漱石や川端康成の小説を読破した方が日本語に堪能になることは私が保証します。

 イタリアに居住して少しずつイタリアというローマ帝国の発祥の地とルネッサンスの勃興の地であることを肌に感じ始めたころ、私は断腸の想いで、また余儀なくかの国を去ることになりました。「ローマは一日にして成らず」 という格言がありますが、そのことがどいうことを意味しているのか実感したのは帰国してからです。帰国して、日本という国の実像が分かるにつれ、それに比較してかの国は物凄い歴史と文化を成していたのだ!と、つくづく上記の格言の真の意味を感じ自身の無知を恥じました。

英語はとはどんな言語?

 このブロッグの上部に世界地図を表示しましたが、皆さんのほとんどは、まずこのような世界地図で日本の位置を確認したことはないでしょう。当然、どこの国でも自国を中心にした世界地図を学習する際に表示するでしょうから。

 どこに日本が在るか探してみてください。小さく右端に在りますよね。英語で Far East 訳して極東つまり東の果てです。英語の発祥地、西の左側のイギリスからは、ヨーロッパ大陸と中国をまたぎ、日本は東の右端に当たることはこの地図上明白です。もちろん地球は丸いですから、どこが東の果てか西の果てかは起点を決めなければ判断できませんが、少なくとも英語という言語を起点にすると日本は東の果てということになります。

 イギリスは、かつて世界の七つの海を支配し大英帝国と言われました。同時に、各地を植民地化し、それによって英語も各地に広まりました。どれだけの国あるいは地域を植民地化したか、とてもここで表示できないくらい驚くほど多数です。

 その英語は、アフリカ大陸のエジプト、南アフリカをはじめ、さらに東に向かい、パキスタン、インド、マレーシア、シンガポール、香港、フィリッピン、下に降ってオーストラリア、ニュージーランドと、一方で西側を見ると、アイルランド、カナダ、アメリカ、英領西インド諸島等々。以上ざっと荒っぽく分類しましたが、とてもこのブロッグで、これも詳細を表示するには手に余ります。この中でフィリッピンだけは、元はスペインの支配下にあったので、スペイン語の影響が強かったのですが、後にアメリカの植民地化でご承知のように英語 (公用語) が主流になりました。

英語は比較的容易な言語

 容易と言っても、他のインドヨーロッパ系の言語と比較しての話です。私は世界中の言葉を学んだわけではないし、言語学者ではないので、断言しているのではないことをお断りしておきます。ただ、私がかじった欧米語の中で、独・仏・伊・西語ほど文法が厳しくなく、とっつきやすいことは確かで、上記の世界の国の植民地化以外に、英語が世界中に広まった原因の一つではないかと思います。殆どの英語を母国語とする人達が英語以外の言語を話さないのは、英語が国際語となっている以外に他言語は習得が大変だからだと思います。中国語については『英語と日本人』で詳述しましたので、ここでは割愛します。

 私が最初にヨーロッパ語で学んだのはドイツ語 (『英語と日本人』参照) でした。簡単な片言の会話程度はドイツ語独特の発音以外は、それほど苦もなく覚えましたが、それ以上つまり会話を交わす段になると、腰を据えて向かい合わないと手に負えないことが分かってきました。そのとき、芸大同窓生でドイツ語を教えてくれたドイツ人女性が 「ドイツ語って難しいでしょう」 と私に語ったのを覚えています。その彼女が 「英語って易しい」 と言ったのも衝撃的で、これも忘れることができない一言ででした。確かに、上述のように英語は、日常生活で使う言葉としては易しいと思います。

 英語は、(これも『英語と日本人』で詳述) インド・ヨーロッパ語族に属し、ドイツ語や北欧の言語は親せき当たります。よく、マスコミなどに 「世界の英語力ランキング」 が公表されますが、ある調査によると、1位から5位までは、英語の親せきの言語を話し、同じような生活習慣・文化圏の北欧諸国です。参考までにここに表示しますが、1.オランダ 2.デンマーク 3.スウェーデン 4.ノルウェー 5.フィンランド、です。当たり前と言えば当たり前で、文化圏も生活習慣にもあまり差がない地方の津軽弁を関西弁または九州弁に直すようなものですから。ちなみに、日本は72か国中35位だそうですが、このような画一的な調査によって卑屈になり、ゆがめられる日本の英語教育の行く末に望みはないでしょう。

外国語を学ぶのに才能は必要か?

