
このブロッグの『「意思疎通」 か 「コミュニケーション」 か』 (2015年6月23日) で、日本の英語難民の救出には、「ELS (英友社ランゲージスクール)」 の開校によって結果を出すと投稿しました。しかし3年かけてELSを立ち上げる努力をしましたが、ELSを立ち上げの障害となった現実とは、「積年の謎がやっと解けました」(2018年4月10日)でした。
さて、3年後の今、勇気を振り絞って (本当は悔しさと敗北感でいっぱいの中に) 、戦後、張りぼて英語を蔓延させている日本の英語教育ならびに金儲け主義の英語産業から、英語難民化している日本人英語学習者を救済するために、ELSの立ち上げに再挑戦することにしました。どんげんかせないかんのですよ!
以下は、このブロッグを始めた初回 (2007年10月10日) と2回目 (2007年10月15日) に当たる 2007年10月15日に投稿した記事ですが、改めてここに掲載します。「なぜ?」 かと言うと、ELSの立ち上げの原動力となっているからです。
何で英語やるの?
何しろ「英語、英語」とちまたで言う割に、日本人は英語ができません。何かがおかしい。そういった想いから、右記の本を出版しました(『英語と日本人-なぜ英語ができない』船田秀佳・折登洋共著)。まあ、日本人の90パーセントは、英語を日常的に使う機会も必要性もないでしょう。それなのに、「英語、英語」と大騒ぎです。文部科学省は、日本国民のすべてに英語を小学生から必修させようとしています。私は、とんでもないことだと思っているのですけれど...。
繰り返しますが、私たちが日常使う必要のない英語を、小・中・高・大学で必修させるというのです。一体、何のために、強制的に英語をやらせるのでしょうかね!教養や知識のためなら中学英語で十分です。本当に英語をやりたい人、使う必要のある人には、効率的な英語教育のカリキュラムを確立して、選択科目として徹底的に学ばせる方が、ずっと効果的である、ということを考えつかないのでしょうか?(以下省略)
独学のすすめ
初っぱなから 「英語は独学でやりなさい!」 と言われたら、「無理なことを言う人だな」 と考えるかもしれません。しかし、例えば、もし突如、あなたが勤務している会社から辞令が下りて、外国に赴任することになるとか、親の外国への転勤によって、一家ともども移住する、といった場合を想像してください。
そして、その国で日常生活を送るとなると、現地の言葉を話し、読めるようにならなければならないでしょう。そうでなければ、買い物もままならぬことになります。そうすると、自分で現地の言語を学ぶ努力をするしかありません。
つまり、「独学のすすめ」 とはこの事を言うのです。英語を独学するというのは、日本に居ても、あたかも英語圏の国で生活しているかのように想定して学ぶ、ということです。その国で生活をしていれば、毎日いや応なしに英語を見聞きしますが、日本ではそうはいきませんから、毎日コツコツといろいろな英語を自分の脳に記憶させていくのです。そして、記憶した英語を英語圏で生活しているかのように自ら使うのです。そうしないと忘れてしまいますから。
この行為を「音読」 と言って、学んでいる単語でも文章でも声に出すのです。話す相手が居れば、それに越したことはありませんが、そうでなければ、一人芝居をするように感情を込めて話すのです。恥ずかしいなどと言ってはいけません。この行為を続ければ結果はついてきます。
さらに、次にここで述べたいことは、「英語が社内公用語になるという怖~い話」〈2010年8月26日〉から抜粋した以下の文です。
しかし、私は、言葉の習得というものは、そろばんをはじくような、技術の習熟とは異なると思います。ここに、やはり先の毎日新聞に載っていた、東京外国語大学教授で同時通訳者ならびにフランス語、イタリア語の話者でもあるという、鶴田知佳子氏の談を紹介しておきます。「言葉を変えるということは、考え方や文化など背景にあるものも変えてしまうということ。道具を取り換えるようにはいかない」と、述べておられます。鶴田教授の言っておられることは、前述のヨーロッパ文化と日本文化との落差や格差を認識できていないことなのです。つまり、「言葉の習得は、技術や道具によるのではなく、文化を理解する力」なのです。
文化を理解する力とは?