 私から言えば「ありません」。ただある程度感性は影響するでしょう。例えば、身体能力とか音楽や美術に対する感性は遺伝や家庭環境によることは一般に認めらています。しかし、どこの民族の子供でも自民族の言葉は個人差こそあれ、幼少時に身につけます。大体女子は男子に比べ早いようです。ただここで問題にしたいのは、日本人の言語に対する因襲です。長年の伝統 (?) または鎖国の後遺症からか、日本民族の体質にまでなっていることは憂慮するべきことです。ともかく内向きで控えめに終始する自己の意志を発信するさまは、国家または民族的損失です。ただ日本人すべてがそうでないのは不可解なことです (「口下手で社交下手な日本人が英語を話すとき」〈2010年10月11日〉参照)。

 例えば関西人です。よく例に出されるのはいわゆる 「大阪のおばちゃん」 です。意思表示が露骨なくらいはっきりして見事です。大体、私の経験から世界中の人々は関西人のように自己の意思表示を明確にします。ではなぜ関西人や 「大阪のおばちゃん」 ではない、一般日本人は自己表現をためらうのでしょうか。「double standard=ご都合主義」が日本人の体質となっているからでしょうか  (「意思疎通コミュニケーションか?〈2015年6月23日〉参照)、(「家に引きこもっていないで、外の空気を吸いに外出したら」〈2018年4月27日〉参照)?

 帰国して、日米合弁会社に就職したと前に述べました。合弁会社ですから会議は日英語半々で行われました。社長を始め日本人の役員・営業担当・女性社員のほとんどは堪能とは言えませんが英語を話し理解していました。ただ宣伝企画部は例外でした。また、ELS の前身の英友社は本郷の東大の目と鼻の先に在り、酒好きの私は、東大生や院生が集う居酒屋でよく会話を交わしましたが、彼らのほとんどは英語を話しました。東大生だから頭がいいからとかより、先の広告代理店の例を持ち出すまでもはなく、問題は意識または意欲なのです。

 最近、イギリスの外務大臣 (Secretary of State for Foreign and Commonwealth Affairs) になった Jeremy Hunt氏は、政治家になる前、日本に2年間英語教師をした経験がありますが、2年間とはとても思えない、いや驚くほど日本語が達者でした。Hunt氏とは『イギリス留学案内』といった彼の出版した本を、英友社が代理店になって日本で販売することになったことから知り合いました。

言語の習得は自分方式を見つけること

 Hunt氏は、Oxford大学を卒業生したエリートですから、日本語に堪能になるのは当たり前と思われるかもしれしれませんが、私から言えば、50%は正しいが、後の50%は目的意識だと思います。上記の広告代理店の社員達は、外資系の会社で働きたいという意欲が強い人達だったと思います。しかし、私が最も強調したいことは、自分で自分に合った学び方を見つけることが大切です。つまり自分式、我流でやるのです。何事をやるのも楽しくなければ長続きしないし身につきません。自分流の楽しいやり方を模索すれば結果はついてきます。語学 (英語) を学ぶのが楽しくなければ、止めて、他の何かもっと楽しいことをやればよいのです。英語が人生のすべてではありませんから。

 ニューヨークの広告代理店に勤めていた時、編集部の校正担当の女性の一人はフランス人でドイツ語もできる人だったので、ドイツ語をかじった私は、難しいドイツ語を何とかしたいと思って、彼女に話しかけたら、鼻にもひっかけられませんでした。しっかりした目的もない、生半可な私の心を見透かされていたのです。

 ただ英語にも落とし穴があります。英語を 「易しい」 と言っていたドイツ人の彼女が、当時、英語の語彙を増やす練習本を必携していたので不思議に思っていましたが、答えは、英語には一つの単語の語彙がものすごく多いのです。簡単な例で言えば、"get" です。日本ではカタカナ語で 「ゲッツ」 とか言って 「得る・獲得する」 という意味で使っていますが、"get" は無数と言ってもいいほどいろいろな意味があります。"get" の複合語となるとさらに増えます。うそだと思ったら、まともな英和または英英辞典を引いてごらんなさい。常用化したカタカナ語の 「リニューアル」 (「リニューアルオープンか「新装開店か?〈2008年12月13日〉参照) に至っては、日本人の外来語に対する無節操な、バカ丸出しもここまで来たか、としか言いようのない悲しい、日本語を破壊する国辱ものです。

 自国語を破壊する、かねてから私が口が裂けるほど唱えている 「カタカナ語」 は絶対に止めるべき (百害あって一利なし) と、ここまで書いてきたら、元国連事務総長であ ったアナン (Annan) 氏の訃報が入ってきました。氏は、ガーナ共和国出身で、氏の国連事務総長としての功績で国連ともどもノーベル平和賞を受賞しました。数か国語に堪能のようでしたが、私には氏が話す英語は、うらやましいと言うより尊敬に値する英語でした。とつとつと話す言葉の隅々に氏の知性と見識が詰まっていて、"twitter"で衆愚を扇動するだけの、米国の大統領の言葉と比較するのもおこがましい。

 さて、本命のELS の開校ですが、ELS が推奨する英語指導方針を実施します。 「カタカナ語」・「TOEIC」・「英検」・「金儲け英語」 に完全に汚染されているこの国では、私一人の力つまり多勢に無勢で、手に負えません。従って、「クラウドファンディング」 を立ち上げ、理解者を募ることにしました。"CAMPFIRE" のプロジェクトで公募します。まだ準備段階ですが、立ち上がり次第、当ブロッグにてお知らせしますのでご支援のほどお願いします。

 ELS には 外国人向け "the Gallery" (私、元アートディレクターの感性で Café を内装) を併設します (モニター画面で常時英語での CNN、CNBCなどを放映) から、外国人の男女あるいは日本人でも海外経験の豊富な客と自由で楽しく、英語で交流の場・社交の場を提供します。

 

 


終戦と敗戦?進駐軍と占領軍どっちでしょう?それとも Fake Newsでしょうか?

2018年08月18日 | Weblog

終戦か敗戦か、進駐軍か占領軍か? 毎年8月15日が来るたびに、憂鬱になります。なぜかと言うと、日本人の見栄っ張りと格好付け体質に思いが行くからです。まあどの民族も表を繕って衆愚に迎合していますけれど...。

 "Fake News" は、アメリカの現大統領トランプ氏がアメリカ国民に向かって連呼し、衆愚を挑発している大統領選挙戦以来の彼独特の発言で、ご承知でしょう。"Fake News" を直訳すると「偽報道」ということでしょうか。

 日本人は現実を美化することに非常にたけています。例えば、蒙古が襲来した時に襲ったを「神風」と言い、また太平洋戦争時の特攻隊戦死者を「軍神」と呼ぶなど、私のように現天皇と皇后と同世代の者にとって、何ともやりきれない思いがします。

 太平洋戦後、アメリカ軍を主体とした連合軍が日本に進駐し占領しました。この連合軍をはじめのうちは占領軍と言っていましたが、いつの間にか新聞などの報道機関では、進駐軍(今も)に変わっていました。同様に敗戦終戦に変わっていました。子どものころでしたから別に気に留めませんでしたが、成長するにつれ言葉の変化が気になりました。後に分かったことなのですが、敗戦も占領も屈辱的な用語なので終戦と進駐に変えたようです。現実を直視せず、まやかすのは、意外に思う方もおられるかもしれませんが、日本人の特技と言えます。

 このことは、トランプ大統領の言う Fake News とは異なりますが、太平洋戦争中、日本人は Fake News の乱発に踊らされました。軍による報道規制によるとかで、開戦直後には、日本の全報道機関は Fake News を流し続けました。例えば、「敵艦船20隻爆沈、敵機40機撃墜」といった記事が新聞紙上に常に踊っていました。その内戦況が悪化するにつれ、さすがに Fake News を流し続けることは報道機関もできなくなりました。

 衝撃だったのは、確か、ソロモン諸島での海戦で、日本海軍はアメリカ空軍によって叩きのめされた報道です。その前のミッドウエイ海戦の報道あたりから日本国民は次第に戦況の悪化を感じるようになりました。以降は、サイパン、硫黄島の玉砕、沖縄侵攻による悲劇、さらにロシアの参戦によるシベリア、アリューシャン列島での日本軍の敗北・玉砕等々とどまることがなくなりました。

 一方、日本国内では、小学生であった私は、疎開先で、ノミとシラミに悩まされ、ひもじい思いをしながら竹やりでアメリカ軍を迎え撃つ訓練をしていました。

 今回はここまでです。終戦記念日ではなく敗戦の日に思いを馳せて...。

 