多文化を理解する力がどこの国の言語を学ぶにしても、外国語を習得する際、アメリカからイタリアに移住したときの私の経験からも最も重要なことなのです。イタリアは移住以前に一か月ほど旅行していたので、イタリアという国に対しての予備知識はありましたが、ミラノ市に居住し、午前に広告代理店に勤務、午後には鉄道で移動して、ミラノ市 (Lombardia州) の隣、ピエモンテ (Piemonte州)、ヴェルチェリ (Vercelli県) を中心に空手の指導をしました。
イタリア語に関しての知識は殆どゼロでしたから、無謀と言えば無謀で、広告代理店では広告コピーの内容を把握し視覚・映像化するにも、空手の道場では指導をイタリア語でするにしても苦労の連続でした。特に空手の指導は、英語ができる会員は皆無で、殆ど手探りで、初めは動作だけで指導する羽目になりました。「じゃ、何でイタリアに移住したの?」という当然すぎるにも当然すぎる疑問が生じるでしょう。実は、ミラノ市にヨーロッパ人の結婚する相手がいたのです。初婚のアメリカ人妻と別れたのはこのことが原因です (「International Women's Day」〈2018年4月10日〉参照)。彼女はドイツ・スイス系イタリア人で、彼女との会話は英語でした。イタリア人から、なぜイタリア語で会話しないのかと聞かれましたが、英語を忘れないためというのが私の言い訳でした。まさか日本語を忘れていることには気づきませんでした。
でも苦労しながらも、少しずつイタリア語で広告代理店でアートディレクターとしての仕事 (主な広告主はドイツの女性ヘアケア商品 "Wella" とガソリン元売り会社) も、空手の指導もこなすようになりました。そのころの私のお尻のポッケトには、小さなポッケトサイズの 「Italian/English・English/Italian」 の辞書を常時携帯し利用していました (「言葉によって違う『R』の発音」〈2007年11月23日〉参照) 。イタリア語で空手の指導しながら驚いたのには、私たちから言う音楽に関する単語がいっぱいあることでした。ほとんど忘れてしまいましたが、例えば、早く=veloce、ゆっくり=piano または lentamente、 強く=forte 楽器のピアノは pianoforte、小さい=piccolo 等々。文化を理解する力とは、このように、言語が成立した背後にある文化を理解するということです。
上記、鶴田千佳子教授が唱える意見を心に留めて、中身のない、つまり文化の香りのない、張りぼての 「英検」 や 「TOEIC」 ではない英語を自分自身で模索して身につけるよう実践してください。漢検でいくら高得点を取っても、日本語の達人にならないのと同じことです。夏目漱石や川端康成の小説を読破した方が日本語に堪能になることは私が保証します。
イタリアに居住して少しずつイタリアというローマ帝国の発祥の地とルネッサンスの勃興の地であることを肌に感じ始めたころ、私は断腸の想いで、また余儀なくかの国を去ることになりました。「ローマは一日にして成らず」 という格言がありますが、そのことがどいうことを意味しているのか実感したのは帰国してからです。帰国して、日本という国の実像が分かるにつれ、それに比較してかの国は物凄い歴史と文化を成していたのだ!と、つくづく上記の格言の真の意味を感じ自身の無知を恥じました。
英語はとはどんな言語?