どんげんかせないかん

2018年07月03日 | Weblog

表題は、現在テレビに評論家として出演している東国原英夫氏が、宮埼県知事に立候補した際に言った宮崎弁(?)で、2007年の流行語大賞に選ばれたことで、覚えている方もおられるでしょう。

 さて、「どんげんかせんないかん」 は、標準語では 「何とかしなければいけない」 という意味なのでしょうが、これまで機会があるたびに述べてきた、英語教育に限らないのが日本の内情です。本当に今こそ、何とかしなければいけないのですが、幕末・明治時代の意識から抜け出せない、一部の日本の男どもを、「どんげんかせんないかん」 のです。その中の人物は麻生財務大臣とか二階幹事長とか自民党の長老連中ですが、彼らの脳みそには苔が生しているようで、除去は難しいと思います。

 前々回に 「家畜化された日本人」 という表題で投稿しましたが、同様な意味で、かつて日本は 「アメリカのポチ」 (今でも?) と言われたことがあります。これは外国ではなく日本で言われた言葉です。誰が言いだしたのか私には不明ですが、マスコミで広まった言葉です。ポチは、ご承知のように犬の愛称です。つまり、アメリカに飼われた、または飼い主に従順な日本という意味で使われた言葉で、アメリカの言いなりになる、つまり自主性のない日本という全く情けない表現です。どんげんかせないかんでしょう。

 翻って、国ではなく人はどうでしょう。飼いならされた家畜もペット (強いてカタカナ語を避けて言うならば=愛玩用動物) も、人間に都合のいいように慣らされた動物ですが、誠に残念ながら、日本には飼いならされた人々が多すぎます。飼いならすには調教師または飼い主がいなければなりませんが、日本では、調教師は企業で、飼い主は伝統的には 「お上」 あるいは 「上司」 でしょう。

 日本では、就職は 「宮仕え」 に等しいので、大企業では、入社式などが行われるという、私のように戦時を経験した者には異様な情景にしか見えません。軍国主義的なにおいがする上に、なぜ今ごろ...北朝鮮ではあるまいし...。受け入れがたい慣習です。日本では当たり前のように毎年行われていますが、世界の先進国の中では珍しい情景ではないでしょうか。入社した企業に忠誠を誓うという意味でしょう。どんげんかせないかんと思います。

 注:宮仕え=主家に仕えること、仕官、奉公、転じて会社や役所に勤めること(広辞苑)

 それと朝礼ですよ!これも私には戦時を思い起こさせる嫌な慣習です。戦時中、朝礼は日本全国の小学校で行われていました。それが企業という民間の組織で、長とされる人が従業員に向かって訓示をするなど...。確かに宗教上の会合などでは礼拝などの慣習された儀礼が常に行なわれています。聖職者が信者に向かって講話することなどは、教祖の教えを信者に徹底させる以外に、組織の維持や信者の結束のためもあるでしょう。全てが悪いというわけではありませんが、形だけを群れに強要する、前時代つまり戦前・戦中を思わせます。戦争中は、私には忌まわしい記憶しかありません。戦中と戦後の2回も栄養失調になりましたから。戦争中には 「肺浸潤」、戦後は「肋膜炎」、どちらも栄養失調が原因とされています。

 現在、中東あるいはアフリカの紛争で、難民としてあるいは戦乱に巻き込まれた子供たちが、食料不足でひもじい思いをしているのを映像で見るにつけ、他人事と思えず胸が痛みますが私には何もできません。どんげんかせないかんのですが...。

 大和魂とか、うそぶいて勝てない戦争を仕掛けた日本の軍部、パレードや軍服などナチスのヒットラー式をそっくりまねたとしか思われない北朝鮮の軍隊、中国の軍隊等々、私が繰り返しこのブロッグに記す見栄っ張りの 「ばかオス」 どもの行為や行事です。「ばかオス」 どもを支えるのが衆愚という大衆です。こういったオスの行為は動物の本能からくるものということで片づけるしかないのでしょうか?でも税金をいっぱい使っているのですから、どんげんかせないかんでしょう。

 衆愚とは愚かな人々の群れです。群れをつくるのは人類、鳥類、動物類 (哺乳類?)、魚類など、しかし人類が構成する衆愚と決定的に違うことは、これらの動・生物類は刃物や銃など殺傷する武器や核のように大量に破壊する兵器を所有しません。しかも、こういった武器や兵器は、ほとんどの場合、同類を守るというより同類を殺し合うために開発されたのです。「むしゃくしゃしたから誰でもいいから殺したかった」など、この世から抹殺されるべき 「ばかオス」 が身近にいて、毎日のようにこの日本でも悲劇が繰り返されています。これこそどんげんかせないかんでしょう。