このブロッグの上部に世界地図を表示しましたが、皆さんのほとんどは、まずこのような世界地図で日本の位置を確認したことはないでしょう。当然、どこの国でも自国を中心にした世界地図を学習する際に表示するでしょうから。
どこに日本が在るか探してみてください。小さく右端に在りますよね。英語で Far East 訳して極東つまり東の果てです。英語の発祥地、西の左側のイギリスからは、ヨーロッパ大陸と中国をまたぎ、日本は東の右端に当たることはこの地図上明白です。もちろん地球は丸いですから、どこが東の果てか西の果てかは起点を決めなければ判断できませんが、少なくとも英語という言語を起点にすると日本は東の果てということになります。
イギリスは、かつて世界の七つの海を支配し大英帝国と言われました。同時に、各地を植民地化し、それによって英語も各地に広まりました。どれだけの国あるいは地域を植民地化したか、とてもここで表示できないくらい驚くほど多数です。
その英語は、アフリカ大陸のエジプト、南アフリカをはじめ、さらに東に向かい、パキスタン、インド、マレーシア、シンガポール、香港、フィリッピン、下に降ってオーストラリア、ニュージーランドと、一方で西側を見ると、アイルランド、カナダ、アメリカ、英領西インド諸島等々。以上ざっと荒っぽく分類しましたが、とてもこのブロッグで、これも詳細を表示するには手に余ります。この中でフィリッピンだけは、元はスペインの支配下にあったので、スペイン語の影響が強かったのですが、後にアメリカの植民地化でご承知のように英語 (公用語) が主流になりました。
英語は比較的容易な言語
容易と言っても、他のインドヨーロッパ系の言語と比較しての話です。私は世界中の言葉を学んだわけではないし、言語学者ではないので、断言しているのではないことをお断りしておきます。ただ、私がかじった欧米語の中で、独・仏・伊・西語ほど文法が厳しくなく、とっつきやすいことは確かで、上記の世界の国の植民地化以外に、英語が世界中に広まった原因の一つではないかと思います。殆どの英語を母国語とする人達が英語以外の言語を話さないのは、英語が国際語となっている以外に他言語は習得が大変だからだと思います。中国語については『英語と日本人』で詳述しましたので、ここでは割愛します。
私が最初にヨーロッパ語で学んだのはドイツ語 (『英語と日本人』参照) でした。簡単な片言の会話程度はドイツ語独特の発音以外は、それほど苦もなく覚えましたが、それ以上つまり会話を交わす段になると、腰を据えて向かい合わないと手に負えないことが分かってきました。そのとき、芸大同窓生でドイツ語を教えてくれたドイツ人女性が 「ドイツ語って難しいでしょう」 と私に語ったのを覚えています。その彼女が 「英語って易しい」 と言ったのも衝撃的で、これも忘れることができない一言ででした。確かに、上述のように英語は、日常生活で使う言葉としては易しいと思います。
英語は、(これも『英語と日本人』で詳述) インド・ヨーロッパ語族に属し、ドイツ語や北欧の言語は親せき当たります。よく、マスコミなどに 「世界の英語力ランキング」 が公表されますが、ある調査によると、1位から5位までは、英語の親せきの言語を話し、同じような生活習慣・文化圏の北欧諸国です。参考までにここに表示しますが、1.オランダ 2.デンマーク 3.スウェーデン 4.ノルウェー 5.フィンランド、です。当たり前と言えば当たり前で、文化圏も生活習慣にもあまり差がない地方の津軽弁を関西弁または九州弁に直すようなものですから。ちなみに、日本は72か国中35位だそうですが、このような画一的な調査によって卑屈になり、ゆがめられる日本の英語教育の行く末に望みはないでしょう。
外国語を学ぶのに才能は必要か?
私から言えば「ありません」。ただある程度感性は影響するでしょう。例えば、身体能力とか音楽や美術に対する感性は遺伝や家庭環境によることは一般に認めらています。しかし、どこの民族の子供でも自民族の言葉は個人差こそあれ、幼少時に身につけます。大体女子は男子に比べ早いようです。ただここで問題にしたいのは、日本人の言語に対する因襲です。長年の伝統 (?) または鎖国の後遺症からか、日本民族の体質にまでなっていることは憂慮するべきことです。ともかく内向きで控えめに終始する自己の意志を発信するさまは、国家または民族的損失です。ただ日本人すべてがそうでないのは不可解なことです (「口下手で社交下手な日本人が英語を話すとき」〈2010年10月11日〉参照)。
例えば関西人です。よく例に出されるのはいわゆる 「大阪のおばちゃん」 です。意思表示が露骨なくらいはっきりして見事です。大体、私の経験から世界中の人々は関西人のように自己の意思表示を明確にします。ではなぜ関西人や 「大阪のおばちゃん」 ではない、一般日本人は自己表現をためらうのでしょうか。「double standard=ご都合主義」が日本人の体質となっているからでしょうか (「意思疎通」か「コミュニケーション」か?〈2015年6月23日〉参照)、(「家に引きこもっていないで、外の空気を吸いに外出したら」〈2018年4月27日〉参照)?