 戦前子どもの頃、自宅に友達を呼んで好きなおもちゃを選んで一緒に遊ぼうとするのですが、すぐに彼は自分が選んだおもちゃで遊ぶのではなく私のおもちゃを取りに来ます。私は一緒に遊ぶことが念頭にあるので、取り合いでけんかになるを嫌いそれを渡し別のおもちゃで遊ぼうとしますが、彼は今度はそれを取りに来ます。つまり、彼にはおもちゃで遊ぶことより自分の占有または支配欲を満たそうとするのです。プーチン大統領とか習主席とか金正恩委員長とか自己の所有欲を満たそうとするのは、心が幼いのだと思います。子供から大人へ精神的に成長していないのでしょう。子供のころの成長過程で問題があったと思われます。精神分析で著名なフロイド氏の格好の分析対象になるでしょう。

注:ジーグムンド・フロイド (Sigmund Freid) = 精神分析学の創始者。日本ではジークムント・フロイトと発音されているようです。

 これはオスだけでなくメスにもある欲望ですが、オスとメスでの違いは、人間のオスの場合は暴力や権力によって占有・独占しようとすることでしょう。たびたび繰り返しますが、プーチン大統領とか習主席とか金正恩委員長とかトランプ大統領とか誰々とか...誰々とか...誰々とか...、指導者と言われる連中が世界中にいっぱいいます。こんな連中が衆愚またの言葉では大衆に支えられ、世間であがめられ尊敬され権力を持つなど、今に始まったことではありませんが、偏向した人間の習性/本能や人間社会を本当にどんげんかせないかんのです。

 いでに話をアメリカに向けると、日本と違いアメリカでは飼いならすのではなく、切り捨てます=解雇です。捨てるのはもちろん 「飼い主」=「雇用主」 です。「雇用主」 は雇用に対し絶対的な権力を持っていますから、私は何回も 「クビ」 になり何回も失業する羽目に遭いました。私がニューヨーク市で働いていた当時、artist には労働組合が組織されていなかったので、雇用者は、artist を品物を捨てるようにクビつまり解雇しました。

 アメリカは圧倒的な経済力と武力と物量を背景に世界に君臨しています。同様にアメリカの大統領が有する権限は強大で、トランプ大統領はその権限を最大限活用している好例です。独裁者のように振る舞い、FBI長官をはじめ側近を片っ端から解雇 (どこかの国や組織のように処刑しないだけまし?) していることからもお分かりでしょう。でも日本の首を切るという表現より平穏です。首=馘を意味し物騒です。

馘首=首を切ること。解雇すること(広辞苑)

 彼は大統領になる前、"The Apprentice"というNBCテレビの娯楽番組にプロデューサーならびに司会者として出演していました。番組は、ある役員の椅子を懸けて公募された人が競い、不合格になった参加者に"You are Fired" (お前はクビだ) と宣告するというものです。アメリカでは解雇を "fire" または "sack" と言いますが、なぜ "fire" と言うのか分かりません。"sack" の意味は 「袋」 ですが、これもなぜ解雇という意味で使われるのか私には不明です。

 民主主義国家または文明社会では、人間を犬猫のようにただ捨てるわけにはいかないので、それを阻止または守るためにできたのが、アメリカでは"labor union"(イギリスでは"trade union") です。日本語訳は 「労働組合」 ですが、日本の 「労働組合」は......、帰国後知り合ったある企業の社員が課長に昇進したと言うので......、                                                                                                                                                               

私:「おめでとう」と言うと...                                                                                                            彼:「組合長をやらなければいけないんだ」とぼやくので...                                        私:「役職者がなぜ組合長をするのですか」と問いただすと...                           彼:「課長になると組合長をしなければならないんだ」                                          私:「ええつ!」と驚きました...                                       彼:「次の課長が決まるまで務めなければならないんだ。面倒くさい役職なんだ」                               私:「ええつ!」とまた私...

 私がアメリカで得た知識では、労働組合 (labor union) というのは、雇用主(employer) に対し弱者である非役職者・従業員 (employee) が雇用を確保・維持するために加入するもので、組合費を払って組合に庇護してもらいます。組合の中では当然組織を運用するために、組合長のように組織の長が選挙によって選ばれます。ですから課長のような役職者が組合長を務めるなどあり得ません。組合員数が増大すると雇用者のみならず政治に対する発言力や対抗力が当然増してきます。

 かつてアメリカの自動車産業が強力だった時代には、United Automobile Workers (全米自動車労働組合)は、絶大な政治的な影響力を持ち、UAW の組合員は時給が他の労働組合より高く待遇がよいのです。

 アメリカの労働組合と日本の労働組合の違いは、大雑把に言えば、アメリカは職別の労働組合ですが、日本の労働組合は企業別であるということのようです。

  ここまで書いてきて、私のキーボードを打つ指が止まってしまいました。これ以上書けないのです。あまりにもむごい事件で、胸が締めつけられ悲しさでどうしようもなくなりました。やっと今日になって気を取り直してパソコンのキーボードを叩いています。その事件とは、多分全国に報道されたと思いますが、女児が両親の虐待で食事も満足に与えられず衰弱死したというものです。詳しいことは報道されているので割愛しますが、私の胸が張り裂け涙が止まらない一事は、彼女が衰弱しきって食事を受け付けなくなったというのを母親に伝えたというのです。母親がいて虐待が続いたという異常な事件に言葉を失います。母親は再婚し、その相方の夫が虐待の首謀者のようですが、なぜ母親が幼い娘の虐待に手を貸したのかまだ不明とはいえ、やりきれない気持ちでどうしようもありません。どんげんかせないかんどころではない事件で、この項の内容も長くなったことから、続きは、ELS の立ち上げと将来についてと共に、改めて投稿することにします。

 

 

 


ばかオスどもが地球上を引っ搔き回している ‼

2018年06月07日 | Weblog

ELSの立ち上げが不発に終わり、悔しさでほぞをかんでいる中で、ばかオスどもが世界というよりも、地球上をかき回しています。ばかオスたちの大親分とも言うべき、ロシアのプーチン大統領、中国の習主席、アメリカのトランプ大統領、ずっと小粒だが北朝鮮の金正恩委員長、オスの利権争いに巻き込まれているシリアのアサド大統領等々。

 また、中米のエルサルバドル (El Salvador) では治安の悪化 (ギャングの横行) に歯止めが掛からず、国民の国外への脱出が問題になっています。

 人間のオスどもが、小さくしてまった地球上 (狭くなった地球を離れるため宇宙に逃げ場所を求める) を我が物顔でのさばっている限り、引っ搔き回しは終わりなき現象です。ただ引っ搔き回すならまだしも、それに暴力と破壊が伴うのですから、困った、否、動物です (「人間のオス=暴力=破壊」〈2018年1月29日〉参照)。

 縄張り争いや権力闘争に執心するプーチン大統領、習主席、金正恩委員長らは共産圏が産んだ長であることに 、共産主義にはそういった土壌があるのでしょうか ? いずれも核という強力な武器を背景に権力を維持しています。

 暴力と言えば、日本大学のアメリカンフットボール部の反則行為は、今だ冷めやらぬ事件です。運動部の暴力行為と言えば、日本のお家芸みたいなもので、しぼる とか しごく という言葉に置き換えられて、私の学生時代には横行していました。かつて (今も?) 相撲界では無理偏にげんこつと書いて兄弟子と読む と言われたくらい身内の暴力は常とう化していました。戦前の日本の軍隊では、上官によるびんた」「往復びんたの行為も周知された行為で、後はご想像に任せます。

 人間が地球上にあふれ地球を小さくしている中で、半数を占める上記のオスばかの一部は、縄張り争いや権力闘争に腐心しています。日本のように男性優位がずっとはびこってきた社会で、働き方改革など発展途上国で論じられるような問題を、労働者を家畜化しておいて、今ごろ国会で論議しているなんて信じられな~いよ!過労死が常とう化している社会だ~もね~。私も帰国してすぐに就職した広告代理店でも同じ目に会いました。

 善良な日本の市民たちは、改革・変革!と唱和していますが、家畜化されては、改革や変革はできませ~んよ!この件は、次回も引き続きELSの挫折問題と併せて書き記します。

 

 

 

                                                                         


ばっかじゃなかろうか?

2018年06月01日 | Weblog

新元号の発表は新天皇の即位の1か月前だってさ!! 昨日の5月31日は平成最後の5月で、以下、平成最後の夏、平成最後の秋、平成最後の冬、と続いて来年春の1か月前には新しい元号となるそうです!