帰国して、日米合弁会社に就職したと前に述べました。合弁会社ですから会議は日英語半々で行われました。社長を始め日本人の役員・営業担当・女性社員のほとんどは堪能とは言えませんが英語を話し理解していました。ただ宣伝企画部は例外でした。また、ELS の前身の英友社は本郷の東大の目と鼻の先に在り、酒好きの私は、東大生や院生が集う居酒屋でよく会話を交わしましたが、彼らのほとんどは英語を話しました。東大生だから頭がいいからとかより、先の広告代理店の例を持ち出すまでもはなく、問題は意識または意欲なのです。
最近、イギリスの外務大臣 (Secretary of State for Foreign and Commonwealth Affairs) になった Jeremy Hunt氏は、政治家になる前、日本に2年間英語教師をした経験がありますが、2年間とはとても思えない、いや驚くほど日本語が達者でした。Hunt氏とは『イギリス留学案内』といった彼の出版した本を、英友社が代理店になって日本で販売することになったことから知り合いました。
言語の習得は自分方式を見つけること
Hunt氏は、Oxford大学を卒業生したエリートですから、日本語に堪能になるのは当たり前と思われるかもしれしれませんが、私から言えば、50%は正しいが、後の50%は目的意識だと思います。上記の広告代理店の社員達は、外資系の会社で働きたいという意欲が強い人達だったと思います。しかし、私が最も強調したいことは、自分で自分に合った学び方を見つけることが大切です。つまり自分式、我流でやるのです。何事をやるのも楽しくなければ長続きしないし身につきません。自分流の楽しいやり方を模索すれば結果はついてきます。語学 (英語) を学ぶのが楽しくなければ、止めて、他の何かもっと楽しいことをやればよいのです。英語が人生のすべてではありませんから。
ニューヨークの広告代理店に勤めていた時、編集部の校正担当の女性の一人はフランス人でドイツ語もできる人だったので、ドイツ語をかじった私は、難しいドイツ語を何とかしたいと思って、彼女に話しかけたら、鼻にもひっかけられませんでした。しっかりした目的もない、生半可な私の心を見透かされていたのです。
ただ英語にも落とし穴があります。英語を 「易しい」 と言っていたドイツ人の彼女が、当時、英語の語彙を増やす練習本を必携していたので不思議に思っていましたが、答えは、英語には一つの単語の語彙がものすごく多いのです。簡単な例で言えば、"get" です。日本ではカタカナ語で 「ゲッツ」 とか言って 「得る・獲得する」 という意味で使っていますが、"get" は無数と言ってもいいほどいろいろな意味があります。"get" の複合語となるとさらに増えます。うそだと思ったら、まともな英和または英英辞典を引いてごらんなさい。常用化したカタカナ語の 「リニューアル」 (「リニューアルオープン」 か「新装開店」か?〈2008年12月13日〉参照) に至っては、日本人の外来語に対する無節操な、バカ丸出しもここまで来たか、としか言いようのない悲しい、日本語を破壊する国辱ものです。
自国語を破壊する、かねてから私が口が裂けるほど唱えている 「カタカナ語」 は絶対に止めるべき (百害あって一利なし) と、ここまで書いてきたら、元国連事務総長であ ったアナン (Annan) 氏の訃報が入ってきました。氏は、ガーナ共和国出身で、氏の国連事務総長としての功績で国連ともどもノーベル平和賞を受賞しました。数か国語に堪能のようでしたが、私には氏が話す英語は、うらやましいと言うより尊敬に値する英語でした。とつとつと話す言葉の隅々に氏の知性と見識が詰まっていて、"twitter"で衆愚を扇動するだけの、米国の大統領の言葉と比較するのもおこがましい。
さて、本命のELS の開校ですが、ELS が推奨する英語指導方針を実施します。 「カタカナ語」・「TOEIC」・「英検」・「金儲け英語」 に完全に汚染されているこの国では、私一人の力つまり多勢に無勢で、手に負えません。従って、「クラウドファンディング」 を立ち上げ、理解者を募ることにしました。"CAMPFIRE" のプロジェクトで公募します。まだ準備段階ですが、立ち上がり次第、当ブロッグにてお知らせしますのでご支援のほどお願いします。
ELS には 外国人向け "the Gallery" (私、元アートディレクターの感性で Café を内装) を併設します (モニター画面で常時英語での CNN、CNBCなどを放映) から、外国人の男女あるいは日本人でも海外経験の豊富な客と自由で楽しく、英語で交流の場・社交の場を提供します。