 新元号の発表は天皇即位の1か月前とは!"ばっかじゃなかろうか?"経済界、あらゆる業界は慌てふためいてるようです。当たり前のことで、バカもいい加減にしろと言いたい。それを誰も阻止できないとは、あきれてものが言えません。これはもう日本に蔓延するびょーき としか言いようがありません。日本の生産性が世界先進国の中で著しく低いというのは、こういうことからも来ています。おい!官僚も政治家も頼むから早く日本病から抜け出してくれ!

 元号という制度、つまり、天皇の即位から没まで一つの年号とする制度は、今の日本人が慕う(?)明治時代に制定されたそうです。夏目漱石の『こころ』には、元号は明治時代の象徴であったそうです。余談ですが、私は夏目漱石の小説が大好きで、私の日本語の素養は漱石の小説によることが大と言っても過言ではありません。繰り返し読んで文体を真似ました。とは言っても『坊ちゃん』と『吾輩は猫である』だけで『こころ』は読んでいません。他に、文藝春秋社を創業した菊池寛の小説も中学生の時むさぼるように読みました。

 元号は残しても併用はやめてほしい。煩雑なこと甚だしいし手間つまり時間の無駄です。その一方で、鉄道の発着時間には異常なほど神経質です。何しろ秒単位ですからね!こういうところにも日本人の二面性、つまり(「家に引きこもっていないで、外の空気を吸いに外出したら」〈2018年4月27日〉参照)、表と裏を使い分ける習性が見られます。公用には西暦に統一すべき。来年には天皇陛下が退任され新しい元号になるのでしょうが、公用と併用しないでほしいと切に切に願う次第です。頼むからやめてくれ‼

 欧米から帰って出版社と不動産業をやることになりましたが、業界と銀行取引に、規制の宝庫の日本で、契約書やその他もろもろの書類に署名捺印する際に、元号と捺印に悩まされ続け (今も) ました。この件は改めて書きます。

  


家畜化された日本人

2018年05月27日 | Weblog

ケーブルテレビとインターネットを通して、私は、アメリカの CNN、CNBC放送をはじめ、世界中の放送を時間が許す限り(チャネルによっては時々鮮明な映像が得られなかったり接続できなかったりしますが)日常的に視聴しています

 受け取る情報は限定的でも、世界中の国を見聞できるからです。閉鎖社会の日本で生活していると息が詰まるし日本ボケしてしまいます。元NHKアナウンサーの池上彰氏が頑張ってはいますが、国民が家畜のように飼い慣らされているこの国でどれだけ効果があるのでしょうか...。

 外国語は英語しかできません。一方で、中国語は一年間学んだにもかかわらず、残念ながら高年齢になってからなのと、使う機会がなかったために (最近は私の生活圏には中国人だらけですが) 完全に抜け落ちてしまいました。でも、外国を経験したことのない方々には、どの外国語でもよいから挑戦してください。日本ボケから解放されますよ。イタリア語、ドイツ語、スペイン語は片言程度の知識でも、ニュース番組は映像があるので、長年外国で働き生活した経験から、ある程度理解できます。

 日本ボケになる原因の一つに、毎日のように報道されるセクハラ行為、レスリング協会の不祥事、先日には日大アメフト部の反則暴力行為等々の単細胞行為があります。もちろん、この程度のことは世界にも蔓延している、終息することのないオスバカの行為ですが...。特にアメリカの銃乱射事件、頭は切れるが独裁者ぶるトランプ大統領...等々。ちなみにトランプ大統領の IQ値は 150を超えるようです。もし、私に彼のように高い IQ値があったら、英友社ランゲージスクール (以後は ELS と表示) はとっくに開校していただろうと反省しきりです。馬鹿正直の見本のような私ですから...。

 ELSをこれまで立ち上げる努力を続けてきましたが無為に終わりました。ここで嫌というほど学んだことは、日本人、特に雄 (男性) は。家畜のように飼いならされているということでした。ブロイラーほどではないが、私から言えば大して変わりません。世界に限らない男性優位の社会が続くことの弊害です。この件は次回に譲ります。取り敢えず今日はここまでです。明治時代への逆行 (time travel) についての約束も続けて投稿します。ともかく規制と差別だらけの百貨店いや総合商社(ある国会議員の言葉)の国です。